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ハリーポッターと死の聖物 (Harry Potter and the Deathly Hallows)

第十二章:魔法は力なり

 八月が過ぎていった。グリモード街の真ん中の広場の手入れされていない雑草が、太陽の光でしなびて、もろく茶色になっていた。十二番地の住人も、家自体も、まわりの家々の誰からも決して見られることはなかった。グリモード街に住むマグルたちは、ずっと長い間、十一番地が十三番地の隣に来るという、おもしろい、まちがいを受けいれていた。

 それでも、広場には、最近、番地のずれに興味をそそられたらしい人々が少しずつ訪れていた。ほとんどの日、グリモード街に、他に目的もないらしく見える一人二人の人がやってきて、十一番地と十三番地に面した柵にもたれて、二軒の間の継ぎ目をじっと見ていた。じっとたたずむ人たちは、二日続けて同じではなかったが、そろって、ふつうの服装は、きらっているようだった。そばを通りすぎるロンドンっ子のほとんどは、奇抜な服装に慣れていたので、彼らにほとんど注意を向けなかった。たまに、こんなに暑いのに、なぜあんなに長いマントを着ているのだろうと、ふりかえって見る人があったが。

 見物人たちは、その寝ずの番から、満足な結果が得られないようだった。ときたま、その一人が、とうとう興味あるものを見つけたとでもいうように興奮して、前方に飛びだしたが、また、がっかりして戻っていった。

 九月の最初の日、広場には、いつもより、たくさんの人がいた。長いマント姿の男が六人、いつものように十一番地と十三番地の間を、黙って油断ないようすで見はっていた。しかし彼らが待ちうけているものは、依然としてとらえどころのないようだった。夕方になると、この季節初めて、いきなり突風が吹き、冷たい雨が降ってきた。こういった説明しがたいある瞬間に、彼らは、たまたま興味あるものを見たようだった。ゆがんだ顔の男が指さし、すぐ近くにいた仲間、ずんぐりした青白い男が前方に飛びだした。しかし一瞬の後、彼らは、前と同じ不活発な状態に戻って緊張を解いた。欲求不満でがっかりしているようだった。

 一方、十二番地の家の中では、ハリーが玄関の中に入ったところだった。彼は、ちょうど玄関の外すぐの、いちばん上の階段に姿あらわししたところで、バランスをくずしかけて、一瞬あらわになった肘をデス・イーターに見られたかもしれないと思った。玄関の扉を注意深く閉めると、透明マントを脱ぎ、腕にかけて陰気な廊下を急いで歩いて、地下に続く扉の方に向ったが、盗んできたデイリー・プロフェット紙を握っていた。

 いつもの「セブルス・スネイプか?」という低いささやき声が彼を迎えた。冷たい風が吹きつけ、一瞬舌がこわばった。

 「僕は、あなたを殺さなかった」彼は言った。舌がほぐれると、埃の呪文の姿が爆発するあいだ息を止め、台所へ続く階段を半分くらい下りて、ブラック夫人に聞かれないところまで来て、埃の雲が晴れると、呼びかけた。「ニュースがあるよ。君たち、気に入らないだろうけど」

 台所は、見ちがえるようだった。表面すべてがぴかぴかだった。銅の壺や鍋は、こすって磨かれてバラ色に光り、木のテーブルの表面もつやつやだった。もう夕食のために並べてあるゴブレットと皿が、陽気に燃える炎の光を受けて輝いていた。火には大鍋がかかって、とろとろ煮えていた。けれど、部屋の中で、いちばん劇的に変わったのは、ハリーの方に小走りにやって来たハウスエルフだった。雪のように白いタオルをまとい、耳の毛は、綿毛のように清潔でふわふわしていて、レグルスのロケットが、その薄い胸にはずんでいた。

 「靴をお脱ぎください、ハリー様、それから食事の前に手を洗って」とクリーチャーが、しゃがれ声で言って、透明マントをつかみ、前かがみになって壁の釘にかけた。その横には、たくさんの古風なローブがかかっていたが、皆、洗濯したてだった。

 「どうしたんだい?」ロンが心配そうに尋ねた。彼とハーマイオニーは、長いテーブルの端に散らばった、なぐり書きしたメモと手書きの地図の束をじっくり見ていたが、今はハリーが彼らの方に歩いてくるのを見ていた。それから、ハリーは散らばった羊皮紙の上に新聞を放りだした。

 かぎ鼻で黒髪の、見慣れた顔の男の大きな写真が、彼らを下からにらんでいた。その上の見出しには「セブルス・スネイプ、ホグワーツの校長として承認される」

 「だめ!」とロンとハーマイオニーが大声で言った。

 ハーマイオニーの方が早かった。新聞をひったくると、付随した記事を声を出して読み始めた。

 「『セブルス・スネイプは、長くホグワーツ魔法学校で魔法薬を教えてきたが、由緒ある同校におけるとても重要な方針転換の中で、本日、校長に指名された。前マグル学教師の辞任に続き、アレクト・カロウがその職に就き、兄のアミカスが闇魔術防衛術の教師となる。

 「『私は、最もすぐれた魔法の伝統と価値を維持する機会に恵まれたことを歓迎する、ー』人殺しをしたり、人の耳を切るみたいなことね! スネイプが、校長! ダンブルドアの部屋にスネイプ、ー、マーリンのパンツにかけて、とんでもない!」彼女が、かんだかい声で言ったので、ハリーとロンが二人とも飛びあがった。彼女は、テーブルのところから、急にぴょんと立ちあがって、「すぐ戻るから!」と叫んで部屋から突進するように出ていった。

 「『マーリンのパンツ』?」ロンが、おもしろがっているような顔でくりかえした。「彼女、気が動転してるな」彼は、新聞を引きよせて、スネイプに関する記事を丹念に読み始めた。

 「他の先生が、我慢できるはずがないさ。マクゴナガルと、フリットウィックと、スプラウトは、みんな真実を知ってる。ダンブルドアがどうやって死んだかを知ってる。スネイプを校長に受けいれるはずがないよ。で、このカロウたちって誰だい?」

 「デス・イーター」とハリーが言った。「中に彼らの写真がある。スネイプがダンブルドアを殺したとき、塔の上にいた。だからみんな、お友だちってわけさ。それに」とハリーが、椅子を引きよせながら苦々しげに続けた。「他の先生たちに、学校に残る以外の選択の余地があるとは思えない。もし魔法省とヴォルデモートが、スネイプの後ろ盾なら、学校に残って教えるか、それともアズカバンで数年過ごすか、ー、それだって運がいい方だと思うけど、どちらか選ぶしかないだろう。先生たちは、学校に残って生徒たちを守ろうとすると思うよ」

 クリーチャーが、両手に大きな蓋つきの鉢をかかえて、テーブルのところにせかせかとやってきて、口笛を吹きながら清潔な鉢にスープをお玉で注いだ。

 「ありがと、クリーチャー」とハリーが言って、スネイプの顔を見なくてすむように、新聞をぱっとめくった。「まあ、少なくともスネイプが今どこにいるかは分ったわけだ」

 彼は、スプーンでスープを口に運びはじめた。クリーチャーの料理の腕は、レグルスのロケットをあげてからというもの劇的に進歩した。今日のフランス風オニオンスープは、ハリーが今まで食べた中で、これまでにないくらいおいしかった。

 「この家をまだ、デス・イーターがどっさり見はってるよ」彼は食べながらロンに言った。「いつもより多い。僕たちが、学校用トランクを下げて、そろって出ていってホグワーツ急行に乗るのを期待してるみたいだ」

 ロンが時計をちらっと見た。

 「それを一日中、考えていたんだ。ホグワーツ急行は六時間近く前に出たはずだ。あれに乗っていないなんて変な気がしないか?」

 ハリーは、かつてロンといっしょに空から追いかけたときに見たように、真っ赤な蒸気機関車が草原や丘の間をゆれながら走っていく情景が、心の中に、はっきりと見えるような気がした。さざ波を立てながら行く真っ赤なイモムシだ。この時間、ジニーとネビルとルナが、きっといっしょに座っているだろうと思った。そして、彼とロンとハーマイオニーが、どこにいるだろうと話しあっているかもしれない。それとも、スネイプの新体制をどうしたら密かにだいなしにしてやれるかと討議しているかもしれない。

 「僕が、ちょうど帰ってきたところを、彼らに見られたかも」ハリーが言った。「階段の上に、着地するのがへただったし、マントがめくれたんだ」

 「僕なんて、いつもそうだよ。ああ、彼女が来た」ロンが、つけ加えて、座ったまま首を回して、ハーマイオニーが、また台所に入ってくるのを見ていた。「で、マーリンの、いちばんブカブカのパンツにかけて、いったい何だい?」

 「これを思いだしたのよ」ハーマイオニーが息をきらせながら言った。

 彼女は、大きな額縁の画を運んできた。それを床に置いて、台所の戸棚から小さなビーズのバッグを取ってきて、バッグを開けて、その中に画を無理に入れようとしはじめた。すると、その画が、小さなバッグに入れるには明らかに大きすぎるという事実にもかかわらず、数秒たたないうちに、画は、他のたくさんの物と同じく、バッグの広々とした深みに消えた。

 「フィーニアス・ナイジェルス」ハーマイオニーが説明した。そしてバッグを台所のテーブルに置くと、いつものようにガチャンガチャンというとどろきが響きわたった。

 「何のこと?」とロンが言った。だがハリーには分った。フィーニアス・ナイジェルス・ブラックの肖像は、グリモード街の肖像画と、ホグワーツの校長室にかけてある、それとの間を自由に行き来できた。校長室である塔の上の丸い部屋には、今、スネイプが座っているのは疑いない。ダンブルドアが集めた繊細な銀の魔法の器具や、石のペンシーブや、組み分け帽子や、どこかに移動させられていなければグリフィンドールの剣を独り占めして勝ちほこっていることだろう。

 「スネイプは、フィーニアス・ナイジェルスを寄こして、この家の中を探させることができるわ」ハーマイオニーが、また座ってロンに説明した。「でも、今そうさせてごらんなさい、フィーニアスには、私のバッグの内側しか見えないわ」

 「よく考えたね!」とロンが感心したように言った。

 「ありがとう」とハーマイオニーがほほえんで、スープを引きよせた。「で、ハリー、今日は他に何があったの?」

 「何も」とハリーが言った。「七時間、魔法省の入り口を見はってた。彼女は見かけなかった。でも、君のパパは見たよ、ロン。元気そうだった」

 ロンは、この知らせに、うなずいて感謝を示した。ウィーズリー氏は、いつも他の魔法省の同僚に囲まれているので、彼が魔法省に出入りするときに連絡を取ろうとするのは、あまりに危険すぎるということで三人は一致していた。けれど、たとえ、彼が緊張し心配そうだとしても、その姿をちらっと見ると、ほっとさせられた。

 「パパは、いつも言ってた。たいていの魔法省の人はフルー網を使って通勤するって」ロンが言った。「だから、僕たち、アンブリッジを見かけなかったんだ。彼女は歩かない。自分を超重要人物だと思っているから」

 「で、あのおかしな年取った魔女と濃紺のローブの小柄な魔法使いは?」ハーマイオニーが尋ねた。

 「ああ、そうだ、魔法整備のやつね」とロンが言った。

 「彼が、魔法整備の仕事をしてるって、どうして分ったの?」ハーマイオニーが、飲みかけたスープのスプーンを空中で止めて尋ねた。

 「パパが言ってた。魔法整備の人はみんな濃紺のローブを着てるって」

 「でも、あなた今まで、そんなこと言わなかったわ!」

 ハーマイオニーは、スプーンを落として、ハリーが台所に入ってきたとき、彼女とロンが調べていたメモと地図の束を引きよせた。

 「ここには、濃紺のローブのことは何もないわ、何も!」彼女は言いながら、大あわてでメモを次々にめくった。

 「あのう、それ、ほんとに問題?」

 「ロン、全部が問題なの! もし私たちが、魔法省に入りこんで、正体をばらさないようにするなら、彼らは、ぜったいに侵入者に対する見はりを置いているんだから些細なことがすべて問題になるのよ! 私たち、何度も何度も魔法省を偵察してきたけど、つまり、それを何のために、やってきたのよ。もしあなたが私たちに言うのをめんどくさがらなかったら、ー」

 「まいったな、ハーマイオニー、小さなことを忘れてたんだよ、ー」

 「あなた、分ってるでしょ。今、世界中で、私たちにとって魔法省ほど危険な場所はないって、ー」

 「明日、やるべきだと思うんだ」とハリーが言った。

 ハーマイオニーは、あごを、がっくりと下げて押しだまった。ロンは、スープに少しむせた。

 「明日?」とハーマイオニーが、くりかえした。「冗談でしょ、ハリー」

 「本気だよ」とハリーが言った。「僕たち、たとえもう一ヶ月、魔法省のあたりをこそこそうろつき回ったとしても、今より大して準備できないと思うんだ。日を延ばせば延ばすほど、ロケットは遠くに行ってしまいそうだ。アンブリッジが、もう、あれを捨てちまった可能性もかなりある。あれは開かないんだから」

 「もし」とロンが言った。「彼女が、あれを開ける方法を見つけだして、あれに、もう取りつかれてなければね」

 「そうだとしても、大して変りはないよ。彼女は、元々あんなに邪悪だったんだから」とハリーが肩をすくめた。

 ハーマイオニーは唇をかみしめて、考えこんでいた。

 「僕たちは、重要なことはすべて知ってる」ハリーが、ハーマイオニーに向って続けた。「魔法省が、姿あらわしで出入りすることを禁じていることも知ってる。とても上級の魔法省の職員だけしか、自宅と魔法省をフルー網でつなげないのを知ってる。なぜならロンが『話すことを許されない者』たち二人が、そのことで不平を言っているのを聞いたからだ。それに、アンブリッジの部屋がどこか、だいたい分ってる。なぜなら、あごひげのやつが連れに言ってるのを、君が聞いたから、ー」

 「『私は一階に上がる。ドロレスに呼ばれているから』」ハーマイオニーが、すぐに復唱した。

 「その通り」とハリーが言った。「それに、君が、あのおかしなコインというか、代用コインというか何でもいいが、の使い方に慣れているのを知ってる。なぜなら、あの魔女が友だちから借りるのを、僕が見たから、ー」

 「でも、私たち、それを持っていないのよ!」

 「もし計画通りに行けば、手に入るさ」ハリーが冷製に続けた。

 「分らない、ハリー、分らないわ・・・うまく行かないかもしれない種がどっさりあるわ。かなりの部分、偶然の幸運に頼らないと・・・」

 「それは、後、三ヶ月間準備しても同じだよ」とハリーが言った。「行動するときだ」

 彼は、ロンとハーマイオニーの顔つきから、二人が恐がっているのが分った。彼自身、特に自信満々というわけではなかったが、計画を実行に移す時期が来たと確信していた。

 彼らは、これまでの四週間、順番に透明マントをまとって、魔法省への公式出入り口をこっそり見はっていた。それは、ウィーズリー氏のおかげで、ロンが子どもの頃から知っていた。彼らは、入っていく途中の魔法省の職員の跡をつけて、会話を盗み聞きし、注意深く観察して、誰が、毎日同じ時刻に一人であらわれると思われているか、探った。時折、誰かの書類鞄からデイリー・プロフェット紙をこっそり盗みだせる機会もあった。ゆっくりと、彼らは、見取り図や覚え書きを作っていき、それが今ハーマイオニーの前に積まれていた。

 「いいよ」とロンがゆっくりと言った。「もし、明日やるとしたら・・・僕とハリーだけにした方がいいと思うんだ」

 「まあ、またそれを言いださないで!」とハーマイオニーがため息をついて言った。「このことは決着したと思ってたけど」

 マントに隠れて、入り口をうろつくのはいい。けど、これはぜんぜん違う、ハーマイオニー」ロンが、十日前の日付のデイリー・プロフェット紙に指をぐいと突きさした。「君は、尋問に出頭しないマグル出身者のリストに載ってるんだよ!」

 「で、あなたは、『隠れ家』で、スパテルグロイト病で死にかけてることになってるのよ! もし、誰か行くべきでないのなら、それはハリーよ。彼の首には、一万ガレオン金貨の賞金がかかっているんだから、ー」

 「いいよ、僕はここに残る」とハリーが言った。「もし君がヴォルデモートを倒したら知らせてくれる?」

 ロンとハーマイオニーが笑った。ハリーの額の傷跡に痛みが走った。彼の手が、さっと上がって傷跡を触った。ハーマイオニーの目が細くなるのが見えたので、目から髪の毛を、ふりはらう動きでごまかそうとした。

 「ええと、僕たち三人とも行くのなら、別々に姿くらまししないとだめだ。」ロンがしゃべっていた。「もう三人いっしょにはマントに入れないからね」

 ハリーの傷跡の痛みは、ますますひどくなってきた。彼は立ちあがった。すぐにクリーチャーが急いでやって来た。

 「ご主人様は、スープを全部飲んでいない。ご主人様は、辛口のシチューの方がお好みですか、それともご主人様が大好きな糖蜜タルトの方に?」

 「ありがと、クリーチャー、でも、僕すぐ戻るから、ー。あの、ー、トイレ」

 ハーマイオニーが疑わしげに見つめているのに気がついて、ハリーは急いで階段を上がって玄関の廊下に行き、それから二階の踊り場に上がった。そして、浴室に飛びこみ、またかんぬきをかけ、痛さにうなりながら、ヘビが口を開けた形の蛇口のついた黒い洗面器の上に前かがみになって、目を閉じた・・・

 彼は、たそがれどきの通りを、滑るように進んでいた。両側の建物は、高い木造の三角の切り妻屋根がついていて、ショウガパンの家のように見えた。

 彼は、その一軒に近づいた。すると扉に対し、彼自身の指が長い手の白さが見えた。彼はノックした。興奮が高まるのを感じた・・・

 扉が開いた。女が笑いながら、そこに立っていた。彼女がハリーの顔を見ると、笑いが消えた。ユーモアは去り、恐怖が取って代わった・・・ 

 「グレゴロビッチか?」と高く冷たい声が言った。

 彼女は、首を横にふった。彼女は扉を閉めようとした。白い手が、それをしっかりと握り、彼を閉めださせないようにした・・・

 「グレゴロビッチに会いたい」

 「カレハ、モウ、ココニ、スンデイナイ」彼女は、首を横にふりながらドイツ語で叫んだ。「彼、ここに、住まない! 彼、ここに、住まない! 私、彼、知らない!」

 扉を閉めようとするのをあきらめて、彼女は、暗い玄関を後ずさりはじめた。ハリーは、彼女の方へ滑りながら追っていった。彼の長い指の手は、杖を引きだした。

 「彼はどこだ?」

 「ワタシハ、シラナイ。彼、行った! 私、知らない、私、知らない!」

 彼は杖をあげた。彼女は叫び声をあげた。二人の子どもが、玄関に走りこんできた。彼女は両腕で子どもたちを守ろうとした。緑の閃光が光った、ー」

 「ハリー! ハリー!」

 彼は目を開いた。床に倒れこんでいた。ハーマイオニーが、また扉をドンドンたたいていた。

 「ハリー、開けて!」

 彼は叫び声を上げていたのだ。それは分っていた。彼は、おきあがって、扉のかんぬきをあけた。すぐにハーマイオニーが中によろけこんできた。それからバランスを取りもどして、疑わしげにあたりを見まわした。ロンが、彼女のすぐ後ろにいて、心配そうに冷たい浴室の隅に杖を向けていた。

 「何してたの?」とハーマイオニーが厳しく聞いた。

 「何してたと思う?」とハリーが、弱々しく空いばりしようとしながら尋ねた。

 「君、大きな声で叫んでたんだよ!」とロンが言った。

 「ああ、そう・・・寝ぼけてたんだな、でなきゃ、ー」

 「ハリー、私たちの知性を侮辱しないでちょうだい」とハーマイオニーが、深く息を吸いながら言った。「下で、傷跡が痛くなったのは知ってるわ。紙のように真っ白になったもの」

 ハリーは、浴槽の縁に腰掛けた。

 「よし、僕は今ヴォルデモートが、女の人を殺したのを見たんだ。今頃までには、彼女の家族全部を殺しているだろう。その必要もないのに。また、セドリックの時のくり返しだ。ただ、そこに居合わせたというだけで・・・」

 「ハリー、あなた二度とそういうことしちゃ、いけないことになっているのよ!」ハーマイオニーが叫んだ。その声が浴室中に響きわたった。「ダンブルドアは、あなたに閉心術を使ってほしかった! そのつながりが危険だと考えた、ー、ヴォルデモートが、それを利用できるからよ、ハリー! 彼が殺したり拷問したりするのを見て何のいいことがあるの、何の助けになるの?」

 「彼がやっていることを、僕が分るという意味があるさ」とハリーが言った。

 「じゃ、あなたは、彼の思いを閉めだそうと努めることさえしないの?」

 「ハーマイオニー、僕にはできない。僕が閉心術で、てんでだめだったのは知ってるだろ。僕には、そのコツが分らないんだ」

 「本気でやろうとしなかったくせに!」彼女が怒って言った。「私には分らない、ハリー、ー、あなた、この特殊なつながりというか、関係というか、何でもいいけど、好きなの?」

 彼女は、ハリーが立ちあがって、彼女を見た目つきにたじろいだ。

 「好き?」彼は静かに言った。「君は、好きなの?」

 「私、ー、いいえ、ー、ごめんなさい、ハリー、そんなつもりじゃ、ー」

 「僕は憎んでる、彼が、僕の中に侵入できるという事実を、最も危険な状態の彼を見なくてはならないという事実を憎んでる。けど、僕は、それを利用するつもりだ」

 「ダンブルドアが、ー」

 「ダンブルドアは、忘れろ。これは、僕の選択だ。他の誰のでもない。なぜ彼がグレゴロビッチの跡を追っているのか知りたいんだ」

 「誰のこと?」

 「外国の杖職人だ」とハリーが言った。「クラムの杖をつくった。クラムは、彼をすばらしいと評価してる」

 「けど、君の話だと」とロンが言った。「ヴォルデモートはオリバンダーをどっかに監禁した。もし、もう杖職人を手に入れたなら、何のためにもう一人いるのさ?」

 「クラムと同じ意見で、グレゴロビッチの方が優秀だと思ったのかもしれないし・・・でなけりゃ、グレゴロビッチなら、彼が僕を追ってきたときに僕の杖がしたことを説明できると思ったのかもしれない。オリバンダーは、そのわけを知らなかったのだから」

 ハリーは、ひびが入って汚い鏡をちらっと見た。ロンとハーマイオニーが背後で、信用できないという目つきを交わしあっているのが見えた。

 「ハリー、あなたは、杖がしたと言いつづけてるわ、」とハーマイオニーが言った。「でも、それをしたのは、あなたよ! なぜ、断固として自分の力に責任を持たないことに決めてるの?」

 「なぜって、あれは僕じゃないと分っているからだ! ヴォルデモートでもないんだ、ハーマイオニー! 僕たち二人が、実際に何がおきたか知ってるんだ!」

 彼らは、にらみあった。ハリーは、ハーマイオニーを納得させられず、また、彼女がハリーの杖に関する仮説と、彼がヴォルデモートの心をのぞき放題にしているという事実の両方に、反対する論争をふっかけてくるのが分っていた。ほっとしたことに、ロンが取りなした。

 「やめなよ」彼が、彼女に忠告した。「彼が決めることだよ。それに、もし明日、魔法省に行くんなら、計画をもう一回確認しといた方がいいんじゃないか?」

 他の二人から明らかに分るほど、いやいやながら、ハーマイオニーは議論を棚上げにした。けれど、ぜったいに機会があれば即、言い出すだろうと、ハリーは思った。そのあいだに、彼らは、地下の台所に戻った。クリーチャーが、みんなにシチューと糖蜜タルトを出してくれた。

 その晩、彼らは遅くまで寝なかった。何時間もかかって何度も計画を確認して、互いに一言一句違えず暗唱できるまでにしたからだ。ハリーは、今はシリウスの部屋で寝ていたが、ベッドに横になって、父とシリウスとルーピンとペティグリューの古い写真を、杖の光でなぞっていた。そして十分間、計画をぶつぶつ復唱していた。しかし、彼が杖の光を消したとき、彼が考えたのは、ポリジュース薬や、反吐トローチや、魔法整備の濃紺のローブのことではなかった。彼は、杖職人のグレゴロビッチが、ヴォルデモートが断固として探そうと決心しているのに、いつまで隠れつづけていられるかを考えていた。

 真夜中から、不当に早く夜が明けたようだった。

 「ひどい顔だね」というのが、ロンが、ハリーを起こしに部屋へ入ってきて言った朝の挨拶だった。

 「あんまり寝てないから」とハリーがあくびをしながら言った。

 二人が台所に下りていくと、ハーマイオニーがいた。彼女は、クリーチャーにコーヒーと焼きたてのロールパンを出してもらっていたが、不自然に躁状態の表情を浮かべていたので、ハリーは試験前の復習のときを連想した。

 「ローブ」彼女は小声で言って、二人に神経質そうにうなずいて、来たのを認め、ビーズのバッグの中をごそごそし続けた。「ポリジュース薬・・・透明マント・・・おとり起爆剤・・・もしものときに備えて、それぞれ二つ持ってね・・・反吐トローチ、鼻血ヌガー、のびる耳・・・」

 彼らは、朝食をかきこんでから上に行った。クリーチャーが、お辞儀をして見送りながら、帰ったら、ステーキとキドニーパイをつくるからと約束した。

 「彼に幸いあれ」とロンが好意をこめて言った。「少し前まで、彼の首をちょんぎって、壁に突きさしてやろうと、しょっちゅう空想してたんだけどね」

 彼らは、非常に注意しながら、玄関の外の一番上の階段まで行った。腫れた目のデス・イーターが二人、霧の広場の向こうから、この家をじっと見ていた。ハーマイオニーが最初にロンと姿くらましして、それからハリーのところに戻ってきた。

 いつものように暗闇と、窒息しそうな短いひとときの後、ハリーは、狭い路地にいるのに気がついた。そこが、彼らの計画の第一段階が実行される予定の場所だった。そこは、大きなゴミ箱が二つある他、まだ人の気配がなかった。いつも少なくとも八時にならないと魔法省の職員がここにあらわれないのだ。

 「ちょうどいいわ」とハーマイオニーが、腕時計を見ながら言った。「彼女は五分くらいしたら、ここにあらわれるはず。私が、彼女を気絶させたら、ー」

 「ハーマイオニー、僕たち分ってるって」とロンが厳しく言った。「で、僕たちは、彼女がここに着く前に、扉を開けとくことになってたと思ったけど?」

 ハーマイオニーが、かんだかい声で言った。

 「私、忘れるところだった! 後ろに下がって、ー」

 彼女は、横にある南京錠がかかった落書きだらけの防火扉に杖を向けた。扉はすさまじい音をたててバンと開いた。その奥には暗い階段があって、誰もいない劇場に通じていることが、彼らが何度も注意深く偵察したため分っていた。ハーマイオニーが扉を自分の方に引きよせて、まだ閉じているようにみせかけた。

 「さあ」彼女が、路地の二人の方に向きなおって言った。「またマントを着て、ー」

 「そして、待つ」ロンが言いおえた。そして、セキセイインコに水浴びさせてやるように、ハーマイオニーの頭の上にマントを、さっと投げかけ、ハリーに向って目をくるっと回した。

 一分ほど経つと、小さなポンという音がして、ふわふわした灰色の髪の小柄な魔法省の魔女が、彼らのすぐそばに姿あらわしして、急に明るいところに来たので、まぶしそうに少しまばたきをしていた。太陽が、ちょうど雲の後ろから出てきたところだった。だが、彼女が不意の暖かさを楽しむ隙がないうちに、ハーマイオニーの無言の気絶の呪文が胸に当たり、よろけて倒れた。

 「お見事、ハーマイオニー」とロンが言いながら、劇場の扉の横のゴミ箱の後ろからあらわれた。ハリーは透明マントを脱いだ。彼らはいっしょに、小柄な魔女を舞台裏に通じる暗い通路に運んだ。ハーマイオニーは、魔女から数本の髪の毛を切り、ビーズのバッグから取りだした濁ったポリジュース薬の瓶に加えた。ロンが、小柄な魔女のハンドバッグを引っかきまわした。

 「彼女は、マファルダ・ホプカーク」と、彼らの犠牲者が、魔法不正使用局の助手だと証明する小さな名札を読みながら言った。「これ、持ってた方がいいよ、ハーマイオニー、それに、代用コインがあったよ」

 ロンは、魔女の財布から小さな金貨を数枚ぬきだして、ハーマイオニーに手渡した。全部にM.O.M.の文字が打ち出してあった。

 ハーマイオニーは、心地よい薄紫色に変ったポリジュース薬を飲んだ。すると数秒後に、マファルダ・ホプカークの生き写しが立っていた。彼女が、マファルダの眼鏡をはずしてかけると、ハリーが腕時計を見た。

 「僕たち、遅れてる。魔法整備氏が、今にもやって来るぞ」

 彼らは、本物のマファルダを隠す扉を急いで閉めた。ハリーとロンは透明マントを被ったが、ハーマイオニーは、人目につくところにいて待っていた。数秒後、またポンという音がして、フェレットに似た小柄な魔法使いが、彼らの前に現れた。

 「やあ、おはよう、マファルダ」

 「おはよう」とハーマイオニーが震え声で言った。「今日は、いかが?」

 「実はね、あまり、よくないんだ」と小柄な魔法使いが答えたが、完全にまいっているようだった。

 ハーマイオニーと魔法使いが本通りに向って歩いていくと、ハリーとロンがそっとその後に続いた。

 「お加減が悪くてお気の毒様」とハーマイオニーが言った。小柄な魔法使いが、自分の悩みを事細かに話しだそうとしたが、彼女は断固として話の主導権をにぎろうとしていた。本通りに着く前に、彼を引き止めることが何よりも重要な点だった。「さあ、甘いものをどうぞ」

 「え? いや結構、ー」

 「どうしても召し上がって!」とハーマイオニーが、彼の顔の前でトローチの袋をふりながら攻撃的に言った。びっくりしたような顔つきで、小柄な魔法使いは、一つ取った。 直ちに効果があらわれた。トローチが舌に触れた瞬間、小柄な魔法使いは、とてもひどくもどしはじめたので、ハーマイオニーが、頭のてっぺんから毛をひとつかみ引きぬいたのにも気づかないほどだった。

 「あら、まあ!」彼が路地にもどしまくっているときに、彼女が言った。「今日は休んだ方がいいわよ!」

 「いや、ー、いや!」彼は息が詰まり、吐き気に襲われながら、前に進もうとしたが、真っ直ぐ歩くこともできなかった。「私は、ー、行かなければ、ー、今日、ー」

 「でも、それは、ばかげているわ!」とハーマイオニーが驚いて言った。「そんな具合では、働けない、ー、聖マンゴ病院に行って、治してもらうべきだと思うわ!」

 魔法使いは、崩れるように倒れ、力を込めて四つ足で体を支え、それでもまだ本通りの方に、はって行こうとしていた。

 「そんな状態では働けないわ!」とハーマイオニーが叫んだ。

 やっと彼は、彼女の言うことが正しいと受けいれたようだった。うんざりしているハーマイオニーの手を借りて、手探りで立ちあがった姿勢になると、その場で回転して姿を消した。その後には、いなくなるときロンが手からひったくった鞄と、空中に浮かんでいる吐いたものの塊だけしか残っていなかった。

 「うーっ」とハーマイオニーが、ローブの端を持ちあげて、吐いたところを避けながら言った。「彼も気絶させた方が、はるかに散らからなくてすんだのに」

 「ああ」とロンが、魔法使いの鞄を持って、マントの下からあらわれて言った。「けど、やっぱり意識のない人が、あちこちにころがっていたら、余計、注意をひいたんじゃないかと思うよ。でも、彼、仕事熱心だよね? じゃ、髪の毛と薬をよこしてよ」

 二分経たないうちに、ロンが他の二人の前に立った。体調の悪い魔法使いと同じく小柄でフェレットに似ていて、鞄にたたんで入れてあった濃紺のローブを着ていた。

 「今日、あんなに行きたがってたのに、彼がこれを着ていなかったの、変じゃない? とにかく、僕は、裏の名札によるとレグ・カタモールだ」

 「さあ、ここで待ってて」ハーマイオニーがハリーに言った。彼はまだ透明マントの下にいた。「あなた用の髪の毛を手に入れてくるから」

 ハリーは、十分間、待たなくてはならなかったが、吐いたものが散らばる路地の、気絶させたマファルダを隠した扉の横に、一人きりでこっそり隠れていると、それは、はるかに長い時間に感じられた。やっとロンとハーマイオニーがあらわれた。

 「誰の髪の毛か分らないの」ハーマイオニーが言って、ハリーに縮れた黒髪を数本渡した。「でも、彼、ひどい鼻血で家に帰ったの! ほら、彼は、かなり背が高かったから、もっと大きなローブがいるわ・・・」

 彼女は、クリーチャーが洗濯してくれた古いローブを一式取り出した。ハリーは、薬を飲んで、姿を変えるために引っこんだ。

 苦しい変身が終ってみると、彼は百八十センチ以上の長身で、筋肉隆々の腕から察して、力強い体格だった。あごひげも生やしていた。透明マントと眼鏡を、新しいマントの奥にしまうと、他の二人といっしょになった。

 「すげぇ、怖いよ」とロンが、ハリーを見あげて言った。ハリーは、他の二人より、はるかに背が高かった。

 「マファルダの代用コインを一つ持ってて」ハーマイオニーがハリーに言った。「さあ、行きましょう。もうすぐ九時だわ」

 彼らはそろって路地から出た。人通りの多い歩道を五十メートルも行かないうちに、先の尖った黒い柵に沿って二つの階段があった。一つには「男性」、もう一つには「女性」と札が貼ってあった。

 「それじゃ、すぐ後でね」とハーマイオニーが心配そうに言った。そして、よろめきながら歩いて女性用の階段を下りていった。ハリーとロンは、たくさんの妙な服装の男たちと一緒になって、ありふれた地下にある陰気な黒白のタイルの公衆トイレのようにみえるところに向って階段を下りていった。

 「おはよう、レグ!」濃紺のローブを着た魔法使いが呼びかけた。彼は、扉の細い穴に金の代用コインを差しこんで、個室に入ろうとしていた。「尻の痛みも尻上がり、か? 我々皆を、こんなふうに来させるなんて! お偉方は、誰があらわれると思ってるんだ、ハリー・ポッターか?」

 魔法使いは、自分の冗談に大笑いした。ロンは、無理しておもしろがって、「ああ」と言った。「ばかばかしいな」

 それから、ロンとハリーは隣りあった個室に入った。

 ハリーの左右からは、水を流す音が聞えた。彼は、しゃがんで個室の壁の下のすきまからのぞきこんだ。ちょうど、隣でブーツを履いた両足が便器に上がるのが見えた。左を見ると、ロンが目をぱちぱちさせるのが見えた。

 「自分を、水洗で、流さなくちゃいけないのかな?」ロンがささやいた。

 「そうらしいね」ハリーがささやきかえした。彼の声は深く重々しく聞えた。

 二人とも立ち上がった。非常に、ばかげていると思いながら、ハリーは便器にはい上った。

 すぐに正しいことをしたのだと分った。水の中に立っているように見えたけれども、靴、足、ローブは乾いたままだった。彼は手をのばして鎖を引いた。次の瞬間、短い急流にビューンと流されて、暖炉から魔法省に、あらわれて出た。

 彼はぎこちなく立ちあがった。自分が慣れている体より、ずっと大きくて動きにくかったのだ。中央の大広間は、ハリーが覚えているよりも暗かった。このあいだは、真ん中に金の噴水があって、磨かれた木の床や壁に、きらめく光の点をあたりに投げかけていたが、今は、黒い石の巨大な像が、その場を支配していた。それは、かなり恐ろしかった。この巨大な魔女と魔法使いの彫刻が、飾りたてた模様が彫られた台座に座って、魔法省の職員が、下の暖炉からよろけ出てくるのを見おろしていた。像の台座に、縦三十センチくらいの大きさの文字で、次のことばが彫られていた:「魔法は力なり」

 ハリーは、足の後ろをひどく打たれた。後から、魔法使いが暖炉から飛びだしてきたのだ。

 「そこをどけ、見えないのか、ー、ああ、すまん、ランコーンか!」

 見るからに怖そうに、その禿げた魔法使いは急いで去っていった。ハリーが扮している男、ランコーンは恐れられているようだった。

 「ちょっと!」と声がした。ふりかえると、小柄でか細い魔女と、魔法整備のフェレットに似た魔法使いが彫像の横から手招きしていた。ハリーは急いで彼らのところへ行った。

 「それじゃ、あなたたち、うまく入れたのね?」ハーマイオニーがハリーにささやいた。

 「いや、彼はまだトイレに詰まってるみたいに、行き詰まってたじゃないか」とロンが言った。

 「まあ、おもしろいこと・・・あれ、恐いわね?」彼女が、像を見あげているハリーに言った。「あの像が何の上に座ってるか見た?」

 ハリーは、もっと近よって見て、飾りたてた模様が彫られた台座だと思ったものは、実は彫られた人間の山だった。男、女、子どもの何百も何百もの裸の体が、どれも、愚かな醜い顔つきで、ねじれ押されながらいっしょになって、立派なローブをまとった魔法使いの重さを支えていた。

 「マグルよ」とハーマイオニーがささやいた。「彼らが当然いるべき場所にいるってわけ。さあ、行きましょう」

 彼らは、大広間の端にある金の門の方に進んでいく魔女と魔法使いの流れに加わって、できるだけ、めだたないようにそっとあたりを見まわした。けれど、ドロレス・アンブリッジとすぐ分る独特の姿は見あたらなかった。彼らは、門を通りぬけ、もっと小さな広間に入った。そこでは、二十の金の格子の前に、それぞれ列ができていた。その格子のそれぞれがエレベーターなのだ。彼らが、いちばん近い列に並ぼうとしたとき、声がした。「カタモール!」

 彼らは、ふりかえった。ダンブルドアの最期の場に居合わせたデス・イーターの一人が、彼らの方に歩いてきたので、ハリーは、おなかがひっくりかえるような気がした。彼らの横の魔法省の職員は黙りこんで、うつむいた。職員たちの間に、恐れが、さざ波のように広がるのが感じられた。その男は、たくさんの金の糸で縁どられた堂々としたローブをさっとなびかせていたが、それが少し獣じみた顔と、なにか不つりあいだった。エレベーターの近くの群衆の一人が、おべっかを使うように呼びかけた。「おはよう、ヤクスリー!」ヤクスリーは無視した。

 「俺の部屋を直すため、魔法整備から誰かよこすように要求していた、カタモール。まだ雨が降っているんだ」

 ロンは、他の誰かが口をはさんでくれないかと期待するように、あたりを見まわしたが、誰も何も言わなかった。

 「雨降り・・・あなたの部屋で? それは、ー、それは、まずいですよね?」

 ロンは、臆病そうに笑った。ヤクスリーが目を見はった。

 「おまえは、それを愉快だと思うのか、カタモール?」

 二人の魔女が、エレベーターを待つ列から、いきなり離れて急いで立ち去った。

 「いえ」とロンが言った。「とんでもない、ー」

 「おれは、今、おまえの妻を尋問しに下へ行くところだと分っているのか、カタモール? 彼女が待っているあいだ、おまえが下で手を握っていてやらないので、実はとても驚いた。もう彼女に見切りをつけたのか? その方が賢いぞ。今度は、気をつけて純血と結婚しろ」

 ハーマイオニーが恐怖のキーキー声を小さくもらした。ヤクスリーが彼女を見た。彼女は、弱々しく咳をして向こうを向いた。

 「ぼ、ー、僕は、ー」ロンがどもった。

 「だが、もし俺の妻が、穢れた血だと告発されたとしても、」とヤクスリーが言った。「、ー、俺が結婚する女が、そんな汚らわしい者だと、まちがえられることはありえんがな。ー、魔法法執行部長は、やるべき仕事があり、俺は、仕事を最優先事項にする、カタモール。俺の言うことが分ったか?」

 「はい」とロンがささやき声で言った。

 「では、仕事にかかれ、カタモール。で、もし一時間以内に、俺の部屋が完全に乾かなかったら、おまえの妻の家系状況証は、今よりもっと疑わしいものになるぞ」

 彼らの前の金の格子がガタガタと開いた。ハリーは、今のカタモールに対する扱いを当然、誉めるべきだと思われているらしく、ヤクスリーは、彼にうなずき、不愉快に笑いかけて、別のエレベーターの方に去っていった。ハリー、ロン、ハーマイオニーは自分の前のエレベーターに乗った。けれど、彼らが伝染病でもあるかのように誰も後に続かなかった。格子がガランガランと閉まり、エレベーターが上がりはじめた。

 「僕は何をすることになってるんだろ?」すぐにロンが、うちのめされたように他の二人に聞いた。「もし僕が行かなかったら、僕の妻は、ー、カタモールの妻ってことだけど、ー」

 「僕たち、いっしょに行くよ、いっしょにいるべきだ、ー」とハリーが言いはじめた。しかしロンが激しく首を横にふった。

 「そんなの狂ってる。時間があまりないんだ。君たち二人はアンブリッジを見つけろよ。僕はヤクスリーの部屋に直しにいくよ、ー、けど、雨が降るのを、どうやって止められるんだろ?」

 「『終る呪文』をやってみて」とハーマイオニーが、すぐに言った。「もし、まじないいや呪文なら、それで止まるはず。もし、だめなら、気候の呪文がどこかおかしくなってるはず。それは、直すのが難しいわ。それなら、当座の手段として、彼のもちものを濡らさないために『通さない呪文』をやってみて、ー」

 「もう一回言ってよ、ゆっくりね、ー」とロンが、やけっぱちになってポケットの中を、羽ペンを探しながら言った。しかし、その瞬間、エレベーターがゆれて止まり、見えないところから女性の声がした。「四階、魔法生物規制管理部。獣、存在、精霊課。ゴブリン関係局、ペスト注意報事務所があります」そして、格子がまた横に開いた。魔法使い二人が乗り、薄紫色の紙飛行機が、いくつか飛びこんで、エレベーターの天井のランプのまわりをひらひら飛びまわった。

 「おはよう、アルバート」と、もじゃもじゃのほおひげの男が、ハリーに笑いかけ、エレベーターがまたきしみながら上昇するとき、ロンとハーマイオニーを眺めまわした。ハーマイオニーは、必死になってロンに、いろいろなやり方をささやいていた。魔法使いは、ハリーの方に寄ってきて、横目で見ながら小声で言った。「ダーク・クレスウェルか? ゴブリン関係局から? うまいぞ、アルバート。俺は、あいつの仕事を取ってやる自信があるぞ」

 彼はウィンクした。ハリーは、ほほえみかえしながら、ほほえむだけの反応で十分だといいがと望んでいた。エレベーターが止まった。格子がまた開いた。

 「二階、魔法法執行部。魔法不正使用局。オーラー本部。魔法裁判所管理業務があります」と見えない声がした。

 ハリーは、ハーマイオニーがロンを小さく押すのを見た。ロンは急いでエレベーターを下りた。他の魔法使いも続いて下りたので、ハリーとハーマイオニーが残された。金の扉が閉まるやいなや、ハーマイオニーが、とても早口で言った。「ほんとうはね、ハリー、私、ロンの後を追いかけた方がいいと思うの。彼、何をするか分ってないと思うし、もし彼が捕まったら、全部が、ー」

 「一階、魔法大臣と参謀室です」

 金の格子が、また横にすべるように開いた。ハーマイオニーが、はっと息をのんだ。四人の人たちが目の前に立っていて、そのうち二人は熱心に話しこんでいた。それは黒と金の豪華なローブを着た長髪の魔法使いと、ずんぐりしたヒキガエルのような魔女だった。彼女は、短い髪にビロードのリボンを結び、胸に紙ばさみをかかえていた。
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