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「時の旅人」 アリソン・アトリー (後編)


 今日、学校で「千と千尋の神隠し」のフランス語吹き替え版を見ました。千が「シルブプレ」って言うんですよー!来週はカオナシもフランチャイズ!そういや、ジブリの新作は「ハウルの動く城」ですよね。あたし、ハウルの原作書いてる、ダイアナ・ウィン・ジョーンズさんが好きなんです。彼女の本で一番好きなのは日本語訳が出てるんだけど、気に入らないことこの上ないのでいつか訳し直します(勝手に宣言)。当分果たせそうにない野望ですね。でも同じシリーズで和訳されたらもっと嫌な本もあるし、何とかしたいなぁ・・・。
 当たり前だけど「翻訳」ってすごく大事だと思うんです。ただ意味を通じさせるだけじゃなくて、物語の雰囲気そのものをうまく伝えることが必要だから、元の言葉と、訳す言葉と、両方についてのプロじゃないと難しい。あと、著者の雰囲気と訳者の雰囲気が合ってるってことも大事なんじゃないかな。文体とか言葉遣いとか、書いたものって、多かれ少なかれその人がそのまま出るから。前、「言語には、それを使う民族の歴史、文化が投影されるものだから、違う言語で同じニュアンスを伝えるのは難しい」って文章を書いたことがある。それに対して「じゃあ、翻訳された本をどう思うか」って質問されて、その時は「翻訳されたものを読むことが、『これって原語ではどう言ってるんだろう』って原書を読もうと思うキッカケになればいいと思う」って答えた。その時はその場で答えなきゃいけなかったから、それで終わったけど、本当はそれだけじゃない。翻訳されたものが、原作に劣らず傑作になることもあるし(瀬田貞二さんの訳なんかそう。「ライオンと魔女」に出てくる「巨人ごろごろ八郎太」なんて素晴らしすぎる 笑)、原作と全く違う面白味を持つこともある(「ぼちぼちいこか」って、あれ本当は関西弁じゃないんですよ←当たり前だ)。ダラダラと書いてきましたが、要するに「翻訳は大切だよ」ってこと。
 しょっぱな偉そうなこと書きましたが、まだまだ、他言語は愚か日本語においても未熟者でございます。将来的には、日本語英語に加えてロシア語ギリシャ語ラテン語、さらに楔形文字なんかも自在に使いこなせるのが夢なんですが。道は遠い。さて、十六世紀のイギリスでは、ローマ軍がいた頃の名残か、貴族はラテン語も使えたようです。フォルジャムの奥方はペネロピーがラテン語をあまり読めないと知って驚いていらっしゃいました。そして続いて言われたことは、私が「時の旅人」の中で最も好きな言葉です。曰く「言葉は、だれでも自分の気分にまかせてつづればよいのであり、それが書くことのよろこびの一つであって、人には美しい言葉を作りだす自由がある」のだそうです。これは、「鏡の国のアリス」のハンプティ・ダンプティが言う「ことばとおれさまと、どっちが主人なのか――問題はそれだけだな」ということにつながる気がするんですが、それを論じ始めるとキリがないのでまたいつか別の時にしましょう。でも一つ言えるのは、それを英単語テストのスペルミスの口実にするのは、みっともない、ですよねー・・・ねぇマイさん? ま、それはいいとして、予告どおり「時の旅人」感想編です。まず、前回から書きたくてたまらなかったのが、この物語のテーマ曲、♪Green Sleevesについて!有名なイギリスの民謡で、ご存知の方も多いと思います。物語中では、ロンドンで一番新しいはやり歌として登場し、フランシスが、ペネロピーの緑色のドレス(グリーンスリーヴス=緑の袖)にかけて歌ってくれて、とってもロマンチック・・・なんですが。実はこの歌、ここで歌われてるのはほんの一部で、全部を通してみると、かなりどうしようもない失恋の歌なんですよー。若者(推定)が、つれない恋人(グリーンスリーヴス)に対して「ボクは君にあれもこれも買ってあげたんだよ」と、ひたすらプレゼントしたものを並べ立てるんです。最後には「いざ、さらば!」なんで、結局はフラれちゃったんですかね。あ、でもでも、フランシスはそんなこと知らずに(もしくは気にせずに)歌ってるんで、これは全くの余談です。あの素敵なほのかな恋物語にそんな予備知識はいりません。「時の旅人」中のグリーンスリーヴスは、その話のために作られた曲なんじゃないかと思うぐらい完璧です。
 フランシスって、本当はアンソニー以上に賢くて、サッカーズの領主になるべき人だったと思うんです。アンソニーは、それなりに立派な人だったけど、そこまでメアリー女王を想い続けるのは、領主としてはいけなかったんじゃないかと。フランシスはそんな兄の気持ちも分かるし、サッカーズを守りたい気持ちもあるけど、立場上どうにもできなくて、だから、そこに異世界からペネロピーが来たことは救いだったんでしょうね。この話には「せつない」という言葉がピッタリな気がします。アンソニーもフランシスも、ペネロピーが未来から来たということ、彼女の口にする事実(彼らにとっては予言)を心のどこかでは理解しつつも、己の道を変えることはできない。ペネロピーも、彼らの行く末を知っていながら何もできない。アラベラだけは、信じつつも信じたくない思いが余りに強く、ペネロピーを襲うことで事態を変えようとする。ジュードは、ペネロピーと同じ、時を越える心を持っているけど、彼はサッカーズの運命を背負っているわけじゃないから楽・・・なのかな。「現在」と「過去」のサッカーズの暖かい台所、そこで働く人々の暮らしと、アンソニーやフランシスのようなそこを治める人を、全くの第三者にはなりきれないペネロピーの視点で描くこの話は、品があって、優雅で、でもどこか物悲しい、そんな独特の雰囲気を湛えた美しい物語です。私は日本語訳でしか読んでないけれど、これは元の雰囲気を壊していない、かなり素敵な訳だと思います。岩波少年文庫の松野正子さん訳です。
 今回は随分と真面目に固い文章でした。次回ぐらいはまた力を抜いていきますんでー。
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