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お正月

正月三が日は、お天気にも恵まれ家族揃ってお雑煮、お節、お屠蘇、初詣で過ごしたが、年ごとに「去年と同じ」が幸せに感じられるようになってきた。

「Tree and Leaf」

 今年最後に、J.R.R.Tolkien著「Tree and Leaf」を一通り読んだ。
その中の「On Fairy Stories」では、「fairy-storiesは、羽がはえた小さな妖精が出てくるわけではなく、子どものためだけのものではない」と述べられていて、今のいわゆる「ファンタジー」という分野の確立に影響を及ぼしたと思われる。
 しかし、その一方「Fairy-storiesは、人間が演じるDoramaとは相反するものである」と述べられているが、相次ぐ「ファンタジー」の映画化を見ると、残念ながらこちらの意見は黙殺されているようだ。

蜜柑

この冬初めての蜜柑が来た。最近は、柑橘類といえばオレンジ、グレープフルーツが幅を利かせていて、色の名にしても「橙色、蜜柑色」より「オレンジ色」の方を良く耳にする。もちろん、蜜柑とオレンジは大きさも色も香りも味も違うが、ことばの上でも蜜柑よりオレンジの方が親しまれつつあるとしたら寂しい。

英語が世界で一番広まった言語になりつつある現在、日本語の中にもカタカナ語がどんどん入り込んでいる。ことばは文化をあらわす。日本語がカタカナ語に取って代わられるということは、日本の文化が変質するということだ。変質ならまだしも、衰退していかなければいいのだが・・・。

囃子方(はやしかた)

能の楽器を演奏する人たちを「囃子方(はやしかた)」という。
「はやす」とは「映えるようにする、ひきたてる」という意味で、「囃子方」は、単なる伴奏でなく舞や謡を盛り上げる役目を持つ。笛と、小鼓(つづみ)、大鼓、太鼓の三つの打楽器が基本で、それぞれの楽器に流派があり世襲で受け継がれている。

向かって右端が「能管(のうかん)」という竹の笛。わざと揺らぎのある不安定な音で登場人物の感情をあらわす。
右から二番目が小鼓。左手で右肩の上に構えて、右手で打つ。湿り気を与え、響きのあるトンという音がする。
その隣が、小鼓とペアになる大鼓。こちらは左腰の脇に構えて、右手で打つ。演奏前に炭火で乾かすため、カーンという鋭い音がする。
左端が太鼓。面の真ん中を二本のバチで打ち、コンコンという軽い音がする。

互いに息を合わせるためにかける掛け声が特徴的で、音程も不定で、間(ま)が大事という、すべて音符で埋められた西洋音楽とは正反対の世界だ。

扇を持つ謡が入れば五人囃子になる。気が早いが来年のお雛様を飾るときには並べ方に気をつけよう。

支倉常長

支倉常長(はせくらつねなが)率いる慶長遣欧使節団は、伊達政宗の命により、国産の帆船サン・ファン・バウティスタ(洗礼者ヨハネ)号で、太平洋を渡りアカプルコに着き、そして大西洋を航海して、1615年にローマ法王に謁見した。

その少し前に、インド経由でローマに赴いた九州の天正少年使節と異なり、宗教てはなく通商を目的としたが、当時の日本はキリシタン弾圧、鎖国に向かっていたため、使節の目的は果たせなかった。

宮城県石巻市で復元船と複製の肖像画を見た記憶もあせないうちに、偶然ながら「ボルゲーゼ展」で実物の肖像画を見ることになった。

当時、支倉一行が着いたのは、美術館の建物であるヴィラ・ボルゲーゼが完成直後のことで、そこで使節団の歓迎の宴が催されたのだそうだ。そのときに、肖像画が描かれたのだろう。

ギリシア神話のヴィーナスや、イエスなど聖書の人物の中に、実直そうな日本の武士の肖像画があるのは何とも不思議な感じだった。
彼を身近に感じ、その苦労がしのばれた。

京都のボルゲーゼ展

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12月とは思えない陽気に誘われて、ぶらっと京都へ行った。
哲学の道は、ほとんど落葉していたが、ところどころ紅葉が映えて、また趣がある。観光客も少なくてよかったが、永観堂、南禅寺まで行くとさすがに観光バスが連なっていた。

疎水に沿って岡崎まで行き、ボルゲーゼ展を見た。
17世紀のイタリア美術の大パトロンであった枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼのルネサンスとバロックのコレクションを基にしているボルゲーゼ美術館の展覧会だ。

美術館は、ローマ北東部の広大なボルゲーゼ公園にあり、収集した絵画彫刻を飾るために造られたそうで、展示された絵も豪華な大邸宅に似合うものばかりだった。

ラファエロの「一角獣を抱く貴婦人」は気品があり、ボッティチェリ一派の「聖母子、洗礼者ヨハネと天使」はクリスマスにふさわしく、カラヴァッジョの「洗礼者ヨハネ」の愁いを帯びた少年の表情が印象的だった。
その中に「支倉常長」の肖像画があった。仙台で複製画を見たばかりなので知人に出会ったような気がした。

帰りは、三条の「スマート珈琲」で一休み。ちょっと古風で落ち着いた雰囲気の店だ。日暮れが早いのは、さすがに12月だ。

ばじさん

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 8月に来たバジルの苗がすくすく育ち、二週間ほどで念願のトマトとモッツアレラとバジルのパスタができた。摘むときの香りがいい。
 パスタの他にもトーストにオリーブオイルを塗りバジルトーストにしたり、バターを塗りハムやチーズと一緒にのせたり、紅茶に浮かせたりと大活躍。
 旅に出かけている間は枯れないかと心配し、帰ったときは真っ先に水をやった。
 見目よく香りよく味もよしと、まさに一石三鳥だ。

 けれど11月も半ば過ぎるとさすがに緑が薄くなり葉も小さくなってきた。やっぱり冬には枯れてしまうのだろうか。

「お堂で見る阿修羅」

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 奈良の興福寺の仮金堂に、阿修羅(あしゅら)立像をはじめとする天平乾漆(かんしつ)像14体がそろって安置された。乾漆像とは、土台の上に麻布をかぶせ、その上に漆を塗って乾かし、その後、土台を取り去ったものらしい。
 また国宝・北円堂の運慶一門作の阿弥陀如来坐像なども公開された。四天王に踏んづけられた邪鬼が、気の毒ながらユーモラスだった。
 ガラスの陳列ケースの中の「美術品」でなく、お堂の中にあるので、どの像にも本来の威厳が感じられた。

 とりわけすばらしかったのが阿修羅像だった。阿修羅は、古代インド神話の激しい怒りを表す軍神という。けれど、この阿修羅像は、三つの顔と六本の腕を持つ細身の少年で、繊細な美しさと同時に強さも感じさせる。仏像を魅力的だと思ったのは、初めての経験だ。

正倉院展

 正倉院には、8世紀の奈良時代の宝物が納められている。光明皇后が、東大寺大仏に献納した聖武天皇の遺愛品が始まりとされる。

 今年の正倉院展で印象的だったのは、まず紫檀(したん)の琵琶。黒っぽい地に白や緑の鳥や花の模様があしらってある。弦の数は4本で、ギターくらいの大きさで、厚味はずっと薄い。
 次に東大寺の法要で上演されたという伎楽(ぎがく)の呉女の面。しっかり山形の眉と、一重の目と、ふっくらした赤い唇で、なかなかいいお顔。能面などより親しみやすい。
 東大寺に献納されたという金銀花盤は、大きな鹿の絵が浮き彫りになっていて、周囲が繊細なビーズ飾りで縁取られている。

 中国の古典を写した「楽毅論」(がっきろん)は、光明皇后直筆だったが、他に、皇后の命で写経された経典も展示されていた。
 当時は、写経がとても大事な仕事だったので、写経所という専門の部署があり、140数名が働いていたらしい。
 文字を書く経生の給料は、40枚仕上げると布1端の割合。ただし誤字脱字ごとに減額される。例えば、誤字20字で紙1枚分だ。
 それを校正する校生は、500枚仕上げると布1端。やはり、誤字脱字などを見のがすと減額になる。その基準はきっちり決められていてなかなか厳しい。
 彼らには、食料も支給された。米、海藻、塩、酢、大豆、小豆、漬菜など、そして生野菜を買うための現金も。
 そういったことが書かれた古文書が展示されていて、当時の官僚の生活が身近に感じられた。