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春爛漫 茂山狂言会

茂山家の「お豆腐狂言会」を見に行った。

「素襖落(すおうおとし)」
急にお伊勢参りを思い立った主人が、太郎冠者に、伯父に知らせに行かせる。伯父は太郎冠者に門出の酒をふるまい、祝儀に素襖を与える。ごきげんの太郎冠者だが、帰り道、素襖を落とし、迎えに来た主人に拾われてしまう。

「寝音曲(ねおんぎょく)」
主人が、太郎冠者に謡を謡わせようとする。それが嫌な太郎冠者は、酒を飲まなければ謡えない、膝枕でないと謡えないと難癖をつけるが・・・

「宗論(しゅうろん)
「なむみょうほう、れんげきょう」と唱え、日蓮を崇める身延山(みのぶさん)帰りの法華僧と、「なむあみだぶつ」と唱え、法然を崇める善光寺帰りの浄土僧が道連れになる。途中で、互いに犬猿の仲である宗派なのが分かり、口げんかのあげく、宗教論争になる。(これが実は、料理の話。)その後、念仏を唱えながら踊って競ううちに、息が合ってきて、「なもうだ、れんげきょう」と両方が混ざってしまう。「阿弥陀仏」をあがめることは同じなのだという結論に達して、めでたしめでたし。

酔っぱらったり、寝て歌ったり、お経で楽しく踊ったりと笑わせるが、それも芸の力あってのことだ。

春秋座「能と狂言」

春秋座「能と狂言」を見た。

狂言「棒縛」は、野村萬斎の太郎冠者が主人の留守中、両手を棒で縛られているのに酒を飲もうと悪戦苦闘する話。

能「船弁慶」は、義経と弁慶一行が、頼朝に追われ兵庫県東部の大物(だいもつ)の浦から船出する話。
前半は、都に戻される静御前が別れの舞をまう。静の悲しみが伝わってきた。

前半と後半をつなぐ、アイの船頭は野村万作。棒一本と船を表す枠だけで、舞台が海の上になる。静かだった海が荒れ、平家の怨霊、平知盛が現れ長刀で襲いかかる。義経が剣で戦おうとするが、弁慶が法力で鎮める。

これは、能の完成者、世阿弥の子孫の作で、平家に対する鎮魂の思いがあり、応仁の乱の経験から戦いの場面が加わっているそうだ。前シテの静御前と後シテの平知盛というまったく別人を同一人物が演ずるのが面白い。

能と狂言をセットで見るのは初めてだったが、異空間に入り込んだような不思議なひとときだった。

「万作萬斎狂言公演」

「舟渡婿(ふなわたしむこ)」
京あたりに住む婿が、酒と鯛を持って妻の実家に挨拶に行く途中、大津の渡し船に乗ると船頭に酒をねだられる。断ると舟を揺すったり漕ぐのを止めたりするので仕方なく飲ませる。舟が着き、婿が舅の家に行くと、舅は、なんと先ほどの船頭だった。あわてた船頭は自慢のヒゲを剃り落とし顔を隠して対面するが、結局ばれてしまう。婿は「どっちみち舅に飲んでもらう酒だったから」と許し、仲良く舞って終わる。

「小傘(こがらかさ)」
賭け事で一意文無しになった主従が、出家した僧のふりをして、田舎者をだまそうとする。法事で、傘の小唄をお経のように唱えてお供え物を盗もうとするが・・・。

竿一本で舟に乗っているのを表したり、化粧もしないで白い被り物と着流しだけで女性になったりと、まさに動きとことばだけの切り詰めた芸で笑わせる。
両方とも、和泉流の演目だそうだ。

「仮名手本忠臣蔵」

「歌舞伎座新開場杮葺落・吉例顔見世大歌舞伎・通し狂言仮名手本忠臣蔵」の夜の部を見た。大石内蔵助を大星由良之助(吉右衛門)と変えた赤穂浪士の討ち入りの話で、この時期にふさわしい演目だ。

豪華な舞台装置に、浄瑠璃三味線の伴奏つきと、いわば日本のミュージカル。華やかで筋も分かりやすく昔の最大の娯楽だったというのが良く分かる。討ち入りの場面もなかなか迫力があった。

ただし四時半から始まり、お弁当の休憩をはさんで九時までかかった。昔は時間の流れがゆっくりしていたのだと感じさせられた。

HANAGATA

茂山一門の「花型狂言」を観た。能や歌舞伎や落語を狂言風に仕立てた演目が四つ。その中で落語の「かけとり」(借金取り)は、大晦日に家賃の取り立てにやってきた大家を、相手の好きな能や歌で追い返す話になった。「ひめあらそい」は、光源氏の正妻、葵上に六条御息所が怨霊となって取り憑く能の「葵上」が楽しい話になっていた。最前列だったので、衣装やお面も良く見えた。

靫猿(うつぼざる)

茂山一門のお豆腐狂言会を見た。「真似」が出てくる三演目。

最初は、すっぱ(詐欺師)が、酔って寝込んだ田舎者から茶壺を盗もうとする「茶壺」。
次は、主人が客をもてなすため、作法を知らない太郎冠者に自分の真似をさせようとする「口真似」。
そして最後は、「靫猿」(うつぼざる)。大名が、靫(うつぼ)という矢を入れる筒に、子猿の皮をよこせと猿使いに命じる。芸達者な可愛い子猿役も立派な狂言師だった。

五人囃子

雛祭りの日に、五人囃子を聴いた。
向かって右から、シテ方の謡(うたい)、囃子方(はやしかた)の笛、小鼓(こつづみ)、大鼓(おおつづみ)、太鼓(たいこ)と並ぶ。

同じ皮を張った楽器でも、小鼓は、紐をゆるくかけ、皮も息で湿らせるのに対し、大鼓は、備長炭の火でカンカンに乾かし、紐もきっちり締め上げて金属的な鋭い音色にする。

能楽師それぞれに流派があり、笛は、森田流、藤田流、一噌流(いっそうりゅう)と、三流派に分かれている。各々、息の入れ方で音色が変わるのだそうだ。その違いを伝えようとしても、言葉でも指使いなどの画像でも表せない。伝統の継承は難しいものだ。

花形狂言

茂山家の若手5人による創作狂言を見た。
前半は、伝統狂言らしくしてあったが、後半の3本は、警備員や黒スーツに黒メガネの泥棒が登場し、「それがしは・・・」としゃべっていた。狂言特有の軽妙で乾いた笑いは、創作ものにも共通していた。

お豆腐狂言会

茂山一門の「お豆腐狂言会」を観た。
嘘にちなんだ三つの演目だった。

最初は「磁石」。遠江の「田舎者」が都に上る途中、すっぱ(詐欺師)に騙され人買いに売り飛ばされそうになるが、逆に人買いの代金をせしめて逃げる。太刀をかざして追ってきたすっぱに対し、「自分は磁石の精であり、抜き身の刀は飲み込んで力となるが、鞘に収めると弱る」と逆に騙して太刀も取り上げてしまう。

次は「因幡堂(いなばどう)」。大酒飲みの妻を勝手に離縁した男が、因幡堂に新しい妻を願いにいく。神の御告げと信じて、衣を被った女と婚礼の盃を交わしたら、なんと元妻だった!

最後は、木下順二作の新作狂言「彦市ばなし」。関西訛りの熊本弁で、天狗の隠れ蓑を騙し取った彦市の苦労を面白おかしく描く。最後の場面、水の中を泳ぐ彦市と天狗の子が秀逸で、それを河童だと思い込む殿様も良かった。

狂言は、折り目正しくて、からっと明るく楽しい。

「高砂」

能の観世流の「高砂」の舞を見た。これは「相生の松によせて夫婦愛と長寿を愛でる爽やかでおめでたい早春の能」で、住吉大明神が舞う。神を舞うときは、内にエネルギーを溜めて舞うのだそうだ。分かりやすく外に発散しない様式美の極致が、能の世界かと思った。