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ウィーン・フィルのメンバー

「ウィーン・ヴィルトオーゼン」は、ウィーン・フィルの弦と木管の11名から成っている。ヴィルトオーズ(virtuos)は、辞書をひくと「有能な、堪能な、巧妙な」とあった。
モーツァルトの交響曲29番イ長調の演奏が、たった9名の演奏なのに過不足がない。
ビゼー作曲ボルヌ編曲の「カルメン・ファンタジー」は、フルートが華やかだ。
最後は、優雅で軽やかなウィンナーワルツ、J・シュトラウス二世の「ウィーン気質」。
アンサンブルの美しさを堪能したと同時に、大ホールでちょうどいいほどのスケールの大きさだった。

タイ風グリーンカレー

鶏肉、ピーマン、ナス、ジャガイモ、シメジを炒めて、グリーンカレーのペーストを入れ、ココナッツミルクで少し煮込んでナンプラーを加えると、タイ風カレーのできあがり。ただし、ピリッと辛いのは苦手なのでココナッツミルクを二倍いれてまろやかにした。
日本のありふれた材料が、調味料ですっかり外国風に変身するのがおもしろい。

J.R.R.Tolkienの短編

 J.R.R.Tolkienの「Smith of Wootton Major & Farmer Giles of Ham」を読んだ。
 前者は、星を飲み込んだためにエルフの世界へ行けるようになり、崇高な美しさを知った鍛冶屋の話。星を手放すときに葛藤するが、Ringの場合ほど深刻ではない。
 後者は、自分の意思に反してdragon退治に行く羽目になるが、名刀Tailbiterの力を借り、徐々に精神的にも成長して、ついにはdragonを倒して宝を手に入れ、王になるというお話。
 両方とも、「Lord of the Rings」を連想させるところもあるが、軽く楽しいお話だ。短い話なのに、後者で「貴族の言い方を俗な言い方に言い換えると・・・」というのがしばしば現れるのが、言語学者の作者らしい。

Vivaldi

チェロの鈴木秀美が率いるオーケストラ・リベラ・クラシカのヴィヴァルディの演奏を聴いた。
有名な「四季」の「夏」は、暗く激しい感じだと、ずっと思っていたが、日照りで作物が枯れ、雷と稲妻がとどろく場面をあらわしているそうで納得した。
弦楽器にリュート、チェンバロを加えたチェロ協奏曲は、渋く落ち着きのあるチェロの音色と、総勢13名のよくまとまった演奏で、当時はこんな感じに聞こえたのかと思われた。大ホールでなく、もっと小さな場所で聴きたかった。

「The Last Battle」

久しぶりに、C.S.Lewisのナルニア国物語の第七作目にして最終の「The Last Battle」を手に取ったら一気に最後まで読んでしまった。Narnia最後の王Tirianは、夜、最後の絶望的な戦いに挑み、敵もろともTashの神がいるという馬小屋の扉を開けて中に飛び込む。すると、そこは太陽がさんさんと輝き緑の木々がそよぐ美しい場所だった。そしてAslanがあらわれ、Father Timeを起こし、扉の外のナルニアを滅びさせる・・・。
キリスト教臭が露骨にあらわれ過ぎるという批判も多いし、この世が「Shadowlands」だという結末にはひっかかるが、それでも、第一作めの衣装ダンスの奥から始まり、この作品の最後の馬小屋の扉の奥、それからさらに奥へ、「Farther up, farther more」と進んでいくほど広がっていく世界は美しくて魅力的だ。

「there and back」

数日ぶりに帰宅した。
幼い子が喜ぶ物語の基本は「行きて帰りし物語」だと瀬田貞二氏の本にある。J.R.R.Tolkienの「The Hobbit」の副題から採られたことばだ。幼い子でなくても、旅は行くときだけでなく帰ったときもうれしい。帰る喜びも旅の楽しみの一つだ。

「だまし絵」展

「だまし絵」とは「見る者の目をあざむく仕掛けを持った作品」だ。
16世紀、ミラノ生まれの画家、アルチンボルドの「ルドルフ2世」は野菜果物を並べただけなのに遠くから見ると肖像画になっている。17世紀のバロック時代に流行した「トロンプルイユ」という手法で描かれたものは、平面なのに立体感があり実物そっくりに浮き上がって見える。板に赤いテープを鋲で止め手紙や羽ペンや眼鏡を挟んであるものや、檻の金網から鼻を突き出す子犬や、ガラスの向こうのオウムなど、キャンバスに描かれた絵とは思えない。19世紀の日本でも、掛け軸からはみ出そうな幽霊や、歌川国芳の浮世絵の人体で顔を描いたものがある。20世紀のエッシャーに至るまで、いろいろな作品があったが、画家の方も高度な技術を駆使して、いかに観客を騙せるかを楽しんでいるように思われた。

マニフェスト

最近よく出てくる「マニフェスト」。「手で(mani)つかまれたもの(fest)」が原意だが、「manifesto」となるとイタリア語で「政策、宣言、声明」という意味になる。又、それ一語で、その昔のマルクス・エンゲルスの「共産党宣言」を意味するそうだ。
日本語の、ただの「政策」よりも「はっきり明らかに述べた政策」と強調したいのだろうが、毎日のように目にすると有難みも重みも減ってしまう。挙句の果て、流行語のように消えてしまうのだろうか。

バジル

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八月の中ごろにバジルの小さな苗がやってきた。枯れそうにしょんぼりしていたが植木鉢に植えかえて水をやっていたら、一週間ほどたつと元気になってきて最近はめきめき伸びて葉が増えてきた。元々は、モッツアレラとトマトのパスタにしようと思っていたが、今のところとても食べる気にはならず「ばじさん」と名づけて水をやってかわいがっている。

三内丸山(さんないまるやま)遺跡

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青森県青森市の三内丸山遺跡は、江戸時代から知られていたが、1994年、野球場建設工事のときに、紀元前5千年前の縄文時代の大集落跡が発掘され一躍有名になった。なにしろメソポタミアや黄河文明に匹敵する古さだ。

発掘された竪穴(たてあな)住居跡や、土器、動物の骨、植物の殻などから当時の生活が類推されるそうだ。当時は平均寿命が35才ほどで、クリを栽培し、食用、建築に使っていた。基準が35センチの縄文尺といわれる測量単位があり、かなり大きな建物を建てていた。漆塗りや、ヒスイに精巧に穴を空ける技術もあった。丸木船で交易したらしく、新潟のヒスイや北海道の黒曜石も見つかっている。

現在は、広い遺跡跡に住居跡が復元され、出土品も見学できる。それにしても、ただの穴や土器の破片から、科学の力を使っていろいろなことを類推する考古学はおもしろい。