支倉常長(はせくらつねなが)率いる慶長遣欧使節団は、伊達政宗の命により、国産の帆船サン・ファン・バウティスタ(洗礼者ヨハネ)号で、太平洋を渡りアカプルコに着き、そして大西洋を航海して、1615年にローマ法王に謁見した。
その少し前に、インド経由でローマに赴いた九州の天正少年使節と異なり、宗教てはなく通商を目的としたが、当時の日本はキリシタン弾圧、鎖国に向かっていたため、使節の目的は果たせなかった。
宮城県石巻市で復元船と複製の肖像画を見た記憶もあせないうちに、偶然ながら「ボルゲーゼ展」で実物の肖像画を見ることになった。
当時、支倉一行が着いたのは、美術館の建物であるヴィラ・ボルゲーゼが完成直後のことで、そこで使節団の歓迎の宴が催されたのだそうだ。そのときに、肖像画が描かれたのだろう。
ギリシア神話のヴィーナスや、イエスなど聖書の人物の中に、実直そうな日本の武士の肖像画があるのは何とも不思議な感じだった。
彼を身近に感じ、その苦労がしのばれた。