いつも新幹線で素通りしているJR京都駅に行った。吹き抜けのある大きな駅。有名な大階段も見た。目の前にロウソクを模しているらしい京都タワーがそびえている。この暑さの中、平日なのに駅前には外国の観光客もたくさんいて、さすが日本を代表する観光都市、京都だった。
いつも新幹線で素通りしているJR京都駅に行った。吹き抜けのある大きな駅。有名な大階段も見た。目の前にロウソクを模しているらしい京都タワーがそびえている。この暑さの中、平日なのに駅前には外国の観光客もたくさんいて、さすが日本を代表する観光都市、京都だった。
京都三条大橋のたもとに、江戸時代の高山彦九郎とかいう武士の像がある。京都に来るたびに御所に向って拝礼した律儀な人だそうだが、あまり見目麗しい像ではない。それも通称「土下座像」というすごい名前で、京都の学生の待ち合わせ場所だそうだ。渋谷のハチ公前の京都版か。
夜のあいだに雪が降ったらしく、窓からみえる大文字の「大」が白く浮かび上がっている。吉田神社の節分祭をのぞいた。いつもは静かで広い参道に屋台がびっしり並び、福豆が売られ、大にぎわい。
その後、京大のレストラン、カンフォーラで総長カレーを食べ、賀茂大橋西外れのボンボンカフェでカプチーノ。
きのうは、出町ふたばの豆餅、寺町通りのカフェで雑穀バーガー、都路里(つじり)の玄米茶パフェ。いずれも満足。
京都府、天王山の南のふもとの大山崎山荘美術館に行った。
大山崎のあたりは、新幹線から阪急電車がよく見えるところだが、降りたのは初めて。駅から少し歩くと、山を背景に自然に調和した山荘が見えてきた。大正から昭和初期に建てられたイギリス式の建物で、細かいところまで凝ったつくりだ。とくに一階のダイヤ型にカットされた窓ガラスから差し込む日光が、床にステンドグラスのように虹色にかがやいて美しい。
新館は、安藤忠雄設計の地下にある丸い部屋で、モネの「睡蓮」などが展示されている。二階のテラスの喫茶室で、この冬初めての雪をながめた。
午前十時半、京都の鴨川の岸を歩いた。気温は低いが快晴で日の光が暖かい。人通りは少なく、川は水鳥がいっぱいで「鴨」の川だと実感した。
その後、下鴨神社、(鞠小路通りでパスタのランチ)、京大そばのイチョウ並木、哲学の道、南禅寺、知恩院、八坂神社と、散り際の紅葉を楽しんだ。紅葉は、落ちてしまえば枯れ葉だが日の光を浴びると美しく見えるのだなあと、つくづく思った。
こよみの上では、もう初冬だが、温暖化の折、晩秋というにふさわしい一日だった。
京都市、堀川今出川の一条戻り橋の晴明神社に行った。晴明にちなんだ五芒星の旗が立っている。平安時代の陰陽師安倍晴明の邸宅跡だそうだ。雨模様にもかかわらず若い年齢層が次から次へと訪れていた。
名古屋市千種区に、小さな小さな晴明神社があるのを数年前に知った。昔からあったが、陰陽師ブームにあやかり整備したので有名になったようだ。そのあたりに、昔「清明山」というバス停があったが、安倍晴明にちなんだ地名だとは思ったこともなかった。
8月16日、京都市左京区出町柳の近く。午後八時に、東の方を眺めると、真っ暗な中に、少しずつ「大」の字が浮かび上がってくる。日中、37度を超す猛暑だった代わりに、風がないので、去年より太く鮮やかに輝いている。北の方に「法」、北西の方に左大文字のゆがんだ「大」が少し見える。かなり遠くのはずだが意外に近く見える。京都は、奥が深いが、思いの外こじんまりした街なのに驚いた。
今日は、京都の祇園祭のクライマックス、山鉾巡行。朝、四条烏丸に着いたら、ちょうど先頭を行く長刀鉾(なぎなたほこ)にきんきらの冠をかぶった稚児が乗り込むところだった。小学生の男の子だが、白塗りの顔に雅な装束でお人形のよう。鉾のてっぺんに稚児と、祇園囃子を奏でる囃子方が乗っている。
鉾の前面に乗った二人が扇を振りながら「えんやら、やー」とかけ声をかけ、鉾の前に付けられた綱引きのような二本の綱を大勢の若衆が引っ張ると、鉾の両脇の大きな木の車がゴロリと動く。なんだか、上に優雅に乗る貴族と、汗水垂らして引っ張る下々の者との京の都の格差社会が一目瞭然といった感じ。ついでに、両脇の歩道ですし詰めになりながら眺める見物人も、下々の者。
他の山鉾も順に続いて、四条通、河原町通、御池通と巡行する。四つ角では、脇について歩く人が、車の下に竹を並べバケツの水をかけて、扇のかけ声とともに、引き手が直角に引っ張ると大きな山鉾がグイッと回る。これを「辻回し」などというが、引き手の力の入れ方とタイミングの問題らしく、うまくいけば三度位で直角に回るが、気の毒に何度もやり直すものもあった。
御池通から、新町通に入るが、ここは、山鉾が一基やっと通れるくらいの狭さなので、人の背より高い鉾の木の車が、ぎいっときしみながら回るのがすぐ目の前に見られる。
新町通から横道に入って帰ろうとしたら、ある山の行列が後ろをついてくるので驚いた。それぞれの町内に帰るらしい。山の上に立てられた木が、狭い通りを渡る低い電線に引っかかると、なんとその場で木を切ってしまった。もうお役ご免というところ。
琵琶湖疏水沿いの哲学の道を北の銀閣寺方面からぶらぶら歩く。平日の午前中で、たまにすれ違う人があるくらい。梅雨空の元、木々の緑がみずみずしく、その間に白、青、紫、ピンクのグラデーションのアジサイの花々がのぞいている。南禅寺方面に近づくと、敷き石の歩道が一本になり、ぐっとカーブしているところが、特に緑が深い。
戻って、白川今出川に近い神楽岡通りから、吉田山の山頂をめざす。町中とは思えない静けさの木立を抜けると吉田神社。ここは、九世紀中頃の平安朝初期、菅原道真や、その後の安倍晴明や藤原道長よりもっと昔の清和天皇の時代に建てられた歴史あるところ。
そこから東一条通に降りてくると、いきなり現代に戻った感じがした。
京都下鴨神社の糺の森(ただすのもり)を葵祭の行列が進んでいく。若い女性扮する十二単姿の「斎王代」の乗る輿を中心に、牛車、花傘、騎馬を含む総勢五百名が、平安装束をまとい、葵と桂の青葉を飾っている。音曲や踊りがなく、ただ、しずしずと歩くだけなので、背景の新緑の中に鳥のさえずりも聞こえてくる。その後は、古式にのっとり馬を走らせる「走馬の儀」。平安朝の人々が、ふつうに歩いたり話したり馬に乗ったりしていて、タイムスリップしたような気にさせられる。
その後、鴨川の岸で休憩した。出町柳の柳月堂のパンを一口かじったとき、背後からビュッと風圧を感じたと思ったとたん、手に持ったパンが消えた。魔法にかけられたようでぽかんとしていると、目の前の少し先を鳥が大きなパンをくわえてよたよたと(重そうに?)川の上を低空飛行していくのが見えた。トンビだそうだ。人の体をかすりもせず、ねらった獲物だけをさらっていったのはお見事だが・・・