記事一覧

秋の鞍馬

京都の鞍馬寺に行った。出町柳から叡山電鉄で三十分。途中「もみじのトンネル」をゆっくりゆっくり抜けていく。今年は紅葉が遅いが、それでもところどころきれいに色づいていて赤黄緑と重なった色合いが美しい。
鞍馬山は古くから信仰を集めていて、770年に鑑真の弟子が毘沙門天をまつり、「枕草子」にも登場し、若き日の義経も修行したところ。すがすがしい秋の空気の中、真っ直ぐにそびえる杉木立の中のつづら折りの道を歩いていくと、ところどころで黄色い落ち葉がひらひらと舞い、見上げると重なった葉の間に青い空がのぞく。
下ったところは貴船神社の近くで、色づき始めた紅葉の下、水のせせらぎの音が聞こえてほっとさせられる。ここも水を司る神として古くから信仰されてきたところで特に創建の地、奥の宮には独特の雰囲気がある。宇治の橋姫が鉄輪をかぶって丑の刻参りをして男を呪ったという恐ろしい伝説がある一方、結社(ゆいのやしろ)は、コノハナノサクヤ姫の姉で妻に望まれなかったイワナガ姫が、代わりに縁結びの神になろうとしたのが起源で、縁結びの神として知られ、和泉式部もお参りしたとか。当時は、都の中心からかなり人里離れた地で、来るのもさぞ大変だったことだろう。

文楽

国立文楽劇場で「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」を見た。こじんまりした一階だけの客席で、語りの太夫(たゆう)と伴奏の三味線一人ずつで舞台が進行するのにちょうどいい広さ。字幕のおかげで初心者にもよく分かった。台本は、大阪のことばで書かれていて、今日の「網島」始め大阪の地名がどっさり出てくる。ことば遊びも随所にあって、舞台の規模などシェークスピア劇を連想させるところもある。最も、内容は「ロミオとジュリエット」の若さからくる一途な情熱とはまったく違う。まず、男が感情豊かでやたらに泣き、女がしっかりしている。二人は、周りに気を使い、自分たちの名誉のため、また筋を通そうとした挙句に心中せざるをえなくなる。これを「義理」と表現するらしい。四時間にわたる長丁場だったが、クライマックスでは人形がひとりでに動いているように見えた。

岩手の紅葉

岩手県の遠野地方へ行ってきた。柳田國男の「遠野物語」の舞台。山男にさらわれた娘や、座敷ワラシや、馬と結婚した娘がカイコの神様になったオシラサマなどの話から、暗くおどろおどろしい山村というイメージがあったが、実際は、昔の城下町で、交通の要所というなかなか開けて明るいところだった。カッパがいたという「カッパ淵」のあたりは、もう失われた古きよき時代の、のどかなひなびた日本の田舎という風情だった。
その後、JR山田線に乗った。時間帯によっては二時間に一本しかないローカル列車。車窓の向こうに、青空の下、赤、橙、黄色に染まった山々が連なる、まさに絵のような風景が広がっていて、すばらしかった。

時代祭り

京都三大祭りの一つ「時代祭り」を見にいった。これは、明治時代に平安神宮ができたときに始まったので、葵祭り、祇園祭りに比べると歴史的にはずっと新しい。延暦13年(794年)10月22日に桓武天皇が平安京に遷都したのにちなみ、この日に毎年行われる。祭りのメインは、明治時代から歴史を順にさかのぼって平安時代初めまでの華やかな装束をまとった人たちの、要するに仮装行列だ。牛車や騎馬も含む総勢二千人が、京都御所から平安神宮までぞろぞろ歩いていくが、最後列まで延々二キロも続くという行列は、なかなか壮観だ。南北朝、室町時代を楠正成中心の「吉野時代」、平安時代を「藤原時代」「延暦時代」と分けているのが、さすが京の都。

天浜線

さわやかな秋の一日、静岡県西部の奥浜名湖を走るローカル列車、天竜浜名湖鉄道のトロッコ列車に乗った。ゴットンゴットン揺れながら走るのどかな列車だ。窓ガラスがないので、日の光がじかに差し込んでくるし、風が吹きつけてくるし、おまけにトンネルに入るとゴーッとすごい音がする。トンネルを抜けると、窓の外には浜名湖が日の光を浴びてキラキラ輝いていて、蜜柑畑の濃い緑の葉の間に蜜柑の実がおいしそうに色づいている。もうすぐ取り入れの時期だ。

ラハティ交響楽団

昨日、オスモ・ヴァンスカ指揮、フィンランドのラハティ交響楽団のコンサートを聴きにいった。最初は、シベリウスの後継者といわれるフィンランドの作曲家コッコネンの「風景」。列車の窓から見た雄大なフィンランドの森が目に浮かぶ。次は、ノルウェイの作曲家グリークの有名なピアノ協奏曲。ピアノはユホ・ポホヨネン。ピアノとオーケストラがしっくり合っていてすばらしい。最後が、シベリウスの交響曲第二番。音がふくらんで天に立ちのぼっていくような豊かで深い響きと、息を詰めるようにしないと聴こえないピアニシモ。今まであまり身近に感じなかったシベリウスだが、とても生き生きとして美しい音楽だった。しあわせな気分になって帰ってきた。

お月さま

昨夜は、旧暦八月十五日にあたる「中秋の名月」だった。濃藍色の空の高いところに雲の切れ目から満月が白っぽく輝いていた。今夜の月は、雲一つない夜空にさらに冷たく照り輝いて神秘的な感じがする。すすきとお団子というより、アンデルセンの「絵のない絵本」が思い出される。

エンデュアランス:不屈の精神

1914年、イギリスのシャクルトンを隊長とする総勢28人の探検隊は、木造の帆船エンデュアランス号で南極探検に出発したが、流氷に阻まれ南極大陸に上陸できず船も沈没して一年半漂流した挙句、奇跡的に全員生還した。それは、冬には二ヶ月も太陽が出ず真っ暗闇が続く苛酷な極寒の南極の絶望的な状況でも希望を失わず、常に危険を最初に引き受け、隊員たちを導いたシャクルトンの強いリーダーシップのおかげだ。彼は、十分な準備をした上で、最後は楽天的であることが何よりも大事だと考えていた。シャクルトンと隊員の何名かが書き続けた日記と、同行した写真家のネガが、当時の迫真の記録として残っている。せっかく生還したのに、多くはすぐに第一次大戦の戦地に赴き戦死した隊員もいるのはやりきれない思いがする。
(「エンデュアランス号漂流」新潮文庫)

二条城

 京都の二条城は、1603年徳川家康が将軍上洛の宿泊所として建て三代将軍家光の時に完成したもので、桃山文化の粋を集めた徳川幕府の権勢を象徴する建物だ。その後、1867年十五代将軍慶喜の大政奉還により朝廷のものとなり、1939年からは京都市の所有になっている。慶喜が大政奉還を発表した大広間を眺めていると当時の歴史が身近に感じられる。
 春に京都御所を訪れたときは、平安時代の雰囲気が漂っていたが、そこから近いのにここは江戸時代の雰囲気だ。それぞれ、塀で囲った敷地の中に当時の空気もそのまま閉じ込められているようだ。

「敦ー山月記・名人伝」

昨日、中島敦原作、野村萬斎構成・演出の「敦ー山月記・名人伝」を見にいった。原作ほとんどそのままの語りに絶妙な間合いで尺八と鼓が入り、能狂言の所作でシンプルな舞台装置の中に、中島敦の世界があらわれ出る。「山月記」では、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」のために虎になった李徴を演じる野村万作の迫力が圧倒的。「名人伝」は、弓の名手紀昌を演じる野村萬歳のむだのない動きが美しく狂言らしいコミカルな演技で笑わせたが、見終わってから怖くなってきた。