
ルミナリエは、1995年、阪神淡路大震災が起きた年に鎮魂と復興の願いを込めて始まった。灰色の瓦礫の町が、魔法で夢の国になったような気がしたものだ。
今年は、LEDになったので色調が変わった。

ルミナリエは、1995年、阪神淡路大震災が起きた年に鎮魂と復興の願いを込めて始まった。灰色の瓦礫の町が、魔法で夢の国になったような気がしたものだ。
今年は、LEDになったので色調が変わった。

「北欧から届いたファンタジー、切り絵作家アグネータ・フロックの世界展」を見た。
1941年、スウェーデン生まれの作者は、テキスタイル作家として40年以上活動した後、切り絵を始めたそうだ。
会場に、作者が切り絵を製作中のビデオが流されていたが、白い紙をサクサク切って、それにさらさら色をぬって、とても楽しそうに作っていたので見ている方も楽しくなった。
作者自身もいろいろな絵の中に登場している。
独特な雰囲気の絵で、不思議な世界に迷い込んだような感じがした。

「国宝 源氏物語絵巻」展を見た。
「尾張徳川家伝来で徳川美術館所蔵の9帖15段分の詞書(ことばがき)と絵、および詞書だけの1段」と「阿波の蜂須賀(はちすか)家伝来で五島美術館所蔵の3帖4段分の詞書と絵」の「全点一挙公開」である。
絵は、墨書きの下絵に彩色し、目鼻や文様を描く「作り絵」や、屋根を取り去った屋内の情景を描く「吹抜屋台(ふきぬきやたい)」という手法で描かれている。
人物の顔は、一見単純な「引目鉤鼻(ひきめかぎはな)」だが、じっと見ていると表情が分かってくる。
詞書(ことばがき)は、文章の一部を抜き出したもので、金箔を散らした美しい料紙に、古来からの流麗な「連綿体(れんめんたい)」や、当時新しく流行した力強い「法性寺流(ほっしょうじりゅう)」などの書風で書かれている。
「宇治十帖」の「東屋(あずまや)1」の絵には、憂いに沈む浮舟を慰めようと、中君が右近に文章を読ませ、浮舟が絵を見ている場面が描かれている。それが、当時の絵巻の楽しみ方だったようだ。
以上、パンフレットなどから学んだことだ。
千年以上前に書かれた「源氏物語」は、写本や注釈書が数多く作られ、江戸時代の武家の姫から花魁にまで欠かせない教養の書として読まれ、絵が家具調度品を飾り、「源氏香」や、歌舞伎にも取り入れられ、ずっと親しまれてきた。
その中でも、この絵巻は現存する最古のもので12世紀前半に宮中で作成されたそうだ。全帖の絵巻が出来上がった当時は、さぞ豪華絢爛なものだっただろうと、これは想像するしかない。
「地下の洞穴の冒険」は、原作は1950年に英国で出版されたもので、夏休みのある日、五人の少年が近くの鍾乳洞を探検する話だ。
洞穴の暗闇の中を、彼らは出口を探して進んでいく。途中で、行く手を塞ぐ「頁岩(けつがん)」を、力を合わせ「たがねとハンマー」で打ち砕く。
調べてみたら、「頁岩」とは堆積岩で、本のページ(頁)のように薄い層が重なっているので、割れやすく、又この層の中に石油が埋まっている種類があるそうだ。そして、「頁岩」は、英語で「shale」といい、その中の石油が「shale oil」なのだそうだ。
昔の物語の世界から、一気に現代世界に帰ってきた。
(「地下の洞穴の冒険」リチャード、チャーチ作、大塚勇三訳、岩波書店)
「The Story of Doctor Dolittle」は、作者が第一次大戦中の戦場から二人の子どもに送った手紙が元になっているという。
巻頭に
「TO ALL CHILDREN
CHILDREN IN YEARS AND
CHILDREN IN HEART」
(子どもたちと、子どもの心を持った人すべてに)
とある。
動物と話ができるドリトル先生は岩波の井伏鱒二訳で知られている。
子どもの頃に読んだ時、話は面白いが、「ネコ肉屋」というのが気になった。その後、原書を手に入れたところ、「Cat's-meat-Man」、つまり「キャットフードを売る人」だと分かってほっとしたものだ。
"The Story of Doctor Dolittle"by Hugh Lofting,1922




・あずきミュージアム…「御座候」の餡の材料は北海道十勝産の小豆と白いんげんと判明。小豆は、日本古来それも縄文時代から赤い色を珍重され、品種改良が重ねられてきたそうだ。昼食は小豆御膳。
・手柄山(てがらやま)水族館と、レトロな回転展望台。
・書寫山圓教寺(しょしゃざんえんきょうじ)…ロープウェイと徒歩で到着。10世紀に開かれた天台宗の寺。
・姫路城…白くなった国宝かつ世界遺産。
・好古園(こうこえん)姫路城西御屋敷跡庭園…姫路城を借景に平成4年に開園。


「吉例顔見世大歌舞伎 十一世市川團十郎五十年祭」を見た。
一、江戸花成田面影(えどのはななりたのおもかげ)長唄囃子連中
海老蔵長男の堀越勸玄(かんげん)初お目見得。
二、元禄忠臣蔵仙石屋敷(仁左衛門の内蔵助)
内蔵助以下赤穂浪士が、仇討ち後、仙石伯耆守(ほうきのかみ)に仔細を申し立てる。
三、歌舞伎十八番の内 勧進帳(幸四郎の弁慶と染五郎の富樫)
加賀国安宅の関、松の木を背景に、囃子方と三味線が後ろに並び、動きや台詞が能楽つまり古い形に近い。
四、河竹黙阿弥作 天衣粉上野初花「河内山(こうちやま)」
松江邸広間から玄関先まで(海老蔵の河内山)
江戸城の茶坊主ながら悪人だが憎めない主人公が、主人になびかない腰元浪路を助ける。
大掛かりな舞台転換と華やかな衣装と派手な動き。
江戸時代、民衆の一番の楽しみだった様子が思い浮かぶ。
ただし、お弁当の時間も含め、四時間半という長丁場。
昔は時間の流れがゆったりしていたのだろう。
アーディゾーニの挿絵に惹かれて、イングランド生まれのジェイムズ・リーヴズ(1909-1978)の詩集を手に入れた。
一つ一つの詩が、凝縮されたことばでそれぞれ別世界をつくっている。
その中に、夜空に一瞬華やかに咲いて散る花火をうたった「花火」という詩があり、「catherine-wheel」、つまり「キャサリン(カタリナ)の車輪」ということばが出てきた。
聖カタリナといえば、4世紀に棘のついた車輪による拷問を受けるところを天使に助けられ、その後、殉教したエジプトの王女である。調べたら「回転花火」という意味だった。花火とは関係ない聖女の歴史も連想させられて、短いが奥行きが感じられる作品だった。
'Fireworks',"The Blackbird in Lilac"(1952),
"Complete Poems for Children" by James Reeves and Edward Ardizzone, 1973
12世紀末から13世紀初のイタリア、アッシジの聖フランチェスコは、清貧を旨として茶色の粗末なフードつき修道服を着ていた。小鳥に説教したことでも知られ、聖人の中で唯一、その名をラテン語でなくイタリア語で呼ばれる程、イタリアで親しまれているという。
そのフードをイタリア語で「カップッチョ」と言い、その教えをまもるフランシスコ会から派生したカプチン会の修道士の事をカプチーノと呼んだそうだ。
いまでは、泡のミルクのフードを被った茶色のエスプレッソが、「カプチーノ」と呼ばれ、遠い日本でも親しまれている。





新潟市を基点に、新潟県の南西と北東に旅をした。
一日目(南西)
JR弥彦(やひこ)線、弥彦駅下車。
「もみじ谷」、「彌彦(やひこ)神社」、ロープウェイと徒歩で弥彦山の山頂。
二日目(更に南西)
上越市
・直江津(なおえつ)…奈良時代からの港町で国府がおかれた。
上杉謙信の春日山(かすがやま)城趾
菩提寺の曹洞宗春日山(かすがさん)林泉寺(りんせんじ)
城の名の由来となった春日神社
謙信が再興した五智(ごち)国分寺
出雲大社に縁があり、親鸞も訪れたという居多(こた)神社
駅弁「鱈めし」
・高田…江戸時代、松平氏の高田藩として栄えた。
高田城趾
新潟市の高層ホテルの角部屋から、南は信濃川、西は遠く日本海と佐渡島まで見渡せた。
三日目(北東)
JR米坂(よねさか)線(坂ー米沢)の越後下関(えちごしもせき)下車。渡邉家
関川(せきかわ)村の豪農屋敷
囲炉裏にくべた栗の殻がはぜた。
囲炉裏の上に吊るされた干し柿が美味。
金蔵米蔵など五つの蔵
味噌蔵の大樽は樽の材料を用意し、樽職人が来て現場で製作。
新発田(しばた)市
旧新発田藩の下屋敷の庭園、「清水園」
足軽(あしがる)長屋、江戸時代の格差社会を実感。
どこも紅葉が美しかった。


正倉院の宝物は、8世紀後半、光明皇后が聖武天皇の遺愛の品々を、聖武天皇が建立した東大寺大仏に納めたものが基になっている。
その後、1200年以上、厳重に管理保管そして修復され、伝えられてきた。毎年秋に、点検、虫干しを兼ねて一部が一般公開されている。
今年、印象に残ったものは・・・
まず楽器。聖武天皇は音楽がお好きだったそうだ。
「紫檀木画槽琵琶(したんもくがそうのびわ)」は、東大寺伝来の品で、裏の模様が、一世を風靡したブランドバッグを思い出させる。そもそも、あちらは日本の家紋にヒントを得てデザインされたものらしいが、この琵琶のデザインが、1200年の時を超えて現代にも通じるのが素晴らしい。ただし、寄木細工の緻密さには圧倒される。
「漆鼓(うるしのつづみ)」は、囃し方の大鼓の胴よりも、もっと大ぶりで素朴な感じがする。
「彫石横笛(ちょうせきのおうてき)」「彫石尺八(ちょうせきのしゃくはち)」は、なんと石でできていて、表面に文様とともに竹に似せて節までつくられている。会場に音色が流れていた。
次に、「平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう)」。これは、裏側に琥珀と螺鈿で花模様が描かれた美しい鏡で、細かく割れていたのを明治時代に修復したそうだ。
それから、何本かの「筆」。文字を書く先の部分は、兎や狸や鹿などの毛と紙で、持ち手は竹でつくられている。
『写経所の物資調達に関する書類』には、経文用に兎毛の筆(百五十紙あたり筆一本)、界線用に鹿毛の筆、題字用に狸毛の筆をそれぞれ渡した本数などが記録されていた。
『七夕の詩が習書された興福寺西金堂の造寺造仏に関する報告書』というのもあった。不要になって写経所に回ってきた古紙に何度も何度も「七夕の詩」を練習しているものである。紙が貴重だったのが良く分かる。
最後、経典の巻物の裏に、さらさらっと雑な字で写経生のサインがあった。
写経生は、当時の国家公務員である。一字の誤字もなくきっちりと写経された経典の数々を見ると人間業とは思えないが、一生懸命練習して、根をつめて仕事をして、出来上がって提出してほっとしている彼らの様子が思い浮かんで、毎年のことながら当時の人を身近に感じてしまう。




兵庫県川西市の「黒川ダリヤ園」に行った。
ダリヤ(Dahlia)は、メキシコなどの原産でキク科の多年草。スウェーデンの植物学者、Dahl(ダール)氏にちなんで名付けられ、秋に開花する。
人の身長より高く、花も直径30センチ近くある大きなものから、ごく小さなものまで、形も色もさまざまな種類が、太陽の光の下でのびのびと咲いていた。

京都国立近代美術館で、フランスのアンリ・マティス(1869-1954)の素描を見た。「ブルガリアン・ブラウス」や、マラルメ詩集の挿絵など、さっとひかれた単純な必要最低限の線で、豊満な女性の姿や、細かいブラウスの刺繍が生き生きとあらわされていた。
「色彩の魔術師」と言われる画家だが、素描も魅力的だった。

野村萬斎主催「ござる乃座」の京都観世会館での公演を見た。
「江戸前狂言」の京都での公演は、とても珍しいのだそうだ。
今日の演目は、
・狂言「萩大名」
遠国の大名が、清水坂の茶屋へ萩の花を見に行く。花見の後は即興で歌を詠まなくてはならないので、あらかじめ太郎冠者に
「七重八重 九重とこそ 思ひしに 十重咲きいずる 萩の花かな」という歌を教えてもらう。ところが、いざとなると思い出せず四苦八苦するという話。
秋の庭の風情が、台詞だけで感じられる。
風流を解さない大名を少し馬鹿にした話だが、野村万作の大名はおっとりとした気品があった。
・素囃子「安宅 延年之舞」
笛、大鼓、小鼓による演奏。みちのくへ落ちのびる義経一行を統率しつつ、関守の富樫を警戒する弁慶を表現した曲。
ちなみに、安宅の関は、現在の石川県小松市にあった。みちのくまでは前途遼遠である。
・狂言「狸腹鼓(たぬきのはらつづみ)」
能舞台には幕が無いので、囃子に引き続き、舞台に台とススキなど秋の草むらが持ち込まれ、猟師と尼に化けた雌狸(萬斎)が登場する。
尼は殺生を止めるよう猟師に説教するが、犬の鳴き声に怖がって狸とばれてしまう。尼から早替わりした狸は、猟師の求めで腹鼓を打つ。これは「一子相伝」の大曲だそうだ。
狂言の舞台には「後見」が控えている。今回は、後見(万作)が、途中倒れたススキの草むらをさりげなく直したり、尼の衣装を受け取ったりと忙しかった。
野村萬斎の「三番叟」を見た。
「三番叟」は、たいそう歴史が古く、能「翁」の中で狂言師が勤めたもので、「舞う」のではなく「踏む」と表現するそうだ。
地を踏み固め、土を耕し種をまき虫を払うといった農耕作業を表した動きが素晴らしく洗練されたものになっていて、囃子に合わせて力強い美しさを生み出していた。いわば、大地に捧げる五穀豊穣祈願の儀式だ。
天上の神に向かって体をそらせジャンプする西洋のバレエとは対極をなすものだと思った。
その二日後、兵庫県西宮市の白鹿記念館で上村松園の「寿 女三番叟」という題の掛け軸にたまたま出会った。手に持つ鈴の音が聞こえてくるような気がした。
小学生の女の子三人が、毛糸の輪であやとりをしていた。
「誰に教えてもらったの?」と聞いたら、一人は「ママ」と答え、もう一人は「本で」と答えた。いまや手遊びの伝承にも、本は役立っているようだ。


トーベ・ヤンソン(1914-2001)は、スウェーデン系フィンランド人である。ムーミンの作者として有名だが、油絵もずっと描き続けていた。何枚も残る自画像には、意志の強い自立した女性の姿がよく表されている。
政治風刺雑誌のイラストやアリスの挿絵などの他、十数センチ四方の小さな紙にペンで描かれたムーミンの挿絵がたくさん展示されていた。
ムーミンは小さい種族である。
ムーミン・シリーズには、ムーミン一家の他に、スノークのおじょうさん、スナフキンとちびのミイの兄妹、ヘムレンさん、フィリフヨンカ、そして作者のパートナーだったトゥーリッキをモデルにした「おしゃまさん」(トゥーティッキ)など個性的な面々が登場する。作者が夏を過ごしたクルーヴハル島の映像を見ながら、彼らは、あの広大で厳しく美しいフィンランドの自然から生まれたのだとしみじみ思った。

昨夜は、旧暦8月15日、中秋の名月だった。
真夜中の天頂に、白っぽい満月が輝いていた。
今朝は、爽やかな晴天で空が高い。
秋が来た。
英国のポター作「ピーターラビット」は、フィンランド語で「ペッテリカニ」と言うそうだ。「カニ」が「ウサギ」の意味なのは面白い。
同じウサギでも、オランダのブルーナ作「うさこちゃん」は「Miffy」としても知られているが、本名は「ナインチェ」(Nijntje)だ。
有名人(いや、人ならぬウサギ!)ともなると、この他にも世界中で色々な呼び名があることだろう。
ちなみに、両方とも日本では石井桃子訳である。




・奈良県桜井市の安倍文殊院(あべもんじゅいん)。
御本尊の文殊菩薩は、13世紀初めの鎌倉時代の仏師、快慶により作られたもので獅子の背に乗っていた。境内には、7世紀なかばに造られた「文殊院西古墳」もあった。
・奈良市の依水園(いすいえん)。
江戸時代と明治時代に造られた二つの庭があり、若草山や東大寺南大門を借景としていた。
・東大寺ミュージアム。
日光菩薩と月光(がっこう)菩薩は、ガラスケースの中ながら美しく威厳があった。
・奈良ホテル。
香ばしい茶粥と赤だしの朝食と、松の実タルトのティータイム。
・橿原市(かしはらし)の奈良県立橿原考古学研究所附属博物館。藤ノ木古墳の金銅製冠をはじめ出土品が多数。奈良県は古墳が多い。



長野県茅野市と諏訪市にある諏訪大社の上社(かみしゃ)の前宮(まえみや)と本宮(ほんぐう)に行った。
上社の前宮と本宮、下社(しもしゃ)の春宮(はるみや)と秋宮(あきみや)の、それぞれの社殿の四隅に建てられているモミの大木を御柱(おんばしら)という。これらを建て替え、宝殿を造る御柱(おんばしら)祭が、寅年と申年に行われるそうだ。





一日目
・諏訪大社の上社(かみしゃ)。上社の前宮(まえみや)は茅野市に、本宮(ほんぐう)は諏訪市にある。
・諏訪湖の遊覧船と花火。花火の音が周囲の山々に反響する。
・上諏訪温泉。
二日目
・木曽路(中山道)
長野県塩尻市の奈良井(ならい)宿。岐阜県中津川市の馬籠(まごめ)宿と中津川宿。水の流れる音が良い。南下するにつれ湿度が高くなる。
・中津川市「すや」本店の栗きんとん。
三日目
・恵那峡(岐阜県恵那市)の遊覧船。
・明知鉄道(恵那から終点の明智まで)。岩村の城下町と松浦軒本店カステーラ、山岡の寒天、大正村。

15世紀半ば、トスカーナ地方のアンギアーリで、フィレンツェとミラノが戦い、フィレンツェが勝った。
この戦いを題材に、16世紀初め、レオナルド・ダ・ヴィンチはフィレンツェ共和国の依頼で、パラッツオ・ヴェッキオに壁画を描き始めた。その中心となる軍旗争奪の場面は、16世紀の油彩画「タヴォラ・ドーリア(ドーリア家の板絵)」に残されている。
作品は未完成に終わったが、これまでにない臨場感溢れる戦いの描き方は、多くの画家に模写され、ラファエロ、ヴァザーリ、ルーベンスはじめ後世の画家たちに大きな影響を与えた。その影響力の大きさから、今となっては存在しない壁画の素晴らしさを想像するしかない。
夏至の前日に、英国南部サセックス州で、兄妹がシェイスピアの「夏の夜の夢」を演じていたら、本物のパックが現れた。
彼は、夏至から晩秋にかけて、4世紀の古代ローマの百人隊長、11世紀のノルマンの騎士、13世紀のマグナ・カルタ制定に関わったユダヤ人、そして16世紀のルネッサンス人を呼び出して、子どもたちが今いる場所がどんな風だったか、そしてどのようにして「イングランド」ができてきたのかを教えてくれる。
ところで、「マグナ・カルタ(大憲章)」は、1215年に、当時のジョン王が王権の制限を受け入れたもので、現在の英国憲法にも生かされているという。今年の6月15日に、その制定後、800年になる記念式典が、エリザベス女王やキャメロン首相も出席して行われたというニュースがあった。パックが見てきた英国の歴史は今も続いている。
"Puck of Pook's Hill"1906 by Rudyard Kipling


兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で、「第97回全国高校野球選手権大会」の開会式が行われた。今年は、高校野球が始まって100年目になるそうだ。
王貞治氏による始球式後の第一試合は、鹿児島実業対北海高校(南北海道)という全国大会らしい組み合わせだった。
球場内外の店には、校名入りボールやタオルなどの他、「甲子園サブレ」「蔦(つた)せんべい」「甲子園カレー」など観光地の土産物のように色々並んでいて面白かった。

一週間後、猛暑にも負けず元気に伸びている。
主人公は、スコテッシュ・テリアの子犬、「Angus」。
アンガスというのはケルト神話の神様の名前らしい。
好奇心いっぱいのアンガスは、ある日、こっそり外へ出て
「Quack! Quack! Quackety! Quack!!」と鳴くあひるに出会います。
アンガスが「WOO-OO-OOF!!!」と言うと、あひるは逃げました。
ところが、あひるは「HISS-S-S-S-S-S-S!!!」と向かってきました。
アンガスは、しっぽを巻いて逃げかえり、椅子の下に隠れました。
そして、きっかり三分間は何にも興味を持ちませんでした。
・・・というお話。
とにかくアンガスが可愛い。
"Angus and the Ducks" by Marjorie Flack,1930




頂き物のマンゴーの種を水に浸しておいたら、十日程して芽が出てきたので植木鉢に植えてみた。
育つかな?

ベルギーの画家、ルネ・マグリット(1898-1967)の回顧展を見た。
シュールレアリズムを学び、第二次大戦後はがらりと作風を変え、それが不評だったせいか、また元に戻り、それを深めていって独自の世界を作り上げていった画家の心の変遷が興味深かった。
水を受け入れるコップと、水を跳ね返す傘とを同時に描いたり、風景の前にカンバスを置き、そこに隠された風景を描いたり、皮靴と足の結びつきを示すのに靴の先が足に変わるように描いたり、とにかく発想が面白い。
「白紙委任状」(Le Blanc-seing)は、木々の後ろを通る乗馬姿の女性が描かれているが、どこを隠すかは女性の一存にかかっているそうで、見ていると日ごろまったく使わない部分の頭を使うような不思議な気がした。暑い夏にふさわしい展覧会だった。


去年から復活した後祭の山鉾巡行を、京都市役所前で見た。
北観音山、南観音山など山の最後に唯一の鉾、大船鉾が進む。
辻回しで、「よーいとせー」の掛け声がかかってもなかなか曲がれない山があった。木で組み上げられていて、人力でゴトン、ギシギシと動く山鉾の重さを実感した。
中島敦原作、野村萬斎構成演出、野村万作、萬斎の「敦ー山月記・名人伝」の再演を見た。
虎になってしまう李徴の萬斎と、弓矢を持たずして射るという境地に達した名人の万作、どちらも狂言師なればこその芸だった。
尺八(藤原道山)、大鼓(亀井広忠)の演奏もぴったりだった。





江戸時代唯一の貿易港・・・長崎奉行所復元建物と博物館、長崎街道、出島、唐人屋敷、シーボルト記念館。
キリシタンの歴史・・・大浦天主堂。
明治時代の産業革命・・・グラバー園、三菱重工長崎造船所史料館(旧木型場)、軍艦島クルーズ。
長崎ちゃんぽん、皿うどん、カステラ。
卓袱(しっぽく)料理は甘めの味付けだった。鎖国時代の高級品である砂糖をたっぷり使えたのが長崎ならではの贅沢らしい。
一両編成の路面電車がひっきりなしに走っていて、どこへ行くにも便利だった。この長崎電気軌道は今年100周年を迎えるそうだ。



京都市美術館に「ルーブル美術館展」を見に行った。
「日常を描く」と題して16世紀から19世紀までのヨーロッパの風俗画が集められていた。
17世紀レンブラントの「『聖家族』または『指物師の家族』」と
フェルメールの「天文学者」、
19世紀ドラクロワの「鍛冶屋」と
ミレーの「箕(み)をふるう男」が良かった。

ポータブル・ラジオ・レコーダーが仲間入りした。
ラジオ番組を録音するのに、プー式に言えばまことに「ちょうほうな」ものだ。並べてみると携帯が大きく見える。


荻窪の「かつら文庫」を尋ねた。閑静な住宅街にある居心地の良い場所で、この近くに住んでいた子どもは幸せだと思った。
石井桃子さんの書斎も保存されていて、プーで育った私にとって遠い世界の人だった「児童文学者石井桃子」が身近に感じられた。


教文館ナルニア国のアーディゾーニ展を見た。
まずは「チムとゆうかんなせんちょうさん」のチムシリーズ。
荒海の難破船から助けられる場面など原画の勢いが素晴らしい。。
初版は、文も作者の手書きの筆記体だった。表紙の背景も筆で塗られていた。
ファージョン、ピアスなどの線画の挿絵が好きだが、お気に入りは、デ・ラ・メアの詩集、「Peacock Pie」だ。挿絵が詩の魅力を、よりいっそう引き立てている。会場に「良い詩は、読むと絵が鮮明に浮かぶ」というような作者のことばがあった。長年ペアを組んだJames Reevesの詩集も読んでみたいと思ったが、残念ながら絶版らしい。
長年にわたり、毎年、友人に宛てたクリスマスカードも展示されていた。
どれもこれも作者が楽しんで描いているのが良く分かるものばかりで、見ていて楽しかった。
京都金剛能楽堂で「傅(かしずき)の会」の狂言を見た。
「以呂波(いろは)」では、茂山千五郎が孫の初舞台を支え、息子の茂が後見として見守っていた。伝統芸能は、受け継ぐだけでなく次世代に伝える責務もあるのだとあらためて思った。
充実した演目だったが、最後の茂山正邦、茂兄弟による息の合った「二人袴」が特に楽しかった。
今日は、長いあいだ通っていた場所に行く最後の日、言わば「卒業式」だった。責任を果たせた安堵感の底に寂しさもあるが、未来に繋がる日になると思う。


1、鳥取県西部
境港(さかいみなと)市
・JR境線の鬼太郎列車。
米子市
・加茂川と中海(なかうみ)の遊覧船。
ボラがジャンプし、コブハクチョウの雄が威嚇してきた。子育て中なのだそうだ。
・米子城跡と石垣。
2、島根県東部
安来(やすぎ)市
・足立美術館。横山大観(1868-1958)を中心とする日本画が充実しているが、展示品の第一は、大観の画に着想を得た日本庭園だった。




宮崎県北部と大分県南部に行った。
1、宮崎県高千穂(たかちほ)町
・天岩戸(あまのいわと)神社には、西本宮と東本宮がある。
天安河原(あまのやすかわら)は、アマテラスが天岩戸に隠れた時に神々が相談した場所だとか。
・高千穂峡は、五ヶ瀬川にかかる渓谷で、阿蘇の火砕流によってできたそうだ。ボートで、真名井(まない)の滝に近づくことができた。どこを見ても絵になる風景だった。
・高千穂神社には、樹齢800年といわれる大杉がそびえていた。
遠かった。新緑が綺麗だった。
2、大分県
・臼杵(うすき)市には、平安後期から鎌倉時代の作といわれる60余りの石仏群があった。
・別府市の鉄輪(かんなわ)温泉の「足蒸し」は熱かった。

二月に咲き出した梅が実をつけていた。花は小さいのに、実は結構大きい。
子どもの頃に抄訳を読んだ「王子と乞食」の原書を読んでみた。
まずは、題名が韻を踏んでいた。
次に、王だけが所在を知っている「大印章」というのが、「the Great Seal」だと分かった。日本のような朱肉の印鑑でなく、封筒の綴じ目や文書に蝋をたらした上に押すものだった。
最後に、これは訳書でもいいが、16世紀後半のイングランド、ヘンリー8世死後の、エドワード6世、ジェイン・グレイ、メアリ1世、エリザベス1世、それにメアリ・スチュアート、その息子ジェイムズ1世が絡む権力闘争を思い出しながら読むと面白かった。
"The Prince and The Pauper" by Mark Twain


北陸新幹線「あさま」で軽井沢へ。
ローストチキン、チーズケーキ、トマト、信州リンゴジュース、瓶入り牛乳、パン、ブルスト、ハム、ビーフシチュー、リンゴバター、ルバーブジャムその他。
Bunkamuraの「ボッティチェリとルネサンス」展。15世紀後半のフィレンツェ。聖母マリアの纏う繊細な金のヴェールが美しい。
国立西洋美術館バロックの画家、「グエルチーノ」展。その昔、ダンテが見て感想を書き残している。
新しい常設展示のフェルメール(帰属)「聖女プラクセディス」。
銀座の教文館カフェで「タンネちゃんとミルクティー」で休憩。
「ギリシア考古学の父シュリーマン」展を見にいった。
ドイツ生まれの考古学者、ハインリヒ・シュリーマン(1822-1890)が、晩年に発掘したティリンス遺跡(ギリシア、ペロポネソス半島東岸)の発掘報告書の原画28枚その他が展示されていた。
中には、建築家デルプフェルトに助力を頼んだ発掘現場の精密な図面や、土器の破片の正確な在りかに悩んだ跡が残されたものもあった。
子どもの頃、「夢を掘りあてた人」という岩波児童書が好きだった。
シュリーマンという人が貧しい中、働きながら独学で十数カ国語をマスターし、大商人となった後、商売から身を引き、私財を投じて、長年の夢だったホメロスが歌うトロイアの遺跡を発掘したという物語である。
「イーリアス」「オデュッセイア」やギリシア・ローマ神話に親しむきっかけにもなった本だ。もちろん、トロイアびいきだった。
その本は、今となっては伝記としては正確ではないらしいが、彼が、ホメロスの詩を読みこんで発掘の参考にし、古代ギリシア以前にミケーネなど古い文明があったことを立証したのは確かなようだ。


兵庫県西宮市の廣田神社にコバノミツバツツジの群落がある。中には樹齢150年以上といわれ、高さ3、4メートルの大きな株もある。
三枚の小さな葉がつき、花も小さいが、集団になると華やかだ。
茂山家の狂言、「釣狐」を見た。
たくさんの狐を「釣る」、つまり「捕獲する」猟師がいた。一族を殺された古狐は、猟師の伯父に化けて猟師を訪ね、殺生を止めるように説得する。猟師は一旦は納得するが、伯父の様子を不審に思い、罠をしかける。古狐は、狐の姿に戻って罠にかかるが、間一髪で逃げのびる。
人間に化けた狐のしゃべり方、また狐に戻って飛び跳ねる動作など、演技力と体力が必要な作品で、これを演じると一人前の狂言師として認められるという。
見終わった後、楽しい笑いの演目とは一味違い。古狐の心持ちがしみじみと感じられた。

宮崎県中部の綾城(あやじょう)は、綾町(あやまち)特産の木材で復元された山城だ。
歴史的には、14世紀に足利氏の家臣、細川氏が築き、綾氏と名乗ったといわれる。その後、城を支配した伊東氏は、16世紀に島津氏に滅ぼされた。
その時、8歳だった伊東氏の息子は、忠実な家臣に守られ豊後(今の大分県)の大友氏の元に落ちのびた。後に彼は、天正少年使節の正使、伊東マンショとして、1585年にローマ教皇に謁見した。




宮崎県の中ほどにある西都(さいと)市の「西都原」(さいとばる)に行った。3世紀に造られたといわれる古墳群の近くに、満開の桜の木が連なり、菜の花畑が一面に広がっていた。桜より先に咲き、桜が散っても咲き続けるという菜の花が力強かった。
翌日は、南部の都城(みやこのじょう)市の「関之尾(せきのお)の滝」を見た後、鹿児島県に入って霧島神宮に行った。ここは古代神話の天孫降臨の主役、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が祭られている。南国の濃い緑と満開の桜の中でウグイスが元気よく鳴いていた。


兵庫県姫路市の姫路城。改修が終わって白くなった。
シムネル・ケーキ (simnel cake)を作ってもらった。
これは、16世紀初めの英国、ヘンリー7世の料理人が初めて作ったのでその名があるとも言われ、その後、イースターに作られるようになって今に伝わる。
ドライフルーツやクルミがたっぷりのフルーツケーキの中に、アーモンドと砂糖で作るマジパンが層になって入り、上にも、11個の、イースターにつきものの卵に見立てた薄黄色のマジパンの球が飾ってあるという濃厚なケーキだ。
この飾りは、イエスの弟子のうちユダを除いた11使徒を表しているそうだ。黄色のリボンで飾られて、見かけは春らしいが、中身はまことにどっしりとしていた。


兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で、「第87回選抜高等学校野球大会」の開会式があった。
入場行進のとき、大声で掛け声をかけながら足並みをそろえてキビキビと歩く学校もあれば、静かに普通に歩く優勝候補の学校もあった。
全員が入場すると、校名の旗が一気に開いた。




京都市中京区の丸平文庫「丸平代々の雛人形展」に行った。
様々な種類の雅なお雛様が飾られていて、色々お話があった。
京都では、向かって右側に男雛を飾る。
昔は「左」が格が上だったので、男雛(帝)と女雛(后)が並ぶ場合、格上の男雛が左側になった。
また「右近の橘、左近の桜」でも、左が格上なので桜(元は梅らしい)が男雛に付随し、橘は、実をつけるので子孫ができる象徴、つまり女雛に付随する。
それが、明治時代に西欧に倣って天皇皇后の立ち位置が逆転したので、お雛様も東京をはじめ全国的に逆な並べ方が主流になったそうだ。長年の疑問が一つ解決した。


兵庫県たつの市の「世界の梅公園」と「綾部山(あやべやま)梅林」に行った。
三月に入って雪が舞う寒さだったので、去年は満開の時期なのに開花が途中で止まってしまったそうで、七分咲きということだった。

京都府、アサヒビール大山崎山荘美術館の「志村ふくみ展」に行った。
蘇芳(すおう)、梔子(くちなし)、藍(あい)、梅、桜など名前も床しい植物で染めた柔らかく深い色合いの糸を何種類も使って織り上げ、それを着物に仕立ててある。とても長い時間と労力がかかりそうだ。


大阪市の「あべのハルカス300」、60階の展望台。




広島県三原市から呉市まで「瀬戸内マリンビュー」に乗った。
その後は、広島市の縮景園(しゅっけいえん)、山口県岩国市の木造のアーチ橋、錦帯橋(きんたいきょう)と岩国城に行った。
ロシアの昔話を英国のランサムが再話したもの。
「世界一のばか」、実は心の優しい若者が、空飛ぶ船を手に入れ、途中で出会った様々な特技を持つ7人の仲間に助けられて王さまの無理難題をやりとげ、みごと王女さまと結婚して幸せになる。
特技のスケールが大きく、「simple」が一番といういかにもロシアの昔話らしいお話。
王さまは「Czar」、仲間の一人はロシアの農民をあらわす「moujik」になっている。
"The Fool of the World and the Flying Ship " -A Russian Tale
Retold by Arthur Ransom, Pictures by Uri Shulevitz
イングランド湖水地方の夏休み、子どもたちは湖の無人島でキャンプをし、ヨットに乗る。新大陸発見と「宝島」が共通知識の、いわば壮大なごっこ遊びだ。
現代の子どもたちにとっては、電報、料理人のいる屋敷など当時の生活自体が既に物語の世界だろう。
"Swallows and Amasons" by Arthur Ransome,1930
川沿いの紅梅が、まだ寒いのに一輪だけ花をつけていた。四日は立春。




三重県伊賀市の上野城、忍者屋敷、芭蕉の生家にある草庵「釣月軒(ちょうげつけん)」に行った。
江戸時代、伊賀からは、伊勢に行く伊賀街道と、奈良経由京都大阪に行く奈良街道があったそうだ。


直径十センチほどの籠の中に、茶碗と棗(なつめ)が入り、別の竹筒に、茶筅と折りたたみ式の茶杓が入っている。
昭和初期のものと思われるが、玩具にしては凝り過ぎだと思ったら、携帯用らしい。お花見や紅葉狩りに持っていって、さらさらとお茶をたてて楽しむなんて風流なことだ。


金色と銀色の大小の手鏡。小さい銀色の方が、持ち手も入れて全長30センチ。ずっしりと重い。一応、鏡の役目は果たせる。

ピラミッド

迎春