・愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)
・嵯峨鳥居本(さがとりいもと)伝統的建造物群保存地区・・・全国の愛宕(あたご)神社の総本山である愛宕(あたご)神社の鳥居
・あだし野 念仏寺・・・化野(あだしの)は、かつての風葬の地
・旧嵯峨御所 大本山 大覚寺・・・嵯峨天皇の離宮が元、大覚寺は9世紀後半に嵯峨天皇の孫により開山、いけばな嵯峨御流の総司所
・祇王寺・・・真言宗大覚寺派、苔、平家物語に登場
・落柿舎・・・江戸の俳人、向井去来
湯豆腐
嵐山は狭義、嵯峨野は広義
・愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)
・嵯峨鳥居本(さがとりいもと)伝統的建造物群保存地区・・・全国の愛宕(あたご)神社の総本山である愛宕(あたご)神社の鳥居
・あだし野 念仏寺・・・化野(あだしの)は、かつての風葬の地
・旧嵯峨御所 大本山 大覚寺・・・嵯峨天皇の離宮が元、大覚寺は9世紀後半に嵯峨天皇の孫により開山、いけばな嵯峨御流の総司所
・祇王寺・・・真言宗大覚寺派、苔、平家物語に登場
・落柿舎・・・江戸の俳人、向井去来
湯豆腐
嵐山は狭義、嵯峨野は広義
青森県青森市に二泊三日の旅をした。
・棟方志功記念館、アスパム展望台、旧青函連絡船「八甲田丸」
・青森魚菜センター「のっけ丼」ホタテ、ウニ、イクラ、中トロ、ボタンエビ、ズワイガニ、ワカメ味噌汁
・酸ヶ湯(すかゆ)温泉…残雪、酸性硫黄泉、そばまんじゅう
・三内丸山遺跡…5500年前から1500年間続いた縄文時代の遺跡、木製編籠「縄文ポシェット」
・青い森鉄道の浅虫(あさむし)温泉駅…「浅虫」は元は「麻蒸」だが、火事に縁がないように字を変えたとか。
・浅虫水族館…ホタテの養殖の解説
・青森空港「ひば」で海峡丼9種盛
ねぶたとリンゴに加え、ホタテも青森の名物だと知った。
葵祭(賀茂祭)の、総勢五百名、長さ八百メートルに及ぶ行列を、終着地、上賀茂神社で見学した。
一の鳥居をくぐった白砂の神聖な場所なので、騎馬も牛車も許されず、斎王代も輿を降りて歩いていた。
雅楽を奏する二組があった。最初は、斎王代に先立つ「蔵人所陪従(くろうどどころのべいじゅう)」で、最後の方が勅使(天皇の使い)の後の陪従(べいじゅう)。こちらは、和琴を二人がかりで運んでいた。
その後、大田神社に行った。ここは、上賀茂神社の境外摂社でカキツバタが有名だが、今年は春が早かったので残念ながら盛りを過ぎていた。
渋谷の松涛美術館で、「チャペック兄弟と子どもの世界展」を見た。
チェコのヨゼフ・チャペック(1887-1945)作、絵の「こいぬとこねこのおかしな話」は、チェコの国中で愛読されてきたそうだ。
弟カレルは「長い長いお医者さんの話」などの児童書の他、戯曲「ロボット」も書いている。
それを「人造人間」という題で築地小劇場で上演した時のポスターも展示されていた。「ロボット」ということばは、兄が創ったそうだ。
兄の描いたねこや子ども、弟の愛犬ダーシェンカなどどれも暖かくて楽しい絵だった。けれど、弟の病死後、兄は収容所で亡くなったといわれる。ペンや絵筆でナチスに抵抗したその絵は、ほんわかと優しいが、一本筋が通った奥深さを秘めていた。
四月大歌舞伎千穐楽の夜の部、
通し狂言「絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ)」を見た。
江戸時代後期の四世鶴屋南北作で、
片岡仁左衛門が一世一代にて権力者の大学之助と、町人の太平次の二役を演じた。最初から問答無用で殺しまくり、その悪役が魅力的という歌舞伎にぴったりの話で引き込まれた。
鳴りやまぬ拍手に、歌舞伎では普通は有り得ないカーテンコールがあった。洋楽では「アンコール」がお決まりだが、これが本当の姿だと思った。
京都市右京区
・嵯峨嵐山の天龍寺
臨済宗天竜寺派の大本山。
嵐山を借景とした庭園と、石楠花(しゃくなげ)その他、花盛り。
14世紀、吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うため足利尊氏が創建。開山(初代住職)は夢窓疎石(むそうそせき)。
礎石は当時、人望のあった禅僧で寺院建立の資金調達のため「天龍寺船」による中国(元)との貿易を進言したそうだ。
・嵯峨小倉山の大河内山荘
保津川(桂川)を挟んだ嵐山の対岸、小倉山の南面にある。
比叡山から東山の大文字まで見渡せる。
・嵐山公園、亀山地区の展望台
保津川下りの舟が見え、トロッコ列車(山陰線)の音が聞こえた。
・阪急嵐山線と、嵐電(らんでん)