記事一覧

梅ジュース

アップロードファイル 691-1.jpg

梅ジュース、後一週間でできあがり。

フライパンその2

クリスティの「Murder is Announced」に、登場人物の一人が、玉葱を炒めてオムレツ用のフライパンを駄目にしたと、フライパンの持ち主をかんかんに怒らせる場面があった。
オムレツ用のフライパンは、使用後に水洗いせず油をしみ込ませた紙で拭いていたのに、玉葱を炒めた後は水洗いしなくてはならないからだそうだ。

確かに、鉄のフライパンは、油をなじませるため使い始めに空焼きなど面倒な作業が必要だ。その後も手入れ良く使い込んだものは、鉄の表面に油の皮膜ができるので、焼きあがりが素晴らしいという。

今回、フライパンを修理に出している間に使うため、新しく鉄のフライパンを購入した。ただし、鉄の表面に加工してあるものなので手入れも簡単だ。

"Murder is Announced" by Agatha Christie

Deplorable Word

ナルニア国創世記、少年ディゴリーは、へっぽこ魔術師の伯父の企みで別世界に送られ、魔女を目覚めさせてしまう。

魔女が、その世界を破滅させたことばは「Deplorable Word」となっていた。「deplorable」は「嘆かわしい、悲しむべき」といった意味で、直接「滅亡」や「破壊」の意味ではないが、じわじわと恐ろしくなってくる深みがあることばだ。


"The Magician's Nephew" by C.S. Lewis

似た者同士

アップロードファイル 688-1.jpgアップロードファイル 688-2.jpgアップロードファイル 688-3.jpgアップロードファイル 688-4.jpg

スモモ、桃、梅、梨。少し前に花盛りだった木々が小さい実をつけている。今のところは、どの実も良く似ている。

フライパンその1

フライパンを新潟県燕市の製造元に修理に出したら、表も裏もピカピカになって戻ってきた。ただし、研磨されて底のメーカー名が消えてしまった。

遠州の古刹

アップロードファイル 686-1.jpgアップロードファイル 686-2.jpgアップロードファイル 686-3.jpgアップロードファイル 686-4.jpg

・井伊家の菩提寺、龍潭寺(りょうたんじ)
・「ていぼう」
・天竜浜名湖鉄道の気賀駅

四国北部の旅

アップロードファイル 685-1.jpgアップロードファイル 685-2.jpgアップロードファイル 685-3.jpgアップロードファイル 685-4.jpgアップロードファイル 685-5.jpg

徳島県(阿波)
・脇町(わきまち)の「うだつ」の町並み(美馬市)
  徳島県を東西に横切る吉野川沿いの中程に位置
  江戸から明治にかけ、地元の特産、藍草(藍染の原料)を川舟で運ぶ商いで繁栄(鉄道開通まで)
  (「うだつ」は、延焼をくい止める為の、二階から突き出した小さな壁)

香川県(讃岐)
・善通寺(善通寺市)…空海誕生の地といわれる四国霊場第75番札所
・讃岐うどん

愛媛県(伊予)
・中津万象園(丸亀市)…京極家の大名庭園
・川之江城(四国中央市)
・市電でまわる松島市内
  道後温泉…霊(たま)の湯(3階の個室と、ぼっちゃん団子)
  松山城
  大観覧車くるりん
  ポンジュースと、かどやの鯛めし(刺身を卵とだしに浸し御飯にのせる)

方丈

アップロードファイル 684-1.jpg

下鴨神社の摂社、河合神社には鴨長明が住んだ「方丈」が復元されている。

その立て札によれば・・・
鴨長明は、12世紀中頃に下鴨神社の禰宜(ねぎ)の次男として生まれた。和歌に秀でたが、50歳で出家し大原に隠遁した。その後、あちこち転々としたあげく随筆「方丈記」を書いた。

「方丈」とは、彼が住んだ3メートル四方の解体組立が容易な移動式住居で、21年ごとの式年遷宮により社殿が造り替えられる下鴨神社の自由な建築様式にヒントを得たものだそうだ。

葵祭2017

アップロードファイル 683-1.jpgアップロードファイル 683-2.jpgアップロードファイル 683-3.jpgアップロードファイル 683-4.jpg

葵祭は、1400年前に始まったといわれる上賀茂神社と下鴨神社の例祭で、毎年5月15日に行われる。

総勢500人以上の王朝風俗の行列が1Kmにわたって進む「路頭の義」の後、「走馬の儀(そうめのぎ)」を見た。これは、平安装束の乗り手が、袖を風になびかせながら馬を疾走させるもので、乗り手は褒美として神からの五色の布を賜り、肩にかける。

糺の森(ただすのもり)の新緑の木陰は目にも身体にも爽やかだった。

伊東マンショの手紙

アップロードファイル 682-1.jpg

「遥かなるルネサンス:天正遣欧少年使節がたどったイタリア」展を見た。

4人の使節の正使、伊東マンショが、1585年8月に書いた御礼状が二点展示されていた。フェッラーラ公爵アルフォンソ2世デステに宛てたイタリア語?のものと、ヴィンチェンツォ・ゴンザーガ公子に宛てた日本語のもので、片やインクのペンで、片や和紙に墨で、どちらも見事に書かれていた。(残念ながら私には両方の署名しか読めなかった。)

ティントレット作の、伊東マンショの洋装の肖像画も展示されていた。周囲に展示されている肖像画と比べ、とても日本人っぽい顔立ちに描かれていて、それを眺めていたら、彼は実在したのだなあとしみじみと感じた。戦国時代の日本の少年が、キリスト教に出会い語学を学び遠路はるばるヨーロッパに渡り、どんな感想を持ったのだろうか聞いてみたいと思った。

ページ移動