宮崎県中部の綾城(あやじょう)は、綾町(あやまち)特産の木材で復元された山城だ。
歴史的には、14世紀に足利氏の家臣、細川氏が築き、綾氏と名乗ったといわれる。その後、城を支配した伊東氏は、16世紀に島津氏に滅ぼされた。
その時、8歳だった伊東氏の息子は、忠実な家臣に守られ豊後(今の大分県)の大友氏の元に落ちのびた。後に彼は、天正少年使節の正使、伊東マンショとして、1585年にローマ教皇に謁見した。
宮崎県中部の綾城(あやじょう)は、綾町(あやまち)特産の木材で復元された山城だ。
歴史的には、14世紀に足利氏の家臣、細川氏が築き、綾氏と名乗ったといわれる。その後、城を支配した伊東氏は、16世紀に島津氏に滅ぼされた。
その時、8歳だった伊東氏の息子は、忠実な家臣に守られ豊後(今の大分県)の大友氏の元に落ちのびた。後に彼は、天正少年使節の正使、伊東マンショとして、1585年にローマ教皇に謁見した。