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源氏物語千年紀その2

 源氏物語千年紀を記念した「源氏物語の世界」展に行ってきた。
 まじめなほうでは、本居宣長(もとおりのりなが)が「もののあはれ」を説いた源氏物語の注釈書「玉の小櫛」(たまのおぐし) が展示されていた。それとともに、生霊になった六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)と光源氏のなれそめを源氏物語の文体をまねて書いた補作も展示されていた。彼は、「源氏オタク」だったようだ。
 高貴な身分の姫の嫁入り道具に、「源氏」とかいた手鏡や、各場面を描いた伊達家の駕籠(かご)や、源氏物語の豪華な写本があった。ただし読まれた形跡がないものもあったらしい。かたや、高級遊女、おいらんは、教養として、源氏物語を読んでいて、それが、浮世絵にもなっている。姫より遊女のほうが、教養が高い場合もあったようだ。
 「偽紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)」は、王朝の原作を室町時代に時代を移したものだが、それを浮世絵では、江戸の風俗、人気歌舞伎役者の顔で描かれ、人気を博した。国は違うが、シェークスピア作品を、イケメン俳優が主役の現代劇にした写真集といったところだろうか。
 源氏物語が、江戸時代に、写本、絵巻、屏風、浮世絵、かるたなどで、上流階級から庶民まで親しまれていたのがよくわかった。

十和田、奥入瀬の旅(その2)

 三沢空港から機内に乗り込み、飛行機が動きだしていざ離陸というときに、「三沢空港は米軍の戦闘機の発着がよくあり、今も五分ほど待つよう指示がありました」という機長のアナウンスがあり、目の前を轟音とともに十機弱の米軍機が次々と滑るように着陸したり、さっと飛び立ったりした。三沢が基地の街であるのを実感した。
 その後、私が乗っている「民間機」も無事離陸した。天気がよいので地上の山々がよく見えたが、やがて、遥かかなたに、雲からすっくとそびえ立つ富士山の姿が見えてきた。堂々として美しい日本一の山だった。

十和田、奥入瀬の旅(その1)

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 まず、秋田県秋田市、旧佐竹藩の久保田城跡、千秋(せんしゅう)公園をのぞいたあと、秋田新幹線こまちで角館(かくのだて)へ。ここは、古いものは二百年前に建てられた武家屋敷が保存されている。黄色く色づいた木々を背景にした武家屋敷が並ぶ通りは、江戸時代の雰囲気。その中の青柳家の親族の小田野直武は、平賀源内に学び、解体新書の表紙や挿絵を描き、秋田蘭画といわれた油絵も描いた画家だった。ここは又、しだれ桜の名所。桜皮細工の実演をしていたので茶匙を買った。
 次は、抱返り(だきかえり)渓谷へ。青緑色の渓流に映える原生林の紅葉を眺めながら、つり橋を渡り、遊歩道を行くと、目の前に勢いよく水がほとばしる滝が現れた。
 翌日は、岩手県盛岡市から東北新幹線はやてで青森県八戸市へ。そこからバスで行き、奥入瀬(おいらせ)渓流に沿って歩く。奥入瀬川は、十和田湖から流れる唯一の川で太平洋に注いでいる。年中豊富な水量でゆったり流れるので、川岸の丸太や流れの中の石には緑の苔が生えている。せせらぎの音を聞きながら黄色の落ち葉が降りそそぐ中を歩いていくと、時間の感覚がなくなってしまう。
 十和田湖で遊覧船に乗り湖を渡る。十和田湖は、青森県と秋田県にまたがった湖で、湧き水のため透明度が高い。濃い青色の水に、様々な色合いに染まった周囲の山々がよく映える。東北の紅葉は、山々全体がブナの黄色に染まり、その所々に、カエデのオレンジやナナカマドの赤、マツの緑が混ざっているスケールの大きな美しさだ。船を降りると、風が冷たく、冬が近いのが感じられる。湖畔の高村光太郎の乙女像を見てから、十和田プリンスへ。ちなみにここは秋田県。ホテルのロビーに本物の暖炉があり火が燃えていた。暖炉の火を見ていると、身も心もあたたかくなって、ほっとする。ついでにFloo Powderが使えそう。
 翌日は、十和田観光電鉄で青森県十和田市から三沢市へ出て帰路についた。リンゴがおいしそうだったのでどっさり買い込んでしまい重かった。雨模様でハラハラさせられたが、要所要所では日が射し、晩秋の美しさを堪能した旅だった。

正倉院展

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 奈良国立博物館に、第60回正倉院展を見にいった。
 まず1400年前にササン朝ペルシアでつくられ、シルクロードを運ばれてきた白瑠璃(はくるり)の椀が輝いていた。ようするにカットグラスだが、お酒を入れたらさぞ美しかったことだろう。大阪の古墳から副葬品として発掘された同時代の白瑠璃の椀も展示してあったが、こちらは、土がついて輝きも失せ、いかにも古代のものだった。二つ並べて井上靖の「玉椀記」を思い出した。
 ほかには、丸太のような香木とか、当時の貴族が腰にアクセサリとして組みひもでぶら下げていたビー玉のような水晶玉やサイの角でつくった小さな魚とか、当時は珍しかった椰子の実に楽しい顔を描いたものとか、貝殻に竹の柄をつけたスプーンや刃の幅が2センチくらいの鉄の包丁などの調理道具とか、様々なものが展示されていた。正倉院には、貴重品だけでなく日用品などいろいろ収められていたようだ。
 古文書も、写経や最古の戸籍など、たくさん展示されていたが、ありとあらゆる文書が保管されているらしい。おもしろかったのは、写経所に勤めていた人たちが病気や姑の葬儀などで休むための休暇願いだった。当時から勤め人は大変だったようで奈良時代人を身近に感じた。
 ところで、「正倉」とは、大切なものを収める倉をあらわす一般名詞で、それが集まったものが正倉院だそうだ。8世紀なかばに完成したが、今は校倉造(あぜくらづくり)の正倉一つしか残っていない。とにかく1200年以上前に収められた品々の保存状態の良さには驚かされる。聖武天皇と、その死後、光明皇后の時代にできたものだが、その後、道長や信長が宝を見に訪れ、家康は建物の修理もしたそうだ。明治時代には、今日展示されていた螺鈿(らでん)細工の鏡や、黒柿の板でつくられた厨子などの修理もされている。正倉院に収められたものは、代々の為政者が残そうと努力して今日まで伝わってきたのだとつくづく思った。

天高く・・・

朝から雲一つない真っ青な空が広がっていた。外へ出て、さわやかな秋晴れの高い空の下を歩いていると特に何もないのに気持ちが弾んでくる。
気がつくと日が西に傾いていて、その後きれいな夕焼け空になっていった。日没が5時15分過ぎ。夏至のころに比べ、1時間20分以上早くなっている。確かに「つるべ落とし」だ。

ルイサダ

チュニジア生まれのピアニスト、ジャン・マルク・ルイサダのリサイタルを聴きにいった。プログラムはショパンのマズルカ全曲。マズルカはポーランドの民族舞曲。知らない曲が多いが、休憩を挟み三時間近くその世界に浸っていると、溢れるように即興のメロディーを弾きまくるピアノの前の作曲者の姿が目の前に浮かんできた。

秋の六甲

神戸市の六甲山に行った。市街地からすぐにつづら折りの山道に入り、気がつけばもう山頂近くで、ホテルや牧場やゴルフ場が次々に現れる別世界にいた。
カフェのテラスのすぐ外側にススキが繁り、その向こうに六甲の山並みが連なり、その下に神戸や芦屋、西宮の街が広がり、その先に海が見える。吹く風も肌寒く、すっかり秋の風情だった。

ピアノデュオ

 珍しいピアノデュオの演奏を聴いた。まずラヴェルのスペイン狂詩曲を連弾で。一台のピアノを二人で弾くので肘や脚が当たったりして大変だそうだが、何より小柄な演奏者でないと並んで座れない。
 次は二台のピアノなので見るからにゆったりとしてほっとする。ラフマニノフの組曲第二番。二台のピアノのための作品で、序奏、ワルツ、ロマンス(作者らしいロシアの自然を想わせるメロディーの曲)、タランテラの四曲から成っている。二人分の音はさすがに迫力がある。
 作者は忘れたが、最後の「パガニーニの『鐘』を現代風にした曲」がおもしろかった。

コロー展

19世紀のフランスの印象派の画家、コローの展覧会を見にいった。旅行先のイタリアの風景画、故郷フランスの風景画、「真珠の女」などの人物画、どれも見ていて心が落ちつく。こないだ見たシャガールとは大違い。外に出たらすっかり日が暮れていて歩道の木々が冷たいほどの秋風にゆれ、昼間は見なれた街並みが一変して、ちょっと旅先のような気がした。

ひつまぶし

名古屋名物「ひつまぶし」が登録商標という店に行った。ころっとした一人分のお櫃(ひつ)のご飯に鰻がのっていて、たっぷりめの鰻丼といった風情だが、鰻に一口大の切れ目が入っている。いつもの店より鰻の焼き方が柔らかめで、たれの味が甘め。茶碗によそって、一杯めは、そのまま。二杯めは、あさつき、わさび、刻み海苔の薬味をかけ、三杯目は、薬味とだしをかけて食べる。薬味をかけるとさっぱりした口当たりで食が進み、たっぷり入ったお櫃が空になってしまった。もの珍しかったが、だしをかけるのは、鰻の味がぼけてしまって、おいしい鰻に失礼では!?と思った。