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「The Last Battle」

久しぶりに、C.S.Lewisのナルニア国物語の第七作目にして最終の「The Last Battle」を手に取ったら一気に最後まで読んでしまった。Narnia最後の王Tirianは、夜、最後の絶望的な戦いに挑み、敵もろともTashの神がいるという馬小屋の扉を開けて中に飛び込む。すると、そこは太陽がさんさんと輝き緑の木々がそよぐ美しい場所だった。そしてAslanがあらわれ、Father Timeを起こし、扉の外のナルニアを滅びさせる・・・。
キリスト教臭が露骨にあらわれ過ぎるという批判も多いし、この世が「Shadowlands」だという結末にはひっかかるが、それでも、第一作めの衣装ダンスの奥から始まり、この作品の最後の馬小屋の扉の奥、それからさらに奥へ、「Farther up, farther more」と進んでいくほど広がっていく世界は美しくて魅力的だ。

「there and back」

数日ぶりに帰宅した。
幼い子が喜ぶ物語の基本は「行きて帰りし物語」だと瀬田貞二氏の本にある。J.R.R.Tolkienの「The Hobbit」の副題から採られたことばだ。幼い子でなくても、旅は行くときだけでなく帰ったときもうれしい。帰る喜びも旅の楽しみの一つだ。

「だまし絵」展

「だまし絵」とは「見る者の目をあざむく仕掛けを持った作品」だ。
16世紀、ミラノ生まれの画家、アルチンボルドの「ルドルフ2世」は野菜果物を並べただけなのに遠くから見ると肖像画になっている。17世紀のバロック時代に流行した「トロンプルイユ」という手法で描かれたものは、平面なのに立体感があり実物そっくりに浮き上がって見える。板に赤いテープを鋲で止め手紙や羽ペンや眼鏡を挟んであるものや、檻の金網から鼻を突き出す子犬や、ガラスの向こうのオウムなど、キャンバスに描かれた絵とは思えない。19世紀の日本でも、掛け軸からはみ出そうな幽霊や、歌川国芳の浮世絵の人体で顔を描いたものがある。20世紀のエッシャーに至るまで、いろいろな作品があったが、画家の方も高度な技術を駆使して、いかに観客を騙せるかを楽しんでいるように思われた。

マニフェスト

最近よく出てくる「マニフェスト」。「手で(mani)つかまれたもの(fest)」が原意だが、「manifesto」となるとイタリア語で「政策、宣言、声明」という意味になる。又、それ一語で、その昔のマルクス・エンゲルスの「共産党宣言」を意味するそうだ。
日本語の、ただの「政策」よりも「はっきり明らかに述べた政策」と強調したいのだろうが、毎日のように目にすると有難みも重みも減ってしまう。挙句の果て、流行語のように消えてしまうのだろうか。

バジル

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八月の中ごろにバジルの小さな苗がやってきた。枯れそうにしょんぼりしていたが植木鉢に植えかえて水をやっていたら、一週間ほどたつと元気になってきて最近はめきめき伸びて葉が増えてきた。元々は、モッツアレラとトマトのパスタにしようと思っていたが、今のところとても食べる気にはならず「ばじさん」と名づけて水をやってかわいがっている。

三内丸山(さんないまるやま)遺跡

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青森県青森市の三内丸山遺跡は、江戸時代から知られていたが、1994年、野球場建設工事のときに、紀元前5千年前の縄文時代の大集落跡が発掘され一躍有名になった。なにしろメソポタミアや黄河文明に匹敵する古さだ。

発掘された竪穴(たてあな)住居跡や、土器、動物の骨、植物の殻などから当時の生活が類推されるそうだ。当時は平均寿命が35才ほどで、クリを栽培し、食用、建築に使っていた。基準が35センチの縄文尺といわれる測量単位があり、かなり大きな建物を建てていた。漆塗りや、ヒスイに精巧に穴を空ける技術もあった。丸木船で交易したらしく、新潟のヒスイや北海道の黒曜石も見つかっている。

現在は、広い遺跡跡に住居跡が復元され、出土品も見学できる。それにしても、ただの穴や土器の破片から、科学の力を使っていろいろなことを類推する考古学はおもしろい。

津軽(つがる)3:弘前

弘前は津軽藩の城下町。津軽の殿様は、姓も「津軽」。国替えなどもなく長年よく治めたのだろう。明治時代には近代化も進み、洋館が数多く建てられた。藤田記念庭園は、岩木山を借景にしてとても広く、洋館もある。旧市立図書館、旧青森銀行、弘前教会など、よく保存されていた。

弘南鉄道で黒石へ。津軽平野の広々とした田畑や、実が色づきかけたリンゴ畑の中を通っていく。おみやげに「夏緑」という品種を買った。今年の「初リンゴ」だ。一番、おみやげに持って帰りたいのは、湿気の少ないさわやかな気候だ。現地では、冷夏は米の収穫に影響するから困るだろうけれど・・・

津軽(つがる)2:「斜陽館」

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青森県西部は、むかし津軽(つがる)と呼ばれた。その中の五所川原で津軽鉄道に乗った。古い古いディーゼルでストーブ付き。冬はストーブ列車になるそうだ。

金木(かなき)で下車した。駅前からずっと店も閉じ人通りもないが、太宰治の生家「斜陽館」のあたりだけ、観光バスも止まり異様に混んでいた。

生原稿、愛用のマントや財布を見ていると、かの有名作家「太宰治」が「津島修治」として暮らしていたのだと実感される。ぐるりにつばがある帽子に「和服好きなのでこの帽子はかぶらなかった」といった説明があった。太宰のマントは洋装のイメージだったが、着物の上に着ていたのだと今更ながら気がついた。

さすがに大きな立派な屋敷だが、20人ほどが暮らしていたそうでプライベートな部屋というものがない。富裕な家に生まれ、繊細なハンサムで賢いが、大家族のため両親の愛情は薄く育ったのが太宰文学の原点だと、実際の建物を見ながら思った。

津軽(つがる)1:五能線の旅

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秋田から五能線(ごのうせん)経由の「リゾートしらかみ」で旅をした。五能線は、秋田県の東能代(ひがしのしろ)から青森県西部の五所川原(ごしょがわら)を通り川部(かわべ)まで日本海に沿っていく。「リゾートしらかみ」は、川部で奥羽本線に接続して弘前行きと青森行きに別れる。窓が大きく展望室もある乗り心地のいい列車だ。

沿線には、まず露天風呂があった。茶色の泥水のようだが、目の前に日本海が広がり、海の匂いがして風が涼しかった。携帯が圏外になって驚いた。

次は十二湖へ行った。白神山地のブナ林の中に緑色の水をたたえる池が点在しているところだ。青池は、水の色が青く神秘的な雰囲気。沸壺(わきつぼ)の池は透明度が高い。ブナ林の散策路は気持ちがよかった。

車窓に広がる日本海はすてきな眺めだ。その名所の一つ、千畳敷では見物のため臨時停車し、車内で津軽三味線の生演奏もあった。五所川原で「リゾートしらかみ」を降りた。

その後、五所川から足を伸ばして太宰治の生家を訪れ、夜は五所川原の「立佞武多(たちねぶた)」を見学した。

「秋田の行事」

秋田県秋田市の平野政吉美術館には、平野氏が集めた藤田嗣治の画がたくさんあった。「眠る女」「自画像」「パンを持つ少女」など有名な作品の他、わざわざ描いてもらったという、竿燈まつりや雪のかまくらなど秋田の行事を描いた大きな作品が珍しかった。