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ハリーポッターと死の聖物 (Harry Potter and the Deathly Hallows)

第三十六章:計画の欠陥

 ハリーは、また地面の上にうつぶせになって倒れていた。森の匂いが鼻孔いっぱいに入り、頬の下に、冷たくかたい地面と眼鏡のちょうつがいが当たるのが感じられた。倒れたときに、眼鏡が横に飛んでぶつかって、こめかみにくいこんでいた。体全体が痛くて、殺人の閃光が当たったところが甲鉄で打たれた傷のように痛んだ。だが身動きせず、倒れた場所に、左の腕をぎこちない角度に曲げ、口を開けたまま、そのままじっとしていた。彼が死んで、勝利とよろこびの喝采がおきると予想していた。けれど、そのかわりに急ぎの足音、ささやき声、心配そうなつぶやきが、あたりに満ちていた。

 「閣下・・・閣下・・・」

 それは、ベラトリックスの声だった。彼女は、まるで恋人にたいするように話しかけていた。ハリーは、目を開ける勇気はなかったが、自分の苦境がどんな状態か探りだそうと、他の感覚を働かせていた。胸と地面のあいだに押しつけるものを感じたので、杖が、まだローブの中にあるのが分った。おなかのあたりに、少しだけ、やわらかい感じがするので、透明マントが、知られずにつめこまれて、まだそこにあるのが分かった。

 「閣下・・・」

 「来なくてよい」とヴォルデモートの声がした。

 もっと足音が聞え、数人が、同じ場所から後ずさっていった。何が、なぜ、おこっているのか、どうしても見たくて、ハリーは、ほんの一ミリ、目を開けた。

 ヴォルデモートが立ちあがったようだった。何人ものデス・イーターが、急いで彼から離れて、空き地にいる、まわりの群衆のなかに戻っていった。ベラトリックスだけが残ってヴォルデモートのそばにひざまずいていた。

 ハリーは、また目を閉じて、見たものについて考えた。デス・イーターが、ヴォルデモートのまわりに集まっていた。ヴォルデモートは地面に倒れていたらしい。彼が、ハリーに殺人の呪文を放ったとき、何かがおきた。ヴォルデモートも崩れるようにたおれたのだろうか? そうらしかった。二人とも、つかの間、意識をうしなって倒れていて、二人とも、今、戻ってきた・・・

 「閣下、私に、ー」

 「手だすけはいらぬ」とヴォルデモートが冷たく言った。ハリーは見ることができなかったが、ベラトリックが、手をさしのべたところを思いえがいた。「少年は・・・死んだか?」

 空き地は、完全に静まりかえっていた。誰もハリーに近づかなかったが、彼ら全員が、ハリーをじっと見つめているのが感じられ、その視線が、もっと彼を地面に押しつけるような気がした。彼は、指一本でも、まぶたでも、ぴくっと動かないかと恐れていた。

 「おまえが」とヴォルデモートが言って、ドンという音と痛そうな小さな叫び声があがった。「彼を調べろ。死んだかどうか言え」

 ハリーには、誰が調べるために、よこされるのか分からなかった。ただ、そこに横たわって、調べられるのを待っていたが、心臓は、裏切るようにドンドンと激しく打っていた。けれど同時に、ヴォルデモートが彼に近づくのをためらっていることと、ヴォルデモートの計画どおりにうまくいかなかったのではないかと思っていることに気がついて、少しほっとした。

 予想したよりやわらかな手が、ハリーの顔に触れ、まぶたをあげ、シャツの中に入って胸を触り、心臓のうごきを調べた。女性の、せわしない息づかいが聞え、その長い髪が、彼の顔をくすぐった。彼女が、肋骨に打ちつける規則正しい命の鼓動を感じたのが、ハリーに分かった。

 「ドラコは生きている? 城の中にいるの?」

 そのささやき声は、ようやく聞きとれた。彼女の唇が、ハリーの耳のすぐ近くにあり、頭をとても低くかがめていたので、その長い髪が、見物人から、彼の顔を隠していた。

 「うん」彼は、ささやきかえした。

 彼女のつめが、彼の胸をぐっと突いたので、胸の上の手に力が入って、ぐっと縮まったのが分かった。それから、その手が引っこんだ。彼女は、身をおこした。

 「彼は死んだわ!」ナーシッサ・マルフォイが、見物人によびかけた。

 すると、彼らは大声をあげ、勝利の叫び声をあげ、足を踏みならした。お祝いに赤と銀色の光が空中に打ちあげられるのが、閉じたまぶたをとおして、ハリーに見えた。

 ハリーは、まだ、地面の上で死んだふりをしていたが、事情が分かってきた。ホグワーツに入ることを許され、息子をさがすための唯一の方法は、征服した軍隊の一人として入ることだと、ナーシッサには分かっていたのだ。彼女は、もうヴォルデモートが勝つかどうかは、どうでもよかった。

 「見たか?」とヴォルデモートが大騒ぎよりも大きく、かんだかい声で叫んだ。「ハリー・ポッターは、俺の手で死んだ。もはや生きている誰も、俺をおびやかすことはできない! よく見ろ! クルシオ!」

 ハリーは、それを予想していた。自分の体が、痛めつけられずに森の地面に横たわったままではいられないだろう、ヴォルデモートの勝利を証明するため、はずかしめを受けなくてはならないだろうと分かっていた。彼は、空中に持ちあげられた。死んだようにぐんにゃりしたままでいようと固く決心して意識ぜんぶを集中していた。けれど、予想した苦痛はやってこなかった。彼は、一度、二度、三度、空中に放りあげられた。眼鏡が飛びさって、ローブの下から、少しだけ杖がすべり出た。それでも、彼は、ずっと死んだようにだらんとしていた。最後に、地面に落ちると、空き地には、あざけりと、かんだかい笑いが響きわたった。

 「今こそ」とヴォルデモートが言った。「われわれは城へ行き、彼らのヒーローがどうなったかを見せよう。彼を誰に引きずっていかせよう? いや、ー、待て、ー」

 新たにどっと笑いがおこって、少したつと、ハリーは、自分の下の地面がゆれるのを感じた。

 「おまえが、彼を運んでいけ」ヴォルデモートが言った。「おまえの腕の中なら、彼はいごこちよく、外からよく見えるだろう? おまえの小さな友を運びあげろ、ハグリッド。それから眼鏡は、ー、眼鏡をかけろ、ー、彼だと、よく分かるようにな」

 誰かが、ハリーの眼鏡を、わざと力をこめて顔に押しつけた。けれど、彼を空中に運びあげた巨大な手は、とてもやさしかった。ハグリッドの腕が激しいすすり泣きのため震えるのが、ハリーに伝わってきた。ハグリッドが、彼を抱きかかえると、とても大きな涙のしずくが、はねかかってきた。けれど、ハリーは、まだ、すべてが失われたわけではないと、身ぶりやことばで、ハグリッドに、それとなく知らせる勇気はなかった。

 「歩け」とヴォルデモートが言ったので、ハグリッドは、密集した木々のあいだを分けいって、つまずきながら、森の方に戻っていった。木の枝が、ハリーの髪やローブに引っかかったが、口をだらりと開け、目を閉じて、じっと動かずにいた。デス・イーターたちが、そのまわりに群がり、ハグリッドは目がみえなくなるほどすすり泣いていて、誰も、ハリー・ポッターのむきだしになった首で、脈打っているかどうか調べる者はいなかった・・・

 巨人が二人、デス・イーターの後から、木々を押して倒しながら歩いていた。彼らが通ると、木々がきしんで倒れる音が、ハリーに聞えた。彼らが、ひどく騒々しい音をたてたので、鳥が、かんだかい声で鳴きながら空中に飛びたち、デス・イーターのあざけりの声さえもかき消した。勝ちほこった行進は、開けたところに向って進んだ。しばらくすると、ハリーは、閉じたまぶたをとおして、暗闇があかるくなってきたので、木々がまばらになりはじめたことが分かった。

 「ベイン!」

 思いがけず、ハグリッドが大声を出したので、ハリーは、あやうく目を開きそうになった。「今じゃ、しあわせか、あんたら戦いもせんと。あんたら、ぶつぶつ言うだけの、おくびょうもんの群れか? あんたら、うれしいか、ハリー・ポッターが、ー、し、ー、死んで・・・?」

 ハグリッドは、それ以上続けられずに、新たな涙にかきくれた。ハリーは、どのくらいたくさんの生きものが、彼らの行進を見ているのだろうかと思ったが、思いきって、目を開けることはしなかった。デス・イーターの何人かが、通りすぎるときに、生きものたちに侮辱のことばを投げつけた。少しすると、空気がさわやかになったので、森のはずれまで来たのが分かった。

 「止まれ」

 ハリーは、ハグリッドが少しよろめいたので、ヴォルデモートの命令に従うように強制されたにちがいないと思った。彼らが立っているところを、うすら寒さが取りかこみ、外部の森を巡回するデメンターのガラガラいう息づかいが聞えた。デメンターは、今ではハリーに影響をあたえなかった。自分が生きのびたという事実が、体内で燃えさかり、彼らをよせつけない護符の役目をしていた。父の雄ジカが、心の中で守護者になっているかのようだった。

 誰かが、近くを通りすぎたが、それがヴォルデモート自身だと分かった。すぐ後で、彼が口を開いたからだった。その声は、地面をとおして広く伝わるように魔法で大きくされていたので、ハリーの耳にぶつかるように聞えた。

 「ハリー・ポッターは死んだ。おまえたちが、彼のために命を投げだしているというのに、自分は助かろうとして逃げるときに殺された。おまえたちのヒーローが死んだ証拠として、彼の死体を運んでいく。

 「われわれが勝った。おまえたちは、戦った者の半数を失った。デス・イーターが、おまえたちより数でまさっているし、生きのびた少年は死んだ。もはや、戦いはあってはならない。抵抗しつづける者は、男、女、子ども、誰でも殺される。その家族も同様だ。さあ、城から出てこい、俺にひざまずけ、そうすれば許してやる。両親と子ども、兄弟や姉妹が生きのび、許される。おまえたちは、俺に協力し、ともに新しい世界をつくろうではないか」

 校庭も、城の中も沈黙していた。ヴォルデモートが、とても近くにいたので、ハリーは思いきって、また目を開けることができなかった。

 「来い」とヴォルデモートが言って、前に進み、ハグリッドが後についていかされる音が、ハリーに聞えた。ハリーは、ほんの一瞬、目を開けて、ヴォルデモートが肩に大きなヘビのナギニを巻きつけて、彼らの前を大またに歩いていくのを見た。ヘビはもう魔法の折に入ってはいなかった。けれど、ゆっくり明るくなっていく中で、両側を歩いていくデス・イーターたちに気づかれずに、ハリーがローブの下から杖を引きだせる可能性はなかった・・・

、「ハリー」とハグリッドがすすり泣いた。「ああ、ハリー・・・ハリー・・・」

 ハリーは、また、かたく目を閉じた。彼らが城にむかっているのが分かっていたので、デス・イーターの楽しげな声と、そのドスンドスンという足音の他に、中にいる人たちの生きている印を聞きとろうと耳をすませていた。

 「止まれ」

 デス・イーターが立ちどまって、学校の開いた玄関の扉にむかって横に広がって並ぶのが、ハリーに分かった。閉じたまぶたをとおしてさえ、玄関から明かりを意味する赤っぽい輝きが見えた。彼は待っていた。いまにも、彼が守って死のうとした人たちが、ハグリッドの腕の中で死んだと思われて横たわっている彼を見にくるだろう。

 「いや!」

 マクゴナガル先生が、そんな声を出すなど夢にも予想できかったので、なおいっそう、その叫び声がおそろしく聞えた。近くで、女が笑うのが聞えた。ベラトリックスが、マクゴナガルの絶望に大喜びしていたのだ。ハリーが、ほんの一瞬、またうす目を開けると、開かれた戸口に人々がいっぱいいるのが見えた。戦いで生きのこった人たちが、征服者に顔をあわせ、自分の目でハリーの死を確かめようとして、玄関の前の石段のところに出てきた。ヴォルデモートが、自分の少し前に立って、白い指の一本でナギニの頭をなでているいるのが、ハリーに見えた。ハリーは、また目を閉じた。

 「いやだ!」

 「いや!」

 「ハリー! ハリー!」

 ロン、ハーマイオニー、ジニーの声は、マクゴナガルの声よりも悪かった。ハリーは、ただただ叫びかえしたいと思ったが、我慢して黙って横たわっていた。そして、彼らの叫びが引き金になったように、生きのこった人たちの集団が、デス・イーターに悪口をあびせたり、金切り声で叫んだりしはじめた。そのとき、ー

 「静かにしろ!」とヴォルデモートが叫び、ドンという音と閃光があがったので、彼らは黙らされた。「もう終った! 彼をおろせ、ハグリッド、俺の足下にだ。そこが、彼にふさわしい場所だ!」

 ハリーは、草地のうえに下ろされるのが分かった。

 「見たか?」とヴォルデモートが言った。ハリーは、自分が横たわっている場所のすぐそばを、彼が行ったり来たりしているのが分かった。「ハリー・ポッターは死んだ! それを今、理解したか、まどわされていた者たちよ! 彼は、自分のために他人に犠牲になってもらうよう、他人に頼っていた少年にすぎなかったのだ!」

 「彼は、あんたをうち負かしたんだ!」とロンが叫んだ。すると魔法がとけた。ホグワーツを守る者たちは、また叫んだり、金切り声をあげたりしはじめたが、すぐに、もう一度もっと強力なドカンという音がして、その声をかき消した。

 「彼は、校庭からこそこそと逃げだしてきたところを殺された」とヴォルデモートが言った。その声には、嘘を楽しんでいる響きがあった。「自分の身が助かろうとして殺されたのだ、ー」

 しかし、ヴォルデモートは、とちゅうで止めた。もみあう音と叫び声、それからまたドンという音と閃光と、痛そうなうめき声が、ハリーに聞えた。彼は、ほんの少しだけ目を開けた。誰かが、集団から離れて、ヴォルデモートめがけて突進したのだ。ハリーは、その人影が地面に倒れるのを見た。ヴォルデモートは、武器をとりあげ、挑戦者の杖を脇に放りなげて笑った。

 「で、これは誰だ?」と、ヘビがシューシューいうような声で、そっと言った。「誰が、戦いに負けたのに戦いつづけようとする者がどうなるかの実例を、進んで示してくれたのか?」

 ベラトリックスがうれしそうに笑った。

 「ネビル・ロングボトムです、閣下! カロウたちを、ひどく悩ませた少年です! あのオーラーたちの息子です、覚えていらっしゃいますか?」

 「ああ、覚えているぞ」とヴォルデモートがネビルを見おろしながら言った。ネビルは立ちあがろうともがいて、生きのこった者とデス・イーターのあいだに、武器もなく、守られもせず立っていた。「だが、おまえは純血だろう、勇敢な子よ?」ヴォルデモートが、武器を持たない手をこぶしににぎって、面と向っているネビルに尋ねた。

 「もし僕が、そうなら、それがどうした?」とネビルが大声で言った。

 「おまえは気骨があるし、勇敢なところを見せてくれた。また高貴な家系の出だ。おまえは、とても貴重なデス・イーターになるだろう。われわれは、おまえのような者が必要なのだ、ネビル・ロングボトムよ」

 「僕は、永久にあなたに加わる」とネビルが言った。そして「ダンブルドアの軍隊!」と叫んだ。人々のあいだから、それに答える歓声が巻きおこり、ヴォルデモートの静まらせる呪文でもおさえきれないようだった。

 「大変よい」とヴォルデモートが言ったが、その声のやさしさに、もっとも強力な呪いよりも危険がふくまれているのを、ハリーは聞きとった。「もし、それがおまえの選択なら、ロングボトム、最初の計画に戻るとしよう。おまえの頭の上に」彼は静かに言った。「のるように」

 ハリーは、まだ、ほんの少ししか目を開けていないので、まつげごしに、ヴォルデモートが杖をふるのが見えた。まもなく、城の壊れた窓の一つから、ぶかっこうな鳥のようなものが、うす明かりの中を飛んできて、ヴォルデモートの手に着地した。彼は、その古くさい品物の、とがった先を持ってふった。それは、だらんとして、空っぽで、ぼろぼろの組み分け帽子だった。

 「ホグワーツでは、もはや組み分けは、ない」とヴォルデモートが言った。「もはや、たくさんの寮は、ない。わが高貴な先祖、サラザール・スリザリンの紋章、盾、色で、じゅうぶんではないか、ネビル・ロングボトムよ?」

 そして杖をネビルに向け、動かないで静かにさせた。それからネビルの頭に帽子をむりやりかぶせたので、目の下まで隠れてしまった。城の前で見ている人たちから、動きがおこったが、デス・イーターがいっせいに杖をあげたので、ホグワーツの戦士たちは窮地においこまれた。

 「ここにいるネビルは、愚かにも俺にさからいつづける者は誰でも、どうなるかを今から実演してくれる」とヴォルデモートが言って、すばやく杖を一ふりすると、組み分け帽子が炎につつまれた。

 夜明けを引きさくような悲鳴が響き、ネビルは、その場に根がはえたように動くことができずに、燃えあがった。ハリーは、我慢できなかった。行動しなくては、-

 そのとき、多くのことが同時におこった。

 遠くの、森と学校の境から大きな騒ぎの音が聞えた。何百人もの人たちが、見えないところの壁に押しよせ、ときの声をあげながら城に向って突進してくるような音だった。同時に、グロープが城の横をまわって、のしのしとやって来て、「ハガー!」と叫んだ。その叫びに、ヴォルデモートの巨人たちが吠えるような声で答え、雄ゾウのように、グロープめがけて走っていたので、地面がゆれた。それから、ひづめの音と、弓がブーンとしなう音がした。それから急に矢が、デス・イーターの中に落ちてきたので、彼らは驚いて叫びながら、列を乱してばらばらになった。ハリーは、ローブの中から透明マントを引きだしてかぶり、さっと立ちあがった。ネビルも動いていた。

 ハリーのすばやい流れるような杖の一ふりで、ネビルは体縛りの呪文から解きはなたれ、炎をあげる帽子が、その頭から落ちた。そして、ネビルは、帽子の奥から、輝くルビーの柄がついた銀色のものを引っぱりだした、ー

 銀の刃が打ちつける音は、近づいてくる群衆の叫び声や、巨人たちが激突する音や、セントールの疾走する音で、聞えなかったが、それでも、すべての注目を集めたようだった。ネビルは、一撃で、大きなヘビの頭を切りおとした。それは、回りながら空中高くにあがり、玄関からあふれでる光を受けて輝いた。ヴォルデモートの口が開き、激怒の悲鳴があがったが、誰にも聞えなかった。その足下に、ヘビの体がドサッと落ちた、ー

 ヴォルデモートが杖をあげないうちに、ハリーは透明マントにかくれて、ネビルとヴォルデモートのあいだに盾の呪文をかけた。それから、悲鳴と、叫び声と、戦う巨人が足を踏みならす、とどろくような音を越えて何よりも大きくハグリッドの絶叫が響きわたった。 「ハリー!」ハグリッドがさけんだ。「ハリー、ー、ハリーはどこだ?」

 大混乱になった。突進するセントールがデス・イーターを追いはらい、皆、巨人に踏みつけられないように逃げていた。そして、どこからともなく援軍が、とどろくようにどんどん近づいてきた。大きな翼のある生きものがヴォルデモートの巨人の頭の上を飛びまわるのが、ハリーに見えた。テストラルとヒポグリフのバックビークが巨人の目をひっかき、そのあいだに、グロープがげんこつでぶんなぐった。そして、魔法使いは、ホグワーツを守る人たちもデス・イーターも同様に、城の中に戻るはめになった。ハリーは、目につくかぎりのデス・イーターに呪文を放ったので、彼らは、誰が、それを放ったのか分からないまま崩れるようにたおれこんだ。その体が、退却してくる群衆に踏みつけられた。

 ハリーは、まだ透明マントに隠れたまま、戦いながら玄関に進んでいった。ヴォルデモートを探していると、ヴォルデモートは部屋の向こうにいて、呪文を杖から放ちながら後ずさりして大広間に入り、なおも左右に呪文を飛ばしながら手下に指示を叫んでいた。ハリーは、さらに盾の呪文を放ったので、そのおかげでシェーマス・フィネガンとハナ・アボットが、ヴォルデモートのえじきにならずにすんだ。二人は、ハリーのそばを通りすぎて大広間に駆けこみ、中で激しくおこなわれている戦いにくわわった。

 そして、もっともっと多くの人々が、玄関の石段をのぼって突進してきた。ハリーは、チャーリー・ウィーズリーが、まだ鮮やかな緑色のパジャマを着ているホラス・スラグホーンに追いつくのを見た。彼らは、城に残って戦っているホグワーツの生徒すべての家族と友人に、ホグズミードの店や宿屋の主人たちも加わった一団をひきいてきたようだった。セントールのベイン、ロナン、マゴリアンが、ひづめの音を響かせて、大広間に飛びこんできた。そのときハリーの後ろの、台所につうじる扉のちょうつがいが、ぶちこわされた。

 ホグワーツのハウスエルフが、肉用ナイフや肉切り包丁をふりまわしながら、どっと玄関になだれこんできた。先頭に立っているのはクリーチャーだった。胸元でレグルス・ブラックのロケットがおどっていた。そのウシガエルのような声が、この騒音の中でさえも聞えてきた。「戦え! 戦え! ハウスエルフの守り手のご主人様のために! 勇敢なレグルスの名にかけて、ダーク・ロードと戦え! 戦え!」

 彼らは、敵意にみちあふれた顔で、デス・イーターの足首や向こうずねを突きさした。いたるところで、デス・イーターが、大勢の重さの下に折りかさなったり、呪文にやられたり、傷から矢を引きぬいていたり、エルフに足をさされたり、さもなければ、ただ逃げだそうとしたが、近づいてくる大群に飲みこまれたりしているのを、ハリーは見た。

 しかし、まだ終らなかった。ハリーは、戦っている人たちのあいだを急いで走り、逃れようともがく捕らわれ人のそばを通りすぎて、大広間に向った。

 ヴォルデモートが戦いの中心にいた。届く範囲のものすべてを攻撃し、うち負かしていた。ハリーは、彼をよくねらえる位置には立てなかったが、姿を隠したままで、やっと近づいていった。歩ける者すべてが、なんとかして中に入ろうとしていたので、大広間は、どんどん混みあってきた。

 ハリーは、ヤクスリーが、ジョージとリー・ジョーダンに床にバタンと倒されるのを見た。ドロホフが、フリットウィックの手によって悲鳴をあげて倒れるのを見た。ウォルデン・マクニールがハグリッドに、部屋の向こうに投げとばされ、反対側の石の壁に当たって、意識を失って床にすべりおちるのを見た。ロンとネビルが、フェンリル・グレイバックを倒すのを見た。アバーフォースが、ルクウッドを気絶させ、アーサーとパーシーが、シックニーズを倒し、ルシウスとナーシッサ・マルフォイが群衆のなかに走りこんできて、戦おうとさえせずに、息子の名を叫んでいるのを見た。

 ヴォルデモートは、マクゴナガル、スラグホーン、キングズリーといっぺんに戦っていた。彼らが、呪文を避けて、さっと動いたり首をすくめたりしているあいだ、彼は冷たい憎しみをうかべていた。彼を、やっつけることはできなかった、ー

 ベラトリックスもまだ戦っていた。ヴォルデモートから五十メートルほど離れたところで、主人と同じく、一度にハーマイオニーとジニーとルナの三人を相手にしていた。三人とも全力をつくして激しく戦っていたが互角だった。そして、殺人の呪文が、ジニーのすぐ近くに放たれ、彼女があわや死ぬところだったので、ハリーの注意が、そちらに逸れた。

 彼は、方向転換してヴォルデモートでなく、ベラトリックスめがけて走っていったが、数歩もいかないうちに横に突きとばされた。

 「私の娘に手を出すな、このあばずれ!」

 ウィーズリー夫人が、走りながら、腕を自由に動かせるようにマントを投げすてた。ベラトリックスが、その場でさっとふりむいたが、新しい挑戦者を見ると大笑いした。

 「そこをどきなさい!」とウィーズリー夫人が三人の女の子に叫び、杖を強く一ふりして戦いはじめた。モリー・ウィーズリーの杖が、空中を切りさき、くるくる回り、ベラトリックス・レストレインジの笑いが弱まって、うなり声になるのを、ハリーは、恐怖と得意な気持ちとで見まもっていた。両方の杖から閃光が飛びかった。魔女の足下の床が、熱くなって、ひび割れた。二人とも決死の戦いをしていた。

 数人の生徒が手だすけしようと前方に走りよっていくと、「だめ!」とウィーズリー夫人が叫んだ。「さがって! さがって! 彼女は、私が、しとめるわ!」

 何百人もの人々が、壁に列をなして、ヴォルデモート対三人、ベラトリックス対モリーという二つの戦いを見つめていた。そして、ハリーは、姿を隠して立ったまま、敵を攻撃したいし、味方も守りたいという両方の思いに引きさかれていた。また罪がない人に呪文が当たらないという確信ももてなかった。

 「私が、おまえを殺したら、子どもたちはどうなると思う?」とベラトリックスが、モリーの呪文が、まわりに飛ぶのを、飛んで避けながら、主人と同じくらい怒りくるって、あざけるように言った。「ママが死んだら、子どもたちはフレディーと同じかな?」

 「あんたを、―、二度と、―、うちの、―、子どもたちに、―、触らせないわ!」とウィーズリー夫人が金切り声で叫んだ。

 ベラトリックスが笑った。いとこのシリウスが、ベールの向こうに倒れる前にしたのと同じ快活な笑いだった。ハリーは突然、次に何がおきるかが、実際におきる前に分かった。

 ベラトリックスがのばした腕の下に、モリーの呪文が飛びこみ、垂直にベラトリックスの胸をうち、まっすぐ心臓に当たった。

 ベラトリックスの満足げな笑いが凍りつき、目が突きでたようにみえた。何がおきたのかを悟った瞬間、よろめき倒れた。見物人が歓声をあげ、ヴォルデモートが悲鳴をあげた。

 ハリーは、まわりがスローモーションになったような感じがした。マクゴナガル、キングズリー、スラグホーンが後ろに飛ばされ、空中で手足を激しく動かしながら身もだえしているのが見えた。最後の最良の腹心が倒れたので、ヴォルデモートの激怒が爆弾のように破裂したのだ。ヴォルデモートは杖をあげ、まっすぐにモリー・ウィーズリーに向けた。

 「プロテゴ!(防御せよ)」とハリーが叫び、盾の呪文が大広間のまんなかにひろがった。ヴォルデモートが、誰がやったのかと、ふりかえったとき、ハリーは、とうとう透明マントをぬいた。

 「ハリー!」「生きていたのか!」という両側のショックと歓声と叫び声は、すぐに静まった。ヴォルデモートとハリーが向いあったとき、群衆は恐怖におそわれ、いきなり完全に沈黙して、同時に、二人を取りまきはじめた。

 「僕は、誰にも助けてほしくない」ハリーが大声で言った。完全に静まりかえった中で、その声がトランペットの合図のように伝わった。「こういうふうになるべきだ。僕が相手であるべきだ」

 ヴォルデモートがシューッとヘビのような声で言った。

 「ポッターは、そういうつもりではない」彼は、赤い目を見開いて言った。「それは、彼のやり方ではないだろう? 今日は、守ってもらう盾に、誰を使うつもりだ、ポッターよ?」

 「誰も」とハリーが簡潔に言った。「もうホークラクスは、ない。おまえと僕だけしかいない。両方が生きることはできないで、片方が生きのこる。僕たちの一人が永久に去るのだ・・・」

 「われわれの一人だと?」とヴォルデモートがあざけった。その全身が緊張し、赤い目がにらんでいた。まさに攻撃しようとするヘビだ。「生きのこるのが、おまえだと思っているのか、偶然、生きのこり、ダンブルドアがあやつっていたから、生きのびた少年のおまえだと?」

 「僕の母が、僕を助けるために死んだのを、偶然だと言うのか?」とハリーが言った。彼らは、二人とも、まだ互いに同じ距離をたもち、完璧な円をえがきながら横歩きをしていた。ハリーにとっては、ヴォルデモートの顔しか存在していなかった。「僕が墓地で戦おうと決めたのも偶然か? 今夜、僕が自分の身を防がなかったのに、まだ生きていて、また戦いに戻ってきたのも偶然か?」

 「偶然だ!」とヴォルデモートが叫んだが、それでも攻撃してこようとはしなかった。見物人は、石になったように、じっと動かなかった。大広間にいる何百人もの人たちのうち、彼ら二人だけしか呼吸をしていないかのようだった。「偶然と、運と、おまえが、もっと強い者たちの陰にかくれて、泣き言をいって、うずくまり、その者たちを、俺に殺させたという事実のためだ!」

 「今夜は、もう他の誰も殺させない」とハリーが言った。二人とも互いの目を、緑の目が赤い目を、にらみつけながら、円をえがいて歩いていた。「もう二度と、おまえが他の誰も殺すことはできない。分からないのか? 僕は、他の人たちが傷つけられるのを止めるために死ぬ覚悟ができている、ー」

 「だが、おまえは、そうしなかった!」

 「ー、僕は、そうするつもりだった。そして、そういうふうになった。僕は、母がしてくれたことをした。だから、みんな守られていたんだ。おまえがかけた呪文のどれも、効果がなかったことが分からなかったのか? おまえは、みんなを痛めつけることはできない。みんなに触ることができない。自分のあやまちから学んでいない、リドル、そうだろう?」

 「よくも言ったな、ー」

 「ああ、言うよ」とハリーが言った。「僕は、おまえが知らないことを知っているんだ、トム・リドル。おまえが知らない重大なことをたくさん知っている。また大きなあやまちをする前に、少し聞きたいか?」

 ヴォルデモートは口をきかないで、円をえがいて歩いていた。ハリーは、自分がヴォルデモートを一時的に魅惑して、窮地に追いこんでいるのだと分かった。ハリーが実際に究極の秘密を知っているのかもしれないという、ほんのかすかな可能性のために、行動できずにいるのだ・・・

 「また、愛の話か?」とヴォルデモートが言った。そのヘビのような顔は、あざけりの表情をうかべていた。「ダンブルドア好みの解決だ、愛とはな。彼は、それが、死にうち勝つと主張した。だが、愛は、彼が、塔から墜落して、古ぼけたロウ人形のように壊れるのを止めなかったではないか? 『愛』、それは、俺が、おまえの穢れた血である母親をゴキブリのように踏みつけて取りのぞくのを防がなかった、ポッターよ、―、それに、今度は誰も、走りでてきて俺の呪文を受けるほど、おまえを愛してはいないようだ。それでは、今度は、俺が攻撃したとき、何が、おまえを死ぬのを止めるのだ?」

 「ただ一つ」とハリーが言った。彼らは、まだ、互いの中に捕らわれ、ただ最後の秘密によってのみ、互いに離れたまま回りつづけていた。

 「もし、今度おまえを助けるのが愛でなかったら」とヴォルデモートが言った。「おまえは、俺が持っていない魔法の力、さもなくば、俺のよりも強力な武器を持っていると信じなくてはならないだろうな?」

 「僕は、両方信じている」とハリーが言った。すると、そのヘビのような顔に衝撃の表情がうかぶのを見た。しかし、それはすぐに、なくなった。ヴォルデモートは笑いはじめたが、その声は、彼の悲鳴より恐ろしかった。ユーモアがなく狂気の笑いで、それが、静まりかえった大広間に響きわたった。

 「おまえが、俺より魔法を知っていると思っているのか?」と言った。「俺より、ダンブルドア自身が夢にみたこともない魔法をやりとげたヴォルデモート卿より?」

 「ああ、ダンブルドアは、それを夢にみていたよ」とハリーが言った。「でも彼は、おまえ以上に知っていた。おまえがやったことを、やらないほど、よく知っていたんだ」

 「それはつまり彼が弱かったということだ!」とヴォルデモートが叫んだ。「弱すぎてやる勇気がなかった、弱すぎて、彼のものになったかもしれないものを手にとらなかった。それは俺のものになるのだ!」

 「違う! 彼は、おまえよりもかしこかった」とハリーが言った。「おまえより、すぐれた魔法使い、すぐれた人だった」

 「俺が、アルバス・ダンブルドアの死をなしとげたのだ!」

 「おまえが、そう思いこんでいるだけだ」とハリーが言った。「でも、それはまちがっている」

 はじめて、見物人が身動きをした。壁のまわりの何百人という人たちが、いっせいに息をしたようだった。

 「ダンブルドアは死んだ!」ヴォルデモートが、そのことばをハリーに投げつけるように言った。まるで、そのことばが自分に耐えがたい苦痛をあたえるかのようだった。「彼の体は、校庭の大理石の墓の中で朽ちている。俺はそれを見た、ポッター、彼は戻らないぞ!」

 「ああ、ダンブルドアは亡くなった」とハリーが冷静に言った。「だが、おまえが、彼を殺させたのではない。彼は、自分で死に方を選んだのだ。亡くなる何ヶ月も前に、そのやり方を選んで、おまえが、自分の召使いだと思っていた男とともに、すべて計画しておいたのだ」

 「それは、なんたる子どもじみた夢だ?」とヴォルデモートが言ったが、それでもまだ攻撃しようとはせず、その赤い目がハリーの目をじっと見つめたままゆらがなかった。

 「セブルス・スネイプは、おまえの召使いではなかった」とハリーが言った。「スネイプはダンブルドアに仕えていた。おまえが、ぼくの母を追いはじめたときから、ダンブルドアに仕えていた。が、おまえは、まったくそれに気づかなかった。おまえが理解できないことのためだ。おまえは、スネイプがパトロナスを出したのを見たことがないだろう、リドル?」

 ヴォルデモートは答えなかった。彼らは、離れながら、たがいに噛みつこうとしているオオカミのようにぐるぐるまわっていた。

 「スネイプのパトロナスは雌ジカだった」とハリーが言った。「僕の母のと同じだ。なぜなら、スネイプは、二人が子どもだった頃から、ずっと死ぬまで、僕の母を愛していたからだ。おまえは分かってもよかったはずだ」ハリーは、ヴォルデモートの鼻孔がふくらむのを見ながら言った。「スネイプは、僕の母の命ごいをしただろう?」

 「彼は、彼女を自分のものにしたかった、それだけだ」とヴォルデモートが、せせらわらった。「だが、彼女が死んだとき、他にももっと純血で、もっと彼にふさわしい女がいるということに、彼は同意した、ー」

 「もちろん、おまえには、そう言っただろう」とハリーが言った。「だが、おまえが彼女を脅したときから、スネイプはダンブルドアのスパイになった。それ以来ずっと、おまえに敵対して働いてきた! スネイプが殺したとき、ダンブルドアは、もう死にかけていたんだ!」

 「それは、問題ではない!」とヴォルデモートが、かんだかい声で叫んだ。ひとことひとことを熱心に注意深くいい、その後、気ちがいじみた笑い声をあげた。「スネイプが、俺の召使いであろうがダンブルドアのであろうが問題ではないし、俺の行く手に、どんなささいな障害物をおこうと問題ではない。俺は、スネイプが大いなる愛をささげてきたとかいうおまえの母親を踏みつぶした! ああ、だが、それですべてつじつまが合うぞ、ポッター、それも、おまえが理解できないふうにな!

 「ダンブルドアは、上位の杖を、俺から離そうとしたのだ! 彼は、スネイプが、あの杖の真のもちぬしになるようにしたのだ! だが、俺が、おまえより先に、あそこに行ったぞ、小僧、ー、俺が、おまえが手をのばすより先に、あの杖を手にいれた。おまえより先に、俺が真実を理解したのだ。俺は、三時間前、セブルス・スネイプを殺した。だから、上位の杖、死の棒、運命の杖は真に俺のものだ! ダンブルドアの最後の計画は、うまくいかなかったぞ、ハリー・ポッターよ!」

 「ああ、そうだ」とハリーが言った。「おまえの言うとおりだ。だが、僕を殺そうとする前に、おまえがしたことを考えてみるようにと忠告する・・・考えて、少しは悔恨の情をいだくように、リドル・・・」

 「なんだと?」

 ハリーが、今までに暴露したことや、あざけったことなど、すべてのうちで、これほどヴォルデモートに衝撃をあたえたことはなかった。彼の瞳が、細い裂けめのようにせばまり、目のまわりの皮膚が白くなるのが、ハリーに見えた。

 「それが、おまえの最後のチャンスだ」とハリーが言った。「おまえに残されたすべて・・・悔恨の情をいだかなかったら、おまえがどうなるかを、僕は見た・・・人として・・・悔恨の情を・・・いだいてほしい・・・」

 「よくも言ったな、―?」とヴォルデモートが、また言った。

 「ああ、言うよ」とハリーが言った。「なぜなら、ダンブルドアの最後の計画は、僕にとって裏目にでたわけでは、まったくない。おまえにとって裏目にでたんだ、リドル」

 ヴォルデモートの手は、上位の杖をもって震えていた。ハリーは、ドラコの杖を、とても固くにぎっていた。それは、数秒間のことだった。

 「その杖は、まだ、おまえのために、ちゃんと働かない。なぜなら、おまえは、まちがった人間を殺したからだ。セブルス・スネイプは上位の杖の真のもちぬしではなかった。彼は、けっしてダンブルドアをうち負かしはしなかった」

 「彼が殺した、ー」

 「聞いていなかったのか? スネイプは、けっしてダンブルドアをうち負かしはしなかった! ダンブルドアの死は、二人のあいだで計画されていたんだ! ダンブルドアは、うち負かされずに死のうとした。杖の最後の真のもちぬしであろうとした! もし、すべてが計画どおりにいけば、杖の力は、彼とともに死んだだろう。なぜなら、杖は、彼から勝って奪われることがなかったからだ!」

 「だが、それなら、ポッター、ダンブルドアは事実上、杖を俺にくれたも同様だ!」ヴォルデモートの声は悪意あるよろこびでゆれた。「俺は、最後のもちぬしの墓から盗んだ! 最後のもちぬしの意志に反して持ちさったのだ! 杖の力は俺のものだ!」

 「まだ分かっていないな、リドル? 杖を所有するだけでは、じゅうぶんではないのだ! それを持ち、使うだけでは、ほんとうに、おまえのものにはならない。オリバンダーのことばを聞かなかったのか? 杖が魔法使いを選ぶのだ・・・上位の杖は、ダンブルドアが亡くなる前に、新しいもちぬしを見つけていた。その者が、その杖に手も触れなかったにもかかわらずだ。新しいもちぬしは、ダンブルドアの意志に反して杖を取りさった。自分が何をしたのかも、世界中でもっとも危険な杖が自分に忠誠を誓ったことも、けっして正確に理解していなかったけれど・・・」

 ヴォルデモートの胸がせわしなく上下していた。ハリーは、自分の顔に向けられた杖のなかに呪文の呪いがたまってくるのを感じ、今にも呪文が飛んできそうな気がした。

 「つまり、上位の杖の真のもちぬしは、ドラコ・マルフォイだったんだ」

 ヴォルデモートの顔が、いっしゅん衝撃でぼうぜんとしたが、それは消えさった。

 「だが、それのどこが問題だ?」彼が、そっと言った。「たとえ、おまえの言うとおりだとしても、ポッター、おまえと俺には何のちがいもない。おまえは、もうフェニックスの杖を持っていない。つまり、われわれは、技だけで決闘できるわけだ・・・俺は、おまえを殺したあとで、ドラコ・マルフォイに、とりかかればよい・・・」

 「だが、おまえは遅すぎた」とハリーが言った。「おまえはチャンスを逃した。僕が、先に着いた。僕は数週間前にドラコをうち負かした。この杖は、彼から取ったんだ」

 ハリーが、サンザシの杖をぐいっと動かすと、大広間の全員の目が、それに注がれるのが分かった。

 「だから、結局こういうことになるんじゃないか?」とハリーがささやいた。「おまえの手のなかの杖が、前のもちぬしが武器を取られたのを知っているかどうかということに? なぜなら、もし、その杖が知っているなら・・・僕が、上位の杖の真のもちぬしだということになる」

 赤い金色のかがやきが、突然、頭上の魔法の空に燃えあがった。目もくらむような太陽のかがやきの端が、すぐそばの窓の敷居の上にあらわれたのだ。その光が、同時に二人の顔にあたったので、ヴォルデモートの顔が急に燃えるように、ぼやけた。ハリーは、かんだかい声が叫ぶのを聞くと同時に、自分も、天にうまくいくことを祈りながら、ドラコの杖を向けて叫んだ。

 「アヴァダケダヴラ!」

 「エクスペリアームズ!」

 大砲が発射されたようなドンという音がして、二人が歩いていた円のどまんなかに、二人のあいだに発射された金色の炎があがって、そこに呪文が衝突したのが分かった。ハリーは、ヴォルデモートの緑の閃光が自分の呪文と出あうのを見た。それから上位の杖が、高く飛んで、のぼった太陽の光の陰になって、ナギニの頭のように、くるくるまわりながら魔法の天井をこえて、空中を、その杖が殺すはずがない真のもちぬしの方に向ってきた。杖は、やっと真のもちぬしの手にわたろうとしているのだ。そしてハリーは、シーカーの正確な技で、空いた方の手で、その杖をつかんだ。そのとき、ヴォルデモートがあおむけに倒れた。腕を広げ、赤い目の上の方で細い瞳が回っていた。トム・リドルは、床に当たり、ふつうの人間と同じ最期をむかえた。体が弱々しく縮こまり、白い手は空をつかみ、ヘビのような顔は、うつろで何も分かっていなかった。ヴォルデモートは死んだ。自分の呪文が、はねかえってきて、それに殺されたのだ。ハリーは、手に二つの杖を持って立ち、敵の殻を見おろしていた。

 身震いするほどの、ほんの一時、一瞬のショックで、まわりの動きが止まった。それからハリーのまわりで大騒ぎがまきおこった。見物人の悲鳴や歓声やどよめきが空中を引きさいた。荒々しい新しい太陽が、窓から目がくらむように差しこんできた。そのとき人々が、ハリーの方にどっと押しよせてきた。最初に来たのがロンとハーマイオニーで、その二人の腕が、ハリーにまきつき、わけの分からない叫び声で耳が聞えなくなった。それから、ジニー、ネビル、ルナが来た。それからウィーズリー家とハグリッド、それからキングズリーとマクゴナガルとフリットウィックとスプラウトが来た。それからハリーは誰の叫び声も一言も聞えなかったし、誰が手をにぎったり、引っぱったり、体のどこかを抱きしめようとしているのかも分からなかった。何百人もが押しよせてきて、誰もが「生きのびた少年」に触ろうとしていた。とうとう終った証(あかし)として、ー

 太陽は着実にホグワーツの上にのぼっていた。大広間は、生命と光とで輝いていた。ハリーは、歓喜と悲嘆、悲しみとお祝いの混じった流出に欠くことのできない一部だった。みな、ハリーに、リーダーでありシンボルとして、また救い手であり導き手として、そこに、いてもらいたがった。彼が眠っていないこと、ほんの数人の仲間とだけいっしょにいたいと切望していることは、誰も思いつかないようだった。彼は、肉親を奪われた人たちに話しかけ、手をにぎり、涙を見て、お礼を言われ、あらゆる方角から入ってくる知らせに耳をかたむけなくてはならなかった。午前のときがたつにつれ、国中の支配の呪文をかけられていたものは正気をとりもどし、デス・イーターは逃げるか、または捕らえられ、アズカバンの無実のものたちは直ちに釈放され、キングズリー・シャックルボルトが一時的に魔法大臣に指名された・・・というような知らせだった。

 ヴォルデモートは大広間から離れた部屋に運ばれた。フレッド、ルーピン、トンクス、コリン・クリービー、その他、彼と戦って死んだ五十名と離しておくためだった。マクゴナガルが寮のテーブルを並べなおしたが、もう誰も寮に別れて座らなかった。先生と生徒、幽霊と親、セントールとハウスエルフ、誰もが混じって座っていた。フィレンツェは回復して隅に横たわり、グロープが壊れた窓からのぞきこみ、その笑っている口の中に、人々が食べものを投げこんでいた。少したって、ハリーは精も根もつきはてていたが、気がつくとルナの横に座っていた。

 「もし私があなたなら、少し平和な静けさが欲しいわ」ルナが言った。

 「すごく欲しいよ」ハリーが答えた。

 「私がみんなの気をそらしてあげる」ルナが言った。「透明マントを使いなさいよ」

 そして、彼が何も言わないうちに、ルナが叫んだ。「うわーっ、見て、ブリバリングのすごいやつがいるわ!」そして窓の外を指さしたので、それを聞いたものはみな、ふりむいた。そこでハリーは、透明マントをかぶって立ちあがった。

 今、ハリーは邪魔されずに大広間をとおって歩くことができた。テーブル二つ向こうに、ジニーを見つけた。彼女は頭を母の肩にのせて座っていた。彼女とは後から話す時間があるだろう。何時間でも何日でも、きっと何年でも話す時間があるだろう。ネビルがいた。グリフィンドールの剣を皿の横において食事をしていたが、熱狂的なファンの集団にかこまれていた。ハリーはテーブルのあいだの通路を歩いていった。すると、三人のマルフォイ一家を見つけた。そこにいていいのかどうか分からないというように身を寄せあっていたが、誰も彼らに気をとめなかった。いたるところで、家族が再会していた。そして、やっと、いっしょにいたいと切望していた二人がいた。

 「僕だよ」ハリーは、二人のあいだに身をかがめて小声で言った。「いっしょに来てくれないか?」

 二人は、すぐに立ちあがった。そして、彼とロンとハーマイオニーはいっしょに大広間を出た。大理石の階段の大きな部分がなくなっていた。手すりの一部もなくなっていて、のぼる段ごとに破片と血痕が見られた。

 どこか遠くで、ピーブスが廊下をブーンと飛びながら、自作の勝利の歌を歌うのが聞えてきた。

「やったぜ、勝ったぜ、ポッターがいちばん、

 ヴォルディは死んじまった、騒ごうぜ!」

 「全体の状況の範囲と悲劇の感じをうまく伝えてるよな?」とロンが言いながら、扉を押してハリーとハーマイオニーをとおした。

 しあわせが来るだろう、とハリーは思った。けれど、その思いは、今はまだ極度の疲労で弱められていた。また、フレッド、ルーピン、トンクスをうしなった痛みが、数歩歩くたびに、肉体的な傷のように突きさすのが感じられた。心の大部分では、とてつもなく安堵し、眠りたいと思っていた。けれど、まずロンとハーマイオニーに説明する義務があった。二人は、あんなに長いあいだ、いっしょについてきてくれたのだから、真実を知る資格があった。ハリーは骨折りながら、ペンシーブで見たこと、森の中でおこったことを語った。そして二人が、ショックと驚きを言いあらわさないうちに、誰も目的地だとは言わなかったけれど、彼らが、めざして歩いてきた場所に着いた。

 彼が、最後に見たとき、校長室の入り口を守る怪物像は横に倒されていたが、それは、少しなぐられたように傾いて立っていた。ハリーは、それがパスワードを聞きわけられるかどうか怪しいと思った。

 「入ってもいいかい?」と怪物像に尋ねた。

 「ご自由に」と像がうめいた。

 彼らは、像によじのぼって、石のらせん階段にのった。それは、エスカレーターのようにゆっくり上っていった。ハリーは、てっぺんの扉を押しあけた。そして机の上に、さっき置いた石のペンシーブがあるのをちらっと見た。そのとき、耳をつんざくような騒音があがったので、ハリーは叫び声をあげた。呪文かもしれない、デス・イーターが戻ってきたのかもしれない、ヴォルデモートが復活したのかもしれないと、考えたのだ、ー

 しかし、それは拍手喝采だった。壁中の、ホグワーツの校長先生すべてが立ちあがって大喝采していた。彼らは帽子をふったり、なかには、かつらをふったり、額縁ごしに固く手をにぎりあったり、描かれた椅子の上で飛びはねたりしていた。ディリス・ダーウェントは派手にすすり泣いていた。デクスタ・フォーテスキューは旧式なラッパ型補聴器をふっていた。フィーニアス・ナイジェルスが、高いアシ笛のような声で呼びかけた。「スリザリン寮が、一役かったのを覚えておくように! われわれの貢献を忘れるでないぞ!」

 けれどハリーは、校長の椅子の、すぐ後ろの、いちばん大きな肖像画の中で立っている姿だけを見つめていた。涙が、半月型の眼鏡の後ろから長い銀髪のあごひげの中に流れおちていた。そして彼の表情にあらわれている誇りと感謝が、フェニックスの歌と同じように、ハリーの心を慰めた。

 とうとう、ハリーは両手をあげた。肖像画たちは丁重に静まり、にっこり笑ったり涙をふいたりしながら、彼が話すのを熱心に待っていた。けれど、彼は、ダンブルドアに、直接、とても注意深くことばを選んで、話しかけた。極度に疲れ、目がかすんでいたけれど、最後の努力をして、ひとつ最後のアドバイスを求めなくてはならなかった。

 「スニッチに隠されていたものは」彼は言いはじめた。「森の中に落としました。どこにあるか正確には分からないけど、また探しにいくつもりはありません。いいですか?」

 「いいとも」とダンブルドアが言った。いっぽう仲間の画たちは何か分からず、興味ありげだった。「かしこく、勇気ある決断だ。だが、君ならそうするだろうと思っていた。それが、どこに落ちたか、誰か他に知っているかな?」

 「誰も知りません」とハリーが言った。ダンブルドアは満足そうにうなずいた。

 「でも、イグノトゥスのおくりものは持っていようと思います」とハリーが言うと、ダンブルドアは、にっこり笑った。

 「もちろん、ハリー、あれは永久に君のものだ。君が、ゆずるまではな!」

 「それから、これがあります」

 ハリーは上位の杖をかかげた。ロンとハーマイオニーは、うやうやしく、それを見た。たとえ、頭が混乱し睡眠不足の状態であってさえも、ハリーは、彼らのそういう態度を見るのがいやだった。

 「僕は、これが欲しくない」とハリーが言った。

 「何だって?」とロンが大声で言った。「頭おかしいんじゃないか?」

 「これが強力なのは分かってる」とハリーが、うんざりしたように言った。「けど、僕は自分の杖の方がよかった。だから・・・」

 ハリーは、首のまわりにかけた袋の中をごそごそ探って、二つに折れてフェニックスの羽のいちばん細い筋だけでつながっているヒイラギの杖を取りだした。それは、前にハーマイオニーが、ひどく壊れすぎて直せないと言った。彼に分かっているのは、もし上位の杖で直せなければ、ぜったいに直せないということだけだった。

 ハリーは、壊れた杖を校長の机に置き、上位の杖の先端で触れて、「レパロ」と言った。

 杖が、くっつくとき、赤い火花が、その先から飛んだ。ハリーは、成功したのが分かった。そして、ヒイラギとフェニックスの杖を取りあげた。すると指に突然あたたかさを感じた。まるで杖と手が再会を喜びあっているようだった。

 「僕は、上位の杖を戻します」ハリーは、ひじょうな愛情と賞賛の気持ちをこめて、ハリーを見守っているダンブルドアに言った。「元あった場所に戻します。それは、そこにあればいい。もし僕がイグノトゥスのように自然に死んだら、その力は壊れるでしょうね? その前のもちぬしは、けっしてうち負かされることはないでしょう。それが、その杖の終りです」

 ダンブルドアが、うなずいた。二人は、ほほえみあった。

 「ほんとにいいのか?」ロンが言った。彼が、上位の杖を見たとき、その声にほんの少しあこがれの気持ちがあらわれていた。

 「ハリーが正しいと思うわ」とハーマイオニーが静かに言った。

 「その杖は、その価値より、もっとやっかいの種だ」とハリーが言った。「それに、すごく正直に言うけど」彼は肖像画に背を向けた。今はもう、グリフィンドールの塔で四本柱のベッドが待っていることしか頭になかった。そしてクリーチャーが、そこまでサンドイッチを運んできてくれるだろうかと考えていた。「僕は、もう、一生分のやっかいごとを経験したよ」

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