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囲炉裏の干し柿(新潟県の旅)

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新潟市を基点に、新潟県の南西と北東に旅をした。

一日目(南西)
JR弥彦(やひこ)線、弥彦駅下車。
「もみじ谷」、「彌彦(やひこ)神社」、ロープウェイと徒歩で弥彦山の山頂。

二日目(更に南西)
上越市
・直江津(なおえつ)…奈良時代からの港町で国府がおかれた。
 上杉謙信の春日山(かすがやま)城趾
 菩提寺の曹洞宗春日山(かすがさん)林泉寺(りんせんじ)
 城の名の由来となった春日神社
 謙信が再興した五智(ごち)国分寺
 出雲大社に縁があり、親鸞も訪れたという居多(こた)神社
 駅弁「鱈めし」
・高田…江戸時代、松平氏の高田藩として栄えた。
 高田城趾

新潟市の高層ホテルの角部屋から、南は信濃川、西は遠く日本海と佐渡島まで見渡せた。

三日目(北東)
JR米坂(よねさか)線(坂ー米沢)の越後下関(えちごしもせき)下車。渡邉家
 関川(せきかわ)村の豪農屋敷
 囲炉裏にくべた栗の殻がはぜた。
 囲炉裏の上に吊るされた干し柿が美味。
 金蔵米蔵など五つの蔵
 味噌蔵の大樽は樽の材料を用意し、樽職人が来て現場で製作。

新発田(しばた)市
 旧新発田藩の下屋敷の庭園、「清水園」
 足軽(あしがる)長屋、江戸時代の格差社会を実感。

どこも紅葉が美しかった。

「第67回 正倉院展」

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正倉院の宝物は、8世紀後半、光明皇后が聖武天皇の遺愛の品々を、聖武天皇が建立した東大寺大仏に納めたものが基になっている。
その後、1200年以上、厳重に管理保管そして修復され、伝えられてきた。毎年秋に、点検、虫干しを兼ねて一部が一般公開されている。

今年、印象に残ったものは・・・

まず楽器。聖武天皇は音楽がお好きだったそうだ。
「紫檀木画槽琵琶(したんもくがそうのびわ)」は、東大寺伝来の品で、裏の模様が、一世を風靡したブランドバッグを思い出させる。そもそも、あちらは日本の家紋にヒントを得てデザインされたものらしいが、この琵琶のデザインが、1200年の時を超えて現代にも通じるのが素晴らしい。ただし、寄木細工の緻密さには圧倒される。

「漆鼓(うるしのつづみ)」は、囃し方の大鼓の胴よりも、もっと大ぶりで素朴な感じがする。

「彫石横笛(ちょうせきのおうてき)」「彫石尺八(ちょうせきのしゃくはち)」は、なんと石でできていて、表面に文様とともに竹に似せて節までつくられている。会場に音色が流れていた。

次に、「平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう)」。これは、裏側に琥珀と螺鈿で花模様が描かれた美しい鏡で、細かく割れていたのを明治時代に修復したそうだ。

それから、何本かの「筆」。文字を書く先の部分は、兎や狸や鹿などの毛と紙で、持ち手は竹でつくられている。
『写経所の物資調達に関する書類』には、経文用に兎毛の筆(百五十紙あたり筆一本)、界線用に鹿毛の筆、題字用に狸毛の筆をそれぞれ渡した本数などが記録されていた。

『七夕の詩が習書された興福寺西金堂の造寺造仏に関する報告書』というのもあった。不要になって写経所に回ってきた古紙に何度も何度も「七夕の詩」を練習しているものである。紙が貴重だったのが良く分かる。
最後、経典の巻物の裏に、さらさらっと雑な字で写経生のサインがあった。

写経生は、当時の国家公務員である。一字の誤字もなくきっちりと写経された経典の数々を見ると人間業とは思えないが、一生懸命練習して、根をつめて仕事をして、出来上がって提出してほっとしている彼らの様子が思い浮かんで、毎年のことながら当時の人を身近に感じてしまう。

ダリヤ

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兵庫県川西市の「黒川ダリヤ園」に行った。
ダリヤ(Dahlia)は、メキシコなどの原産でキク科の多年草。スウェーデンの植物学者、Dahl(ダール)氏にちなんで名付けられ、秋に開花する。

人の身長より高く、花も直径30センチ近くある大きなものから、ごく小さなものまで、形も色もさまざまな種類が、太陽の光の下でのびのびと咲いていた。

必要最低限の線

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京都国立近代美術館で、フランスのアンリ・マティス(1869-1954)の素描を見た。「ブルガリアン・ブラウス」や、マラルメ詩集の挿絵など、さっとひかれた単純な必要最低限の線で、豊満な女性の姿や、細かいブラウスの刺繍が生き生きとあらわされていた。
「色彩の魔術師」と言われる画家だが、素描も魅力的だった。

秋の狂言

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野村萬斎主催「ござる乃座」の京都観世会館での公演を見た。
「江戸前狂言」の京都での公演は、とても珍しいのだそうだ。

今日の演目は、
・狂言「萩大名」
遠国の大名が、清水坂の茶屋へ萩の花を見に行く。花見の後は即興で歌を詠まなくてはならないので、あらかじめ太郎冠者に
「七重八重 九重とこそ 思ひしに 十重咲きいずる 萩の花かな」という歌を教えてもらう。ところが、いざとなると思い出せず四苦八苦するという話。
秋の庭の風情が、台詞だけで感じられる。
風流を解さない大名を少し馬鹿にした話だが、野村万作の大名はおっとりとした気品があった。

・素囃子「安宅 延年之舞」
笛、大鼓、小鼓による演奏。みちのくへ落ちのびる義経一行を統率しつつ、関守の富樫を警戒する弁慶を表現した曲。
ちなみに、安宅の関は、現在の石川県小松市にあった。みちのくまでは前途遼遠である。

・狂言「狸腹鼓(たぬきのはらつづみ)」
能舞台には幕が無いので、囃子に引き続き、舞台に台とススキなど秋の草むらが持ち込まれ、猟師と尼に化けた雌狸(萬斎)が登場する。
尼は殺生を止めるよう猟師に説教するが、犬の鳴き声に怖がって狸とばれてしまう。尼から早替わりした狸は、猟師の求めで腹鼓を打つ。これは「一子相伝」の大曲だそうだ。

狂言の舞台には「後見」が控えている。今回は、後見(万作)が、途中倒れたススキの草むらをさりげなく直したり、尼の衣装を受け取ったりと忙しかった。

「三番叟(さんばそう)」

野村萬斎の「三番叟」を見た。
「三番叟」は、たいそう歴史が古く、能「翁」の中で狂言師が勤めたもので、「舞う」のではなく「踏む」と表現するそうだ。
地を踏み固め、土を耕し種をまき虫を払うといった農耕作業を表した動きが素晴らしく洗練されたものになっていて、囃子に合わせて力強い美しさを生み出していた。いわば、大地に捧げる五穀豊穣祈願の儀式だ。
天上の神に向かって体をそらせジャンプする西洋のバレエとは対極をなすものだと思った。

その二日後、兵庫県西宮市の白鹿記念館で上村松園の「寿 女三番叟」という題の掛け軸にたまたま出会った。手に持つ鈴の音が聞こえてくるような気がした。

あやとり

小学生の女の子三人が、毛糸の輪であやとりをしていた。
「誰に教えてもらったの?」と聞いたら、一人は「ママ」と答え、もう一人は「本で」と答えた。いまや手遊びの伝承にも、本は役立っているようだ。

「トーベ・ヤンソン展」

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トーベ・ヤンソン(1914-2001)は、スウェーデン系フィンランド人である。ムーミンの作者として有名だが、油絵もずっと描き続けていた。何枚も残る自画像には、意志の強い自立した女性の姿がよく表されている。
政治風刺雑誌のイラストやアリスの挿絵などの他、十数センチ四方の小さな紙にペンで描かれたムーミンの挿絵がたくさん展示されていた。

ムーミンは小さい種族である。
ムーミン・シリーズには、ムーミン一家の他に、スノークのおじょうさん、スナフキンとちびのミイの兄妹、ヘムレンさん、フィリフヨンカ、そして作者のパートナーだったトゥーリッキをモデルにした「おしゃまさん」(トゥーティッキ)など個性的な面々が登場する。作者が夏を過ごしたクルーヴハル島の映像を見ながら、彼らは、あの広大で厳しく美しいフィンランドの自然から生まれたのだとしみじみ思った。

秋到来

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昨夜は、旧暦8月15日、中秋の名月だった。
真夜中の天頂に、白っぽい満月が輝いていた。
今朝は、爽やかな晴天で空が高い。
秋が来た。

「カニ」は「ウサギ」!?

英国のポター作「ピーターラビット」は、フィンランド語で「ペッテリカニ」と言うそうだ。「カニ」が「ウサギ」の意味なのは面白い。

同じウサギでも、オランダのブルーナ作「うさこちゃん」は「Miffy」としても知られているが、本名は「ナインチェ」(Nijntje)だ。

有名人(いや、人ならぬウサギ!)ともなると、この他にも世界中で色々な呼び名があることだろう。
ちなみに、両方とも日本では石井桃子訳である。