ハリーポッターと死の聖物 (Harry Potter and the Deathly Hallows)
第十三章:マグル出身者登録委員会
「あら、マファルダ!」とアンブリッジが、ハーマイオニーを見ながら言った。「トラバースに、ここへ来るように言われたの?」
「え、ー、ええ」とハーマイオニーがキーキー声で言った。
「いいわ、あなたなら、完璧にうまくやれるわ」アンブリッジが黒と金のローブの魔法使いに話しかけた。「それで、あの問題は解決よ、大臣。マファルダが議事録をとるために寄こされたから、すぐに始められるわ」彼女は、紙ばさみを確認した。「今日は十人。その一人は、魔法省職員の妻よ! ったくもう・・・ここ、魔法省の中心部でさえ!」彼女は、大臣といっしょにアンブリッジの話を聞いていた二人の魔法使いといっしょに、エレベーターのハーマイオニーの隣に乗りこんだ。「下に直行するわ、マファルダ。あなたが必要なものはすべて法廷室にあるでしょう。おはよう、アルバート、あなた、下りないの?」
「もちろん下ります」とハリーがランコーンの深い声で言った。
ハリーはエレベーターから下りた。金の格子が後ろでガランと閉まった。ちらっとふりかえると、背の高い魔法使いたちに、はさまれ、肩のところにアンブリッジのビロードの髪飾りのリボンがきているハーマイオニーの不安そうな顔が、下がっていって見えなくなった。
「なぜ、ここまで上がってきたのかね、ランコーン?」と新しい魔法大臣が尋ねた。その長い黒髪とあごひげには、銀筋が混じり、額が広くて突きでているので、輝く目が陰になっていたので、ハリーは、岩の下からのぞいたカニを連想した。
「急ぎの用があって」ハリーは、ほんの一瞬ためらった。「アーサー・ウィーズリーに。彼は一階にいると聞いたので」
「ああ」とパイアス・シックニーズが言った。「彼は、『不快な者』と連絡をとって捕まったのかね?」
「いえ」とハリーが言ったが、喉がからからだった。「いえ、そんなことではありません」
「まあ、時間の問題だな」とシックニーズが、厚い絨毯をしいた廊下を、向こうへ歩いていきながら言った。「言わせてもらえば、血の裏切り者は、穢れた血と同じくらい悪いよ。じゃ失礼、ランコーン」
「失礼します、大臣」
ハリーは、シックニーズが厚い絨毯をしいた廊下を向こうへ歩いていくのを見つめていた。大臣が見えなくなるとすぐに、重くて黒いローブの中から透明マントを引っぱりだして、頭からかぶり、廊下を反対の方に歩きだしたが、ランコーンはとても背が高かったので、大きな足が隠れるように、身をかがめなくてはならなかった。
恐怖がおなかの中の穴で脈打っているようだった。ハリーは、それぞれに部屋の主の名前と職種を書いた小さな飾り板が貼ってある磨かれた木の扉を、次々に通りすぎていったが、魔法省の力、複雑さ、侵入する難しさが、のしかかってきて、ここ四週間かかってロンとハーマイオニーとともに仕組んできた計画が、ばかばかしく子どもっぽいものに思われた。彼らは、見つからずに魔法省の中に入ることに、全勢力を傾けてきたが、もし、三人が離れるはめになったらどうしようということは、少しも考えなかった。ところが今、ハーマイオニーは、法廷の議事録をとるため、確実に何時間も身動きがとれず、ロンは、ぜったいに彼の力では難しいと思われる魔法と格闘していて、その結果に一人の女性が自由の身になるかどうかがかかっている。そして、ハリーは、探している張本人が、エレベーターで下に行ってしまったのが、完全によく分っていながら最上階をうろつき回っている。
彼は、歩くのをやめて、壁にもたれかかり、どうするか決めようとした。沈黙が、のしかかってきた。ここでは、ざわめきや話し声や、すばやい足音が全く聞えず、紫の絨毯をしいた廊下は「ムフリアト(聞えなくする)」の呪文がかけられているかのように静まりかえっていた。
「彼女の部屋が、この近くにあるはずだ」ハリーは考えた。
彼女が、自分の宝石を仕事部屋に置いておくなんて、とてもありそうにないことだったが、一方、それを探して確かめないのも、ばかげていた。そこで、彼はまた廊下を歩きはじめたが、たった一人にしかすれ違わなかった。それは、顔をしかめた魔法使いで、目の前に浮かんでいる羽ペンに指示をつぶやくように言うと、ペンが、たなびく羊皮紙に走り書きをしていた。
扉の名前に注意しながら、ハリーは角を曲った。新しい廊下を、とちゅうまで行くと、開けた場所に出てきた。そこでは一ダースの魔女や魔法使いが、何列もならんだ小さな机の前に座っていた。その机は、学校のに似ていないこともなかったが、はるかに磨きこまれ、落書きなどなかった。とても興味をそそる光景だったので、ハリーは立ち止まって、ながめた。彼らは、いっせいに同じ動きで、杖をふったり回したりした。すると四角な色紙が、小さなピンク色の凧のようにあらゆる方向に飛んでいた。数秒後、ハリーは、その手続きには周期があり、色紙は、同じ動きで動いていることが分った。また数秒後、彼が見ているものは、パンフレットの製造で、四角い紙が一枚ずつのページで、それが、魔法で集められ、たたまれ、製本され、それぞれの魔女や魔法使いの横にきちんと積み重なって落ちていくのだと分った。
ハリーは、彼らが、とても集中して仕事をしていたので、絨毯で音を小さくされた足音には気づかないだろうと思って、こっそり近よった。そして若い魔女の横の山から、できあがったパンフレットを一部ぬきとって、透明マントの下で読んだ。そのピンク色の表紙には、金色の字で美しく題名が書かれていた。
「穢れた血と、彼らが平和な純血社会に引きおこす危険」
題名の下には、赤いバラの絵があった。その花びらの真ん中に、まぬけな作り笑いを浮かべた顔があり、牙のあるしかめ面の緑の雑草に首を絞められそうになっていた。パンフレットの上には作者の名はなかったが、ハリーが読んでいると、また右手の甲の傷跡が、ひりひり痛むような気がした。そのとき、横の若い魔女が、まだ杖をふったり回したりしながら「ババアが一日中、穢れた血を尋問するのかどうか、誰か知ってる?」と言ったので、彼の予想が正しいと証明された。
「気をつけて」と彼女の横の魔法使いが、不安そうに見まわしながら言ったが、彼のページの一枚が横に舞って床に落ちた。
「えっ、彼女は、今では魔法の目と同じように、魔法の耳も持っているの?」
魔女は、パンフレット制作者がいる広い場所に面している、磨かれたマホガニーの扉をちらっと見た。ハリーも見た。すると激しい怒りが、体の中に、ヘビが頭をもたげるように巻きおこった。マグルの玄関ののぞき穴があるところに、明るい青の虹彩がある大きな丸い目が、木の中に、はめこまれていた。アラスター・ムーディを知っていた者なら誰でも、とてもひどく見慣れた目だった。
ほんの一瞬、ハリーは自分がどこにいるか、何をしているのかを忘れた。自分の姿が見えないことさえ忘れた。まっすぐに扉の方に歩いていって、目をじっくり見た。それは動いていないで、やみくもに上の方を向いて凍りついたようにじっとしていた。その下の名札には、こう書かれていた。
「ドロレス・アンブリッジ:大臣付上級次官」
その下には、もっとぴかぴかの真新しい名札があって、こう書かれていた。
「マグル出身者登録委員会:委員長」
ハリーは、一ダースのパンフレット制作者の方をふりむいた。彼らは仕事に集中していたけれど、もし目の前で、誰もいない部屋の扉が開いたら、気づかないはずはないと思われた。そこで、内ポケットから、小さな揺れる足と、ゴムの球に角(つの)がある胴体を持つ奇妙な物体を取りだした。そして、マントの中でしゃがんで、その「おとり起爆器」を床に置いた。
それは、すぐに、彼の前の魔女や魔法使いの脚のあいだに、ちょこちょこと走り去った。ハリーは扉の取っ手に手をかけて待っていた、ほんの少したつと、隅から、大きなドンという音がして、刺激臭のある黒い煙がたくさんもくもくと湧いて出てきた。前列の若い魔女が悲鳴を上げた。彼女と同僚が飛びあがって騒動の原因はどこかと見まわしたので、ピンクのページがいたるところに飛びちった。ハリーは扉の取っ手を回し、アンブリッジの部屋に入りこみ、扉を後ろ手に閉めた。
彼は、時をさかのぼったような気がした。その部屋は、ホグワーツのアンブリッジの部屋と全く同じだった。優美なひだのある掛け布や、小さなレースの敷き物や、ドライフラワーが、空いたところすべてにかかっていた。壁には、昔と同じ飾り皿が飾ってあって、それぞれの皿の中に、鮮やかな色のリボンをつけた子ネコがいて、吐き気をもよおすようなかわいらしさで、はね回ったりじゃれたりしていた。机には、ひだ飾りのついた花柄の布がかかっていた。マッドアイの目の後ろに、望遠鏡の付属物がついていて、アンブリッジが扉のこちら側から、職員を監視できるようになっていた。ハリーが、それごしに見ると、職員たちがまだ、「おとり起爆器」のまわりに集まっているのが分った。彼は、望遠鏡を扉からもぎ取り、後ろの穴をむき出しにして、魔法の眼球をそこから引っぱりだしてポケットに入れた。それからまた部屋の中に向きなおり、杖をあげて小声で言った。「アクシオ(来たれ) ロケット」
何もおこらなかったが、元々ハリーは期待していなかった。アンブリッジは、防御の呪文やまじないについてすべて知っているに違いない。そこで急いで、机の後ろに行き、引きだしを開けはじめた。羽ペンと、ノートと、魔法セロテープがあった。魔法がかかった紙ばさみが、引きだしからヘビのようにとぐろを巻いて出てきて、ひっぱたかれて引っこんだ。ごてごてした小さなレースの箱は、予備の髪飾りのリボンや留め具でいっぱいだった。けれどロケットはなかった。
机の後ろに書類整理棚があった。ハリーは、それを捜しはじめた。ホグワーツのフィルチの書類整理棚のように、ファイルでいっぱいで、それぞれに名前が貼ってあった。いちばん下の引きだしを調べているときに、捜し物から気を散らされるものがあった。ウィーズリー氏のファイルだった。
彼は、それを引きだして開けてみた。
「アーサー・ウィーズリー
家系状況:純血、しかし受けいれがたき親マグルの傾向。
フェニックス騎士団のメンバーとして知られる。
家族:妻(純血)、七人の子ども、下二人がホグワーツに在学。
注:下の息子は現在在宅、重病、魔法省検査官が確認。
警備状況:追跡中。すべての動きが監視されている。
「一番不快な者」が接触する可能性が非常に高い。
(彼は、以前ウィーズリー家に滞在していた)
「一番不快な者」ハリーは小声でつぶやき、ウィーズリー氏のフォルダを戻して、引きだしを閉めた。彼は、それが誰か分っていた。確かに自分だと確信していた。そして体をおこして、他に隠し場所はないかと、部屋の中を見まわした。壁に、自分自身のポスターがあって、「一番不快な者」のことばが、胸のところに派手に書かれていた。隅に子ネコの絵がある小さなピンクのメモが貼ってあった。ハリーが、行って、それを読むと、アンブリッジが「罰すべき」と書いていた。
彼は、もっと腹をたてながら、ドライフラワーの花瓶や籠の底を手で探りつづけたが、ロケットが見つからなくても驚くことはなかった。最後に一度、部屋の中をざっと見まわすと、心臓がドクンと、はねるように打った。机の横の本棚にもたせかけた小さな長方形の鏡から、ダンブルドアが彼を見つめていた。
ハリーは、一走りで部屋を横切り、それをさっと取った。けれど、それに触った瞬間、それが鏡ではないのが分った。ダンブルドアが、つやつやした本の表紙から、物思いに沈んだようにほほえみかけていた。帽子の上に、緑色の、くるっと巻いたような書体で「アルバス・ダンブルドアの人生と嘘」と書かれていて、胸のところに少し小さく「ベストセラー本『アーマンド・ディペット:賢人か痴人か?』の著者、リタ・スキーター著」と書かれていたが両方とも、すぐには気づかなかった。
ハリーは、本を、いいかげんにめくった。するとページ一面に十代の少年二人の写真があった。二人とも、互いの肩に腕を回して大笑いしていた。ダンブルドアは、この頃は、髪をひじまでのばし、ロンをとてもいらつかせたクラムのあごひげを思いださせる、ほんの小さなあごひげを生やしていた。ダンブルドアの横で、声を出さずに大笑いしている少年は、肩までのびた金髪の巻き毛で、陽気で荒っぽい雰囲気があった。ハリーは、これが若い頃のドージェかしらと思った。けれど、写真に添えられた短い説明文を読まないうちに、部屋の扉が開いた。
もしシックニーズが、入ってくるときに肩ごしに、ふりかえっていなかったら、ハリーは透明マントをひっかぶる隙がなかっただろう。実は、シックニーズが、ちらりと何か動くのを見たかもしれないと、ハリーは思った。なぜなら、ほんの一時、彼は、じっと立ったまま、ハリーが、ちょうど消えた場所を興味ありげに見つめていたからだ。だが、おそらく、ハリーが急いで本棚に戻しておいた本の表紙の中で、鼻をかいているダンブルドアを見ただけだと決めたのだろう。やっと、シックニーズは机のところに歩いてきて、インク瓶に立てて準備してある羽ペンに、杖を向けた。するとペンが飛びだして、アンブリッジ宛のメモを走り書きしはじめた。ハリーは、とてもゆっくり、ほとんど息を詰めるようにして部屋から出て、広けた場所に戻ってきた。
パンフレット制作者たちは、まだ「おとり起爆器」の残骸のまわりに集まっていた。それは、まだ煙を出しては、弱々しくホーと鳴りつづけていた。ハリーが急いで離れて廊下の方に来たとき、若い魔女が言った。「実験呪文の部屋から、迷いこんだのに違いないわ。彼ら、とっても不注意なんだから。あの毒のあるアヒルを覚えてる?」
大急ぎで、エレベーターに向って戻りながら、ハリーは自分の考えを頭の中で復唱した。ロケットは、ここ魔法省には、ありそうもない。それに、その所在を、人がいっぱいいる法廷に座っているアンブリッジに魔法をかけて聞きだせる見込みもない。当面の優先事項は、ばれないうちに、魔法省を立ち去ることだ。別の日に、やり直さなくてはならない。最初にやるべきなのは、ロンを見つけることだ。そうすれば、二人して、法廷室からハーマイオニーを連れだす方法を練りあげることができるだろう。
エレベーターが来たとき、誰も乗っていなかった。ハリーは飛びのって、エレベーターが下がりはじめたときに透明マントを脱いだ。それがガタガタと二階で止まったとき、彼が、とてもほっとしたことには、ずぶ濡れで、おびえた目のロンが乗りこんできた。
「お、ー、おはよう」彼は、どもりながらハリーに言った。エレベーターが、また動きはじめた。
「ロン、僕だよ、ハリーだ!」
「ハリー! うわーっ、君がどんなふうだか忘れてた、ー、どうしてハーマイオニーはいっしょじゃないのか?」
「彼女は、アンブリッジと一緒に法廷室に下りていかなくちゃならなかったんだ。断れなかったし、それに、ー」
しかし、ハリーが言いおわる前に、エレベーターが、また止まった。扉が開いて、ウィーズリー氏が、年取った魔女と話しながら乗りこんできた。彼女の金髪はとても高く逆立っていて、アリ塚に似ていた。
「・・・君の言っていることは、とてもよく分るよ、ワカンダ。だが残念ながら仲間にはなれない、ー」
ウィーズリー氏は、ハリーに気がついて話をやめた。ウィーズリー氏に、こんなに嫌悪感をこめて、にらみつけられるのはとても妙な感じだった。エレベーターの扉が閉まり、四人は、またゴトゴトと下に向った。
「やあ、レグ」とウィーズリー氏が、ロンのローブからポタポタと周期的にしずくが垂れている音は、どこからかと見まわして言った。「奥さんが、尋問される日じゃないのかい? そのう、ー、どうしたんだ? なぜそんなに濡れているのかい?」
「ヤクスリーの部屋に雨が降っていて、」とロンが、、ウィーズリー氏の肩に向って言った。もし、直接、目を合わせたら、父に見破られるかもしれないと、きっとロンが恐れているのだと、ハリーは思った。「僕には止められなくて、それで、連れてこいと言われたんだ、バーニー、ー、ピルスワース、という名前だと思うけど、ー」
「ああ、最近は、多くの部屋で雨が降っている」とウィーズリー氏が言った。「メテオロジンクス・レカント(雨を止める呪文)をやってみたかい? ブレッチリーのところでは、効いたよ」
「メテオロジンクス・レカント?」とロンがささやき声で言った。「いや、やってない。ありがと、パ、ー、じゃなくて、ありがと、アーサー」
エレベーターの扉が開いた。アリ塚の髪型の年老いた魔女が下り、ロンが彼女を追いこして先に行き、見えなくなった。ハリーは、その後を追おうとしたが、大またで乗りこんできたパーシー・ウィーズリーに前をふさがれてしまった。彼は書類に鼻を埋めて熱心に読みふけっていた。扉が、またガランと閉まって初めて、パーシーは、父といっしょにエレベーターに乗っているのに気づいた。ちらっと見あげて、ウィーズリー氏を見ると、ラディッシュのように真っ赤になって、次に扉が開いた瞬間、エレベーターを下りていった。もう一度、ハリーは下りようとしたが、今度は、ウィーズリー氏の腕で行く手をふさがれた。
「ちょっといいか、ランコーン」
エレベーターの扉が閉まり、またガランガランと下の階へ向った。ウィーズリー氏が言った。「君が、ダーク・クレスウェルについての情報を提出したと聞いた」
ハリーは、ウィーズリー氏の怒りがパーシーと接触したため、さらに大きくなったと感じたが、この場をうまく乗りきるには、まぬけなふりをするしかないと決めた。
「え?」彼は言った。
「とぼけるな、ランコーン」とウィーズリー氏が激しく言った。「君は、家系図を偽った魔法使いを追っていただろう?」
「僕、ー、もし僕が、やったとしたらどうした?」とハリーが言った。
「なら、ダーク・クレスウェルは、君の十倍も立派な魔法使いだ」とウィーズリー氏が静かに言った。エレベーターはどんどん下がっていった。「もし、彼がアズカバンを切りぬけて出てきたら、君は、彼の妻、子どもたち、友人はいうまでもなく、彼本人に対し、きちんと応じなくてはならん、ー」
「アーサー」ハリーがさえぎった。「君は、追跡されているのを知っているか?」
「それは脅しか、ランコーン?」とウィーズリー氏が大声で言った。
「いや」とハリーが言った。「事実だ! 君のすべての動きが監視されている、ー」
エレベーターの扉が開いた。彼らは、大広間に着いた。ウィーズリー氏は、ハリーをようしゃのない目つきで見て、さっとエレベーターから下りていった。ハリーは震えながら立ったままでいた。ランコーンでない他の人間に扮すればよかったのに、と思った・・・エレベーターの扉がガランと閉まった。
ハリーは透明マントを引きだして、またかぶった。ロンが、雨が降る部屋を直しているあいだに、自分一人でハーマイオニーを救いだすつもりだった。扉が開いたとき、上の、木の羽目板や絨毯をしいた廊下とは、まったく違う、たいまつがともった石の通路に踏みだした。エレベーターが、またガラガラと上がっていってしまうと、彼は遠くに、謎部への入り口の印である黒い扉の方を見て、少し身震いした。
ハリーは、歩き出した。目的地は、あの黒い扉ではなく、左手の方にあると覚えている通路だった。そこから階段を下りると、法廷室に通じているのだ。こっそり階段を下りていきながら、いくつもの可能性を考えた。まだ「おとり起爆器」を二つ持っていたが、単純に、法廷室の扉をノックして、ランコーンとして入って、マファルダに急ぎの用があると言った方がいいだろうか? もちろん、そううまくやってのけられるに足るほど、ランコーンが重要人物かどうか、彼は知らなかった。それに、もし、やり遂げたとしても、ハーマイオニーが戻ってこないと、彼らが魔法省から逃げだす前に捜索が始まるきっかけになるかもしれない・・・
彼は、深く考えこんでいたので、霧の中に下りていくように、まわりに忍びよってくる不自然なうすら寒さに、すぐには気をとめなかったが、階段を下りるごとに、どんどん寒くなってきた。その寒さは、喉に直接下りてきて、肺をひき裂くようだった。それから、憂鬱と絶望がこっそり忍びよってきて、心の中にあふれ、どんどん広がるのが感じられた・・・
「デメンターだ」彼は思った。
そして、階段を下りきって、右を向くと、恐るべき光景が見えた。法廷室の外の暗い通路に、完全に顔を隠した背の高い、黒いフード姿があふれていたのだ。その場では、その耳ざわりな呼吸音だけしか聞えなかった。尋問のため連れてこられたマグル出身者は恐怖にすくんで、堅い木の長椅子に固まって震えていた。大部分の者は、デメンターのどん欲な口から、本能的に身を守ろうとするかのように手で顔をおおっていた。家族に、つきそわれている者もいたし、一人の者もいた。デメンターは、彼らの前を滑るように行ったり来たりしていた。そして寒さと絶望とその場の憂鬱さが、ハリーの上に闇の呪文のように広がった・・・
「戦うんだ!」彼は、自分に言いきかせた。けれど、ここでパトロナスを出せば、すぐさま自分の正体を明かしてしまうことになるのが分っていた。そこで、できるだけ静かに前方に進んだ。一足ごとに、無気力さが脳まで忍びよってくるような気がしたが、自分を必要としているハーマイオニーとロンのことを、がんばって考えた。高くそびえる黒い姿のそばを通るのは、恐ろしかった。フードの奥の目のない顔が、通ったときに、こちらを向いた。彼らが、彼の存在を感じたのは確かだと思った。多分、まだいくらか希望と元気さを持っている人間の存在を・・・
そのとき、凍るような沈黙の中、いきなり、衝撃的に、廊下の左側の地下室の扉がぱっと開き、叫び声が外まで聞えてきた。
「いえ、いえ、私は、混血、混血だ、そう言ってるでしょう! 父は魔法使いだった、そうだ、調べてくれ、アルキー・アルダートン、彼は有名な箒のデザイナーだった、調べてくれ、そう言ってるでしょう、ー、手を離せ、ー、手を離せ、ー」
「これが、最後通告よ」とアンブリッジのもの柔らかな声がした。その声は魔法で大きくされていたので、男の絶望的な叫び声を圧して、はっきりと聞えた。「あばれるなら、デメンターのキスを受けさせます」
男の叫び声はおさまったが、涙を出さないすすり泣きの声が廊下に響いた。
「彼を連れていきなさい」とアンブリッジが言った。
法廷室の戸口に、二体のデメンターがあらわれた。その朽ちた、かさぶただらけの手が、気絶しかかっている魔法使いの二の腕をつかんだ。彼らは、男を連れて廊下を滑るように去っていき、その後ろに引きずっていた暗闇が彼を飲みこんで、姿が見えなくなった。
「次、ー、メアリ・カタモール」とアンブリッジが呼んだ。
小柄な女が、頭から足まで震えながら立ちあがった。黒っぽい髪を後ろになでつけて一つにまとめ、長い簡素なローブを着ていたが、顔には、まったく血の気がなかった。デメンターのそばを通るとき身震いするのを、ハリーは見た。
彼は、彼女が、一人で地下室に入っていく光景が、たまらなくいやだったので、何の計画もなく本能的に行動した。扉が、さっと閉まりかけたとき、その後について法廷室に忍びこんだのだ。
それは、昔、彼が魔法の不正使用で尋問されたのと同じ部屋ではなかった。天井はとても高いけれど、ここの方が、もっと小さかった。深い井戸の底に閉じこめられた感じで、閉所恐怖症になりそうだった。
ここには、もっと多くのデメンターがいて、部屋全体に氷のような霊気を投げかけていた。彼らは、高いところにある壇から一番遠い隅に、顔のない番人のように立っていた。その壇の手すりの後ろに、アンブリッジが座っていて、横にヤクスリーがいた。反対側の横に、カタモール夫人と同じくらい真っ青な顔のハーマイオニーがいた。壇の足下に、輝く銀の長い毛並みのネコが、行ったり来たり、行ったり来たりうろついていた。ハリーは、それは、デメンターが発する絶望から、検察官を守るために、いるのだと悟った。絶望は、原告の検察官ではなく、被告のためのものなのだ。
「座りなさい」とアンブリッジが、絹のようなもの柔らかな声で言った。カタモール夫人は、高いところにある壇の下の床の真ん中に置かれたただ一つの椅子に、よろよろと腰掛けた。座った瞬間、鎖が椅子の腕からカチャンと飛びだして、彼女を縛りつけた。
「あなたは、メアリ・エリザベス・カタモールね?」とアンブリッジが尋ねた。
カタモール夫人は、震えがちに一度うなずいた。
「魔法整備部のレジナルド・カタモールと結婚していますか?」
カタモール夫人の目に、涙が、いっぱいあふれた。
「彼がどこにいるのか分りません、ここに会いにきてくれるはずなのに!」
アンブリッジは、彼女のことばを無視した。
「メイジー、エリー、アルフレッド・カタモールの母ですか?」
カタモール夫人は、もっと激しくすすり泣いた。
「子どもたちは恐がっています。私が家に帰れないかもしれないと思って、ー」
「やめろ」とヤクスリーがつばを吐くように言った。「穢れた血のガキに同情心はおきないぜ」
カタモール夫人のすすり泣きで、ハリーの足音が隠された。彼は注意深く高い壇に上る階段の方に進んでいたが、パトロナスのネコが巡回している場所を通りすぎた瞬間、温度が変って暖かく快適になるのが感じられた。そのパトロナスは鮮やかに輝いていたが、きっとアンブリッジのものだと、ハリーは思った。ここ、部下の中で、彼女が起草するのを手助けした、よこしまな法律を施行しているので、彼女はとても幸せだったからだ。彼は、ゆっくりと、とても注意深くじりじりと、アンブリッジ、ヤクスリー、ハーマイオニーの後ろの壇の方に進んでいって、ハーマイオニーの後ろに座った。彼女がびっくりして、飛びあがらないかと不安だった。ムフリアトの呪文を、アンブリッジとヤクスリーにかけようかと思ったが、小声で呪文をつぶやいても、ハーマイオニーはびっくりするかもしれない。そのときアンブリッジがカタモール夫人に向って声を高めたので、ハリーは、その機会をとらえた。
「君の後ろにいるよ」彼は、ハーマイオニーの耳にささやいた。
予想どおり、彼女はひどく飛びあがったので、尋問を記録するために使っているインク瓶をもう少しでひっくりかえしそうになった。けれど、アンブリッジとヤクスリーの両方ともカタモール夫人に集中していたので、気づかれなかった。
「あなたが本日、魔法省に着いたとき、杖が取りあげられました、カタモール夫人」アンブリッジが言っていた。「21、8センチ、桜の木、ユニコーンの芯。この説明が分りますか?」
カタモール夫人はうなずいて、袖で、涙を拭いた。
「その杖を、どこの魔女か魔法使いから取ったのか、話していただける?」
「私が、ー、取った?」とカタモール夫人はすすり泣いた。「私は、ー、誰からも取りません。私は、か、ー、買いました、十一才の時に。それ、ー、それ、ー、それが、私を選んだのです」
彼女は、もっと激しく泣きだした。
アンブリッジが、優しく少女っぽく笑ったので、ハリーは彼女を襲いたくなった。彼女は、自分の犠牲者が、もっとよく見えるように、手すりごしに身を乗りだした。すると、何か金色の物も飛びだして、空間にぶら下がった。あのロケットだ。
ハーマイオニーが、それを見た。彼女は小さく叫び声をあげた。けれど、アンブリッジとヤクスリーは、まだ彼らのえじきに集中していたので、他の何も耳に入らなかった。
「いいえ」とアンブリッジが言った。「いいえ、私はそうは思わないわ、カタモール夫人。杖は、魔女か魔法使いだけを選ぶのよ。あなたに送られた質問用紙に対するあなたの答えがここにあるわ、ー、マファルダ、それを、こちらに寄こして」
アンブリッジが小さな手を差しだした。その瞬間、彼女が、あまりにヒキガエルそっくりだったので、ずんぐりした指のあいだに水かきが見えないことに、ハリーはとても驚いた。ハーマイオニーの手が、動揺して震えた。彼女は、横の椅子の上に、なんとか倒れないように積んである書類の山を手探りして、やっと、カタモール夫人の名前がある羊皮紙の塊を引きだした。
「それ、ー、それ、すてきね、ドロレス」彼女は言いながら、アンブリッジのブラウスの波打つひだの中で輝くペンダントを指さした。
「何?」とアンブリッジが鋭く言って、見おろした。「ああ、ー、家に代々伝わってきた宝よ」彼女は言いながら、大きな胸の上に収まった、ロケットを軽くたたいた。『S』は、セルウィンの頭文字よ・・・私は、セルウィン家の血を引いているの・・・実際のところ、私が血を引いていない純血家系は、ほとんどないわ・・・お気の毒ね、」彼女は、もう少し大きな声で続けて、カタモール夫人の質問用紙をパチッとはじいた。「同じ事があなたには言えなくて。親の仕事は、八百屋ですって」
ヤクスリーが冷やかすように笑った。下では、ふわふわした毛の銀のネコが行ったり来たり巡回していて、デメンターが、隅で立って待っていた。
アンブリッジの嘘で、ハリーは頭に血が上り、用心深さを忘れた。ケチな罪人から賄賂として取ったロケットを、彼女自身の純血の信用を高めるものとして使っているという嘘だった。彼は、杖を上げ、透明マントで隠す手間さえかけずに、言った。「ストゥーピファイ!(気絶せよ)」
赤い閃光が上がった。アンブリッジは崩れるように倒れ、額を手すりの端で打った。カタモール夫人の書類がひざから滑りおちた。下の方では、うろついていた銀のネコが消えた。氷のように冷たい空気が、迫りくる風のように、彼らにうちつけた。ヤクスリーは、まごついて、騒動の原因を探してあたりを見まわした。そして、ハリーの体が見えない手と杖だけが、自分を指すのを見て、杖を出そうとしたが、遅すぎた。
「ストゥーピファイ!」
ヤクスリーは床に滑りおちて、体を丸めて横たわった。
「ハリー!」
「ハーマイオニー、僕がここに座って、彼女に嘘をつかせとくと思うんなら、ー」
「ハリー、カタモール夫人!」
ハリーは、透明マントを脱ぎすてて、さっとふり向いた。下の方で、デメンターが動きだし、椅子に鎖で縛られた女性の方に滑りよっていった。パトロナスが消えたせいか、主人が、もう支配力を失ったと感じたせいか、彼らは、もう抑制しているのをやめたようだった。カタモール夫人は、恐怖からすさまじい叫び声をあげた。不快なかさぶただらけの手が、彼女のあごをつかんで、無理に顔を向けさせたのだ。
「エクスペクト・パトロナム!(守護霊よ出よ)」
銀色の雄ジカが、ハリーの杖の先からさっと躍りでて、デメンターに向って飛んでいくと、彼らは後退して、また暗い影の中に溶けていった。雄ジカが部屋の中を駆けまわると、その光が、ネコの防御よりも、もっと力強く暖かく、地下室中に満ちあふれた。
「ホークラクスを取って」ハリーがハーマイオニーに言った。
彼は、階段を駆けおり、透明マントを鞄につめこんで、カタモール夫人に近づいた。
「あなたが?」彼女は、彼の顔を見つめて、ささやくように言った。「でも、ー、でもレグが、あなたは、私の名を尋問するよう提出した一人だと言ったわ!」
「僕が?」ハリーはつぶやくように言って、彼女の両腕を縛っている鎖を引きよせた。「ええと、気を変えたんだよ。『ディフィンド!(切断せよ)』」何もおこらなかった。「ハーマイオニー、どうやったら、この鎖をはずせる?」
「待って! 私、ここでやることが、ー」
「ハーマイオニー、僕たちデメンターに囲まれているんだよ!」
「分ってる、ハリー、でも、彼女が目覚めて、ロケットがなくなっていたら、ー、私、この複製品を作らなくちゃ・・・ジェミニオ(複写せよ)! ほら・・・これで彼女をだませるわ・・・」
ハーマイオニーは階段を走って下りてきた。
「ええと・・・レラシオ(火花よ出よ)!」
鎖はカチャンと音をたてて、椅子の腕の中に引っこんだ。カタモール夫人は、あいかわらず恐がっているようだった。
「私には分らないわ」彼女は、ささやくように言った。
「僕たちといっしょに、ここを出てもらう」とハリーが言って、彼女を立たせた。「家に帰って、子どもたちを連れて、家を出ろ。もし行くところがあれば、国を出ろ。変装して逃げろ。どんなふうか分っただろ。公正な審理なんてもの、ここじゃ受けられないんだ」
「ハリー」とハーマイオニーが言った。「扉の外には、デメンターがいっぱいなのに、どうやってここから出るの?」
「パトロナス」とハリーが自分の杖で、自分のパトロナスを指した。雄ジカは、まだ明るく輝きながら、速度をゆるめ、扉の方に向って歩いていった。「集められるだけたくさんのパトロナスで。君のも出してくれ、ハーマイオニー」
「エクスペク、ー、エクスペクト・パトロナム」とハーマイオニーが言った。何もおきなかった。
「彼女が苦労した、たった一つの呪文なんだよ」ハリーが、完全にわけが分らないようすのカタモール夫人に言った。「ちょっと運が悪いな、ほんとに・・・さあ、ハーマイオニー・・・」
「エクスペクト・パトロナム!」
銀のカワウソが、ハーマイオニーの杖の先から飛びだして、優美に空中を泳ぎまわって、牡ジカと一緒になった。
「さあ行こう」とハリーが言って、ハーマイオニーとカタモール夫人を扉の方に連れていった。パトロナスが扉から滑りでると、外で待っていた人々から、衝撃の叫びがあがった。ハリーは、あたりを見まわした。デメンターは、銀の生きものたちに追いちらされて、彼らの両側に引きさがり、暗闇の中に溶けこんでいた。
「君たちは全員、帰宅し、家族といっしょに隠れているように決められた」ハリーが、待っていたマグル出身者に言った。彼らは、パトロナスの光に目がくらんで、まだ少し縮こまっていた。「できれば海外へ行け。魔法省から、とても遠く離れていろ。それが、ー、ええと、ー、新しい公式見解だ。さあ、パトロナスについて行きさえすれば、大広間から、外に出られるだろう」
彼らは、なんとか邪魔されずに石の階段を上がった。けれど、エレベーターに近づくとハリーは不安を感じはじめた。もし、ハリーとハーマイオニーが、大広間に、銀の雄ジカとカワウソがまわりを舞っている中を、半分は告発されたマグル出身者を含む二十人ほどの人々と一緒にあらわれたら、引きたくもない注意を引いてしまうだろうと感じずにはいられなかったのだ。彼が、このありがたくない結論に達したとき、エレベーターが、彼らの前でガランと止まった。
「レグ!」とカタモール夫人が金切り声で叫んで、ロンの両腕の中に身を投げかけた。「ランコーンが出してくれたの。アンブリッジとヤクスリーを襲って、私たちみんなに国を出ろと言ったの。私たち、そうした方がいいと思うわ、レグ、ほんとうに! 急いで帰って子どもたちを連れて、ー、なぜ、そんなに濡れてるの?」
「水」とロンがつぶやいて、身をふりほどいた。「ハリー、魔法省に侵入者が入ったのが、ばれた。アンブリッジの部屋の扉の穴が、どうとかって。後、五分しかないと思う。もし、ー」
ハーマイオニーが恐怖に襲われた顔を、ハリーに向けたとき、彼女のパトロナスが、ポンという音とともに消えた。
「ハリー、もし私たち閉じこめられたら、ー!」
「すばやく動けば、大丈夫だ」とハリーが言った。そして、後ろの押しだまった一団に向って言った。彼らは皆、口をぽかんと開けて、彼を見ていた。
「杖を持っている人は?」
およそ半分が手をあげた。
「よし、杖を持たない人は、誰か持っている人といっしょにいるように。急がなくてはならないんだ、ー、止められないうちに。さあ行こう」
彼は、なんとか詰めあって二つのエレベーターに乗りこんだ。金の格子が閉まって、エレベーターが上りはじめるとき、ハリーのパトロナスが、その前で見はりに立っていた。
「八階」と、魔女の事務的な声が言った。「大広間です」
ハリーは、すぐに彼らが、困ったことになったと分った。大広間は、暖炉から暖炉へと動く人でいっぱいで、彼らが立ち入りできないようにしていたのだ。
「ハリー!」とハーマイオニーがキーキー声で言った。「どうするつもり、ー?」
「止まれ!」ハリーがとどろくような声で言った。ランコーンの力強い声が大広間中に響きわたった。暖炉を封鎖していた魔法使いたちは、凍りついた。「僕の後に続け」彼は、おびえたマグル出身者の一団にささやいた。彼らは、ロンとハーマイオニーに連れられて、寄りあつまって進みでた。
「何事だ、アルバート?」と、先ほど、暖炉から出てきたハリーの後を追ってきた、はげ頭の魔法使いが、心配そうに言った。
「この連中は、出口を閉じる前に、外に出なくてはならん」とハリーが、集められるだけの威厳をこめた声で言った。
彼の前の魔法使いの一団は顔を見あわせた。
「われわれは、出口をすべて閉じて、誰も出すなと命じられた、ー」
「俺に、楯つく気か?」ハリーが、どなりちらした。「おまえの家族の家系図を調べられたいのか、俺が、ダーク・クレスウェルのをやったように?」
「すまん!」とはげ頭の魔法使いが、あえぐように言って退いた。「何も言うつもりじゃなかった、アルバート。だが、思ったのは・・・彼らは尋問に呼ばれていたんだし・・・」
「彼らは純血だ」とハリーが言った。彼の深い声は、大広間中に堂々と響きわたった。「おまえたちの多くの者より、純血だ、おそらくはな。さあ行け」と、とどろくような声でマグル出身者に言った。彼らは小走りに暖炉の方に進みでて、二人ずつ姿を消しはじめた。魔法省の魔法使いは、ある者はまごつき、ある者はおびえ、憤慨しているようだったが、ためらいながら退いた。そのとき、ー
「メアリ!」
カタモール夫人がちらっと後ろを見た。もう吐いてはいないが青ざめ血の気がない本物のレグ・カタモールが、ちょうどエレベーターから下りたところだった。
「レ、ー、レグ?」
彼女は、夫からロンへと順に見た。ロンは、大きな声で悪態をついていた。
はげ頭の魔法使いが、ぽかんと口を開けて、一方のレグ・カタモールから、もう一方へと、こっけいなほど見まわした。
「おい、ー、どうなっているんだ? これは何だ?」
「出口を閉じろ! 閉じろ!」
ヤクスリーが、別のエレベーターからさっと飛びだしてきて、暖炉の横の一団の方に走っていったが、カタモール夫人以外のマグル出身者は、もう姿を消したところだった。はげ頭の魔法使いが杖を上げたとき、ハリーは巨大なこぶしで、彼をなぐって、空中に吹っとばした。
「彼は、マグル出身者の逃亡を助けた、ヤクスリー!」ハリーがどなった。
はげ頭の魔法使いの同僚が、わめき声を上げた。それに紛れて、ロンは、カタモール夫人の腕をつかんで、まだ開いている暖炉に引っぱり、姿くらましをした。混乱しながら、ヤクスリーは、ハリーから、なぐられた魔法使いへと目をやった。その間に本物のレグ・カタモールが叫んだ。「私の妻! 妻と一緒にいたのは誰だ? どうなっているんだ?」
ハリーは、ヤクスリーが、ふりむくのを見た。その獣のような顔に、真実が、ひらめき始めたのが分った。
「さあ行こう!」ハリーはハーマイオニーに向って叫んで、その手をつかみ、いっしょに暖炉に飛びこんだ。そのときヤクスリーの放った呪文が、ハリーの頭上を飛んでいった。彼らは、数秒ぐるっと回って、便器から、個室へ、さっと飛びだした。ハリーが扉をさっと開けると、ロンが洗面台の横にいて、まだカタモール夫人ともみあっていた。
「レグ、私ほんとうに分らないのよ、ー」
「手を放せ、僕は、あなたの夫じゃない、あなたは家に帰らなくちゃ!」
後ろの個室で物音がした。ハリーが、ふりむくと、ヤクスリーがちょうどあらわれたところだった。
「行こう!」ハリーが叫んだ。彼はハーマイオニーの手とロンの腕をつかみ、その場で回った。
彼らは、ひもで締めつけられるように感じるとともに暗闇に飲みこまれた。けれど、どこか変だった・・・ハーマイオニーの手が、彼がにぎっている手から抜けていくようだった・・・
彼は、窒息しかかっているのかもしれないと思った。息もできないし、見ることもできなかった。世界中でただ一つ、確かなものは、ロンの腕と、ハーマイオニーの指だが、それが、ゆっくりと抜けていきかけている・・・
そのとき、彼は、ヘビの戸叩きがついたグリモード街十二番地の扉を見た。しかし、彼が息を吸う前に、叫び声と紫の火花があがった。ハーマイオニーの手が、突然、万力のようなすごい力で彼の手を握り、また、すべてが暗くなった。