今年の花は「紅手毬(べにてまり)」。
満開はまだ先だが、咲いている花は手毬のようだった。
平成最後の四月大歌舞伎、夜の部
一、実盛物語(さねもりものがたり)
12世紀初、出産間近の葵御前(木曽義賢の妻)が百姓夫婦とその孫、太郎吉の家に匿われているところに、平家方の斎藤実盛(仁左衛門)と瀬尾十郎が検分にやってくる。産まれたのが男子なのを隠すため、百姓夫婦は直前に見つかった女の腕(かいな)を差し出す。実は、その腕は源氏の白旗を握って息絶えた小万のもので、切ったのは実盛だった。密かに、元々仕えていた源氏方に心を寄せる実盛は、瀬尾を巧みに言いくるめて葵御前の危機を救う。瀬尾が去った後、実盛はその様子を語る。実は小万は百姓夫婦の娘で、それを盗み聞いていた瀬尾は、太郎吉が自分の孫だと悟り、自分を打たせて「手塚光盛」を名乗らせる。実盛は、自分を敵と狙うのを承知で太郎吉を励ます。
将来、その手塚光盛が実盛を打ち取ることになるらしい。当時の人々は、そこまで知っていたので実盛の男気にいっそう惹かれたのだろう。
二、猿翁十種の内 黒塚(くろづか)
諸国行脚の途中の阿闍梨一行が、ススキが生い茂る奥州安達原で、老女(猿之助)の家に一夜の宿を請う。老女は、阿闍梨の言葉に心が救われ月明かりのなか無心で踊る。ところが、決して見てはならぬと言い置いた一間を見られたと知り、鬼に戻ってしまう。安達原の鬼女伝説を基にした舞踊劇。
三、二人夕霧(ににんゆうぎり)
藤屋の伊左衛門(鴈治郎)は、馴染んだ遊女の夕霧に先立たれ、今は二代目夕霧と所帯をもっているが、借金取りに着物をはぎ取られ紙衣姿(先の夕霧の手紙をつないだもの)になってしまう。そこに現れたのは死んだと思っていた先の夕霧。どたばたの挙句、勘当も許され、二人の夕霧は本妻妾としてめでたしめでたし!?
上方の舞踊劇。夕霧というのは上方で有名な早死にした遊女だそうで、これはその後日譚のパロディらしく、元ネタを知っていた当時の人々は楽しんだのだろう。
「まつしまや!、おもだかや!、きょうや!」と盛んに大向こうから声がかかっていた。
「太刀奪(たちうばい)」
北野天満宮の「お手水(おちょうず)」の神事の日、主人と太郎冠者は太刀を奪おうとして逆に、男に奪われてしまう。太郎冠者はやっと捕らえた男を縛ろうとその場で縄を綯い始める。「泥縄」が題材。
「仏師(ぶっし)」
持仏堂を建てた田舎者が、仏師を探しに都に行く。仏師のふりをしたすっぱは、自分が仏像のふりをするが?
「蚊相撲(かずもう)」
「相撲の者」を召し抱えたい大名のために太郎冠者が連れ帰ったのは、人間の血を吸いたい蚊の精だった!
「御田(おんだ)」
京都、加茂明神の神職(千五郎)が五穀豊穣を祈るための御田植神事を始めようと、氏子の早乙女たちを呼び出し、田植えの歌舞をおこなう。
「腰祈(こしいのり)」
修行を終えた山伏が、久々に都に行き、祖父の曲がった腰を法力で伸ばそうとするが?
笑いだけでなく、650年の伝統をも感じさせる演目だった。
三日目
国東(くにさき)半島
・宇佐神宮…八幡宮の総本山
8世紀後半、最澄が渡唐前に航海安全祈願し、帰国後お礼に弥勒寺を創建したため神仏習合。その勢力のため天台宗の寺が多かったが、16世紀にキリシタン大名、大友宗麟の迫害により衰退。
・富貴(ふき)寺…九州最古の木造建築
・真木大堂…平安時代の9体の仏像と、庚申塔
・熊野磨崖仏…鬼が積み上げたという石段、上り下りが大変
・両子(ふたご)寺…国東半島の真ん中、奥の院と裏の洞窟まで
かぼす、りゅうきゅう丼(カンパチ漬け丼)
一日目
・別府市(県北東部)
別府ロープウェイ…鶴見岳(つるみだけ)山頂から大分市、別府湾、国東(くにさき)半島が見渡せた。
二日目
・日田(ひた)市(県北西部)…北九州の真ん中、交通の要所、天領。
雛飾り…江戸時代の京都の雛人形や「阿古屋」など歌舞伎題材の人形と、地元庶民の「おきあげ雛」。
・由布(ゆふ)市(県中央部)
由布岳(ゆふだけ)
だんご汁、とり天
京都四条南座で「坂東玉三郎特別公演」を見た。
1、壇浦兜軍記:阿古屋
昨年末の歌舞伎座に続き、玉三郎の「遊君阿古屋」と彦三郎の「重忠」。
歌舞伎座より舞台が近いので臨場感溢れる。
2、太刀盗人(たちぬすびと)
彦三郎の「すっぱ」と、弟の亀蔵の「田舎者」。
狂言の演目だが、長唄囃子が加わり賑やか。
3、傾城雪吉原(けいせいゆきのよしわら)
玉三郎の舞。一つ一つの所作が無駄が無く、絵になる。
ひたすら美しい。
おまけは、餡と生クリームと生八ツ橋を食パンに挟んだ「八ツ橋サンド」。