羽越(うえつ)本線で新潟県新発田(しばた)市から山形県鶴岡市まで行った。「きらきらうえつ」というJRらしからぬ名前の快速だ。車窓からの眺めは、新潟平野の後ずっと日本海、その後に庄内平野と広々とした景色が続いた。
鶴岡市は庄内藩の城下町。庄内藩は、幕末の戊辰戦争で会津藩とともに新政府軍と戦ったが、さっさと降伏した潔さが西郷隆盛に気に入られ、その取りなしで苛酷な処分を免れ、賠償金の支払いで済んだそうだ。
月山(がっさん)、羽黒山(はぐろさん)、湯殿山(ゆどのさん)を出羽三山(でわさんざん)という。これらは、1400年前にヤタガラスに乗ってきた蜂子皇子(はちこのみこ)が開いたとされ、山岳信仰、山伏の修験の霊場として知られている。
杉木立に囲まれる羽黒山五重塔は、10世紀半ばに平将門(たいらのまさかど)が創建し、14世紀に大修復されたもので東北地方最古だそうだ。
三神合祭殿は、出羽三山神社の本殿と拝殿にあたり羽黒山頂にある。山が信仰の対象だった日本古来の姿が残されている。
山形県内を流れる最上川(もがみがわ)は、鉄道が通るまで貨物輸送を一手に担っていた。今は、ゆったりと観光の舟下りを楽しめる。川面を渡る風が心地よかった。
鶴岡市の北にある酒田市は、出羽国(でわのくに)の紅花などの物産を京に運ぶ港町として栄え、その交易を担う廻船問屋が庄内藩で大きな力を持っていた。その筆頭、本間家の屋敷など古い建物が当時の栄華を偲ばせる。
最上川の水運を衰退させた陸羽西線(りくうさいせん)で酒田市から新庄市へ。次は奥羽本線で新庄から「さくらんぼ東根(ひがしね)」へ。線路の両側に、収穫が終わり緑の葉が繁るサクランボ畑が連なっていた。