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kei@sodan
思ったこと
25 (2008.3-)
音楽とか小説とかを味わったあと、最後に心を占めるのはたった一つのフレーズとか場面だったりします。でもそのエッセンスだけを抽出して、10秒のフレーズとか国語の試験の読解問題みたいな抜粋にしちゃったら、元々の価値は失われてしまうでしょう。同じように、自分の生活から一番お気に入りの瞬間だけを切り取っても、案外つまらないのかもって気づきました。
フィンランド時代に知り合った友達二人と(別々に)会いました。フィン話したり、情報交換したり、進路にちょっとびっくりしたり、将来のプランの共通点がうれしかったり。自分らしい道を歩んでているなぁって感心するとともに、僕もこんな感じで好きなことやっていけたらなって思いました。
飛行機とかロボットとか、動きが目に見えるものってわくわくします。それに比べてプログラムが動いてるとこを見ても、何がどうなってるのか全然分かりません。でもLinuxカーネルを勉強してると、色んな部品が組み合わさって、歯車みたいに動いてるのが頭に描けるようになってきました。抽象的なイメージでしかないけど、Linux書いた人たちもたぶん同じイメージを持ってて、僕も頭の中でそれを共有できてるのかなって思うとちょっとうれしいです。
近未来のパリを舞台にした白黒映画「ルネッサンス」見てみました。元は実写なんだけど、カラーはおろか灰色すら使わない、とてもストイックな絵です。切り絵みたいな絵でも、重厚な鉄骨造りの橋の上に広がるガラス張りの広場とか、空中スクリーンがいっぱいの未来オフィスとかの描き込みは圧巻です。ストーリーはそこまでじゃないけど、ちょっとレトロな未来観はとても気に入りました。
会社の健康相談でのやりとり。
「睡眠は足りてますか?」
「はい」
「睡眠不足になるとどうなりますか?」
「えっ……不機嫌になります」
なぜか笑われました。頭が痛くなるとか肩がこるとか答えて欲しかったらしいです。
名古屋の母親の実家に帰省してきました。何となく科学館に行ってみたら、色んな展示が今では知ってることばっかりで感慨深かったです。昔は暗くてなんか恐かった模型も、「あっ、これは光電効果だったんだ!」って15年ぶりにわかったり。
あとは祖父が書いた読書ノートみたいなのを引っ張り出して、読んでみたり。でもお祖父様は僕以上に字が汚くて、大部分読めないのがとても残念です。むしろ大学のノート(電気工学)の数式はけっこう分かりました。 (2008/9/21)
Parallel World 、名和晃平 と Daniel Guyonnet (ダニエル・ギヨネ)の変なアニメーションが面白かったです。(2008/9/22)
森博嗣の小説、描かれているストーリーとかトリックは全然リアルじゃないです。でも、もし事件の後にこういう状況が残されていたら、って仮定すると、そこから推測される展開はとても自然です。もしこんな風な状況が起こったら、こういうタイプはこう思ってこう動くだろうなぁ、って共感して読むのは、時にいたたまれなくもあり、時に幸せを感じたりもします。研究室時代に敬遠して、今まで取っておいて良かったと思います。(2008/9/9)
今日は帰り道に渋谷のHMV寄って、CD探してみました。ほっとくと定番の音楽ばっかりループするようになっちゃうから、余裕があるときは積極的に動かないと。でもお店でかっこいいなって思った曲、一人でくつろぐ時は聴きたくなるんだけど、疲れてる時は全然入り込めません。むしろ聴きたくなるのは capsuleとかPerfumeとか。もし僕が女だったら、プログラミングに疲れたときはジャニーズとかを聴いてるんだろうか。でもそれはちょっと僕の想像力では分かんないや。(2008/9/2)
Jazzで僕が好きなちょっと不安定なコードは、よく「都会的な響き」って形容されてます。一瞬納得するんだけど、都会って言葉と今住んでる街はちょっと結びつきません。高層ビルの夜景を見たり、夜のショーウィンドウ眺めたとき、ちょっとわくわくする感じが近いんでしょうか。でもその時の僕の目線は、生活している人というより、街を外部から見てる旅行者の目線と変わらない気がします。 (2008/9/2)
目黒の写真美術館で、ダゲレオタイプって古い写真見ました。鏡の上にうっすら人の影が浮かび上がって見えて、魂を透かし見てるみたいです。昔の人が「写真に撮られると魂を抜かれる」って思ったのも無理ないよな… (2008/7/10)
列に並んでいる人たちは、同じ空間・秩序を共有しているわけで、ある意味平等を象徴する行動だと思います。パスポートチェックの列を見て思いました。VIP待遇の方は違うのかもだけど。 (2008/7/5)
カメラの画素数がどんどん小さくなっているってことは、数年以内に1cm角くらいのデジカメが出来そうです。そうしたらあらゆるものにカメラがついて、人間が見るものは撮られていないほうがおかしいって時代が来るかもしれません。今はカメラで勝手に誰かの写真を撮ったらマナー違反(盗撮?)だけど、そういう概念も変わるかもしれません。 (2008/7/5)
子供のころ、銀色と金色の折り紙は特別でした。三原色で全部の色が作れるって習っても、どうして銀色は作れないのか不思議でした。
CGをちょっと勉強して、実は銀色っていうのは色じゃなくて、周りの光が鏡みたいに映り込むことで認識されてるんだってことが分かりました。「銀色」を写真に撮って拡大してみると、白とかグレーとか、映り込んだ青とか緑とかに分かれて見えます。(つまり銀色は定数じゃなくて関数で、平均的入力に対する応答が明るい灰色付近なわけだ)
何となく色って呼んでても、実は色じゃないものって他にもあります。肌色とか空色とか、塗りつぶしても、簡単なグラデーションかけてみてもぴんと来ません。むしろ色が無い白黒(monochrome)でも空の質感とか、水面とか、磨かれた金属の美しさが分かります。 (2008/6/14)
「・・・の中でどれがお勧め?」みたいな質問になかなかうまく答えられません。自分の中では何でも良いとこがあって悪いとこがあって…って考えちゃうんだけど、でもその思考過程を全部出しちゃうとガイド役失格です。一応好きなことについて情報はあるんだから、それを生かせるようになりたいなぁ。 (2008/4/21)
4月に入ってから、今まで眠ってた興味とか関心とか能力とかが蘇った気もすれば、先月までばりばり働いてた頭のどっかが休眠しかかってる気もします。時々は思考回路も使わないと錆びついちゃうから気をつけないと。 (2008/4/21)
選択に迫られたとき、論理的に考えようとしてもしばしば真剣に選択に迷ってしまいます。それはどちらに決めた場合でも、それなりに自分を納得できる理屈が構築できるからです。その場は直感で乗り切るしかないけど、振り返って自分の選んだ論理により説得力を感じられればとても嬉しいです。 (2008/4/10)
大学に入った頃は自分が大学を構成してる意識は全然無かったけど、 その後自分の机が出来たり、知り合い増えたり、外部発表したりで、大学内で自分が占める割合が増した気がしました。 でも大学って組織は、学長もぴかぴかの一年生も同じ重みを持った構成員って側面がある気がします。 宇宙レベルで見たら、一日ぼけっと寝てた人も、どっかの国の大統領も、占める割合に大した差はないみたいに、 一つの目的に進んでいるわけではないから、各人の重みを比べることがナンセンスって感じ。 これから大学がどんどん成果志向に進むなら、そんな暢気なこと言ってられないと思うけど。 (2008/4/10)
今日までは研究者の卵だったけど、明日からはひよっ子エンジニアです。立派な鶏になるのか、羽根が伸びすぎて飛んじゃうのか、はたまた卵に逆戻りか分かんないけど、しばらくは色々つついて回ろうと思ってます。(2008/3/31)
24 (2007.3-)
四年に一回のおまけの日です。今日はみんな何もしなくて良くて、何やってもみんなの記憶に残らない日…とかだったら面白いのに。でもそれじゃお店も開かないし電車も動かないから困るか。 (2008/2/29)
最近クレジットカードよく使うようになったんですが、店員さんの前で名前書くのって、ある意味名乗っているわけですよね。 現代は匿名性の高い時代だって言われるけど、クレジットで払ったら少なくとも「匿名」ではないなあと考えるとなかなか面白いです。 そして現金ってすごく匿名性が高いんだなあ。 (2008/2/21)
手相見る人とか占い師とかって全然信用してなかったんだけど、ひょっとするとこういう人たちってすごく色んな人の一生を知っていて、見かけと二言三言の会話からその人に似た人の一生を連想して、未来とか運勢とかを予測してるのかなって思いました。 (2008/2/21)
子供の頃は、大きくなったら大人の人たちの社会に飛び込んでいくんだと思っていたのですが、実は自分が成長するのと同時に社会全体がスライドしてて、身近にいるのはやっぱり同じ年代の人たちであることに気付きました。 (2008/2/21)
何でも初めがあって終わりがある、という考え方と、物理法則は永遠不滅・絶対不変だという考え方は、一見相容れないものに思えます。でも、これは「何事にも観測の始まりと終わりが存在する」とすると、矛盾無くきれいにまとめられると思います。絶対不変な法則も、それを意識する主体が無ければ存在しないも同然だし、やがては忘れ去られるというのは自然だと思います。宗教とかで出てくる神様だって同じで、たとえいかなる完全な神様も、皆が意識して初めて存在し、忘れ去ってしまえば消滅してしまうのです。 (2008/1/5)
小学校で校庭の砂場にホースで水を流して、浸食や蛇行の仕組みを習ったんだけど、これって物理モデルでシミュレートしようとすると相当難しいっぽいです。ずいぶん物理を勉強したとはいえ、小学校の教科書ですらまだまだ難しいんだなぁ。 (2007/10/22-->
日本で暮らす人にとって、12年で1サイクルってよく出来てます。ここ12年っていうと中学・高校・大学・大学院がすぽっと全部入って、このWebページにはその半分の6年分が詰まってます。 中学高校のころ思ったような生活をしてるかっていうと、ちょっと複雑な気分になります。海外で暮らしてみたいとか、プログラム書けるようになりたいとか、レコードプレーヤーが欲しいとか、お気に入りの音楽とか絵を見付けるとか、色んなとこ旅行するとか、具体的な希望はけっこう実現しました。でも、それから得られると期待していた満足感を100%感じているとは必ずしも言えないのが残念な点です。この煮えきれない気分をパワーに変えたい… (2007/9/6)
テレパシーは、人間から人間に何か信号が伝わるって形では存在しないと思うけど、人間の遺伝子はお互い99%以上も共通なんだから、相手のモデルをシミュレートして感情を予測するという方法では存在するのかもって思います。もしも相手のことを理解したって内面的確信があるなら、相手の感情も確たるものとして感じることが出来るのかも知れません。 (2007/9/2)
現実と虚構を明確に分けているのは、強力な一貫性(consistency)だと思います。昨晩置いておいたコップは今朝も同じ場所にあり、昨日言った言葉は皆の記憶に残っているし、物理法則は違う国に行ってもちゃんと成り立ちます。ファンタジーの「続編」の面白さは計算されたストーリーの一貫性を確認することだけど、現実世界の完全無欠な一貫性の前には無力です。一貫性が確認できないと「ミステリー」って名前が付きますが、一貫性を崩すほど有意なミステリーが確認出来たことはありません。 (2007/9/2)
一週間がなんでこんな早いんだろ。もうすぐ今年が半分終わりです。英語とフィン語は魔法が解けるみたいに忘れる一方です。知らないうちに出来なくなってるより、毎日実感としてどんどん出来なくなるのは悔しさ倍増です。来年の三月過ぎればまた何かを失うんだろうなぁって分かってるんだけど、それが何なのか思いつきません。でもこの焦りともつかない感情が無くなっちゃったら、進化も止まってしまうんだと思います。 (2007/6/29)
子供の頃「世界」は無限大と同じような言葉で、何か大きくて得体の知れないものだと考えていました。思い浮かべるのはアマゾンの野生動物とか南極とか、今いる世界と全く違うところでした。でも今の自分が世界と聞いて思い出すのはニューヨーク、ロンドンなどの都市で、気分的には東京がちょっと拡張された程度のものです。興味の対象が変わるにつれて世界の中に占める大自然の割合はぐっと小さくなり、残ったのは神秘性の無い都市ばかりというのは、ちょっと残念な気もします。 (2007/5/26)
ブレードランナーの原作「電気羊」にはMood Organっていう、人の気分を自由に操れる機械が出てきます。モチーフは多分ジュークボックスなんだけど、音楽でだって気分を変えれます。ただ「自由に」とはなかなか行かなくて、元々の感情とシンクロしないと効果が無いどころか、うるさいだけってことにもなります。
ちょっと前から持ってる音楽がどれもしっくり来なくて困ってたんだけど、今日気に入ったのを見つけて一安心しました。でも趣味広げないと手詰まり感が出て来てるような… ある日世の中の音楽が全て色褪せてしまって、感情とシンクロする高揚感を味わえなくなってしまうのがこわいです。物は少なくしたい主義で、本当にお気に入りのLP10枚くらいと暮らしたいって夢もあるんだけど、当面はせわしなく音楽を探して消費して飽きるスタイルから抜け出せそうにないです。 (2007/5/23)
人間一人の知識なんて高が知れてるけど、今ではそれなりに世の中を理解したって感じてるのは、それが自己相似の塊だからです。地理的、世代的、階層的な相似性のお陰で、僕たちは全く関係ない世界に放り込まれてもそれなりにうまくやっていけます。身近な変化を求めて世界が動いたかのように錯覚するのは自然なことだし、実際社会を動している人もその規模に見合った実感を持っていないのではないかと思います。 (2007/5/20)
埼玉県立近代美術館にRed & Blueチェア(のレプリカ)がありました。これはオランダのリートフェルトって人が作った椅子で、僕は高校生のころ神戸の近代美術館で見て以来好きです。こういうのは技術より設計が命だろうから、案外自分で作れないかな?と思ってネットで探したら、図面発見。器用な方では全然ないんだけど、ジョイントの方法さえ分かれば作れちゃったりしないかなぁ。 (2007/5/20)
大学1年から相談員っていって、図書館の端末(iMac)がずらっと並んだ部屋で、ネットとかメールとかWordとか分からない人の質問受けをしてます。僕のページは6年間ずっとこの相談員のサーバ(http:/www.sodan.ecc.u-tokyo.ac.jp/~kei/)にあったんたけど、このたび
http://funini.com/kei/
に引っ越してみました。考えてみれば6年間も同じマシンを使ったのは生まれて初めて。ほんとお世話になりました。 (2007/4/30)
前にMaison Kayserの田園調布店でスコーン買ったらおいしかったんだけど、本店で聞いたら、「それはフランチャイズ店で勝手に作ってるんです」って言われちゃいました。確かにフランスパン屋でスコーンって変だと思ったよ。 でも食べたいから買いに行ってきました。いやこれおいしいって。バター多すぎないし、甘すぎないし。実は近場だと品川や東京のDean & Delucaにも置いてるみたいです。 (2007/4/22)
桜の季節です。 研究室では元々僕と同級だった人たちとお別れの日でした。最後までばたばたしていて、普通に作業してお別れだったので、あんまり実感沸かなかったけど、一緒に帰るときはちょっとしんみり。新生活のこと聞いたりしたあとは、普通に他愛ないこと話してました。こんなとき、もっと今話すことがあるはずなのにって感じがすごくしちゃいます。でも聞きたいことがあればいつでもメールとかで聞けるし、どうでもいいことを話してる時間が大切なんだろうなぁ。でも色んなとこに知り合いが増えるのは悪くない感じです。久しぶりに会って、近況報告したりして。僕も「最近どう?」の返事考えとかないと。 (2007/3/31)
23 (-2007.3)
汐留の高層ビル街を眺めてて、東京って何でこんなに繁栄しているんだろうって不思議に思ってしまいました。商品やサービスを売り買いする会社があって、商品やお金が流れる市場があって、たくさんの人が働いて給料をもらって遊んで暮らして、街が発展して、でもそんな日々は永久に続かないのかもしれない。
悲観的な人たちが唱えるような「日本経済沈没論」が現実になっちゃったら、企業が次々縮小・撤退して、東京の人口も減少する日が来るのかもしれません。でも、高層ビルや高速道路や地下鉄などのインフラは一晩では消えません。そのときには「巨大な廃墟」が出現して、僕たちは過去の繁栄を懐かしみながら暮らすんでしょうか。でも繁栄に退屈してる今、そんな「お話」自体にはちょっとわくわくします。
アメリカのデトロイトの写真
(2007/3/4)
二週間ほど友達の家庭教師の代行をしてて、数学・化学・国語・政経と教えてきました。元々教えるのは嫌いじゃないけど、国語はけっこうひやひや。そこで文法の試験問題に江國香織の「ぼくの小鳥ちゃん」って話が出てました。一部だけ読まされると気になっちゃって、帰りの本屋で立ち読みしたら…1/3くらいでギブアップ。甘過ぎ。でも昔は絶対甘すぎだと思ってた音楽も今は好きだったりするし(capsuleとか)、気を取り直して残りを読んでみました。うーん、それでも甘過ぎ。疲れてる時にはいいのかも。 (2007/2/18)
パリには石造りの建築が数多くありますが、これらの石はパリの地下から切り出されて、パリの地下はトンネルだらけになっているそうです。トンネルは迷路のように地下5階まで走り回っていて、一部は地下墓地(カタコンブ)として後に活用されました。600万人の骨が運び込まれ、今のパリ市の底辺を支えているそうです。 (2007/2/18)
人間って、不快な温度…寒さとか暑さを覚えるのがすごく苦手な気がします。悔しさとか怒りとかは割と簡単に思い出せるのに、もうフィンランドの寒さを思い出せません。最近の日本は普通に寒いです。でも、日はあまり短くなった気がしません。17時くらいに
きれいな夕焼け
が撮れました。 (2006/12/15)
僕は言語は手段だと思っているから、ら抜き言葉など「日本語の乱れ」は気にならないですが、気にする人の気分は分かります。例えばある日急に自分以外の人が敬語を忘れてしまったら… コンビニのレジで「やぁ。」「コーヒーとパンで238円だ。」「ありがと。」 あなたが先生だとして、生徒が質問に来ました。「ところで一番の問題だが、全く分からない。説明してくれ。」 なんか気持ち悪いです。でも、自分以外全員がそんな言葉を使い出したら、やがて慣れてしまうのでしょう。「ら抜き反対」という意見が一定の共感を得るのは、まだ気持ち悪いと思っている人たちの防衛反応だと思います。 (2006/12/5)
風邪で一日寝ながら考えてたこと。感情ってのは、具体的な出来事の人間的な抽象化で、小説とかドラマとかは具象化なんだなぁ、と。新聞は5w1hをはっきりさせて書くというけど、感情に5w1hなんてありません。それに仮想的な5w1hを与えたのが小説。だから、読者はそれらの仮変数を取り除いて理解する必要があります…というのも一つの見方。 (2006/10/4)
僕の場合、自然な思考ってのは明確な輪郭を持たないことが多いです。曖昧な部分を削ぎ落として意見としてのまとまりを持たせると、その分他の意見との差異がはっきりします。それは良いことだと思うけど、さらに自分の頭の中にある意見とも違ってしまうのは困りものです。 (2006/7/17)
Andy Warholの"there's nothing but surface"の解釈…「現代芸術は表面と内面があって、主に内面が語られるフォーマットに従ってきたが、既にそれ自体マンネリ化している。僕は手始めに内面を消してみた。それっぽい言葉で深読みして語るのは許さない。それでも見る人が何かを感じるのは禁止できない。さぁ何を感じる?」
…そうすると、pop art以前は表面を消して内面だけ残してきたとも見えますね。良い感じにまとまったかも。 (2006/6/28)
概念的には、情熱は嫌いです。みんなの前で全力出すなんて、恥ずかしくてできません。でも、実際やり始めてみると、それが例え仕事でも止まらなくなります。「凝ってるねぇ」って言われると嬉しいです。 いろいろ考えるに、僕は「努力・忍耐・根性」系の言葉が軽々しく口にされること、意識することが嫌いみたいです。 (2006/6/28)
外国の地名や人名を日本語で書くとき、最近は出来る限りカタカナにしています。それが自分に忠実だからです。昔はなんでもアルファベットの現地語で書くのが正しくてかっこいいと思ってたけど、自分の頭の中に入っているのはえてしてカタカナなのです。お陰でlとrは未だに間違えるけど。 (2006/6/25)
俵万智さんの歌「ひところは世界で一番強かった父の…がうずくまる棚」を思い出そうとして、「父の何」かが思い出せませんでした。(頭に浮かぶのは「ボスの位牌」) 正解は…磁石でした。彼女のお父さんはほんとに磁石の研究者だったらしいです。 (2006/5/28)
ふと自分の書いたメールを見直して、乱れっぷりに愕然としました。「〜とか」「〜たり」「ちょっと」「〜あたり」など、意味のない曖昧語のオンパレード。でも言葉なんて意味が伝わって、相手を不快にしなればいいものですよね? (2006/5/15)
現代のフィンランド(北欧)文化の底辺にあるのは倦怠だと思います。街は実に平和で、予測した以上でも以下でもない生活が毎日続きます。冬でも室内はとても快適で、景色は時間が止まってしまったのように変わりません。Marimekkoの派手なデザインが目を引きますが、これは退屈な部屋に一番合うんだと思います。情熱とはかけ離れた、計算済みの心地よい逸脱です。 (2006/4/22)
「諸外国の流れはこうである」「このままでは時代に取り残される」という論調をよく目にします。一方で、他の集団に流されず、ポリシーを持って行動するのが大事だとも言われます。調査するのは悪いことではないけど、それを鵜呑みにするのは常に次善の策だと思います。安易な批判には同調できません。 (2006/4/5)
CDのケースって素晴らしいデザインだと思います。ジャケットが透明なアクリル越しに見えるのは写真立てみたいなセンスを感じるし、背見出しにちゃんとタイトルが出てるのも素敵です。 表面はすっきりしていても、ケースを開けると複雑な凹凸が各々の機能を果たしています。
普段僕たちが見るのはCDのジャケットで、ケースはただの「殻」です。でも、こういう匿名の優れたデザインを見つけると、少しにやっとしてしまいます。 (2006/3/17)
フィンランドでの日記
22 (-2006.3)
日常の何気ない写真を撮ることの難しさは、写真を撮ること自体が「日常」とか「何気ない」とかいうこととかけ離れているからだと思います。カメラとカメラマンを透明に出来たら、どんなに素敵な写真が撮れるだろう。でもそれって盗撮!? (2006/3/8)
日本文化は強く意識するようになったけど、日本という国を意識することはありません。平和だからでしょう。国というのは空気や水みたいに、頼っているけどそのことに気付かないのが理想です。 (2006/2/15)
ちょっと日本文化紹介に目覚めてみて、
funini.com
で
日本紹介
書いてます。その気になって探すと、英語で日本のことを紹介したサイトは結構多いのです。(en.wikipediaとかかなり充実してます) だからここは思い切って、日本(にいる僕が好きな)文化紹介したいと思ってます。しかし英語書くのは時間喰うなぁ。 (2006/2/5)
いくつかのアメリカの都市は、他の都市が今後経験するかもしれない、興味深い歴史を持っています。ロチェスターでは
地下鉄が廃線
になっていたり、セントルイス(St. Louis)では
プルイット・アイゴー(Pruitt-Igoe)
と呼ばれた大規模な高層住宅がスラム化して爆破解体されています。 (2006/2/5)
「良いリーダーってのは、プロジェクトが終わったときに『ありがとう』じゃなくて『楽しかったな』って言うんだ」って「リーダー論」を昔法学部の友人に聞きました。でも個人的には、僕がどう感じるかは僕の勝手だと思います。そんな理屈を飛び越して共感できるカリスマ的なリーダーもいいですが、僕はごく普通の冴えないリーダーの方が好きです。 (2006/1/18)
1980年代の写真を見ると実に古ぼけて見えます。僕の社会に対する記憶がはっきりするのは90年代半ばからだけど、80年代の文化・生活は些細な物…家具とか機械とか、僕が育ったマンションとか…を通じて僕にすごく影響を与えています。ともするとそれが80年代のものだったことに気付かないくらい。 (2006/1/17)
日本語を話す人のほとんどはネイティブです。僕たちは普段下手な日本語を聞くことはないし、語彙がすごく少ない人と話すこともありません。でも、英語を母語にしている人は、ネイティブではない相手と話す機会が比較的多くあって、人によっては簡単な英語で話してくれます。
フィンランドで日本語を勉強している人と話す時は、簡単な日本語で、語彙も制限して話します。このことは、自分が英語を話すときも、知っている語彙だけで表現する訓練になっている気がします。 (2006/1/16)
ここに来てから、人との出会いがあまりに慌ただしくて目が回りそうです。僕は元々たくさんの人と会ってきた方ではないし、数時間話しただけではその人を分かった気がしないから、結構疲れます。そして人間関係を維持するためのメールのやり取りにけっこうな時間を使ってます。(英語だし…)
でもまた日本に戻ったらいつものメンバーと親交を深める生活になると思うので、今のうちに刺激がたっぷりな生活を楽しんでおきます。 (2006/1/2)
プログラムのキリついたから、ベッドに寝っ転がって音楽聴いて休憩。目薬が浸みる快感にじーんとしながら、ふと今って時間は貴重なのかなと考えてみる。一生のうち、そう何年も海外では過ごさないと思うし。でも目を開けないと日本と何も変わらないんだな。そう思って目を開けたら、パソコンと書きかけのプログラムが目に飛び込んできて、感傷は吹き飛んでしまいました。 (2005/12/11)
メッセンジャーのメンバーをグループごとに整理してみました。いくつかのグループで関係ある人は初めて会ったグループで分けたりして。そして最後まで残ったのは…自分です。どのグループに入れよう。「家族」かなぁ。 (2005-oct-26)
ついに英語で夢を見る日が来ました。なんか必死で英作してます。でも起きた直後の記憶だと、全部英語で会話してたわけじゃないみたい。何というか、考えがそのまま伝わるというか… それでもやっぱり頭の回路は日本語な気がします。 (2005-oct-25)
目の前を必死で過ごしているときには、「あれもしなくちゃ」「これも出来てない」と精一杯で、するべきことの半分も出来てない気分なんですが、しばらく経って振り返ってみると、出来なかったことは全て忘れて、それなりの達成感を感じているのが常です。
忘却は救い
なんだなぁ、と感じる瞬間です。
友人の口癖がうつる、というのは誰しもある経験だと思いますが、これって一種の言語学習なんですよね。最近"actually"(ほんとに) とか"true!"(そうそう) とか、色んな友人から色んな口癖がうつってます。そのうち変なslangもうつりそうです…
フィンランドの街を歩いて何となく違和感を感じていたら、僕だけ左側通行していたのでした。はっ、ここは左右反対の鏡の国なんでした。でもイギリスは左側なんだっけ… 海を一回越えると左右逆になる!?なんて怪しい仮説を立ててみたり。
引っ越しは、生活という塊をピースに切り刻むことから始まります。有機的に結合していたポスターとか敷物とか配線とかをばらばらにして、玄関のドアから出られるような断片にします。引っ越し先ではジグソーパズルのように組み立てるんですが、パーツは同じでも同じ絵にはならないのが面白いです。
商品は脱皮して一人前になります。そして、うちは抜け殻で溢れていきます。
…東京生活五年目で、色んなお店の袋がたまって少し困ってます。 きれいなのも多くて捨てるにはもったいないけど、でも使うわけじゃないし…
CDのトラックが1から始まるのにすっごく違和感を感じてしまう僕は、もう普通の人間として生きていくことはできないようです…
(えっ、自然数って0から始まるんでしょ?)
交渉が下手です。自分が損してるな…と思うと、相手にそれをアピールするんじゃなくて、拗ねて閉塞させちゃいます。でも幸い相手が悪い人ではないことが多いので、今までなんとかうまくいってます。
人生なかなか思い通りにはいかないわけですが、全てが予知可能な世界なんて面白くありません。ある程度の秩序は保ちたいものの、この世の不確実性はなかなか良く出来ています。神様はけっこう優れた設計者だったわけです。
電車は30-40年使われるのが普通ですが、新幹線の寿命は15年です。でも一生での走行距離は普通の電車よりずっと長いです。工場で作られる新幹線の電車は横の通勤電車の四倍のパワーを持って生まれて、普通の電車の二倍の速度で二倍の距離を走って半分の寿命で天寿全うします。
部屋の掃除をしてるとクシャミが止まらなくなりました。 どうやら「掃除アレルギー性鼻炎」らしいです。 掃除さぼる言い訳にしたいところだけど、ほんとはこまめに掃除しないといけないのかな。
ビートルズがすごく好きなわけじゃないけど、世界中でこれだけ多くの人が共感できる音楽があるのはとても面白いと思います。しかもその演奏が突っ込み所だらけなのが面白いです。聖書を意地悪に読んだら矛盾だらけなのと一緒かな。
ネット上にも色んな情報があって、
こんなページ
の曲ごとの分析見てたらついつい聞き返してしまいます。ビートルズ大好きな人の気持ちは分かるんです。
17世紀ぐらいのプロテスタント的思想では、自分の能力を生かさないことは罪だったらしいです。 でもこれって、どうしたら自分の能力を生かせるのか分からない現代人にとっては酷な考え方ですね。 いきなり砂漠に放り出されて「走れ」て言われても、どっちに走れば良いか分からないし。
深夜、家について自転車のLEDライトを消そうとしたら、ライトがありませんでした。どうやら途中で落っこちてしまったようです。もう眠いので探すのは明日にしようか…と思ったところで、一晩光って力尽きていくライトを想像してしまい、慌てて探すことにしました。
ライトは近くで見つかりました。歩道の真ん中でオレンジ色の放つ怪しげな物体を、道行く人は避けて通っていました。昼間だったら見つからなかったかも。
海岸歩いてたら白い円盤が。"漂着したクラゲ!?"と思ったら捨てられた紙皿だったんだけど、ちょっとわくわくしたのでゴミ捨てた人は責めないことにします。
研究室で
Google Map
見ててかなりはまりました。 右上でSatelliteを選ぶと、衛星からの写真が見れます。(たぶん細かいものは航空写真だと思う)
YくんとSくんと世界遺跡めぐりをしたのですが、やっぱり
ピラミッド
はすごい。万里の長城は確かに長いけど、上から見るとただの川か道みたいです。
"ready made"の解釈として、こんなのを考えてみました…「詩や文学は抽象化された情報だけで全てを伝えることが出来るが、絵や彫刻は本物が無いと伝えられない。とはいえ最終的に人間は情報として芸術を理解するんだから、絵や彫刻も何らかの抽象化が可能なはずだ。出来合いの工業製品を絵や彫刻とすると、あらゆる場所に本物を遍在させることができる。これは一般の絵画よりも芸術というものを高度に抽象化し、美の本質に近づいたことになる」
中世末期ヨーロッパでは、葬式の時に嘆きの叫びをする職業の人がいて、その叫びでもって初めて儀式が進行したそうです。制度化された悲しみというのはすごく不気味に思えますが、儀式を行うこと自体が同じようなものかもしれません。
青島千穂
さんの
CG
にはまってしまいました。 たぶんこの子たちは透明か白の薄いプラスチックで出来てるんです。
NY地下鉄
での展示、うらやましい…
最近のは壁画サイズなので、本の大きさでは欲求不満です。 個人的な興味としては、
こんなソフト
使ってズーミングしながら見てみたいな。
「忙しい忙しい」って誇らしげに言う人が嫌いです。確かに忙しさは有能さの証拠なのかもしれませんが、それはその人が選んだ選択なんだから。でも、与えられた機会を全部無駄にして、一度も本気出さないのもずるい気がします。誘われても断るのは寂しいし…
僕はどういう選択をしたらいいんだろう。人生設計の永遠のテーマかもしれないです。
生物と人工物との最大の違いは「組み立て」の有無だと聞きました。 組み立てた順番に従えば、分解や修理は簡単ですね。 でもゴムの膜みたいに一体になっているものは、どこから手を付けていいか分かりません。
緻密に完成された学問体系はゴム膜のように見えますが、人工物には違いがないので、組み立て方を習うと全貌がつかめます。 歴史順だと作っては壊しの連続で、長い道のりになりますが。
家や街の色んなものがネットワークにつながると、つながっていないのは人間だけになるかもしれません。 これをunplugged humanと言うそうです。実は「未来」の可能性を一番制約するのは人間なのかも。
これほど"今"が記録されている時代は、これまで無かったのではないでしょうか。 100年後くらいにデジカメや監視カメラの写真をかき集めて補完しまくったら、2005年6月6日の日本をすごくリアルに再現なんてのも出来そうです。
もっとメディアの大容量化が進むと、人間の一生がテープ(ディスク!?)一本に収まってしまったりしそうです。 突極のドキュメンタリーですが、それはそれでこわい。
非常にどうでもいい話。iMacのことえりで、「けいきゅう」を変換しようとしたら"KEIKYU"が候補に出ました。「とうきゅう」は"TOKYU"、「はんきゅう」は"Hankyu"、「はんしん」は出ず…
百貨店はローマ字、と言いたいんでしょうか。でも阪神百貨店もちゃんとありますよ>Appleさん
カギかっこ付きの話をするのが苦手です。さっき聞いたすごく面白い話を誰かに言おうとしても、語り口や"間"が再現できずにうまく伝えられません。それだけ自然に僕が受け入れた、ということでもあるんですが、ちょっとくやしいです。
バス停で街灯の影絵をふっと見ると、後ろに立ってる人があやとりしてるような!?
気になって振り向いてみると、絡まったイヤホンのコードをほどいてるだけでした。
ええっと、[反抗期の男の子]に全力で反論してはいけませんよ。 彼らは合理的な議論じゃなくて、相手を論破するっていう快感を求めているんだから。その楽しみに嫉妬して奪ってしまうほど野暮…ではないですよね、[大人]の皆さん!?
隣にいる人がどんなに嬉しく/悲しく/快く/痛くても、僕が目を閉じて耳を塞いでいれば全く気づきません。逆もまた然り。 まぁ殴られれば怒りくらいは伝わりますが、人間を物理/化学的に見ると、他人なんて存在してもしなくても同じようなものです。 でも心理学は他人の存在がないと始まりませんよね。医学はどうなのかな。
「先の展開がわからない文学が主流になったのは、文学の世界ではごく最近のこと」らしいです。
マンネリとそれ以外に分けて論じるのもちょっと幼稚かな、と思い始めたこのごろ。
月並みな分析だとは思いますが、人間をハードウェアとソフトウェアに分けると、ソフトウェアの進歩が著しいのに比べてハードウェアの進歩はここ10万年くらいかなり停滞しています。 でもそのおかげで、世代間のギャップというのは案外少なく保てているのかなぁ、と思います。(加齢による衰えはあるけど)
とあるSF読んで、もしロボットが人間と同じように独立した意思を持って社会を構成するとしたら、それはハードウェア的な進歩が停滞してからでないとけっこう問題を起こしそうだなぁ、とよく分からない想像をしてしまいました。
OBで高校の部活(鉄研)の顧問の先生を囲むことになって、久しぶりに文化祭行ってみました。 ギャップがかなりこわかったのですが、覚えてくれてる子も意外といたり、知らない子でも好奇心からか結構話弾んで嬉しかったです。 大学でちょっとうまくいってない現役とOBの関係を見てるせいで余計に、かな。
安全というのは金銭的・時間的コストに対して確率的に決まるもので、どのくらいのバランスが適切なのかは経験的に感覚はつかめても理屈で証明することは不可能です。 でもだからこそ、今までの経験の積み重ねの安全基準は大事にしないと、と思います。
大学入ってから本質的にずっと気分が晴れないのは、「今日することは明日のためになってないといけない」て意識が強すぎたからかなぁ、と最近思い始めました。今日と明日は独立した試行だと思って、明日のためにはならない(かもしれない)もっと思い切ったことをやってみたいです。ちょっと子供に戻って。
すきばさみを購入。卒論中に前髪をちょっと何とかしたくて、一房だけ普通のハサミでばっさりやったら後が大変でした。 新兵器と共にまた風呂場で格闘してくるので、変な髪でも笑わないでください…(いやむしろ笑って下さい)
Lucyの
ヘアカット
好きだなぁ。
そろそろ自分の人生も古いほうから歴史になりつつあるわけですが、10年前・20年前・30年前…と考えていて、ふと60年前にはこの街で戦争があったんだ、という事実を思い出しました。僕が寝転んでいるこの部屋のこの場所も空襲を受けたのかもしれない…と、なんか遺跡を見るよりもリアルに感じてしまいました。
ソメイヨシノの遺伝子はすべて同じ
(クローン)にちょっとびっくりしました。話を聞くとちょっと不気味なような、でもだからといって白っぽいピンクの花を嫌いにはなれません。
芸術作品における「性的なもの」を前にするといつも困惑してしまいます。まだ「圧倒的な美」のようなものを感じたことがないので、俗世でのタブーが芸術という仰々しい枠にはまっているのにどうも違和感を感じます。もっと別な鑑賞方法があるのかもしれませんが。
長く着てぼろぼろになった服を捨てる時は、ちょっとした達成感もあったりして、はさみで切って雑巾にしたりしてます。 でもまだきれいな服を「これはもう着ないだろうな」と思って捨てる時は、罪悪感や後悔が怖くてそのまま捨てちゃいます。
まじない師(工学)の称号を頂戴しました。杖にはまだ遠いようです。
あーなんで東京ってこんな人がいるんだろう。満員電車から降りてく人の数をぼーっと見ながら考えてました。一両の定員が150人くらい、詰め込んだら300人くらい、一編成で3000人くらい。僕が一生で関わる人の数より多そうです。
お互い違った資料を基に事実を争うことほど不毛な議論はないと思います。純粋に学問的に見るならともかく、個人的な価値判断を絡めて論じるのはご法度じゃないかなぁ。譲りたくないことはあっても、そこは現代を生きる人間として大人の判断をしなきゃ。
フィンランドでの日記 (2005)
・
(2006)
21 (-2005.3)
深夜の帰り道、誰かがカラカラってトランクを転がす音を聞いて、達成感・疲労感・安堵感みたいなのを思い出しました。それと同時に自分にとって外国はまだ征服する対象であってくつろげる場所ではないなぁ、と再確認しました。
雪ゆき!ってはしゃいでても、東京の街は平然としてます。クリスマスやお正月はあんなに騒ぐのに… ちょっと物足らなく思いつつ、雪だるまを探して近所をうろうろしてました。
毎日やりたいことの半分も出来てないわけですが、これって実は「常に能力の二倍のことをしたがってる」のかもしれませんね。 もし今日やりたいこと全部出来ちゃったら、明日は今日の二倍を望むんだろうなあ。
最近面白かった発言→「お金は使いたいときに使わないときに使わないと…資本主義社会は回らないんだよ」
社会学者も大変なんだ。
プログラムの相談されて、さっと例を書いてあげたら「味噌汁作るみたいに簡単にプログラム書きますね」って言われました。 感心されて誇らしいような。いやでも僕まだ味噌汁は満足に作ったことないんだけど。
ホイールマウス(真ん中がくるくる回るやつ)を分解して掃除して適当に組みなおしたら、くるくるがスムーズに回ってカチカチいわなくなってしまいました。 しばし研究の結果、あのカチカチ感は針金がホイールの内側の凸凹を弾いて鳴ってることがわかりました。櫛を爪でこすったみたいな感じ? カチカチはスクロールの機能には全く影響してないんですが、画面が動くのにはちょっとマウスの抵抗があるほうが 人間の感覚としてはしっくりくるみたいです。ともあれ無事に直ってよかった。
白山の本屋で、ふっと若い男の店員さんを見ると、 新潮文庫のエプロンの下に白いふさふさした尻尾が見えました。 …しっぽ? 何かの宣伝?趣味?罰ゲーム?じろじろ見るのも失礼だけど、気になったので帰りがけに ちらっと見ると、ポケットにハタキを挿してただけでした。
たまたま見つけた
コラム
なんですけど、 「world wide web = 人間関係のクモの巣」という解釈になんか納得してしまいました。 プログラマとしては、world wideなwebを構成する糸は人間関係じゃなくてコンピュータ同士の接続だと思うんだけど。 でも今やその上にソフトウェアとして人間関係や社会が乗っかっていて、 そっちを中心に考えるとWWWの糸は人間関係で、メールや掲示板は 下の「物理層」に過ぎないんだな。
近くははっきり見えるけど、遠くはぼんやりとしか見えません。 それは目の問題か?というとそうでもなくて、地球上ではいくら性能が良い望遠鏡を使っても、 ぼやけた像が大きくなるだけです。 でも、大気が無く光の進路が干渉されにくい宇宙空間では、性能の良い望遠鏡を使えば使うだけ いくらでも遠くの像がはっきりと見えるそうです。
さて、学問ってのは一般に現在自分が扱える環境から未知のものを予測するわけですが、 けっこう「地球で観測する宇宙」的な要素が強いと思います。 歴史は時間というフィルタで歪められてしまうし、物理や化学は様々な条件(スケール・エネルギー・温度・気圧・観測)に限界があります。 でも、ある手がかりを元に矛盾が出ないように理論を構築していけば、ほんの僅かなデータからでも案外色んなことが分かります。 ひょっとしたらそれは過ぎた妄想なのかもしれないけど。
せこせこした生活してると、「世界中の幸せは足したら一定だから、他人から幸福を奪わないと幸せにはなれない」なんて考えがちですが、多分そんなことはないと思います。ちょっと会釈してお互いが一日幸せになることもあるんだし。
音楽の楽しみとは次の瞬間に来る変化を「予期」させ、それをうまく「裏切る」ことなのだ、というのが前に英語の教科書にありました。その時は「ふーん」くらいにしか思ってなかったのですが、最近アドリブとかである「間」がそれに当たるのに気付きました。「次にはこのフレーズが来る、来るはずだ、来ない!?」と焦られておいて、最後にはメインテーマで安心させてくれます。まあ「起承転結」の「転」とどう違うのかと言われればよく分からないけど。
どんなにひどいプログラムを書いても、実行しなければ何も起こらないわけで。 でも、そのプログラムを実行可能な状態で放置しておくと、いつかは災いをもたらしかねないわけで。 核ミサエルの発射ボタン。下書きフォルダに入った爆弾メール。人前では言えない独り言。
Wikipediaの
ひまつぶし
がなんか面白かったんですが、研究室のY君によると
エアーキャップ
も
プチプチ
も登録商標らしいです。ふむふむ。
部屋の壁紙を決めるときは、辺り一面に張るとサンプルで見たときより案外濃くなるので、 すごく薄い色にするのが普通みたいです。 でも、ためしに空を写真に撮ってみたら、案外どぎつい色してるんですね。 天気が気分にも影響するわけだなぁ…
銀杏が色付く季節ですが、太陽の下よりも
青白い電灯
の方がきれいだと思います。 夜になると明かりがまばらだから、一本一本が際立つからでしょうか。いちょうにしたら一晩中照らされて迷惑この上ないでしょうが。
すごく大事なものの二者択一を迫られたとき、僕はどちらも選べずに最悪の結末を迎えてしまうんじゃないか、という想像を時々します。そのとき、僕が選んだのは「自分の価値観を変えない」という選択肢なのだと思います。
マンションの前に「分別されてないよ」という紙が張られたゴミが残されていて、一瞬びっくりしました。というのは、僕のと同じスーパーの袋だったからです。よく見ると他の人のだったのですが、考えて見ればこのマンションに住んでる人は僕と同じ場所で買い物してる人も多いわけで。あと立ち読みする本屋も同じで、勤務場所とか通学場所も僕の近くなんでしょう。でも生活は全くの平行線で、ゴミを見たときぐらいしか、互いの存在を意識することはありません。
一台のコンピューターでプログラムを走らせると、(時間を用いない限り)いつでも同じように動きます。しかし、二台以上で並列に動くプログラムでは、挙動は毎回変わるのが普通です。だから、「大体うまく動くプログラム」は書けても、「常に正しく動くプログラム」を書くのはすごく大変です。
一台と二台の違いは、「他者」の有無です。他者と協力するには、何らかの意思疎通が必要です。これまでは専ら「人間から仕事を与えられ、それを処理して人間に返す」ことをしてきたコンピューターにとって、同等の相手と協力できるようになるのは大きな飛躍だと思います。
ペットボトルって、買ってから捨てるまでに色んな風に見えます。 買ったときは「きれいだな」と思うけど、飲み終わって底に残りがたまってたりすると汚く見えます。 洗って水入れてみると、ジュースが入っていた時とは違った「透明な」きれいさを感じたり、 あと表面のフィルムをはがしてみると、「造形美」に気付いたり。 でもそのまま数日置いとくと、また薄汚くなってゴミにしちゃいます。
☆お気に入りは
これ
。透明な水入れるとすごくきれいだけど、もう生産中止な気がする…
炭素には「普通の炭素」と「変な(放射性の)炭素」があって、後者は放っておくと普通の炭素に変化します。 一方、空の上の方では宇宙線によって「普通の炭素」が「変な炭素」に変化しているので、自然界では両者の割合は一定です。
さて、生物はなんでも炭素を含んでいます。生物の体内では「変な炭素」は出来ませんが、生物は自然界と炭素をやり取りしているので、二つの炭素の比率は一定です。しかし生物が死ぬと「変な炭素」は減っていきます。この「減り具合」を見ると、木とか化石とかがいつまで生きていたのか推定できます。
これからふと思ったのは、生物が生きているというのは「流れがある」ことによって定義されるのだなぁと。外界から何かを吸収して、何かを排出している状態が「生きている」ということなのです。そしてそれは社会も同じで、外界からエネルギーや技術や文化を吸収し、ごみとか流行遅れのものとかを捨てて「生きて」いるのです。
感傷とかある種の感動は独り善がりなものだから、僕は他人にあえて伝えようとはしていません。でも、何かの拍子に伝われば嬉しいです。 自己表現欲ってのは、そこから来るんだろうな。
出されたごはんは残さず食べ、買った食材は無駄にしないのが主義なのですが(というか躾られた)、それで満足できるのは食品を扱う仕事をしていないからかもしれません。僕が買うのをためらった野菜は閉店後はごみとして処分され、賞味期限を過ぎたレストランの食事も捨てられてるわけです。米粒を残さず食べるとか、大根の葉っぱを食べる、なんてのは環境を考えているというより、趣味の範囲なのかもしれません。
ケガしてみると、人間という機械の作りにちょっとあきれてしまいます。皮膚とかなんでこんな弱く作ってあるんだろう…というと、それは自分で治せるからなのでしょう。「どうせ直せるんだから、必要最小限で作っとこう」って発想かな。こう書くと結構投げやりな感じがしますが、その分機械では生み出せないような高い性能が出せるのだと思います。
写真の補正っていうのは、色などを実際に写真を撮ったときの情景に近付ける…というよりは、その写真を一番魅力的な状態にするものです。 これってちょっと事実に正直でない気もしますが、自分の目や記憶も確かなものじゃないと考えれば、別にいいと思います。
(情報量は可逆変換しても失われないんだし。)
夜の横断歩道、押しボタンを押したのに全然青にならなくて、車も来ないので渡ってしまいました。 しばらく行って振り帰ると、ようやく青になる歩行者信号。待ちかまえたように来て、信号で止められる車。
押しボタン、取り消せたらいいんですが。でも法律とか制度とかで、似たような事は多いような。
みんなのうた「青空とタップダンス」って曲、リズムと歌詞とアニメーションと
電車
が好きでした。 「いつもと反対の海行き電車に乗ったの」ってやつ。(分かる人いるのか?)
アニメーションは
空色
がすごくきれいです。海というより空かな。 そして肝心の(?)
電車
はよく見ると井の頭線なのです。
僕は煙草吸わないし、煙は大嫌いです。 でも喫煙者だったら、普段味わってるものが社会によって禁止されるのには抵抗する気がします。
でも、健康に悪いものはともかく、世の中に「他人に迷惑をかけるもの」って他に余りないんですよね。 たとえば…ニンニクが禁止されるとか? うーん、時々食事がちょっと寂しくなるかなぁ。
先日プロバイダの某社から手紙が来たのですが、住所が間違ってました。 訂正の連絡しないと…と思いつつ開けてみると、 内容は「あなたの住所の情報が流出してしまいました」とのこと。 でも流出した住所って、この間違ったやつ? 同じように宛名間違った手紙が来たら、何か手がかりになるかも。
"ばね"って、いくらデザインの一部として使われているように見えても、 その形自体が機能を表しているから、やっぱり本来の機能は持っているわけです。 いくら大きくて硬くて動かなさそうに見えても、それなりの力に対してはそれなりに動くはずです。
(こんな文章書いてるからって、大きなかっこいいばねを見たわけではありません。 誰かのマウンテンバイクのオレンジ色のスプリングを見て思っただけです)
院試で最大の失敗は、面接で「とか」という表現を使ってしまったことでした。 いや、それが原因で落ちるわけはないんだけど、自分としてあまり好きな言葉じゃないので…
昔に録音された音楽を聞くと、なんか空気だけが昔に戻ったような不思議な感じがします。 空気の分子が30年前の状態に戻るわけはないんですが、音ってのは空気の振動だから、 これを再生すると、どこかのスタジオの「空気のベクトル場」が不完全ながら再現されるわけです。 言い換えると「スピーカー・空気を霊媒にして、30年前の空気振動の場を召喚してる」となります。
まだ動く機械を捨てる時はけっこう胸にぐっと来ます。 「君はこの世に生まれて、まだまだ働けると思ってるだろうけど、僕はもう必要としてないんだ…」 なんて考え出すといよいよ捨てられなくなります。
でも冷静に考えてみると、これって僕が心の中に機械の「感情」を勝手に作ってるわけで。 心理学的にみるとなかなか面白そうな現象ですね。
純粋な知的好奇心から自殺する人がいるなら、その行為は認めてもいいかなって思います。 この世界に嫌気がさしたからとか、具体的な神とか天国の存在を信じてるのは嫌です。
Tsutayaでレンタルの順番待ちの時にふと見たら、ずらっと並んでるカラフルなMDがかっこよくて、つい欲しくなりました。 CDのジャケットが「世界に一枚だけ」という個性をアピールするデザインだとすると、「生」メディアのデザインは何が入るか分からない、匿名の大量生産的なデザインなわけで。 でもその整然とした感じが何か素敵に思えました。
☆あ、でも大きなCDショップでずらっと並んでるCDもなんか健気で好きです。
林檎姫くらいになると
こんな謎解きページ
もあるんですねぇ。(「ストイシズム」って謎なミックスの歌詞解説です。) 他にも気になる「聞き取れない歌詞」はいろいろあるんですが、有名じゃない歌のは多分永久に謎なままです。
クーラーはあまり得意じゃないから、あまり動かさない方なのですが、 食事のときはつけてます。理由は…ミルクティーはホットで飲みたいし、 スパゲティーはあつあつのを気持ちよく食べたいから。
しかし熱的にはなんと贅沢な、と思ったりもします。そもそも僕って猫舌だし。
モスとかBeckersとかの立派なハンバーガーって、なかなかきれいに食べられません。 気づくと中身が半分くらいズレ落ちてるのです。 とはいえ、みんなが悪戦苦闘してるわけじゃないのを見るとなんかコツがあるんでしょうか。
子供のころ、白黒の写真やフィルムを見て、昔の世界は白黒だったんだ、とぼんやり思ってました。 今では、100年前だって世の中は今と同じような色だったはずだ、と分かっていますが、 ふと10年前を思い出してみると、僕の記憶もなんか色が褪せて、なんかセピア色に思えるのは不思議です。
アサリのスパゲティ(ボンゴレ)お気に入りなのですが、どうもいつも塩辛すぎます。 理由を考えてみてふと思い当たったのが、調理前の貝の生々しさです。 肉も魚も元は生き物なの分かってるんですが、やはり目の前で動いてるのは 迫力が違います。で、調子が狂って塩も入れ過ぎるような。 でも、どうせ食べるならおいしく食べてあげるのが貝のためだと思うので、 次回は気をつけることにします。
額縁と窓を関連付けるのはマグリットの絵が有名だけど、 同じようにビルの一つ一つの窓を額縁って考えるとなかなか面白いです。 夜の山手線から見えるオフィスビルの一つ一つの窓が一つ一つの絵になるわけで。
洗濯物を取り込んでいたら、たんぽぽ(?)の綿毛が付いてました。 近くに緑はそんなないはずなのに、どこから飛んできたんでしょうか。 誰かが吹いたのかな?
なぜ長調のメロディーは楽しく、短調のメロディーは悲しく 感じるのか、考えてみれば不思議です。 色について、「赤は怒り」「青は落ちついている」というのは 赤いものや青いものからの連想がありますが、 短調を悲しみに結びつける後天的知識はちょっと思いつきません。
前はやたらと街中でビラとか受け取ってたのですが、 いつからか平然と無視できるようになりました。 最近は、配ってる人と微妙な間合いを持って通り過ぎる癖が付き、 そもそも配ってくれないのですが、 おかげでポケットティッシュが足りなくて少し困ってます。
(データベースの本で) 「...PostgreSQLの日付データの扱いは、SQL92に比べるとかなり強力です。 たとえば、SQL92では紀元前の日付を扱えませんが、PostgreSQLでは 紀元前4713年からの日付を扱うことができます...」
中国の年表でも作ろうかなあ。
日本に住んでると、身の回りにそんなに古いものはありません。 そりゃお寺とか古い建物はあるけど、普段使っているものは10年前で十分古いくらいです。 そう考えると、昭和27年製とかのギザギザの十円玉って結構貴重なんだな、 と思います。
子供がなんか白いものを落としながら歩いてました。「まったく、ゴミなんか散らして…」と思いよく見ると桜の花びらでした。白い花びらの列を見ると、ちょっと爽やかな気分になりました。
今年は花粉が少なくて、ティッシュやマスクのメーカーが大打撃だそうです。業界の意向を反映して「経済対策で花粉を散布」とかならないことを祈ります。
春は花粉症なわけですが、不思議なことに何かに熱中してる時はけっこう平気です。それが、ふと気が散って「あ、なんかムズムズする?」と思ってごそごそするとアウトです。だから、最近では嫌な予感がしても気のせいだと思って、適当に自分をごまかしてます。
20 (-2004.3)
短歌や俳句みたいな「定型詩」って、形式に乗ることで「詩である」ことの気恥ずかしさを紛らわせてるのかな、とふと思いました。もちろん語呂の良さもあるけど。
今はやりたいことが多すぎるくらいだけど、そのうち年を取ったら好奇心も薄れてくるのかな、と想像したりします。 そんな生活が不幸だとは思わないし、それを成熟って言うのかもしれないけど、将来の自分がそうなってるのを想像するのはすごく嫌です。 だから、しばらくはちょっと無理してでも出来る限りのことをしておきたいな。
うっかり電車の座席にゴミを置き忘れてしまいました。 電車の中の人から「まったく今時の若者は…」とか言われてそうだと思うと、なんかすごく悔しい気がしました。
(これって恥の文化?)
英会話番組からの一コマ。
"Let's speak English!"→「私達は(let us)英語で話させてよ」
"Why don't you speak English!"→「なぜあなたは英語を話さないの」
うーん、Global Standardってこわい(勘違い)
たまたま見つけた
ここ
の
NiceAge(YMO)のナレーションの訳
面白いです。「もう一週間も経ってしまったので」-> 「これ以上ブチ込んでおくものアレなんで」。なるほど。他の部分も雰囲気出てます。
飛行機から見る下界は,物理的距離以上に離れてる気がします。模型のような町を見ていると、そこに人が生活しているとはすぐには信じられません。とはいえ、それは電車で隣に座っている見知らぬ人についても同じです。そこには別の空間があり、時間があり、今それは僕と接しているけれど、重なりあうことは決してないでしょう。
吉祥寺北口の商店街(サンロードというらしい)に行ったら、なんか雰囲気が変。しばらくして原因が分かりました。アーケードの屋根が無いのです。道間違えたかと思ってきょろきょろすると、いちお見慣れた店が並んでいますが、なんかいつもより貧相に見えます。道幅も狭く感じるし、「屋根って偉大なんだ」と実感しました。近々新しい屋根が出来るそうですが、この通りがどんな風に化けるか楽しみです。
パスポートを手にするとき、国という存在をとても力強く感じます。個人証明のページには「日本国民である本旅券の所持人を通路支障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の所管に要請する」と書かれているのですが、それは重要な使命を持った使者が持つ書状のようです。この世界は一人では大して力の無い人間たちによって構成されているわけですが、その人間の集団に拒絶されるというのは怖いものだし、保護してくれる集団があるのは心強いものです。
ページの色決め、家の液晶でばっちりの色を選んだはずが、大学のディスプレイで見ると全然違っててがっかりします。同じ「blue」でも、なんでこんなに違うんだ、っていうくらい違います。でも、インターネット使う人のディスプレイなんてほんとバラバラだろうから、その事実に気付いておくことは大事だと思います。
そうしてふと思ったのは、実は僕たちの目も人によってかなりばらばらなのではないか、と。僕が「赤」だと思っている感覚は、他の人が「赤」だと思うものとは違うのかもしれない。赤を「りんごの色」と例えたところで、じゃありんごがどう見えているのかはやっぱり分からない。そんなこと考えてると、人間の感覚ってものが信じられなくなってきます。
面白そうな脇道があったとき、寄り道してみるか、その話題は「将来やりたいことリスト(stack)」に入れておいて、とりあえずやるべきことを続けるべきなのか…。昔やってて、今役立ってるのはそういう「脇道」のような気もするのですが、最近は魅力的な脇道が多すぎて、どこに寄り道するか選ぶだけでも一苦労です。でも迷ってるうちに時間が経ってしまって、結局するべきことすら出来ていないのが現状だなぁ。
久しぶりに派手な少年事件ですね。中学生なんて幼すぎてロクに物事判断なんて出来ないだろう…とか、親も大変だな、とか思ってたら、ふと神戸で起きた例の事件を思い出しました。あの時は僕は犯人と同じ学年で、中学生でも一人前の事件が起こせるんだって変な感慨(?)に浸ってました。ふと気付くと自分の思考が完全に「大人側」の論理になってて、自分でもびっくりです。
popsの歌詞は、半ばTシャツのロゴと同じで意味を持たない記号だと思っています。ただ、時々「この表現いいな」って思うことはあります。でも、必要以上にいじくるのは嫌い。何となく歌詞が頭に入ってきて、一瞬はっとさせられる、それで十分です。
最近、「子供っぽさ」「チープさ」に関心があります。これだけきれいな看板が出まわると、もはやそうした広告では人目を引くことはできないから、敢えて下手な手書きの味を出すとか。音楽でも、あえてチープな音源を使うのは結構ポピュラーになっています。文化が行き着くところまでいったら、ちょっとくらい後戻りするのにも価値が出てくるみたい。これはひょっとすると「退廃的」なのかも。今後の展開が楽しみです。
どうでもいいんですが、山手線の英語の広告、戦略すごくうまいと思います。 何か普通の英語の番組に見せて、背景のあちこちにサッポロビールのアイテムが。問題数がやけに少ない三問で、その後すかさずビールの宣伝が入る。実はあの情けない犬もサッポロビールのキャラクターらしいです。
旅行でもなくぶらっと出かけるのが好きです。そうしていつも思うことは、こんなに家がたくさんあるのに、僕が帰れるのは世の中に一つしかない、ということです。「世界に一つしか当てはまらないもの」って自然界ではかなり不自然だと思います。
先日は数ヶ月前まで住んでた前の下宿見に行きました。どんな人が住んでるのか、家具とかどうやって置いてるのかかなり興味ありましたが、そこはもう自分の部屋ではないので、扉の向こうをあれこれ想像しながら駅に向かいました。
友達にブロードウェイのミュージカル「RENT」のCD貸してもらって聴きました。何となく、アメリカって強がってるけど精一杯なんだなと感じました。事実上世界一の力を持ってるけど、だからといって全てを余裕で受け止めるのではなく、自分は自分で悩んで真剣。僕はもうちょっと「低回派」のが趣味ですが。
高校の文化祭行ってきました。普段住んでる世界では大体一番若いほうなのですが、この日は久しぶりに先輩面して、 それとともにちょっぴり年も感じてしまいました。昔は若さに憧れる気持ちが分からなかったものですが...
もし世の中が永久に全く変化しないなら、時間は存在しない…といっていいでしょう。もし年中夏なら「季節」が存在しないように、今という時間、今日という時間は毎日の変化によってのみ存在し得るわけです。ひょっとして、「仙人」と言われる人たちは、変化を求める欲望を絶つことで時間を超越しているのか…とか空想してみたり。 (2003/4/6)
人より勉強好きとはいえ、やっぱり家にいるとネットサーフィンとかで遊んでしまうので、お勉強は外でしてます。お気に入りスポットとしては定番の図書館のほか、「電車の中」てのがあります。何でわざわざあんな揺れる車内で本読むの?て言われそうですが、電車の椅子ってけっこう座り心地良いし、何より車窓で時々リフレッシュできるのが素敵です。でもほんとは目に悪いんだろうなぁ… (2003/4/6)
世の中の問題、色々難しいですよね。小学生くらいだったら正と悪に分けて物事論ずるのもありだけど、いちお20年も生きてると、世の中もうちょっと複雑だと分かってきます。二つの立場があっても、それぞれに言い分はあって、どちらにも共感出来てしまう。そういう時、とりあえず自分としての結論を出すべきなのか、それとも曖昧なままで済ませていいのか… 国民が積極的に発言することを期待する「強い民主主義」なら、当然自分の意見はどちらか持たないといけないですが、僕はそれは自分の半分に不誠実な気がして出来ません。 (2003/3/19)
19 (-2003.3)
古文なんてほとんど忘れてしまったけど、「かたはらいたし」って言葉はすごく実感わくので覚えてます。確か、「他人の行動が、こっちが見ていられないくらい見苦しい」みたいなニュアンスだったと思う。高校ぐらいの頃は今よりもっとシャイ(自意識過剰!?)だったから、その分他人の行為に対しても見苦しいって思うことが多かったけど、今は自分に甘くなってきた分「かたはらいたし」って感じることも少なくなりました。
ほんと久しぶりに見つけました
メトロポリタンミュージアム
(リンク切れです)。古い「みんなのうた」です。この曲、青白いアニメーションのイメージとともにかなり印象に残ってます。このミステリアスな「メトロポリタンミュージアム」ニューヨークとは別に、世界のどこかにあるはず…って気がします。
喫茶店で勉強…ってのはいまいち落ち着かなくて、余りしたことが無いです。お金がもったいないというよりも、何となく周りの視線が気になるので。でも昨日は図書館を五時に追い出された&試験勉強が切羽詰まってたので、渋谷のドトールに入ってみました。カウンターに座ってしばらく勉強してたら隣からどこかで聞いたことのある声が。高校の同級生でした。でも何となく声かけるのはためらわれて、そのまま二時間ほどして彼は帰ってしまいました。多分もう一生合わないんだろうなぁ、と思うと、さっき声をかけなかったのがやけに悔やまれました。
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2008/11/16 /
Kei Takahashi
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