祇園祭の宵山を控え、京の町は浴衣姿の人たちや海外からの観光客も含め賑わっていた。室町通りや新町通りには屋台が並び、あちらこちらに山鉾が建てられていたが、巡行のときは小さく見えるものでも、通りいっぱいに据えられ威容を誇っていた。それぞれの町で守り伝えていくのも大変だと思った。
今日は薄日が差していたが、連日の大雨で鴨川が水かさを増し濁流となっていた。
祇園祭の宵山を控え、京の町は浴衣姿の人たちや海外からの観光客も含め賑わっていた。室町通りや新町通りには屋台が並び、あちらこちらに山鉾が建てられていたが、巡行のときは小さく見えるものでも、通りいっぱいに据えられ威容を誇っていた。それぞれの町で守り伝えていくのも大変だと思った。
今日は薄日が差していたが、連日の大雨で鴨川が水かさを増し濁流となっていた。
地下鉄に乗ったら、お相撲さんが三人立っていた。ちょうどその駅でガラガラに空いたので、その三人も座ったところ、普通に座ったのに七人掛けの長椅子の三分の二以上が埋まってしまった。
三人とも若くて浴衣を着て草履を履き、きっちり髷を結っていて、さすがの存在感だった。
そのうち一人は眼鏡をかけ、一人はビニール傘を持っていたのが、あまりに普通で逆に新鮮だった。傘は細くて折れそうに見えた。
プーとコブタが、怖いけれど見たいと思っている「ゾゾ」は、「Heffalump」。ホビット族のサムが、実物を見て感激するのは、「Oliphaunt」。
「elephant」は幼児には発音しにくいことばなので、色々な言い間違いから新しいことばが生まれるのだろう。
ところが、日本語の「ゾウさん」は、幼児にも親しみやすいことばだ。こういう場合の訳も難しいと思う。
(「Winnie-The-Pooh」)
(「The Lord of the Rings:The Two Towers」)
イギリスがローマ帝国に統治されていた時代を舞台にしたサトクリフの歴史小説の一つ「銀の枝」の主人公の一人、ジャスティンの出身地ニケアは、どこだろう?
岩波少年文庫の訳注には、「小アジア半島の都市」とある。彼の最初の赴任地がユダヤだから近いので、それで問題ないと思っていた。確か宗教会議があったところだと思う。
ところが原書を読むと、本人が「ニケアです、南ガリアの」と言っている。南ガリアならフランスだ。ちなみに日本語訳では「南ガリアの」はカットされていた。
辞書によるとニケアには、フランスの都市ニースの意味もあるらしい。これなら、南ガリアでつじつまがあう。こんな小さな発見が、日本語訳があるのにわざわざ原書を読む楽しみの一つだ。
(「The Silver Branch」Rosemary Sutcliff)
サッカー日本代表のシンボルマークは、古式ゆかしい三本足のヤタガラスだそうだ。「古事記」などに登場し、和歌山県の熊野神社や京都の下鴨神社に祭られている由緒正しい神の化身らしい。
そういえば北欧神話のオーディンに仕えるフギンとムニンもワタリガラスと訳されていた。どちらも都会の嫌われ者の現代のカラスとは正反対のイメージだ。
薔薇園に行った。赤、橙、黄、ピンク、白、薄紫と様々な色合いで、花びらも珍しい一重から華やかな八重まで、大きさも小ぶりなものから大輪まで、なんと250種もあるそうだ。つぼみから三分咲き、五分咲きと、それぞれ良いが、満開手前がいちばん美しい。枯れた花や伸びた枝はどんどん剪定してあり、ちょうど消毒もしていたが、毎年、綺麗な花を咲かせるためには手入れが大変だと思った。
・新山口から「SLやまぐち号」に乗った。乗っているとガタンゴトン、ガタンゴトンという音とともに振動が伝わってくる。降りてから見送っていたらポーッと汽笛を鳴らしながらシュッシュッ、シュッシュッと力強く走り去っていった。
「Choo Choo(いたずらきかんしゃちゅうちゅう)」が年を取った感じだが、「Choo choo CHOO choo! Choo choo CHOO choo!」と走っていたのがお国柄の違いだ。
('CHOO CHOO' by Virginia Lee Burton)
・山口県の中ほどにある秋吉台は、今から三億年前のサンゴ礁が隆起し、その石灰岩が少しずつ雨水に溶け侵食されてできたカルスト台地だ。「カルスト」とは、旧ユーゴスラビアの石灰岩地の地名だそうだ。
でこぼこと起伏のある草原に薄紫のアザミや黄色や白の野花が咲いているが、所々に石灰岩がゴツゴツと立っている。
秋吉台の下には秋芳洞(あきよしどう)という広大な鍾乳洞がある。
外は蒸し暑いが洞窟の中は涼しい。
最初は小舟でたいまつを掲げて探検したそうだが、さぞ幻想的な風景だったことだろう。まだ未知の洞窟が沢山あるらしい。ギムリが好きそうな場所だった。
久しぶりに新幹線に乗った。車窓の景色が、早送りの録画を見ているようだった。しょっちゅう乗っていた頃は何とも思わなかったのに・・・。慣れてしまって当たり前になったことでも、少し離れてみると新鮮に感じられる。
ミルンの詩に「Waiting at the Window」というのがある。幼いクリストファー・ロビンが、雨の日、窓辺で、窓ガラスを競争するように滴り落ちる二つの雨粒に、それぞれジョンとジェイムズという名をつけ、どちらが早く下まで滑り落ちるか応援しながら見ている詩だ。題名からして韻を踏んでいるが、声に出して読んでみると調子がよくて楽しい。挿絵には、プーやコブタやイーヨーもいる。
(「Now We are Six」, by A.A.Milne)
キャサリン・パターソン(Katherine Paterson)作、「ワーキング・ガール」(「 Lyddie」)は、幕末の頃のアメリカ、産業革命時の紡績工場で女工として働き、大学へ行くリディーの物語だ。
「北極星を目ざして」(「Jip, His Story」)は、リディーが先生になって登場する。主人公の孤児ジップは、弱者に心を寄せる優しい子だが、奴隷の子と分かり追われる身となる。先生たちの助けを得て北極星の方角を目ざし自由に向かってカナダへ旅立ち、成長後、南北戦争に身を投じる決意をする。精神を病むが、ジップのおかげで人間らしさを取り戻し、ジップのために命を落とすパットの歌が印象的だ。
二冊とも過酷な人生だが、たくましい明るさがある。ちなみに、邦訳題は、そっけない原題とはかけはなれているが、内容を簡潔にあらわしていて悪くないと思う。
(二冊とも偕成社)