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山の辺の道:その2

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奈良県の近鉄桜井駅から「山の辺の道(やまのべのみち)」を少し歩いた。

磯城瑞籬宮跡(しきみずがきのみやあと)は、第十代の崇神天皇(すじんてんのう)の住居跡と伝えられていて、三輪山を背後にした高台にあり、かつては、北は「山の辺の道」から奈良と京に、南は紀伊に、東は伊勢に、西は大和川の水運で難波に通じる交通の要所だったそうだ。

「大神神社(おおみわじんじゃ)」は、日本最古の神社の一つで、三輪山を御神体とし、酒造りの神でもあるそうだ。

「久延彦神社(くえびこじんじゃ)」は、大神神社の末社で、大和三山が見渡せる。大和三山とは、かの有名な天香具山(あめのかぐやま)、畝傍山(うねびやま)、耳成山(みみなしやま)だが、高さとしては、いずれも200メートル以下の「山」と言うより小高い丘である。けれど平地にすっくと目立っている姿は「山」というのにふさわしい貫禄があった。

JR三輪駅から「万葉まほろば線」で奈良市へ行った。
興福寺の国宝、北円堂では運慶作の無著・世親像などが公開中だった。深遠な表情や衣のひだの表現が素晴らしく木造とは思えない。四天王像は、しぐさも表情も表現力たっぷりだが、それに加え踏みつけられた邪鬼も憎めなくて忘れられない。

南円堂の脇の橘の実が色づいていて、今日一番の見ものだった。