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疎水沿いに

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京都三条大橋から岡崎の国立近代美術館、疎水に沿って南禅寺、哲学の道へと行ってみた。紅葉ならぬ緑葉のおかげで観光客が少なく、秋晴れの下、鳥のさえずりと風が木々の葉を揺するサラサラという音を聞きながらのんびり歩いた。哲学の道が終わって疎水沿いに今出川通りに出て、ずっと行くと出町柳の賀茂大橋に到着。また鴨川に戻ってきた。

宇治

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京都府宇治市を流れる宇治川の近くにある平等院は、11世紀初め平安時代に関白藤原頼通(よりみち)が寺として開いた。翌年建てられた鳳凰堂は極楽浄土の宮殿を模したもので創建当時は極彩色の華やかなものだったそうだ。中央の阿弥陀如来像の周りを、52体の小さな「雲中供養菩薩像」が取りまいている。これらは、よく見ると琵琶などの弦楽器、鼓などの打楽器、横笛などの管楽器を持ったオーケストラだ。その他、舞いを舞っている像もあるし、旗のようなものを持った指揮者のような像もある。天上の妙なる調べを奏でているのだろう。

宇治は又、源氏物語の最後「宇治十帖」の舞台でもあるが、元々は平安貴族の別荘地で、平等院の前身も光源氏のモデルともいわれる源融(とおる)の別荘だったそうだ。「宇治十帖」の主要人物、薫の君と匂宮の名が示すとおり、蝋燭の灯りの元では香りは重要な要素だった。後世の江戸時代には、五種類の香りを当てる「源氏香」という風流な遊びもあったそうだ。

目には見えないが当時の音楽と香りを感じることができた。

祇園祭宵山を前に

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祇園祭の宵山を控え、京の町は浴衣姿の人たちや海外からの観光客も含め賑わっていた。室町通りや新町通りには屋台が並び、あちらこちらに山鉾が建てられていたが、巡行のときは小さく見えるものでも、通りいっぱいに据えられ威容を誇っていた。それぞれの町で守り伝えていくのも大変だと思った。

今日は薄日が差していたが、連日の大雨で鴨川が水かさを増し濁流となっていた。

葵祭

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京都下賀茂神社の糺の森(ただすのもり)の新緑の下、総勢五百名以上、一キロに渡って葵祭の行列が進んでいく。みな葵の葉を身につけている。皇族の娘、斎王代(さいおうだい)を初めとして、馬に乗った検非違使(けびいし)など貴族の装束は、紅色、紺色、山吹色、草色などどれも華やかだが「はんなり」とでもいうのか和風の柔らかな色合いだ。一番下っ端の装束は白一色に黒い烏帽子で、葵の葉の緑色が、ひときわ映えていた。

冷泉家

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冷泉家は、藤原俊成、定家を祖とする和歌守(うたもり)の家として800年間、京都御所の北に居を構えてからでも400年間、有形無形の公家文化を守り伝えてきた。

その冷泉邸の歌会が行われる座敷の襖は、季節を感じさせない規則的な「牡丹唐草」模様で統一されていた。歌を詠む邪魔にならないためだそうだ。確かに、定家が選者となった新古今集のあたりは、見たままを読むのでなく、技巧的な想念の世界である。

天明の大火(1788年)でも類焼を免れたという「御文庫」「新御文庫」には歌集、日記など日本古典の基となる貴重な書が多数保存されている。

金銀を散らした豪華な料紙に筆で書かれた歌集は見るだけでも美しいが、定家は至る所に書き込みをしている。ある人の歌集に「一首も取るべき歌が無い」ときついコメントをしたものもあった。60年にわたって書いた日記「明月記」はたっぷり残されていたが、その文字は流れるように美しいというよりは、太い細いがはっきりした個性的なもので、味わいがあってなかなか良かった。本人は悪筆だと思っていたそうだ。朝廷の儀式の練習するため作った手製の小さな衣冠束帯姿の人形も残っていて、定家が生身の人に感じられた。

屋敷と書を見学して、「伝統を守り伝えていくのが使命だ」という代々の強い意志が印象に残った。

祇園祭

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今日は山鉾(やまほこ)巡行の日。京都の四条河原町の四つ角で見物人がいまかいまかと待っていると、車両が通行止めになり、警備の警察官が来て、信号会社の人たちが目の前の信号の向きをぐいっと曲げて道路に直角にして、報道陣が陣取って、お囃子が聞こえてきて、やっと稚児が乗った長刀鉾がやってきた。四つ角で「辻回し」をして大きな鉾がぐいっと曲がると拍手が起きる。その後、かまきり山、船鉾などおもしろい形のものを含め32基の山鉾が通っていった。最後は南観音山。
1400年前に、疫病平癒祈願のために始まったという祇園祭。いまや新型インフルエンザ平癒祈願をしなくてはならず、過去に通じるところがあるようだ。

雨の京都

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 京都の平安神宮の「神苑」では、200品種という花ショウブが、白、薄紫、青紫、赤紫、紫の様々なグラデーションで、しとしと降る雨を受けて美しく咲いていた。その向こうに広がる池のスイレンは、モネの画のようだった。
 その後、百万遍の進々堂で一休み。一足早い梅雨空のせいか、お客が少なく、歴史ある学生街の店らしい落ち着いた雰囲気だった。
 お土産は、鞠小路通りの緑寿庵(りょくじゅあん)の金平糖。季節物のヨーグルト味は、夏には冷凍庫で凍らせてもいいそうだ。

節分

昨日は雨だったが、京都の吉田神社の節分祭に行った。平安時代に鬼を追い出す役目の方相氏の土鈴があった。今日は立春。おだやかな日。

晩夏の哲学の道

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京都の哲学の道を久しぶりに銀閣寺の方から歩いて南禅寺まで行った。葉の緑が、いかにも暑さに耐えたらしく艶がなくて木々もお疲れ気味。以前はお盆過ぎの定番だったが最近は珍しくなったツクツクボウシの声が聞こえる。日差しは強いが風は涼しい。ちょうど夏と秋が入り交じっている。
途中の大豊(おおとよ)神社は、9世紀終わりの平安時代、宇多天皇の病(やまい)平癒祈願のため建てられた古い神社。狛犬(こまいぬ)ならぬ「狛ねずみ」がいる。神の使いだそう。確か今年はネズミ年だった。

大文字その3

昨日、京都五山送り火大文字を見に行った。夕立があったのか京都にしては涼しい夕べだった。三回目なので、毎年、天候の加減か少しずつ燃え方が違うのが分かってきた。去年は煙が多かったが、今年は、くっきりとしてとてもきれいな「大」の字だった。でも写真に撮ったのを見ると、その美しさが出ない。やっぱり実物を覚えておきたいとおもう。