広島県三原市から呉市まで「瀬戸内マリンビュー」に乗った。
その後は、広島市の縮景園(しゅっけいえん)、山口県岩国市の木造のアーチ橋、錦帯橋(きんたいきょう)と岩国城に行った。
群馬県富岡市の富岡製糸場に行った。
解説によると、ここは、今から140年ほど前、明治時代に国営工場としてフランスの技術を導入して造られた。その後も日本独自の技術革新を続け、生糸の大量生産に貢献した。
また、東繭倉庫(ひがしまゆそうこ)などは、木で骨組みを作り、柱の間に煉瓦を積み上げて壁を造る「木骨煉瓦造(もっこつれんがぞう)」という工法でつくられていて、煉瓦は瓦職人が焼き、フランス式の積み方で積まれているそうだ。
建物を見ていると、当時の日本人の意気込みが伝わってくる気がした。
初日は、和歌山港から徳島港へフェリーで渡り、鳴門市の四国霊場札所第一番霊山寺(りょうぜんじ)へ。
翌日は、徳島市からJRと阿佐海岸鉄道とバスを乗り継いで室戸岬へ向かった。
(弘法)太子像前から第二十四番最御崎寺(ほつみさきじ)までの「へんろ道」はお遍路さんの気分。
そこから近い灯台を見て戻り、岬の先端の遊歩道へ出てから、バスと土佐くろしお鉄道を乗り継いで高知市に。
とにかく遠かった。
最終日は、路面電車で御免(ごめん)駅に行き、また電車で東に戻り安芸(あき)市の野良時計を見て、高知空港からプロペラ機に乗った。
曹洞宗の大本山、福井県の永平寺。
富山県富山市、常願寺川(じょうがんじがわ)の有峰(ありみね)ダムにせき止められた有峰湖。
石川県金沢市の兼六園と21世紀美術館。
最後は、近江町市場(おうみちょういちば)の海鮮丼。
最初は「川中島古戦場」に行った。ここは、16世紀後半に上杉謙信と武田信玄が戦った所で、武田軍の本陣跡に、土塁に使った杭から芽吹いて育ち樹齢400年と伝えられる槐(えんじゅ)の木があった。
長野駅から長野電鉄に乗った。途中の「小布施」(おぶせ)は、江戸時代の浮世絵で有名な葛飾北斎が晩年に訪れた地で、岩松院(がんしょういん)の天井画や、祭り屋台の天井画など多数の肉筆画が残されている。浄光寺薬師堂の古びた石段へ向かう途中の道に、リンゴの木が連なり実がなっていた。残念ながら収穫にはもう一息。
終点の湯田中(ゆだなか)下車。渋(しぶ)温泉の旅館、金具屋(かなぐや)は、昭和初期に宮大工が建てた木造4階建てで、4階までの杉の通し柱など趣向を凝らした造りになっていた。源泉を4つ持っていて館内で温泉巡りができた。
最後は松本市内見学。旧松本高校、松本城と旧開智学校。日差しは強いが湿気が少なく、立秋にふさわしく風が涼しかった。
滋賀県と言えば琵琶湖。その南西部の端を取り巻いているのが大津市だ。
石山寺は、紫式部が源氏物語の着想を得たといわれるところで、その名の起こりの大きな岩がある。
佐川美術館では、葛飾北斎の「富嶽三十六景」と、それに影響を受けたフランスの版画家、リヴィエールの「エッフェル塔三十六景」が展示されていた。北斎漫画の他には、彫刻家、佐藤忠良の「ボタン」が印象に残った。
琵琶湖の対岸にある「浮御堂」(うきみどう)からは、湖が一望でき、涼しかった。
岐阜県本巣市(もとすし)根尾谷の薄墨桜。ご老体なのに頑張っている。種から育てたという苗木が店頭に並んでいた。人工的なソメイヨシノと違い、自然の桜だ。遠くに、雪をかぶった能郷白山(のうごうはくさん)が見えた。
和歌山県のJR和歌山駅から、和歌山電鐵・貴志川線に乗った。
沿線の伊太祁曽(いたきそ)神社には、スサノオの息子で、
木の守り神である五十猛(いたけるのみこと)が祭られている。
紀伊国(きのくに)は、もともと「木の国」だったそうだ。
終点の貴志川駅には、三毛猫の「たま駅長」の部下、
「ニタマ」がいた。
翌日は、徳川御三家の和歌山城、東照宮、
それに「和歌山」の地名の由来、和歌浦などを訪れた。