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「ジャングル・ブック」

 イギリスのノーベル賞作家ラドヤード・キプリングが、1894年から出版した「ジャングル・ブック」は、モウグリの物語を中心に、いろいろな短編が集まっている。
 幼いときに、インドのジャングルで人食いトラ、シーア・カーンに追われ、シオニーのオオカミに助けられた少年モウグリは、母オオカミのラクシャ(魔女の意味)、年寄りグマで先生のバールー、速くて強くて賢い黒ヒョウのバギーラ、オオカミの頭の灰色のアケイラ、知恵も力もあり動物に対し恐ろしい磁力を持つ大蛇のカー、最長老の物知りゾウのハティなど、個性的な仲間に見守られ、ジャングルの掟(おきて)を学びながら、たくましく育つ。何事に対しても、まっすぐに立ち向かうモウグリの姿が魅力的。
 インドにおいて大英帝国の白人が絶対的に偉い、という古き価値観が気になるが、それを越えて、気高く、いきいきとした獣たちの姿にひきこまれてしまう。
 獣たちが、モウグリの頼みで、人間の住んでいた村をジャングルに戻してしまう迫力ある場面は、人間がまだ自然の驚異を感じていた時代の物語だなあと思う。
 また、マングースのリッキが、コブラと壮絶な戦いを繰り広げる「リッキ・ティッキ・タービ」も、ことばのひびきからして、おもしろい。
 ところで、作者は、日本を訪れたこともあるそうで、明治初期の洋装の日本人を評して「『不思議の国のアリス』のテニエルの最初の挿絵、懐中時計を見ている白ウサギに似ている」と言ったとか・・・・・!?
 ちなみに、「Five Children and It」( E.Nesbit,1902)の中に「 - but that is another story, as dear Mr.Kipling says.」という箇所があった。ほぼ同時代人に、そう言われるほど親しまれていた作家だったようだ。

(金原瑞人訳、偕成社、西村孝次訳、学研)

「Harry Potter and the Deathly Hallows」

 Harry Potter全七巻が完結した。このシリーズを読み始めたのは、もう何年も前、話題作が映画化されるという新聞記事を読んで、あらすじが出回らないうちに内容を知りたいと思ったのがきっかけ。そして、それまでに発売されていた三巻を続けて読み、おもしろかったので四巻目から予約して買うようになった。二、三年待たないと次が出ないので、新しい巻が出るのが待ち遠しかったが、ついに最終巻となった。
 おととい、21日に、最終巻が予定通り届いたときは本当にうれしかった。最終巻ということで全体に暗いし、特に重要な脇役の一人、Snapeの描き方が予想通りとはいえ不満だし、登場人物はバタバタ死ぬし…と内容的にはいろいろ問題もある。けれど、これまで次の巻が出るのを待つ楽しみと、本が届いてすぐ、結末がどうなるか分からないままに、はらはらしながら読む楽しみを存分に与えてくれた。

「星の王子さま」

 サン・テグジュペリ作「星の王子さま」は、子どもの頃からいつも本棚の片隅にあった。いまだに、そこにあると思うだけで、ほっとする。いろいろ新訳が出たが、昔から親しんでいるのは岩波の内藤濯訳だ。手に取ると、一つ一つのことばがどうと言うより、本全体の雰囲気に浸ってしまう。かなしいときに「すわっているいすを、ほんのちょっとうしろへひくだけで見たいとおもうたびごとに夕やけ空が見られる」王子さまの星に憧れる。
 バラの花のモデル探しや、現実社会への批判など、作者の実生活に絡めて作品を解釈するのは好きではない。ただ、先日、作者が飼っていたキツネと同じ種類の実物を映像で見る機会があった。「かんじんなことは目に見えないんだよ」と教えてくれるともだちのキツネのモデルだそうだ。耳が長く、ネコのような雰囲気のかわいいキツネで、絵の通りだった。

アルハンブラ物語

19世紀のアメリカの作家アーヴィングの「アルハンブラ物語」を読んだ。イベリア半島に東洋の高度な文化を伝え、長い間、繁栄した後、15世紀末に滅び去ったモーロ人(イスラム系スペイン人)の最後の砦、グラナダのアルハンブラ宮殿に作者が滞在した時の旅行記だ。
荒々しいスペインのアンダルシアの平原を馬で旅して、万年雪を頂くシェラネバダを背景にそびえる石造りの無骨な城塞であるアルハンブラにたどり着くと、その奥には、モーロ人の王や姫や貴族、その後のアラゴン・カスティーリャの王や王妃が住んだ豪華な宮殿が、秘密の花園のように隠されていた。本に書かれた数々の古いモーロ人の宮殿や財宝にまつわる伝承は、作者がテンペストを引用しているとおり「夢のような素材で織りなされている」ように思われた。(岩波文庫:平沼孝之訳)

クロテッド・クリーム

クリスティも書いている「デヴォンシャーのクロテッド・クリーム」を味わってみたいものだとおもっていたら、国産のものを見つけた。さっそく、小麦粉とバターと牛乳をこねたスコーンもどきを焼いて、濃いミルクティーを入れて、ジャムとクロテッド・クリームを添えた。濃厚でこってりしたクリームそのもので、それに比べると普通の生クリームを泡立てたwhipped creamが、とても軽く感じられる。優雅に気取ったイギリス貴族のティータイムというより、農家の素朴で実質的なお茶の時間という感じがした。

ヤロー

一足先に春たけなわだった沖縄名護のハーブ園に、「ヤロー」という花があった。どこかで聞き覚えがあるなあと思ったら、「A Wizard of Earthsea」(ゲド戦記「影との戦い」)の主人公、Gedの親友Vetch(カラスノエンドウ)の妹が、Yarrowという通称だった。日本語では「ノコギリソウ」という訳で、どんな花か見当がつかなかったが、紫色の小花が集まった可憐だがたくましい野の花という感じだった。昔から薬草として使われていたらしい。トロイア戦争に、アキレウスが止血剤として持っていったとホメロスが書いているそうだ。

グリーンスリーブス

「Greensleeves」は、16世紀のイギリス、エリザベス一世の時代に流行したという古い歌だが、きれいなメロディーで今も演奏される。
ある男性が、「緑の袖のドレスが似合うあなたへ」と呼びかけて、恋する女性への想いを歌うもので、そのロマンティックな雰囲気をうまく作品に取り入れているのが、Alison Uttleyの「A Traveller in Time(時の旅人)」だ。
ところが、原詩を調べてみたら、「上等なスカーフ、最高級のペチコート、宝石、金の縁どりの絹の上着、真珠を飾った金のベルト、真っ赤な絹の靴下、真っ白な靴、袖がふわっとした緑のドレス、金の房飾りがついた靴下止め、それに馬に、召使」など、贈った物を、こと細かに並べたてた挙句、「こんなに散財したのに、それでもあなたはふりむいてくれない」という、なんだか現実的な歌だった。

コルデコット

ランドルフ・コルデコットは、19世紀後半のイギリスの絵本作家。イギリス伝承童謡の話をふくらませて楽しい絵本にした絵本作家の先駆け。その絵は華やかではないが、じっと眺めていると、おもわずにこっとしてしまう。彼にちなんで、毎年アメリカで優れた絵本画家に与えられる「コルデコット賞」が設けられている。

「赤い下駄」

児童文学の創作、翻訳家の松野正子作「A Pair of Red Clogs」を読んだ。明治大正昭和初期をおもわせる日本。マコは、ぴかぴかの赤い下駄(げた)を買ってもらってとても幸せだ。ところが、下駄を放りあげてお天気をうらなう「あした、天気になあれ」の遊びをして下駄にひびを入らせてしまい、新しい下駄を買ってほしくてわざと泥んこにするが・・・。
泥んこの下駄を洗って乾くのを見ている場面にせつない少女の心がよくあらわれている。それをやさしく見守る母の姿もいい。読み終わると、ほのぼのとした気分になる。日本語でも出版されるといいとおもう。

エンデュアランス:不屈の精神

1914年、イギリスのシャクルトンを隊長とする総勢28人の探検隊は、木造の帆船エンデュアランス号で南極探検に出発したが、流氷に阻まれ南極大陸に上陸できず船も沈没して一年半漂流した挙句、奇跡的に全員生還した。それは、冬には二ヶ月も太陽が出ず真っ暗闇が続く苛酷な極寒の南極の絶望的な状況でも希望を失わず、常に危険を最初に引き受け、隊員たちを導いたシャクルトンの強いリーダーシップのおかげだ。彼は、十分な準備をした上で、最後は楽天的であることが何よりも大事だと考えていた。シャクルトンと隊員の何名かが書き続けた日記と、同行した写真家のネガが、当時の迫真の記録として残っている。せっかく生還したのに、多くはすぐに第一次大戦の戦地に赴き戦死した隊員もいるのはやりきれない思いがする。
(「エンデュアランス号漂流」新潮文庫)