奈良の正倉院展の後、近鉄で京都に向かい、京都国立博物館で「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展を見た。
これは、元々は13世紀の鎌倉時代に描かれた二巻の絵巻で、秋田藩主の佐竹氏が所蔵していたが、大正時代に分割されて当時の実業家などの手に渡り、それぞれ掛け軸に仕立てられ、茶会が開かれたそうだ。
掛け軸にされたことで華やかになり、日本各地の美術館で大切に保存されているのは良かったが、絵巻の分割とはまあ何と大胆なことをしたものだ。
奈良の正倉院展の後、近鉄で京都に向かい、京都国立博物館で「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展を見た。
これは、元々は13世紀の鎌倉時代に描かれた二巻の絵巻で、秋田藩主の佐竹氏が所蔵していたが、大正時代に分割されて当時の実業家などの手に渡り、それぞれ掛け軸に仕立てられ、茶会が開かれたそうだ。
掛け軸にされたことで華やかになり、日本各地の美術館で大切に保存されているのは良かったが、絵巻の分割とはまあ何と大胆なことをしたものだ。
祇園祭の前祭(さきまつり)、23基の山鉾巡行を河原町御池の北東角で見学した。
・長刀鉾、月鉾
・鶏鉾、白楽天山、霰天神(あられてんじん)山…「イーリアス」の一場面を描いたベルギー製タペストリーが使われているそうだが遠目では分からない。
最後は、写真は無いが船鉾(ふねほこ)だった。
この夏で初めての秋らしい日だったので、京都駅界隈に小さな散歩に出かけた。西本願寺ではツクツクボウシが聞こえ、東本願寺からは東山が綺麗に見えた。時期外れなのか、珍しく観光客も少なめで、どちらも駅の雑踏が信じられない静けさだった。
祇園祭の前祭(さきまつり)、山鉾巡行を見た。
長刀鉾(なぎなたほこ)の注連縄(しめなわ)切りから始まり
23基が続く。
写真は他に函谷鉾(かんこほこ)、月鉾、山でも辻回しをする岩戸山、最後は船鉾。
大阪の地震、西日本の豪雨、猛暑と続き、平安の昔と同じく神頼みをしたくなる。
・愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)
・嵯峨鳥居本(さがとりいもと)伝統的建造物群保存地区・・・全国の愛宕(あたご)神社の総本山である愛宕(あたご)神社の鳥居
・あだし野 念仏寺・・・化野(あだしの)は、かつての風葬の地
・旧嵯峨御所 大本山 大覚寺・・・嵯峨天皇の離宮が元、大覚寺は9世紀後半に嵯峨天皇の孫により開山、いけばな嵯峨御流の総司所
・祇王寺・・・真言宗大覚寺派、苔、平家物語に登場
・落柿舎・・・江戸の俳人、向井去来
湯豆腐
嵐山は狭義、嵯峨野は広義
葵祭(賀茂祭)の、総勢五百名、長さ八百メートルに及ぶ行列を、終着地、上賀茂神社で見学した。
一の鳥居をくぐった白砂の神聖な場所なので、騎馬も牛車も許されず、斎王代も輿を降りて歩いていた。
雅楽を奏する二組があった。最初は、斎王代に先立つ「蔵人所陪従(くろうどどころのべいじゅう)」で、最後の方が勅使(天皇の使い)の後の陪従(べいじゅう)。こちらは、和琴を二人がかりで運んでいた。
その後、大田神社に行った。ここは、上賀茂神社の境外摂社でカキツバタが有名だが、今年は春が早かったので残念ながら盛りを過ぎていた。
京都市右京区
・嵯峨嵐山の天龍寺
臨済宗天竜寺派の大本山。
嵐山を借景とした庭園と、石楠花(しゃくなげ)その他、花盛り。
14世紀、吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うため足利尊氏が創建。開山(初代住職)は夢窓疎石(むそうそせき)。
礎石は当時、人望のあった禅僧で寺院建立の資金調達のため「天龍寺船」による中国(元)との貿易を進言したそうだ。
・嵯峨小倉山の大河内山荘
保津川(桂川)を挟んだ嵐山の対岸、小倉山の南面にある。
比叡山から東山の大文字まで見渡せる。
・嵐山公園、亀山地区の展望台
保津川下りの舟が見え、トロッコ列車(山陰線)の音が聞こえた。
・阪急嵐山線と、嵐電(らんでん)