記事一覧

ラハティ交響楽団

昨日、オスモ・ヴァンスカ指揮、フィンランドのラハティ交響楽団のコンサートを聴きにいった。最初は、シベリウスの後継者といわれるフィンランドの作曲家コッコネンの「風景」。列車の窓から見た雄大なフィンランドの森が目に浮かぶ。次は、ノルウェイの作曲家グリークの有名なピアノ協奏曲。ピアノはユホ・ポホヨネン。ピアノとオーケストラがしっくり合っていてすばらしい。最後が、シベリウスの交響曲第二番。音がふくらんで天に立ちのぼっていくような豊かで深い響きと、息を詰めるようにしないと聴こえないピアニシモ。今まであまり身近に感じなかったシベリウスだが、とても生き生きとして美しい音楽だった。しあわせな気分になって帰ってきた。

お月さま

昨夜は、旧暦八月十五日にあたる「中秋の名月」だった。濃藍色の空の高いところに雲の切れ目から満月が白っぽく輝いていた。今夜の月は、雲一つない夜空にさらに冷たく照り輝いて神秘的な感じがする。すすきとお団子というより、アンデルセンの「絵のない絵本」が思い出される。

エンデュアランス:不屈の精神

1914年、イギリスのシャクルトンを隊長とする総勢28人の探検隊は、木造の帆船エンデュアランス号で南極探検に出発したが、流氷に阻まれ南極大陸に上陸できず船も沈没して一年半漂流した挙句、奇跡的に全員生還した。それは、冬には二ヶ月も太陽が出ず真っ暗闇が続く苛酷な極寒の南極の絶望的な状況でも希望を失わず、常に危険を最初に引き受け、隊員たちを導いたシャクルトンの強いリーダーシップのおかげだ。彼は、十分な準備をした上で、最後は楽天的であることが何よりも大事だと考えていた。シャクルトンと隊員の何名かが書き続けた日記と、同行した写真家のネガが、当時の迫真の記録として残っている。せっかく生還したのに、多くはすぐに第一次大戦の戦地に赴き戦死した隊員もいるのはやりきれない思いがする。
(「エンデュアランス号漂流」新潮文庫)

二条城

 京都の二条城は、1603年徳川家康が将軍上洛の宿泊所として建て三代将軍家光の時に完成したもので、桃山文化の粋を集めた徳川幕府の権勢を象徴する建物だ。その後、1867年十五代将軍慶喜の大政奉還により朝廷のものとなり、1939年からは京都市の所有になっている。慶喜が大政奉還を発表した大広間を眺めていると当時の歴史が身近に感じられる。
 春に京都御所を訪れたときは、平安時代の雰囲気が漂っていたが、そこから近いのにここは江戸時代の雰囲気だ。それぞれ、塀で囲った敷地の中に当時の空気もそのまま閉じ込められているようだ。

「敦ー山月記・名人伝」

昨日、中島敦原作、野村萬斎構成・演出の「敦ー山月記・名人伝」を見にいった。原作ほとんどそのままの語りに絶妙な間合いで尺八と鼓が入り、能狂言の所作でシンプルな舞台装置の中に、中島敦の世界があらわれ出る。「山月記」では、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」のために虎になった李徴を演じる野村万作の迫力が圧倒的。「名人伝」は、弓の名手紀昌を演じる野村萬歳のむだのない動きが美しく狂言らしいコミカルな演技で笑わせたが、見終わってから怖くなってきた。

真夜中に・・・

寝ぼけながら真っ暗な階段を降りていた。一番下の段を降り廊下に着いたと思って歩き出したら、まだ残っていて、ものの見事にバランスを崩して落ちた。落ちた瞬間はよく覚えている。下に固い床があると信じ込んでいたのに、足がふわっとした空気のかたまりを踏んで一瞬からだが宙に浮き、ああ倒れているなと他人事のように思いながら倒れていくと、次の瞬間どさっと音がして床にぶつかって痛くて目がさめた。後から考えてみると、戸口の角にぶつからずに前方にばったり倒れこんだので、かすり傷と打ち身ですんだのは幸いだった。家の中でこんなにスリルを味わうとは思わなかった。

フィンランド

 アラビア製ムーミンのマグカップにコーヒーを入れ(個人的趣味で泡立てたミルクをたっぷり注いで)、ブルーベリー入りクッキーを添えれば、気分はフィンランド。
 北欧にあるフィンランドは森と湖の国。白地に青十字の国旗は雪と空を表しているそうだ。日本と同じくらいの国土に東京都の半分くらいの人口。教育水準が高く高福祉、ハイテクの国。治安がよく水道水がおいしい。だが、ロシアとスウェーデンの二つの大国に挟まれたその歴史は平坦なものではなかった。
 朝日新聞「天声人語」の元執筆者、深代惇郎の昔のエッセイを読んでいたら偶然フィンランドが出てきた。1970年代、フィンランドは、ヨーロッパ諸国と経済的結びつきを強めながらも、東欧のように共産圏に飲み込まれることを恐れて当時のソ連の了解を取りつけることを第一に外交努力を続けていたそうだ。過去の例からソ連が攻めてきても西欧諸国は絶対に助けてくれないことが分かっていたからだ。当時「フィンランド人一人は、ロシア人十人に匹敵する」「じゃあ十一人目はどうするんだ?」という小話があったそうだ。
 時は流れてソ連は崩壊し、フィンランドはEUのメンバーとなり平和な日々を迎えた。それにしても、外国がすべて「海外」である日本人は、大国と国境線を接する恐ろしさが理解できないとつくづく思う。ついでに、ムーミンが可愛いだけのキャラクターでないこともなかなか理解できない。

秋の気配

昨日の夕方、空高くうろこ雲がたなびいていた。夜には虫の音が聞こえたと思ったら、今朝は、さわやかな天気で秋風が吹いていた。ずっと暑い日が続き、ずっとセミが鳴き続けていて、いつまで経っても夏が終わらないような気がしていたのに新学期に合わせたかのように秋の気配が感じられた。
「りんご畑のマーティン・ピピン」を読んでいたら、りんごが食べたくなってきた。そろそろりんごの季節。

ならの小川

 「風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける」
(藤原家隆)
上賀茂神社の「ならの小川」で陰暦六月、今の八月に行われた「みそぎ」の神事を歌ったものという。夏になると思い出す歌だが、現代の暑苦しさに比べなんとさわやかなことか。
 この歌のせいで、ずっと憧れていた上賀茂神社に今年の六月に行くことができた。京都でも最古の神社の一つといわれる境内には、緑の木々が茂り、苔むす岩の側に、ならの小川が流れていたが、長い時を経た落ち着いた独特の雰囲気が感じられた。静かさの中に何かの気配を感じたような気がしたのは、「陰陽師」の読み過ぎか。

JR和田岬

JR兵庫駅で降りて、平清盛の供養塔、清盛塚まで歩く。清盛は私財を投じて後の兵庫港を整備した。兵庫というのは古くからの地名らしい。そこからJR和田岬駅まで歩く。岬といっても、駅からはずっと三菱重工の敷地で海は見えない。敷地内にある幕末に造られた砲台を見せてもらう途中、進水間近の真新しいコンテナ船がちらっと見え、やっと海に近い感じがした。
JR和田岬線で帰ったが、単線なのに6両編成できれいな列車。三菱重工の通勤に使われているらしく朝夕の通勤時間帯しか走らない。神戸市内なのに珍しいところだった。