スモモ、桃、梅、梨。少し前に花盛りだった木々が小さい実をつけている。今のところは、どの実も良く似ている。
フライパンを新潟県燕市の製造元に修理に出したら、表も裏もピカピカになって戻ってきた。ただし、研磨されて底のメーカー名が消えてしまった。
徳島県(阿波)
・脇町(わきまち)の「うだつ」の町並み(美馬市)
徳島県を東西に横切る吉野川沿いの中程に位置
江戸から明治にかけ、地元の特産、藍草(藍染の原料)を川舟で運ぶ商いで繁栄(鉄道開通まで)
(「うだつ」は、延焼をくい止める為の、二階から突き出した小さな壁)
香川県(讃岐)
・善通寺(善通寺市)…空海誕生の地といわれる四国霊場第75番札所
・讃岐うどん
愛媛県(伊予)
・中津万象園(丸亀市)…京極家の大名庭園
・川之江城(四国中央市)
・市電でまわる松山市内
道後温泉…霊(たま)の湯(3階の個室と、ぼっちゃん団子)
松山城
大観覧車くるりん
ポンジュースと、かどやの鯛めし(刺身を卵とだしに浸し御飯にのせる)
下鴨神社の摂社、河合神社には鴨長明が住んだ「方丈」が復元されている。
その立て札によれば・・・
鴨長明は、12世紀中頃に下鴨神社の禰宜(ねぎ)の次男として生まれた。和歌に秀でたが、50歳で出家し大原に隠遁した。その後、あちこち転々としたあげく随筆「方丈記」を書いた。
「方丈」とは、彼が住んだ3メートル四方の解体組立が容易な移動式住居で、21年ごとの式年遷宮により社殿が造り替えられる下鴨神社の自由な建築様式にヒントを得たものだそうだ。
葵祭は、1400年前に始まったといわれる上賀茂神社と下鴨神社の例祭で、毎年5月15日に行われる。
総勢500人以上の王朝風俗の行列が1Kmにわたって進む「路頭の義」の後、「走馬の儀(そうめのぎ)」を見た。これは、平安装束の乗り手が、袖を風になびかせながら馬を疾走させるもので、乗り手は褒美として神からの五色の布を賜り、肩にかける。
糺の森(ただすのもり)の新緑の木陰は目にも身体にも爽やかだった。
「遥かなるルネサンス:天正遣欧少年使節がたどったイタリア」展を見た。
4人の使節の正使、伊東マンショが、1585年8月に書いた御礼状が二点展示されていた。フェッラーラ公爵アルフォンソ2世デステに宛てたイタリア語?のものと、ヴィンチェンツォ・ゴンザーガ公子に宛てた日本語のもので、片やインクのペンで、片や和紙に墨で、どちらも見事に書かれていた。(残念ながら私には両方の署名しか読めなかった。)
ティントレット作の、伊東マンショの洋装の肖像画も展示されていた。周囲に展示されている肖像画と比べ、とても日本人っぽい顔立ちに描かれていて、それを眺めていたら、彼は実在したのだなあとしみじみと感じた。戦国時代の日本の少年が、キリスト教に出会い語学を学び遠路はるばるヨーロッパに渡り、どんな感想を持ったのだろうか聞いてみたいと思った。
瀬田貞二訳、岩波のナルニア国物語「カスピアン王子のつのぶえ」に、忠実なアナグマ「松露とり」が登場する。子どもの頃は意味が分からなかったが、原作を見たら何と「Trufflehunter」となっていた。トリュフと聞くと、豪華なフランス料理を想像してしまう。
"Prince Caspian" by C.S.Lewis,1951
大阪造幣局の「桜の通り抜け」に行った。
今年は珍しく大川沿いのソメイヨシノがまだ満開だった。
通り抜けの桜は蕾も多かったが、そのおかげで木の名札がしっかり読めた。一本ずつ違うのが面白い。
今年の花は「鬱金(うこん)」。
江戸時代には知られていた品種で、淡黄色の花がウコン(ショウガ科)の根の色に似ていることから名付けられたそうだ。