公園にカラタチの実がなっていた。8世紀に中国から伝わり、名前は「唐橘」(からたちばな)が詰まったそうだ。残念ながら食用にはならず、枝には棘があるが、万葉集にも登場するほど古くから親しまれている植物だ。
公園にカラタチの実がなっていた。8世紀に中国から伝わり、名前は「唐橘」(からたちばな)が詰まったそうだ。残念ながら食用にはならず、枝には棘があるが、万葉集にも登場するほど古くから親しまれている植物だ。
アダムのおばさんは、お見舞いに行くときに「Gladstone bag」を持っていった。これは、革製のぷっくりした中型の旅行鞄で、英国の首相の名にちなんだ極めて英国的な鞄だそうだ。この本の挿絵にも登場する。
さて、その中に何を入れて帰ってきたのだろう?
"Minnow on the Say" by A.Philippa Pearce, Illustrated by Edward Ardizzone1955
秋らしい爽やかな一日、兵庫県丹波篠山市の兵庫陶芸美術館に行った。
丹波焼の大きな壺を初めて見た。他に、南天の葉を押した壺があった。「天正十七年」と記された壺は制作年が分かる。ちなみに本能寺の変は、天正十年(1582年)。
"Minnow on the Say"は、少年二人の友情と川下りと先祖の宝探しという「古き良き英国らしい物語」だ。
少年アダムの伯母が、昔つくった花いっぱいのお手製ワインは、大き目の「Chinese ginger-jar」に入れられていた。これは、香辛料を入れた陶磁器の蓋つきの壺らしい。それなら中身が何か分からないし、他の物でも入れられる。何が入っていたのだろう?
"Minnow on the Say" by Philippa Pearce, Illustrated by Edward Ardizzone,1955
秀山祭九月大歌舞伎(夜の部)
一、菅原伝授手習鑑 寺子屋
寺子屋を営む源蔵(幸四郎)は、流罪になった菅丞相(かんしょうじょう)の子、菅秀才を守っている。それを時平(しへい)方に知られ、新入りの子を身代わりに討つ。首実検にやってきた今は敵方の松王丸(吉右衛門)が、認めたため菅秀才は助かる。そこへ討たれた子の母、千代(菊之助)がやってくる。実は、千代は松王丸の妻で、夫妻は自分の息子を身代わりに差し出したのだった。
道真は平安時代の人だが、江戸の話になっていた。
二、歌舞伎十八番の内 勧進帳
幸四郎の弁慶と錦之助の富樫
三、秀山十種の内 松浦の太鼓(まつうらのたいこ)
師走の両国橋で、俳人の其角(きかく)(東蔵)と落ちぶれた赤穂浪士の大高源吾が再会。翌日の句会で、屋敷の主、松浦候(歌六)は赤穂浪士が仇討ちを果たさないことに業を煮やし、源吾の妹お縫(米吉)に辛く当たる。其角が源吾の残した句を伝えると、松浦侯はその真意を察し喜んだところに、討ち入りの太鼓が鳴り、源吾が現れ吉良邸討ち入りの顛末を伝える。
忠臣蔵外伝物で、この演目を初演した三世中村歌六の追善狂言。
悲劇の人、道真や義経に仕える忠実な部下の話、そして非業の主君の仇討を果たす赤穂浪士の話が江戸の人々のお好みだったようだ。
令和最初の夏の甲子園、開会式の後の第一試合は、青森代表八戸学院光星 対 愛知代表誉(ほまれ)だった。
一回の表、早くも八戸学院光星の満塁ホームランが飛び出したが、レフト側外野に座っていたので、すぐ近くに打球が来て驚いた。