下鴨神社の摂社、河合神社には鴨長明が住んだ「方丈」が復元されている。
その立て札によれば・・・
鴨長明は、12世紀中頃に下鴨神社の禰宜(ねぎ)の次男として生まれた。和歌に秀でたが、50歳で出家し大原に隠遁した。その後、あちこち転々としたあげく随筆「方丈記」を書いた。
「方丈」とは、彼が住んだ3メートル四方の解体組立が容易な移動式住居で、21年ごとの式年遷宮により社殿が造り替えられる下鴨神社の自由な建築様式にヒントを得たものだそうだ。
下鴨神社の摂社、河合神社には鴨長明が住んだ「方丈」が復元されている。
その立て札によれば・・・
鴨長明は、12世紀中頃に下鴨神社の禰宜(ねぎ)の次男として生まれた。和歌に秀でたが、50歳で出家し大原に隠遁した。その後、あちこち転々としたあげく随筆「方丈記」を書いた。
「方丈」とは、彼が住んだ3メートル四方の解体組立が容易な移動式住居で、21年ごとの式年遷宮により社殿が造り替えられる下鴨神社の自由な建築様式にヒントを得たものだそうだ。
葵祭は、1400年前に始まったといわれる上賀茂神社と下鴨神社の例祭で、毎年5月15日に行われる。
総勢500人以上の王朝風俗の行列が1Kmにわたって進む「路頭の義」の後、「走馬の儀(そうめのぎ)」を見た。これは、平安装束の乗り手が、袖を風になびかせながら馬を疾走させるもので、乗り手は褒美として神からの五色の布を賜り、肩にかける。
糺の森(ただすのもり)の新緑の木陰は目にも身体にも爽やかだった。