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古代カルタゴとローマ展

殖民都市カルタゴは、今から2800年ほど前、地中海の北アフリカ側、現在のチュニジアに、シリアあたりに興った海洋民族フェニキア人によってつくられ、海上交易で栄えた。200隻以上収容できる軍港も持っていた。地中海の覇権を新興国ローマと争い、紀元前3世紀のポエニ戦争では名将ハンニバルが一時ローマを破ったが、その後、滅ぼされた。

この時代の展示品からは、ギリシア、エジプト、フェニキアと様々な文化が混じっていたのがうかがわれる。ハンニバルの軍関連の遺物という鎧には、厳しい顔つきの女神アテナが浮き彫りになっていた。石柱に刻まれたフェニキア文字は流れるような筆跡のものもあった。

いったん滅ぼされたカルタゴは、それから100年後、ローマ帝国の要衝都市としてよみがえり再び繁栄した。

この時代は、専門の工房で作られた芸術モザイクが発達し、富裕な邸宅や公共の建物に飾られた。その中に、なんとヘビの頭を持ち見た者を石にする怪物メドゥーサの図柄があった。豊穣と厄除けだそうだが、あまり部屋に飾りたくはない。三叉の鉾を持ちヒポカンプス(海馬)に乗った海神ポセイドンの周りには様々な魚とともにアヒルが描かれていた。海辺の生物に含まれていたらしい。狩猟の図柄は、落馬するところも生き生きと描かれていた。

ローマの手ごわい敵としてでなく、カルタゴを中心とした展示会は初めてだった。古代カルタゴの豊かさと繁栄がよく分かったと同時に、ローマ帝国の広がりと影響力もあらためて感じさせられた。