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瀬戸内の旅

 広島県東部、福山市の鞆(とも)の浦は、瀬戸内海沿岸の中ほどに位置し、海に浮かぶ島々の向こうに四国を望む。古くから「潮待ちの港」として栄え、大伴旅人が歌を詠み、江戸時代から北陸や北海道と大阪を物資を積んで行き来した北前船が出入りし、幕末には坂本龍馬率いる海援隊の商船「いろは丸」が遭難後、上陸した。
 福山の北から、井原(いばら)鉄道の一両編成の電車が、山陽本線と平行に東の方、倉敷の北まで走る。
 途中の駅、岡山県井原は、絵本「11ぴきのねこ」(馬場のぼる作)で、ねこたちが大きな魚を寝かしつけるために歌う子守歌「ねんねこさっしゃれの発祥の地。
 そこから東に向うと旧山陽道沿いの駅、矢掛(やかげ)に着く。ここは、江戸時代の参勤交代の大名などの宿泊所、「本陣」「脇本陣」の屋敷が、当時のままに残る。宿泊する大名は、寝具、風呂桶、台所用具、食器、保存食糧などすべて持参し、生鮮食品だけ宿場町で現地調達した。一方、宿場町側は、最低限の宿賃は受け取るものの持ち出しが多く、又、幕府の使いは宿賃無しで泊まる決まりで経済的に大変だった。特に本陣は、よほどの資産家でないとやっていけず、ここ石川家は、昭和まで続いた富裕な造り酒屋だったので、屋敷が現在まで残ったそうだ。
 鞆(とも)の海そして、井原(いばら)線沿いの山と田、共に過ぎ去った賑やかな歴史を忘れさせる穏やかでのどかな風景が広がり、海や緑を渡る凉風が心地良く、時間がゆったりと流れていた。

pink

 ピンク色にぴったり合う日本語がない。薄紅色とも少し違うような気がするし。
ピンク色の「pink」は、元々は、ヨーロッパで十八世紀中頃から栽培されたタツタナデシコの英名のことで、後に、その花の色も表すようになった。
 ナデシコと言えば、日本では「ヤマトナデシコ」とも呼ばれる固有種が、枕草子にも登場し、季節はずれだが秋の七草の一つでもある。カーネーションもナデシコの種類で、昔から広く親しまれてきた花のようだ。
 また「pink」には、そのギザギザの花びらから、「ギザギザに切る」という意味もある。手芸で、布をギザギザに切るのに使われるのが、ピンキングバサミ(pinking scissors)。どちらも、もうすっかり日本語だ。

梅雨の京都

琵琶湖疏水沿いの哲学の道を北の銀閣寺方面からぶらぶら歩く。平日の午前中で、たまにすれ違う人があるくらい。梅雨空の元、木々の緑がみずみずしく、その間に白、青、紫、ピンクのグラデーションのアジサイの花々がのぞいている。南禅寺方面に近づくと、敷き石の歩道が一本になり、ぐっとカーブしているところが、特に緑が深い。
戻って、白川今出川に近い神楽岡通りから、吉田山の山頂をめざす。町中とは思えない静けさの木立を抜けると吉田神社。ここは、九世紀中頃の平安朝初期、菅原道真や、その後の安倍晴明や藤原道長よりもっと昔の清和天皇の時代に建てられた歴史あるところ。
そこから東一条通に降りてくると、いきなり現代に戻った感じがした。

「星の王子さま」

 サン・テグジュペリ作「星の王子さま」は、子どもの頃からいつも本棚の片隅にあった。いまだに、そこにあると思うだけで、ほっとする。いろいろ新訳が出たが、昔から親しんでいるのは岩波の内藤濯訳だ。手に取ると、一つ一つのことばがどうと言うより、本全体の雰囲気に浸ってしまう。かなしいときに「すわっているいすを、ほんのちょっとうしろへひくだけで見たいとおもうたびごとに夕やけ空が見られる」王子さまの星に憧れる。
 バラの花のモデル探しや、現実社会への批判など、作者の実生活に絡めて作品を解釈するのは好きではない。ただ、先日、作者が飼っていたキツネと同じ種類の実物を映像で見る機会があった。「かんじんなことは目に見えないんだよ」と教えてくれるともだちのキツネのモデルだそうだ。耳が長く、ネコのような雰囲気のかわいいキツネで、絵の通りだった。

パソコン

パソコンの調子が悪くなってしまったが情けないことに自分では直せない。専属の専門家に頼らなくてはならないので復旧にしばらく時間がかかった。その間、久しぶりに手書きしてみたが、手は疲れるし、漢字は出てこないしで、意外に労力を要して疲れてしまった。パソコンは、頭に浮かんだままキーボードを通して文字にできる良さがあるが、逆に、制約のある文字数の中で最上の表現を探しあてる短歌や俳句は、手書きの世界ならではのものだと思った。

島根の旅

 出雲大社は、長い長い参道の奥に、深い緑の山々を背景にして苔むす本殿が鎮座している。古代ここには、直径三メートルもの太い柱を九本使った巨大な社が建っていたらしい。その柱は、三本の丸太を合わせて結わえたものを芯にして作られていた。歴史博物館に、掘り出された柱の跡とともに、近くの遺跡から出土した青銅の剣358本がまとめて展示されていて壮観だった。ここに祭られている大国主命(おおくにぬしのみこと)は、因幡(いなば)の白ウサギや国譲り神話で有名だが、大和朝廷の祖先に破れたものの相当勢力のあった人物だったようだ。
 宍道湖に沿って、水田の間をのんびりと走る一畑(いちばた)電車で、松江に向かう。松江は落ち着いた雰囲気の城下町。松江城は、木造のこじんまりとした実戦用の城で、青空と松の緑に黒い板壁が映える。
 静かな宍道湖畔で夕暮れを待つ。頭上の広大な薄青の空から対岸に目をやると、低空に広がる灰色の雲と、藍色の山の端との間をずっとオレンジ色に染め、湖面に、輝くオレンジ色の光を投げかけながらゆっくりと夕日が沈んでいった。もう七時半近くになっていた。

「歌えフィッシャーマン」

ノルウェーの最北端の漁師の町で1917年から続いているアマチュア男声合唱団のドキュメンタリー映画。極寒の地、荒々しい海を背景に、それぞれの人生をのせた歌声が流れる。最高齢は97歳とか。親善コンサートに、バスでロシアの町に向かう。ノルウェーとロシアが北の果てで隣国だというのに今更ながら気がついた。

春すぎて夏きたるらし…

 奈良県明日香村は、なだらかな山々に囲まれ、田畑のそばに小川が流れ、瓦屋根の家が建ち並ぶ、昔の日本人に懐かしさを感じさせるところだ。持統天皇の歌の天の香具山も、その時代は神聖な山だったというが、甘樫丘(あまかしおか)から眺めると、こんもりとした親しみやすい山にみえる。その、のどかな緑に囲まれたあちらこちらに、石舞台をはじめ亀石などの石の建造物や古墳がある。
 カビがはえ損傷がひどいので、保存のためはぎ取られたキトラ古墳の壁画「玄武」が公開されていた。玄武とは、亀と蛇が合体した「神獣」。けれど、照明を落としてガラスケースの中に陳列されているそれは、のびやかな自然の中に存在してこその神々しさと迫力を失って、単なる滅びかけた古代の美術品になってしまった痛々しい姿だった。

ウィンナーワルツ

 ウィーンフィルのメンバーを中心とした弦楽四重奏「アンサンブル・ウィーン」のコンサート。第一、第二バイオリン、ビオラ、コントラバスという編成。パンフレットには、「十九世紀初めのウィーンでは、酒場やカフェ主催の舞踏会が大流行で、それぞれお抱えの音楽家が演奏していた。踊りのリズムをはっきり出すためにチェロでなくコントラバスを使っていた。その中でも人気があったライナーの弦楽四重奏にバイオリンで参加していたのが、ヨハン・シュトラウス。やがて、シュトラウスは独自のオーケストラを結成し、アイドル並みの人気を誇った。その息子のシュトラウス二世は、世界で最も有名な音楽家の一人となった。」というようなことが書いてあった。
 優雅で軽やかなワルツやポルカを最前列で聴くことができて夢見心地。燕尾服が、さすがに着慣れていてすてきだった。アンコールの最初は「ハンガリー万歳」で、ハプスブルグのエリザベートを思い出した。最後はエルガーの「愛の夢」。

葵祭

 京都下鴨神社の糺の森(ただすのもり)を葵祭の行列が進んでいく。若い女性扮する十二単姿の「斎王代」の乗る輿を中心に、牛車、花傘、騎馬を含む総勢五百名が、平安装束をまとい、葵と桂の青葉を飾っている。音曲や踊りがなく、ただ、しずしずと歩くだけなので、背景の新緑の中に鳥のさえずりも聞こえてくる。その後は、古式にのっとり馬を走らせる「走馬の儀」。平安朝の人々が、ふつうに歩いたり話したり馬に乗ったりしていて、タイムスリップしたような気にさせられる。
 その後、鴨川の岸で休憩した。出町柳の柳月堂のパンを一口かじったとき、背後からビュッと風圧を感じたと思ったとたん、手に持ったパンが消えた。魔法にかけられたようでぽかんとしていると、目の前の少し先を鳥が大きなパンをくわえてよたよたと(重そうに?)川の上を低空飛行していくのが見えた。トンビだそうだ。人の体をかすりもせず、ねらった獲物だけをさらっていったのはお見事だが・・・