爽やかな秋晴れの一日だけれど、週末に台風上陸の予報が出ている。今年三つ目の直撃は免れたいものだが、科学技術が進んだ現代でも、家にこもって行き過ぎるのを待つしかない。800年前に「方丈記」を書いた鴨長明に時代を超えて親しみを覚える。
爽やかな秋晴れの一日だけれど、週末に台風上陸の予報が出ている。今年三つ目の直撃は免れたいものだが、科学技術が進んだ現代でも、家にこもって行き過ぎるのを待つしかない。800年前に「方丈記」を書いた鴨長明に時代を超えて親しみを覚える。
小雨の中、左手に傘、右手に鞄を持って繁華街の歩道をせかせか歩いていたら、何かにつまずいたのかいきなり派手に転んでしまった。雑踏の中で焦ったが何とか立ち上がって歩くことができ、無事に目的地に着いた。ほっとして調べてみたら厚地のデニムの膝が破れていたものの、傷は無く打ち身だけですんだ。衣服といえば防寒や身だしなみや流行くらいしか思わなかったが、皮膚を保護するという大事な役目があるのに今更ながら気づいた。
台風の後、停電した。テレビのニュースも見られないし、スマホの充電量も心もとない。だんだん暗くなってくるので蝋燭を出してつけようとしていたら、有難いことにパッと電気がついた。情報化社会といっても、一瞬で孤立してしまうのを思い知らされた。
1日目
小田原(神奈川県)ー箱根湯本:箱根登山線
箱根湯本ー強羅(ごうら):登山電車
強羅ーポーラ美術館:バス
登山電車のスイッチバック、ポーラ美術館
2日目
強羅ー早雲山:登山ケーブルカー
早雲山ー大涌谷(おおわくだに)ー桃源台港:ロープウェイ
(芦ノ湖)桃源台港ー箱根町港:箱根海賊船
箱根町港ー(元箱根)ー小涌谷(こわきだに):バス
小涌谷ー強羅:登山電車
大涌谷の黒たまご、箱根関所、強羅公園
3日目
箱根湯本ー(甘酒茶屋)ー元箱根:バス(箱根旧街道線)
元箱根ー三島(静岡県):バス
箱根湯本の露天風呂、甘酒茶屋、広重のような富士山、
三嶋大社…源頼朝、徳川家康など武士の崇敬を集めた。
1、長野市
松代(まつしろ)城跡…17世紀初め関ヶ原の戦い後、上田から移ってきた真田信之を初代藩主とする松代藩の城跡。
善光寺…野沢菜入りおやき
戸隠(とがくし)神社、五社参り…北アルプス山麓、投げ飛ばされてきた天岩戸(アマノイワト)が起源という戸隠山にあり、天岩戸開きに関係した神々を祭る。
・奥社…入口から40分続く参道。見事な杉並木。アメノタヂカラオノミコトを祭る。
・九頭竜(くずりゅう)社
・火之御子社(ひのみこしゃ)…アメノウズメノミコトを祭る。
・宝光社(ほうこうしゃ)
・中社(ちゅうしゃ)
戸隠蕎麦
2、白馬村、小谷(おたり)村栂池(つがいけ)経由で
JR南小谷(みなみおたり)へ行き、
「リゾートビューふるさと」で南アルプスに沿って南下し
JR松本へ。
この夏で初めての秋らしい日だったので、京都駅界隈に小さな散歩に出かけた。西本願寺ではツクツクボウシが聞こえ、東本願寺からは東山が綺麗に見えた。時期外れなのか、珍しく観光客も少なめで、どちらも駅の雑踏が信じられない静けさだった。
ドイツ生まれのレイ夫妻が、パリで創り出した小猿は「Fifi」と名付けられた。夫のハンスが描き、妻のマーガレットが話を書き、二人は、その原稿を持って第二次大戦中にアメリカに移住した。
戦後、それが絵本として出版されるとき、その小猿は「George」という名前になった。
その後、イギリスで出版されるときは、時の国王と同じ名前になってしまうので「Zozo」と変えられ、しっぽが付け加えられた。当時、イギリスでは、しっぽがあるのが「monkey」で、ないのは「ape」と区別されていたからだそうだ。
日本では「ひとまねこざる」として岩波から出版された。最初は縦書きで、スパゲッティが「うどん」と訳されていた。隔世の感がある。けれど、知りたがりやで大騒動を巻き起こすジョージの憎めない可愛さは、年月が経っても変わらない。
"Curious George Takes a Job" by H.A.Ray,1947
「第100回全国高等学校野球選手権記念大会」が始まった。
参加は過去最多の56校。朝7時に着いたが、しばらくして内野席は売り切れ、外野席も今年から有料なので駅の方に戻って並ばなくてはならなかった。
皇太子ご夫妻御臨席のため、手荷物検査もあり、球場周辺は例年と違い大混雑で騒然としていた。
開会式の入場行進の後、水分補給タイムがあった。例年にない猛暑の中、選手も観客も大変だ。
ボールがヘリコプターから落とされ、松井秀喜氏の始球式で第一試合、大分の藤陰(とういん)ー石川の星稜(せいりょう)が始まった。決勝戦まで熱中症で倒れる人などなく無事終わってほしい。
船をロープで岸につなぎとめる時の特別な結び方を、「a bowline knot」というそうだ。作者が描いた挿絵を見ながらやってみたが、なかなか難しい。
ジョンは、海軍中佐の父に仕込まれていたので、手際よく結ぶことができた。その父のような熟練の船乗りともなると、手首を二ひねりしただけで片手で結んでしまった。
これは「もやい結び」といって、現代の日本でも様々な場面で使われる結び方だそうだ。
"We Didn't Mean to Go to Sea" by Arthur Ransome,1937