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正倉院展

 正倉院には、8世紀の奈良時代の宝物が納められている。光明皇后が、東大寺大仏に献納した聖武天皇の遺愛品が始まりとされる。

 今年の正倉院展で印象的だったのは、まず紫檀(したん)の琵琶。黒っぽい地に白や緑の鳥や花の模様があしらってある。弦の数は4本で、ギターくらいの大きさで、厚味はずっと薄い。
 次に東大寺の法要で上演されたという伎楽(ぎがく)の呉女の面。しっかり山形の眉と、一重の目と、ふっくらした赤い唇で、なかなかいいお顔。能面などより親しみやすい。
 東大寺に献納されたという金銀花盤は、大きな鹿の絵が浮き彫りになっていて、周囲が繊細なビーズ飾りで縁取られている。

 中国の古典を写した「楽毅論」(がっきろん)は、光明皇后直筆だったが、他に、皇后の命で写経された経典も展示されていた。
 当時は、写経がとても大事な仕事だったので、写経所という専門の部署があり、140数名が働いていたらしい。
 文字を書く経生の給料は、40枚仕上げると布1端の割合。ただし誤字脱字ごとに減額される。例えば、誤字20字で紙1枚分だ。
 それを校正する校生は、500枚仕上げると布1端。やはり、誤字脱字などを見のがすと減額になる。その基準はきっちり決められていてなかなか厳しい。
 彼らには、食料も支給された。米、海藻、塩、酢、大豆、小豆、漬菜など、そして生野菜を買うための現金も。
 そういったことが書かれた古文書が展示されていて、当時の官僚の生活が身近に感じられた。

大根

山形県尾花沢(おばなざわ)市の銀山温泉に向かう途中、家の軒に鮮やかな色の干し柿がすだれのように吊るしてあった。また、むっくりと美味しそうな白い大根がブラインドのように何列も干してあるところもあった。このあたりは豪雪地帯で、夏はスイカ、秋は大根の産地だそうだ。

使うたびに半分切りの大根を買ってくる自分の暮らしを少し後ろめたく感じてしまった。

晩秋の東北地方南部

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 福島県立美術館でヴァイオリニスト天満敦子演奏ポルムベスク作曲「望郷のバラード」を聴いた。深みのある音色で晩秋にふさわしい。

 山形新幹線つばさは、福島市から山形県に入り、山形市、天童市を通り、新庄市まで走っている。
 途中の天童は将棋と温泉の町。高級な将棋の駒は一つ一つが手作りの工芸品だ。ゆっくり足湯につかった後、枯葉を踏んで歩くとカサカサ音がし、色づいた木々の枝が風に揺れるとザワザワと音がする。
 新庄の手前から入る銀山温泉は、17世紀には銀山として栄えたという。川沿いに大正時代の雰囲気の木造の旅館が建ち並ぶ山あいの温泉街だ。

 新庄からJRに乗り陸羽東線で宮城県に入り、秋景色の鳴子峡を歩く。黄茶赤の木々の間に杉の緑が混じり、なかなか雄大な眺めだ。
 リゾート列車「みのり」に乗る。両側の車窓から黄茶赤の山々が見渡せる。

 古川からJRを乗り継ぎ石巻線で石巻へ行き、伊達政宗の命により造られた国産の帆船、サン・ファン・バウティスタ復元船を見学する。17世紀に支倉常長(はせくらつねなが)率いる慶長使節団が太平洋回りの航海でメキシコ、スペイン、ローマにおもむいた時の船だ。海を背景にした帆船を眺めていると、当時の無謀ともいえる航海が想像される。
 その後、仙石(せんせき)線で仙台へ向かう。途中は海沿いに走るので、車窓から松島の美しい風景を眺めることができた。
 
 急な冬型で小雪が舞う寒い晩秋の旅だった。

ハプスブルクと古代ローマ

「Theハプスブルク」展を見た。ウィーンとブダペストの美術館にあるハプスブルク家所蔵の絵画などの他、明治天皇からオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に贈られた画帳と蒔絵棚もあった。浮世絵っぽい絵は当時さぞ珍しかったことだろう。
肖像画では、貫禄あるおばさまというイメージの女帝マリア・テレジアの11歳のときのものは、細く若々しくて何よりきりっとした顔立ちが印象的だった。皇妃エリザベートは、予想通りの美しさだった。その他いずれも保存状態がとてもよい。

翌日は「古代ローマ帝国の遺産」展を見た。巨大なアウグストゥスの大理石の坐像や、アレッツオのミネルヴァのブロンズ像など、実物の迫力はさすがだった。
また、ポンペイから出土した装身具、銀食器、壁画などから当時の生活水準の高さがうかがわれる。

ハプスブルク家により名画の数々がよく保存されてきたように、時代はずっとさかのぼるが火山灰に埋もれたポンペイの悲劇が、結果として当時の品々をよく保存することになった。そのおかげで、現在、はるか昔の人々を身近に感じることができる。過去から現代へとつながった時の流れを感じる。

ウィーン・フィルのメンバー

「ウィーン・ヴィルトオーゼン」は、ウィーン・フィルの弦と木管の11名から成っている。ヴィルトオーズ(virtuos)は、辞書をひくと「有能な、堪能な、巧妙な」とあった。
モーツァルトの交響曲29番イ長調の演奏が、たった9名の演奏なのに過不足がない。
ビゼー作曲ボルヌ編曲の「カルメン・ファンタジー」は、フルートが華やかだ。
最後は、優雅で軽やかなウィンナーワルツ、J・シュトラウス二世の「ウィーン気質」。
アンサンブルの美しさを堪能したと同時に、大ホールでちょうどいいほどのスケールの大きさだった。

タイ風グリーンカレー

鶏肉、ピーマン、ナス、ジャガイモ、シメジを炒めて、グリーンカレーのペーストを入れ、ココナッツミルクで少し煮込んでナンプラーを加えると、タイ風カレーのできあがり。ただし、ピリッと辛いのは苦手なのでココナッツミルクを二倍いれてまろやかにした。
日本のありふれた材料が、調味料ですっかり外国風に変身するのがおもしろい。

J.R.R.Tolkienの短編

 J.R.R.Tolkienの「Smith of Wootton Major & Farmer Giles of Ham」を読んだ。
 前者は、星を飲み込んだためにエルフの世界へ行けるようになり、崇高な美しさを知った鍛冶屋の話。星を手放すときに葛藤するが、Ringの場合ほど深刻ではない。
 後者は、自分の意思に反してdragon退治に行く羽目になるが、名刀Tailbiterの力を借り、徐々に精神的にも成長して、ついにはdragonを倒して宝を手に入れ、王になるというお話。
 両方とも、「Lord of the Rings」を連想させるところもあるが、軽く楽しいお話だ。短い話なのに、後者で「貴族の言い方を俗な言い方に言い換えると・・・」というのがしばしば現れるのが、言語学者の作者らしい。

Vivaldi

チェロの鈴木秀美が率いるオーケストラ・リベラ・クラシカのヴィヴァルディの演奏を聴いた。
有名な「四季」の「夏」は、暗く激しい感じだと、ずっと思っていたが、日照りで作物が枯れ、雷と稲妻がとどろく場面をあらわしているそうで納得した。
弦楽器にリュート、チェンバロを加えたチェロ協奏曲は、渋く落ち着きのあるチェロの音色と、総勢13名のよくまとまった演奏で、当時はこんな感じに聞こえたのかと思われた。大ホールでなく、もっと小さな場所で聴きたかった。

「The Last Battle」

久しぶりに、C.S.Lewisのナルニア国物語の第七作目にして最終の「The Last Battle」を手に取ったら一気に最後まで読んでしまった。Narnia最後の王Tirianは、夜、最後の絶望的な戦いに挑み、敵もろともTashの神がいるという馬小屋の扉を開けて中に飛び込む。すると、そこは太陽がさんさんと輝き緑の木々がそよぐ美しい場所だった。そしてAslanがあらわれ、Father Timeを起こし、扉の外のナルニアを滅びさせる・・・。
キリスト教臭が露骨にあらわれ過ぎるという批判も多いし、この世が「Shadowlands」だという結末にはひっかかるが、それでも、第一作めの衣装ダンスの奥から始まり、この作品の最後の馬小屋の扉の奥、それからさらに奥へ、「Farther up, farther more」と進んでいくほど広がっていく世界は美しくて魅力的だ。

「there and back」

数日ぶりに帰宅した。
幼い子が喜ぶ物語の基本は「行きて帰りし物語」だと瀬田貞二氏の本にある。J.R.R.Tolkienの「The Hobbit」の副題から採られたことばだ。幼い子でなくても、旅は行くときだけでなく帰ったときもうれしい。帰る喜びも旅の楽しみの一つだ。