funini.com -> Harry Potter -> and the half-blood prince -> 第二十八章:なくなった鏡

ハリーポッターと死の聖物 (Harry Potter and the Deathly Hallows)

第二十八章:なくなった鏡

 ハリーの足が道に触った。心がうずくように懐かしいホグズミードの本通りが見えた。暗い店の表、村の向こうの暗い山々の輪郭、ホグワーツに続いている道の曲り、三本の箒亭の窓からは光がこぼれていた。ハリーは、心がぐらっとよろめき、ほとんど一年前、瀕死の状態に弱ったダンブルドアを支えて、ここに着地したことを、鋭く正確に思いだした。そこまでで着地後、一秒以内だったが、ー、それから、ロンとハーマイオニーと、にぎっていた手をゆるめた、ちょうどそのとき、次のことが起こった。

 カップを盗まれたと悟ったときのヴォルデモートの声のような叫び声が大気をつんざいた。それは、ハリーの神経のすみずみまでを引きさくような気がしたが、すぐ、自分たちが到着したのが、その原因だと分った。マントの中で他の二人を見たちょうどそのとき、三本の箒亭の扉がさっと開いて、マントを着てフードをかぶったデス・イーターが一ダース、杖を上げて通りに飛びだしてきた。

 ハリーは、ロンの手首をつかんで、杖を上げたが、気絶させるには多すぎる相手だったし、呪文をかけようとしただけで、居所がばれそうだった。デス・イーターの一人が杖を振ると叫び声は止まったが、まだ遠くの山々にこだましていた。

 「アクシオ・マント!(マントよ来たれ)」とデス・イーターの一人が叫んだ。

 ハリーは透明マントの裾をつかんだが、召還の呪文は効かなず、マントは飛び去る気配がなかった。

 「では、かぶり物の下に隠れているのではないのか、ポッター?」召還の呪文をかけようとしたデス・イーターが叫び、次に仲間に叫んだ。「散らばれ。やつはここにいる」

 六人のデス・イーターが、こちらに向って走ってきた。ハリー、ロン、ハーマイオニーは、できるだけ速く近くの横道に引っこんだので、すんでのところでデス・イーターに捕まらなかった。ハリーたちは、走りまわる足音を聞きながら、暗闇の中で待っていた。デス・イーターが彼らを探そうとして、通りに沿って杖の光を浴びせた。

 「このまま行きましょ!」ハーマイオニーがささやいた。「今、姿くらましするのよ!」

 「すごくいい考えだ」とロンが言った。けれど、ハリーが返事をする前に、デス・イーターが叫んだ。「おまえが、ここにいるのは分っているぞ、ポッター! 逃げ道はない! われわれが見つけてやる!」

 「彼らは、僕たちが来るのに備えていたんだ」とハリーがささやいた。「僕たちが来たのを知らせるように、あの叫び声の呪文を仕掛けてあった。僕たちを、ここに留めて、閉じこめるため、何かしてあると思う、ー」

 「デメンターはどうだ?」別のデス・イーターが呼びかけた。「デメンターを自由にしろ、やつを、すぐに見つけだすだろう!」

 「ダーク・ロードは、彼以外の手によってポッターが死ぬのは望まない、ー」

 「ー、が、デメンターは、殺しはしないぞ! ダーク・ロードはポッターの魂でなく、命が欲しいのだ。最初に、デメンターにキスされていれば、殺すのが簡単になるだろうよ」

 同意のざわめきが上がった。ハリーの心が恐怖でいっぱいになった。デメンターを追いはらうためには、パトロナスを出さなくてはならない。そうすれば、たちどころに居場所が分ってしまう。

 「姿くらましをしてみなくては、ハリー!」ハーマイオニーがささやいた。

 ちょうど彼女がそういったとき、通りに不自然な寒さが忍びよってくるのを、ハリーは感じた。まわりの明かりが、真上の星に吸いあげられ、星が見えなくなった。真っ暗闇の中で、彼はハーマイオニーが手を取るのが分った。彼らは、いっしょにその場で回った。

 彼らが動くのに必要な空気が、固まってしまったようで、姿くらましができなかった。デス・イーターは巧みに呪文をかけていた。寒さが、ハリーの皮膚の深くにどんどん食いこんできた。彼とロンとハーマイオニーは、手探りで壁を伝い、音をたてないように気をつけながら横道の奥の方に進んでいった。そのとき、角を曲ると、デメンターが音もなく滑るようにやってきた。十かそれ以上もいたが、黒いマントとかさぶたのある朽ちた手で、周囲よりもっと濃い暗闇をつくっているので、その姿が目に見えた。彼らは、近くに恐怖の感情があるのが分るのだろうか? ハリーはそうだと確信した。彼らは、今はもっと速く向ってくるようだった。空中の絶望を味わいながら、ハリーが憎悪する、ひきずるようなガラガラいう息をさせて、忍びよってきた、ー

 ハリーは杖を上げた。後に何がおころうとも、デメンターにキスされることはできない、そのつもりはない。彼は、ロンとハーマイオニーのことを考えながら、ささやいた。「エクスペクト・パトロナム!」

 銀の雄ジカが、杖からさっと飛びだして突進した。デメンターは追いちらされたが、どこか見えないところから勝ちほこった叫び声があがった。

 「やつだ、向こうだ、向こうだ、パトロナスを見たぞ、雄ジカだった!」

 デメンターは退却し、星がまたあらわれた。デス・イーターの足音が大きくなってきた。けれど、ハリーがろうばいして、どうしたらいいか決めないうちに、近くで差し錠がこすれる音がして、狭い通りの左手の扉が開き、荒々しい声が言った。「ポッター、中へ、速く!」

 ハリーはためらわずに従い、三人とも開いた戸口に駆けこんだ。

 「二階へ。マントをかぶったままで、静かにしていろ!」と背の高い人影が小声で言って、彼らを通し、自分は通りに出て、後ろ手にバタンと扉を閉めた。

 ハリーは、どこにいるのかさっぱり分らなかったが、一本しかないロウソクの火がちらちらする中で、汚い、おがくずがまき散らされた、ホグズ・ヘッドの酒場なのが分った。彼らは、カウンターの後ろに走っていき、二つめの戸口を通ると、その先に、ぐらぐらする木の階段があったので、できるだけ速く上った。階段を上ったところは居間で、すり切れた絨毯と、小さな暖炉があり、その上には、一枚だけ、金髪の少女の大きな油絵が掛かっていた。彼女は、うつろな優しさといった表情で、部屋を見おろしていた。

 下の通りから叫び声が聞えてきた。彼らは、まだ透明マントを着たまま、汚い窓に忍びよって見おろした。ハリーに、ホグズヘッドの酒場の主人だと分った彼らの救い主が、フードをかぶっていない唯一の人だった。

 「それがどうした?」酒場の主人は、フードをかぶった人にどなった。「それがどうした? おまえらが、デメンターを俺の通りによこしたら、俺は、パトロナスで追いはらうぞ! あいつらを俺の近くにうろつかせることはしない、そう言ったはずだ。俺の近くにうろつかせることはしない!」

 「あれは、おまえのパトロナスではなかった!」とデス・イーターが言った。「あれは雄ジカだった。ポッターのだ!」

 「雄ジカだと!」と酒場の主人がどなって、杖を引きだした。「雄ジカ! ばかもん、ー、エクスペクト・パトロナム!」

 大きくて角のあるものが、杖の先から飛びだした。それは頭を低くして、本通りに向って突進し、見えなくなった。

 「あれは、俺が見たものじゃない、ー」とデス・イーターが言ったが、さっきより確信が持てないようだった。

 「夜間外出禁止令が破られた。おまえも音を聞いただろう」仲間の一人が、酒場の主人に言った。「何者かが、規則を破って通りに出たのだ、ー」

 「もし、俺がネコを出したけりゃ、外に出るさ。おまえらの禁止令などクソくらえだ!」

 「おまえが、『ギャーギャーわめく呪文』を発動させたのか?」

 「俺がやったらどうだってんだ? アズカバンへ、しょっぴくか? うちの戸口から、鼻を突きだしたから、俺を殺すのか? そんなら、やるがいい。やりたけりゃな! だが、おまえらのために言っとくが、ケチな闇の印を上げて、彼を呼びつけない方がいいぜ。彼は、俺と、年寄りネコのために呼びつけられたかないだろう?」

 「俺たちのことは心配するな」とデス・イーターの一人が言った。「自分の心配をしろ、夜間外出禁止令を破るとは!」

 「で、俺の酒場が店じまいしたとき、おまえらは、薬や毒薬をどこへ密売したんだ?  おまえらのケチな副業はどうなると思うか?」

 「脅迫するのか、ー?」

 「俺は黙っている。おまえらが、ここに来た理由がそれならだが?」

 「俺は、まだ雄ジカのパトロナスを見たと思っているぞ!」と最初のデス・イーターが叫んだ。

 「雄ジカだと?」と酒場の主人がどなった。「ヤギだ、ばかもん!」

 「分った、俺たちのまちがいだ」と二番目のデス・イーターが言った。「今度、夜間外出禁止令を破ったら、ようしゃせんぞ!」

 デス・イーターは本通りの方に戻っていった。ハーマイオニーがほっとしてうめき声を上げ、マントの下から、もぞもぞとはい出して、脚がぐらぐらする椅子に座った。ハリーはカーテンをしっかり閉め、自分とロンからマントを取った。下にいる酒場の主人が酒場の差し錠をかけて、階段を上ってくる音が聞えた。ハリーの注意が、暖炉の上の、ある物に引きつけられた。それは、少女の肖像画の真下に、もたせかけてある小さな長方形の鏡だった。

 酒場の主人が部屋に入ってきた。

 「大ばか者めが」彼は、一人ずつ顔を見ながら、ぶっきらぼうに言った。「ここに来るとは、何を考えとるんだ?」

 「ありがとう」とハリーが言った。「お礼を言っても、言いつくせない。僕たちの命を救ってくれて」

 酒場の主人は、ぶつぶつうなった。ハリーは近づいて、顔を見あげ、長いごわごわの灰色の髪とあごひげの奥をのぞきこもうとした。彼は眼鏡をかけていたが、その汚れたレンズの向こうの目は、突きとおすような鮮やかな青だった。

 「鏡の中に見えたのは、あなたの目だった」

 部屋の中に、沈黙が満ちた。ハリーと酒場の主人は見つめあった。

 「あなたがドビーをよこしてくれたんだ」

 酒場の主人はうなずいて、エルフはいないかと見まわした。

 「彼は、君たちといっしょだと思っていた。どこに置いてきたのか?」

 「彼は死にました」とハリーが言った。「ベラトリックス・レストレインジが殺した」

 酒場の主人の表情は変らなかった。しばらくして、彼は言った。「それは悲しい。俺は、あのエルフが好きだった」

 彼は後ろを向いて、杖で突いてランプを灯し、誰の顔も見なかった。

 「あなたは、アバーフォースだ」とハリーが、男の背中に言った。

 男は、肯定も否定もしないで、身をかがめて暖炉に火をつけようとした。

 「どうやって、これを手に入れたんですか?」ハリーは尋ねながら、シリウスの鏡の方に近づいた。それは、ほとんど二年前に、ハリーが割った鏡の片割れだった。

 「ダングから買った、一年ほど前に」とアバーフォースが言った。「アルバスから、どういうものか聞いていた。君を捜そうとしてきた」

 ロンが、はっと息を飲んだ。

 「銀の雌ジカだ!」と興奮して言った。「あれも、あなた?」

 「何のことを言っているのか?」とアバーフォースが言った。

 「誰かが、僕たちに、雌ジカのパトロナスを寄こしたんだ!」

 「その程度の頭じゃ、デス・イーターになれるぞ。俺のパトロナスはヤギだと証明してみせなかったか?」

 「ああ」とロンが言った。「うん・・・あのう、僕、腹ぺこなんで!」彼は、おなかが大きな音でゴロゴロ鳴ったので、弁解するようにつけ加えた。

 「食べ物はある」とアバーフォースが言って、部屋からそっと出ていき、少しして、大きなパンと、チーズと、ミード酒の入った銅の水さしを持ってきた。そしてそれを、暖炉の前の小さなテーブルに並べた。彼らは、がつがつと食べたり飲んだりした。しばらくの間、火のぱちぱち燃える音、コップがカチャンという音、もぐもぐ食べる音しか聞えなかった。

 「よし、それじゃ」とアバーフォースが言った。おなかいっぱい食べおわり、ハリーとロンは椅子の上で、うとうとして前屈みになっていた。「君たちを、ここから出す最良の方法を考えなくてはならん。夜はだめだ。暗闇の中で、誰かが外で動いたら、どうなるか聞いただろう。『ギャーギャーわめく呪文』が発動して、ドキシーの卵をねらうボートラックルのように、やつらは君たちに気づくだろう。俺は、二度めは、雄ジカをヤギだと言いくるめることはできん。明け方まで待て、外出禁止令が解けたら、また透明マントをかぶって歩いて出発するんだ。ホグズミードから、まっすぐ出て、山の中に行けは、姿くらましできる。ハグリッドに会うかもしれん。逮捕されそうになってから、グロープといっしょにあそこの洞穴に隠れているからな」

 「僕たちは、行かない」とハリーが言った。「ホグワーツに戻らなきゃならない」

 「ばかなことを言うな」とアバーフォースが言った。

 「そうしなけりゃならないんだ」とハリーが言った。

 「君がしなけりゃならないことは、」とアバーフォースが前にのりだして言った。「ここからできるだけ遠くに行くことだ」

 「あなたは分っていない。あまり時間がないんだ。僕たちは、城の中に入らなけりゃならない。ダンブルドアが、ー、つまりあなたの兄さんが、ー、僕たちに望んで、ー」

 暖炉の火で、一瞬、アバーフォースの汚い眼鏡のレンズがくすんで、真っ白に輝いた。ハリーは、巨大グモのアラゴグの盲目の目を思いだした。

 「俺の兄、アルバスは、たくさんのことを望んだ」とアバーフォースが言った。「そして、兄が、壮大な計画を実行するあいだ、いつも、まわりの人間が傷ついてきた。君は、学校から離れろ、ポッター、できれば国外に逃げろ。兄と、その賢い計略は忘れろ。兄は、その計略の何にも傷つけられないところへ行ってしまった。君も、兄に何も負い目を感じる必要はない」

 「あなたは分っていない」とハリーがまた言った。

 「ああ、そうかな?」とアバーフォースが静かに言った。「君は、俺が自分の兄を理解していなかったと思うのか? 君は、俺より、アルバスのことをよく知っていたと思うのか?」

 「そういう意味じゃなくて、」とハリーが言ったが、極度の疲労と、食べすぎとミード酒の飲みすぎで、頭の働きが鈍かった。「それは・・・彼が、僕に仕事を残したんだ」

 「今でもか?」アバーフォースが言った。「いい仕事、だといいが? 楽しいか? たやすいか? 未成年の魔法使いの子どもが、背伸びしすぎず、できるようなたぐいのことか?」

 ロンが、こわい笑いを浮かべ、ハーマイオニーは緊張しいるようだった。

 「僕、ー、それは簡単じゃない、全然」とハリーが言った。「でも、僕、やらなくちゃ、ー」



 「『やらなくちゃ』だと? なぜ『やらなくちゃ』ならん? 兄は死んだ、そうだろ?」とアバーフォースが、荒々しく言った。「放っとけ、兄の後を追う前に! 自分を大事にしろ!」

 「できない」

 「なぜだ?」

 「僕は、ー」ハリーは困惑していた。説明できなかったので、代りに、攻撃体勢を取った。「でも、あなたも戦ってる、あなたは騎士団のメンバーだ、ー」

 「だった」とアバーフォースが言った。「フェニックス騎士団は、やられた。例のあの人の勝ちだ、終わりだ。そうでないふりをしているやつは、自分をごまかしているんだ。君がここにいるのは決して安全じゃない、ポッター、彼は、あまりにひどく君を捕まえたがっている。だから海外へ行って、隠れて身を守れ。この二人を連れていけば一番いい」そして、親指をぐいとロンとハーマイオニーに向けた。「この二人も、長くいるほど、危険になるだろう。君といっしょに活動していることを、誰もが知っているからな」

 「僕は行けない」とハリーが言った。「仕事がある」

 「他の誰かに、渡せ!」

 「できない。僕がやることになってる、ダンブルドアが、説明してくれた、みんなー」

 「ああ、兄が、今でもか? で、兄はすべて話したのか、君に正直だったか?」

 ハリーは、心の底から「はい」と言いたかった。けれど、どういうわけか、その簡単なことばが、唇に上ってこなかった。アバーフォースは、ハリーの思っていることが分ったようだった。

 「俺は、兄を知っていた、ポッター。兄は子どもの頃に、秘密にすることを覚えた。秘密と嘘、それで、われわれは育った、そしてアルバスは・・・秘密にかけては、天性の素質があった」

 老人の目が、暖炉の上の少女の画の方へ向いた。それは、ハリーがしっかり見まわすと、部屋でただ一枚の画だった。アルバス・ダンブルドアの写真も、他の誰の写真もなかった。

 「ダンブルドアさん?」とハーマイオニーがおずおずと言った。「それは、妹さん? アリアナですか?」

 「そうだ」とアバーフォースが、ぶっきらぼうに言った。「リタ・スキーターを読んだかね、娘さん?」

 暖炉のバラ色の光の中でさえ、ハーマイオニーが真っ赤になったのが、はっきり分った。

 「エルフィアス・ドージェが、彼女のことを言ったんです」とハリーが、ハーマイオニーを助けようとして言った。

 「あのまぬけな年寄りめ」とアバーフォースが、ぶつぶつ言いながら、またミード酒をぐいっと飲んだ。「あいつは、兄のすべての開口部から太陽が輝いていると思っていた。まあ、その表情からすると、君たち三人も含め、たくさんの人たちがそう思っていた」

 ハリーは、静かにしていた。何か月ものあいだ、ダンブルドアが、謎めいたことを言っていたことについて疑う気持ちやあてにならないという気持ちを抱いたことを表明したくはなかった。彼は、ドビーのお墓を掘っているあいだに、選択をして、アルバス・ダンブルドアに示された曲がりくねった危険な道をたどっていこう、知りたかったすべてを話してもらえなかったことを受けいれ、ただ単純に信頼しようと決心していた。もう二度と疑いたいとは思わなかった。目的から逸らすようなことは何も聞きたくなかった。それで、じっと見つめるアバーフォースと目を合わせた。それは、兄の目に、驚くほどよく似ていた。輝く青い目は、凝視する物体をエックス線のように見とおすような、兄の目と同じ印象を与えた。ハリーが何を考えているか、アバーフォースは知っていて、軽蔑していると思った。

 「ダンブルドア先生は、ハリーを愛していました、とても」とハーマイオニーが低い声で言った。

 「そうだったのか?」とアバーフォースが言った。「おかしなことだが、兄が、とても愛した人が、どれほど多く、そのまま放っといたよりも、悪い状態に陥ったことか」

 「どういう意味ですか?」とハーマイオニーが、かたずをのんで尋ねた。

 「気にするな」とアバーフォースが言った。

 「でも、それは、口に出すには、とても重大なことだわ!」とハーマイオニーが言った。「あなたは、ー、あなたは、妹さんのことを話しているのですか?」

 アバーフォースが、彼女をにらみつけた。言わずにおいたことばを、口の中でかみしめいているかのように、その唇が動いた。それから一気にしゃべりだした。

 「妹が六才のとき、三人のマグルの少年に襲われた。彼らは、こっそり裏庭の垣根からのぞいて、妹が魔法をつかっているのを見た。妹は小さかったので、力を抑えることができなかった。その年では、どんな魔女や魔法使いでもできない。彼らは、それを見て恐がったのだと思う。垣根をかきわけて入りこみ、妹が、その種明かしをすることができないと、逆上して、そのチビの奇形がやることを止めさせようとした」

 ハーマイオニーの目が、暖炉の火の明かりの中で大きく見開かれた。ロンは、少し気分が悪くなったようだった。アバーフォースが立ちあがった。ダンブルドアのように背が高く、怒りと、激しい苦痛で恐ろしく見えた。

 「彼らのしたことで、妹はおかしくなった。二度と正常に戻らなかった。魔法を使おうとしなかったが、魔法から抜けだすこともできなかった。その力は内側に向き、妹の気を狂わせた。その力を自分で抑えられないときは外に爆発し、ときどき、妹は様子が変になり、危険になった。だが、たいていは、優しく、恐がりで、他に危害は加えなかった。

 「父は、それをやったやつらを追いかけて」とアバーフォースが言った。「襲った。それのために、アズカバンへ閉じこめられた。父は、なぜ、そうしたか理由を言わなかった。もしアリアナがどうなったかを魔法省が知ったら、永久にセントマンゴ病院に閉じこめられただろう。妹のように不安定で、魔法の力を自分で抑えられなくなると、ときどき外に爆発するような存在は、国際秘密法を脅かす深刻な存在だとみなされただろうから。

 「われわれは、妹を安全に秘密にしておかなくてはならなかった。引っこしして、妹は病気だという噂を広めた。母が妹の面倒をみて、落ちつかせ、楽しくさせておこうとした。

 「俺は、妹のお気に入りだった」彼は言ったが、そう言ったとき、アバーフォースのしわと、もつれたあごひげを通して、小汚い学校の生徒が顔を出したようだった。「アルバスは、そうじゃなかった。家にいるときは、いつも二階の自分の寝室にいて、本を読み、賞の数を数え、『当時の最も著名な魔法界の有名人たち』と文通を続けていた。アバーフォースは、せせら笑った。「兄は、妹にわずらわされたくなかった。妹は、俺のことが、いちばん好きだった。母といて食べようとしないときに、俺なら食べさせることができた。妹が、ひどく荒れくるったとき、俺なら落ちつかせることができた。妹がおとなしいときは、ヤギに餌をやるのを手伝ってくれた。

 「それから、妹が十四になったとき・・・ほら、俺はその場にいなかったんだ」とアバーフォースが言った。「もし俺がいれば、妹を落ちつかせることができただろう。妹は、またひどく荒れくるったが、母は、もう昔のように若くなかった。で・・・あれは事故だった。アリアナは、自分を抑えることができなかった。だが母は死んだ」

 ハリーは、恐ろしさと、哀れみと嫌悪が混じった気持ちがした。もうこれ以上聞きたくなかったが、アバーフォースは話しつづけた。ハリーは、彼が、このことを前に語ったのはどのくらい昔だろうか、それとも、そもそも、このことを人に語ったことがあるのだろうか、と思った。

 「それで、アルバスがチビのドージェと世界旅行をする計画がつぶれた。二人は、母の葬儀に帰ってきた。それから、ドージェは一人で出発し、アルバスは、家族の長としておさまった。ほう!」

 アバーフォースは、暖炉の火につばを吐いた。

 「俺が、妹の面倒をみる、と兄に言った。学校なんて気にしなかった。家にいて、そうしようと思った。兄は、学校を卒業しろと言った。で、兄が母の代りになった。優秀なお方には、少し期待はずれだっただろうよ。半分正気でない妹の面倒をみて、一日おきに妹が家を吹きとばすのを止めても、賞はもらえないからな。だが、数週間は、よくやった・・・あいつが来るまでは」

 今や、明らかに危険な表情が、アバーフォースの顔にゆっくりとあらわれた。

 「グリンデルワルドだ。とうとう兄は、対等に話せる相手ができた。自分と同じくらい優秀で、才能があるやつだ。そこで、アリアナの面倒をみることは二の次になり、新しい魔法界の秩序を打ちたてるため、聖物を探すため、他にも彼らが興味があることは何のためでも、あらゆる計画を練っていた。魔法使いすべてのための壮大な計画。アルバスが『より大きな益』のために働いているときに、もし少女が一人無視されたとしても、何の問題があろうか、?

 「だが、数週間後、俺はもううんざりだと思った、俺はね。もうすぐホグワーツに戻るときだった。だから、彼らに言った、彼ら二人にね、面と向って、今、君に対しているように」そして、アバーフォースはハリーを見おろした。やせて、怒って、年上の兄に相対している十代の少年を、想像するのはたやすかった。「俺は兄に言った。計画は、今あきらめた方がいい。兄さんの計画で、兄さんが、支持者を駆りたてようとして、巧みな演説をするために、どこに行くことになっていようとも、妹を移動させることはできない、そんな状態じゃない。いっしょに連れていくことはできないとね。あいつは、それが気に入らなかった」とアバーフォースが言った。その目が、眼鏡のレンズの上に暖炉の火の光が当たり、しばらくのあいだ、また白く輝いて見えなくなって、ふさがれた。「グリンデルワルドは、それがまったく気に入らなかった。彼は怒った。俺が、彼と優秀な兄の邪魔をしようとするとは、なんとばかな子だと言った・・・彼らが世界を変えて、魔法使いを隠れ場所から出して、マグルに自分たちの居場所を教えてやれば、かわいそうな妹が、もう隠れなくてよくなるのが分らないのか?

 「言い争いになった・・・俺は杖を引きだし、あいつも自分の杖を出した、で、兄の親友に拷問の呪文をかけられた、ー、アルバスは、あいつを止めようとした、それから三人が決闘になった、閃光とドンという音が、妹に作用した。妹は、それに耐えられなかった、ー

 致命的な傷を負ったように、アバーフォースの顔から血の気がひいた。

 「ー、妹は助けたかったのだと、思う。だが、何をやっているのか、実は分っていなかった。誰がやったのか、俺には分らないが、俺たちの誰かがやったのかもしれない、ー、で妹は死んだ」

 彼の声は、最後のことばで途切れ、近くの椅子に座りこんだ。ハーマイオニーの顔は涙に濡れ、ロンは、アバーフォースと同じくらい青白かった。ハリーは、反感以外の何も感じなかった。聞かなければよかったと思った。心から、それを洗い流したいと思った。

 「とても・・・とてもお気の毒なことです」ハーマイオニーが、ささやいた。

 「行ってしまった」とアバーフォースが、しゃがれ声で言った。「行ってしまった、永久に」

 彼は、袖で鼻を拭き、咳払いをした。

 「もちろん、グリンデルワルドは逃げだした。自分の国で、ちっとばかり前科があったんで、アリアナも、それに加えたくはなかったんだ。で、アルバスは自由になった、だろ? 妹の重荷から自由になり、自由になって、偉大な魔法使いに、ー」

 「彼は、決して自由になっていなかった」とハリーが言った。

 「何だって?」アバーフォースが言った。

 「決して」とハリーが言った。「あなたの兄さんが亡くなった夜、彼は、心が正常でなくなる毒薬を飲んだ。彼は叫びはじめて、そこにいない誰かに嘆願していた。『彼らを傷つけないでくれ、どうか・・・代りに私を傷つけてくれ』」

 ロンとハーマイオニーは、ハリーを見つめていた。彼が、湖の島でおきたことの細かいところを話したことはなかった。彼とダンブルドアがホグワーツに戻った後、おこった出来事は、完璧にくり返されたのだが。

 「彼は、あなたとグリンデルワルドといた、あそこに戻ったんだと思う。そうだと思う」とハリーは、ダンブルドアが泣き声で嘆願するのを思いだしながら、言った。「彼は、グリンデルワルドが、あなたとアリアナを傷つけるのを見ていると思っていたんだ・・・それは、彼にとって拷問だった。もし、あなたが、あのときの彼を見たら、彼が自由になったとは言わなかったはずだ」

 アバーフォースは、われを忘れて、自分の節くれだった、血管の浮きでた両手をじっと見つめているようだった。長いあいだたってから、彼は言った。「君は、どうして確信できるのだ、ポッター、兄が、君よりも、『より大きな益』の方に興味を抱いていなかったと? 君が、俺の妹のように、見捨ててもいいものではないと思っていたと、どうして確信できるのだ?」

 氷の破片が、ハリーの心を貫くような気がした。

 「私は、そうは思わない。ダンブルドアは、ハリーを愛していたわ」とハーマイオニーが言った。

 「それなら、なぜ彼に隠れるように言わなかったのだ?」とアバーフォースが言いかえした。「なぜ言わなかったのだ、気をつけろ、生きのびる方法はこれだと?」

 「なぜなら」とハリーが、ハーマイオニーが答える前に言った。「ときには、自分の身の安全以上のことを考えなくてはならないからだ! ときには、より大きな益のことを考えなくてはならないからだ! これが戦争だ!」

 「君は、十七才の少年だ!」

 「僕は成人した。たとえ、あなたがあきらめても、僕は戦いつづける!」

 「俺があきらめたと、誰が言った!」

 「『フェニックス騎士団は、やられた』」ハリーがくり返した。「『例のあの人の勝ちだ、終わりだ。そうでないふりをしているやつは、自分をごまかしているんだ』」 「それが、気に入ったとは言わないが、真実だ!」

 「いや、そうじゃない」とハリーが言った。「あなたの兄さんは、例のあの人をやっつける方法を知っていて、それを僕に伝えた。僕は、成功するまで進みつづける、ー、でなければ、死ぬまで。これが、どんなふうに終るか僕が知らないとは思わないでほしい。僕は、何年も前から知っているのだから」

 ハリーは、アバーフォースが、あざけるか言い争うかするのを待ったが、彼は、どちらもしないで顔をしかめていただけだった。

 「僕たちは、ホグワーツに入らなくてはならない」ハリーが、また言った。「もし、あなたが助けてくれないなら、夜明けまで待って、あなたを平和な状態に残して、僕たちで道を探す。もし、助けてくれるなら、ー、あのう、今が、教えてくれるのに、ちょうどいいときじゃないかと」

 アバーフォースは、椅子の中でじっとしたまま、驚くほど兄にそっくりな目でハリーを見つめていた。とうとう、彼は咳払いをして、立ちあがり、小さなテーブルのまわりを歩いて、アリアナの肖像画に近づいた。

 「おまえは、どうするか分っているな」彼は言った。

 彼女はほほえみ、ふりむいて、ふつう肖像画の人たちがするように、額縁の両側から出ていくのではなく、彼女の後ろに描かれている長いトンネルのようなものに沿って歩いていった。彼らは、彼女の細い姿が、だんだん小さくなって、ついに暗闇に飲みこまれるのを見守っていた。

 「あのう、ー、それで?」とロンが言いはじめた。

 「今となっては、ただ一つの道しかない」とアバーフォースが言った。「昔の秘密の通路はすべて両側からふさがれている。境の塀にはすべて、デメンターがいる。俺の情報源の話では、学校内は規則的に見まわりされている。あそこが、これほど厳重に守られたことはない。いったん校内に入ったとして、どうやって何ができるというのだ。スネイプが管理し、カロウたちがその補佐だ・・・うーむ、それが、君の前途だ、そうだな? 君は死ぬ覚悟があると言ったな」

 「でも何が・・・?」とハーマイオニーが顔をしかめて、アリアナの肖像画を見つめた。

 描かれたトンネルの向こうの端に、また小さな白い点があらわれて、アリアナが、彼らの方に戻ってきて、近づくにつれ、どんどん大きくなってきた。だが、今度は、彼女といっしょに他の誰かがいた。その人は、彼女より背が高く、脚をひきずっていて、興奮しているようだった。ハリーが前に見たより、髪がのびて、顔に、長くて深い切り傷がいくつかあり、服は裂けて破れていた。二人の姿は、どんどん大きくなって、ついに二人の頭と肩で肖像画がいっぱいになった。それから、画全体が、小さな扉のように前方にさっと動き、本物のトンネルへの入り口があらわれた。そして、そこから、髪がのびすぎ、顔には切り傷、ローブが裂けている本物のネビル・ロングボトムが、はいだしてきた。そして、喜びの叫び声を上げながら、暖炉の上から飛びおりて叫んだ。「君が来ると、僕には分っていた! 分っていたよ、ハリー!」

funini.com -> Harry Potter -> and the half-blood prince -> books -> 第二十八章:なくなった鏡