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真夜中に・・・

寝ぼけながら真っ暗な階段を降りていた。一番下の段を降り廊下に着いたと思って歩き出したら、まだ残っていて、ものの見事にバランスを崩して落ちた。落ちた瞬間はよく覚えている。下に固い床があると信じ込んでいたのに、足がふわっとした空気のかたまりを踏んで一瞬からだが宙に浮き、ああ倒れているなと他人事のように思いながら倒れていくと、次の瞬間どさっと音がして床にぶつかって痛くて目がさめた。後から考えてみると、戸口の角にぶつからずに前方にばったり倒れこんだので、かすり傷と打ち身ですんだのは幸いだった。家の中でこんなにスリルを味わうとは思わなかった。

フィンランド

 アラビア製ムーミンのマグカップにコーヒーを入れ(個人的趣味で泡立てたミルクをたっぷり注いで)、ブルーベリー入りクッキーを添えれば、気分はフィンランド。
 北欧にあるフィンランドは森と湖の国。白地に青十字の国旗は雪と空を表しているそうだ。日本と同じくらいの国土に東京都の半分くらいの人口。教育水準が高く高福祉、ハイテクの国。治安がよく水道水がおいしい。だが、ロシアとスウェーデンの二つの大国に挟まれたその歴史は平坦なものではなかった。
 朝日新聞「天声人語」の元執筆者、深代惇郎の昔のエッセイを読んでいたら偶然フィンランドが出てきた。1970年代、フィンランドは、ヨーロッパ諸国と経済的結びつきを強めながらも、東欧のように共産圏に飲み込まれることを恐れて当時のソ連の了解を取りつけることを第一に外交努力を続けていたそうだ。過去の例からソ連が攻めてきても西欧諸国は絶対に助けてくれないことが分かっていたからだ。当時「フィンランド人一人は、ロシア人十人に匹敵する」「じゃあ十一人目はどうするんだ?」という小話があったそうだ。
 時は流れてソ連は崩壊し、フィンランドはEUのメンバーとなり平和な日々を迎えた。それにしても、外国がすべて「海外」である日本人は、大国と国境線を接する恐ろしさが理解できないとつくづく思う。ついでに、ムーミンが可愛いだけのキャラクターでないこともなかなか理解できない。

秋の気配

昨日の夕方、空高くうろこ雲がたなびいていた。夜には虫の音が聞こえたと思ったら、今朝は、さわやかな天気で秋風が吹いていた。ずっと暑い日が続き、ずっとセミが鳴き続けていて、いつまで経っても夏が終わらないような気がしていたのに新学期に合わせたかのように秋の気配が感じられた。
「りんご畑のマーティン・ピピン」を読んでいたら、りんごが食べたくなってきた。そろそろりんごの季節。

ならの小川

 「風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける」
(藤原家隆)
上賀茂神社の「ならの小川」で陰暦六月、今の八月に行われた「みそぎ」の神事を歌ったものという。夏になると思い出す歌だが、現代の暑苦しさに比べなんとさわやかなことか。
 この歌のせいで、ずっと憧れていた上賀茂神社に今年の六月に行くことができた。京都でも最古の神社の一つといわれる境内には、緑の木々が茂り、苔むす岩の側に、ならの小川が流れていたが、長い時を経た落ち着いた独特の雰囲気が感じられた。静かさの中に何かの気配を感じたような気がしたのは、「陰陽師」の読み過ぎか。

JR和田岬

JR兵庫駅で降りて、平清盛の供養塔、清盛塚まで歩く。清盛は私財を投じて後の兵庫港を整備した。兵庫というのは古くからの地名らしい。そこからJR和田岬駅まで歩く。岬といっても、駅からはずっと三菱重工の敷地で海は見えない。敷地内にある幕末に造られた砲台を見せてもらう途中、進水間近の真新しいコンテナ船がちらっと見え、やっと海に近い感じがした。
JR和田岬線で帰ったが、単線なのに6両編成できれいな列車。三菱重工の通勤に使われているらしく朝夕の通勤時間帯しか走らない。神戸市内なのに珍しいところだった。

大文字

昨日、京都の「大文字五山送り火」の東山の大文字を見にいった。午後8時になると真っ暗な中に徐々に火がつき「大」の字がくっきりと浮かび上がる。その後三十分ほどたつと火が消えた。元々お盆の送り火なので、花火と違ってお祭り騒ぎではなく、夏の終わりを感じさせる落ち着いた雰囲気のものだった。帰りの出町柳の駅の喧騒で、しっかり俗世間の現実に引き戻されてしまったが・・・

いわゆる「ゲド戦記」

ゲド戦記」がアニメ化されるという宣伝が新聞に出ていたので、久しぶりに三巻を読んだ。昔はゲドを慕って読んでいたので、見知らぬ少年アレンに感情移入するのが難しく、やたらに暗い話だと思ったが、その後の巻でレバンネンとおなじみになったので、今回は、アレンつまり若き日のレバンネン中心で抵抗なく読むことができたが、改めて読み応えのある本だと思った。中表紙のルーン文字「The Rune of Ending」をあらわす最果ての地の星が印象的。年月を経て読み返して新たな発見があるのがいい本だと思う。
 それにしても、このシリーズ、最初はゲドが主人公だと思っていたので巻を追うごとにゲドの出番がなく肩透かしをくわされた感じだったが、改めて題名を見ると「A Wizard of Earthsea」「Tombs of Atuan」「The Farthest Shore」そして「Tehanu」「The Other Wind」つまり、アースシー、アチュアン、さいはての岸と地理的に遠くなり、テハヌーは空の星、最後はドラゴンの住む別世界へとアースシーの世界がどんどん広がっていく。作者の頭の中では、アースシーの地理が最初にあり、オジオンもゲドもテナーもレバンネンもその中の住人という位置付けなのだろう。今にしてみれば「ゲド戦記」という超訳がまずかったのではないか。

鉄の鍋

新しい鉄の鍋でシチューを煮ている。「ものいうなべ」のお洒落版のようだ。でもこの鍋は、山越えて金持ちさんから何か持ってきてはくれないので、シチュー用牛肉を買いにいった。それに粉をはたき焼き目をつけて、玉葱、赤ワイン、月桂樹、トマト缶と水を入れた。いつもの材料なのに、お洒落な鍋なのでお洒落に見える。弱火で煮ていると「ことこと、ことこと」音がする。音を聞いていると幸せな気分になってくる。火の回り方が柔らかいのでおいしそうに煮えそうだ。出来上がりが楽しみ。

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