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ハリーポッターと死の聖物 (Harry Potter and the Deathly Hallows)

第三十五章:キングズ・クロス

 彼は、うつぶせになって、沈黙を聞いていた。まったく一人きりだった。誰も見ていなかった。他に誰もいなかった。そこにいるが、自分自身なのか定かではなかった。

 長い時間がたったか、それともまったく時間がたっていないのかもしれないが、自分は存在しているにちがいない、肉体から離れた思考以上のものであるにちがいないと、はっと思いついた。なぜなら、彼は横たわっていたからだ。確かに、何かのうえに横たわっていた。何かに触れている感じがしたからだ。ということは、彼が触れているものも存在していることになる。

 この結論にたっするとまもなく、ハリーは、自分が裸なのに気がついた。まったく一人きりなのを確信していたので、それは気にならなかった。けれど、それは少し好奇心をそそった。彼は、触れるのは感じられるが、見ることができるかなと考えた。開いてみると、目があるのが分った。

 彼は、明るいもやの中に横たわっていた。けれど、今までに知っているもやのようではなく、まわりが、雲のような気体で隠されてはいなかった。というより、雲のような気体が、まだ、まわりを取りかこむほどの形になっていなかった。彼が横たわっている床は白っぽくて、あたたかくも冷たくもなく、ただそこにあって、上に乗ることができる平らで何もないものだった。

 彼は、身をおこして座った。体に傷はないようだった。顔に触った。もう眼鏡はかけていなかった。

 そのとき、彼をとりまく形のない無をとおして物音が聞えてきた。何かが、ひらひら動き、かよわく、もがきながら、そっと小さく打ちつける音だった。それは、あわれっぽい物音をたてていたが、ほんの少し嫌な感じがした。ひそかな恥ずべきものを立ちぎきしているような、いごこちの悪さを感じた。

 彼は、はじめて、着るものが欲しいと思った。

 頭の中に、その願いがうかぶとすぐに、少し離れたところにローブがあらわれたので、それを取って着た。それは、やわらかく清潔であたたかかった。彼が望んだ瞬間、そんなふうにあらわれるとは、とんでもなくふしぎなことだった・・・

 彼は立ちあがって、あたりを見まわした。大きな「必要に応じて出てくる部屋」のようなところにいるのだろうか? 長く見れば見るほど、見えてきた。大きなドーム型のガラスの天井が、頭の上の高いところで、日光に輝いていた。きっと、ここは宮殿だ。まわりは、しんと静まりかえっていた。例外は、もやの中の、どこか近いところから聞える妙なドンドンめそめそという物音だけ・・・

 ハリーはその場でゆっくりと回った。すると目の前でまわりが創りだされていくようだった。広くひらけた場所で、明るく清潔で、ホグワーツの大広間より、はるかに大きな広間。そこにはドーム型のガラス天井がついていて、まったく誰もいなかった。彼が、そこにいるただ一人の人間だった。例外は、ー

 彼は後ずさりして、物音をたてているものを見つけた。それは、小さな裸の子どもの姿で、床に丸くなっていた。その皮膚は赤くすりむけて、ざらざらで、皮をはがれているように見え、それが置かれた椅子の下で、誰にも望まれず、見えないところに押しこめられて、息をしようともがきながら、震えて横たわっていた。

 彼は、それが恐かった。小さく、かよわく、傷ついてはいたが、それに近づきたくなかった。にもかかわらず、いつでも、さっと飛びのいて戻る準備をしながら、ゆっくりと少しずつ近づいていった。まもなく、それに触ることができるくらい近づいたが、そうする気にはなれなかった。自分が臆病者のような気がした。それをなぐさめるべきだ。けれど、それは、彼を拒絶した。

 「助けることはできぬ」

 彼が、さっとふりむくと、アルバス・ダンブルドアが、濃紺のローブをはためかせ、背すじをのばして、かろやかに、彼の方に歩いてきた。

 「ハリー」と彼は、両手を大きく広げたが、両手とも、傷ついていず、完全で白かった。「君は、すばらしい少年だ。勇敢な勇敢な男だ。話をしよう」

 ハリーは、ぼうぜんとしながら、後についていった。ダンブルドアは、皮をはがれた子どもがめそめそ泣いているところから、さっさと離れて歩いていき、椅子が二つあるところにハリーを連れていった。その椅子は、ハリーはさっきは気づかなかったが、少し離れたところの高く輝く天井の下においてあった。ダンブルドアが、その一つに座り、ハリーは、もう一方に倒れこんで、昔の校長先生の顔を見つめた。ダンブルドアの長い銀髪とあごひげ、半月型の眼鏡の奥の突きとおすような青い目、まがった鼻、すべて、ハリーが覚えているとおりだった。でも・・・

 「でも、先生は亡くなった」とハリーが言った。

 「ああ、そうだ」とダンブルドアが、事務的な口調で言った。

 「それなら・・・僕も死んだの?」

 「おお」とダンブルドアが、さらににっこりと笑いながら言った。「それが問題だ、な? 私は、全体から見て、そうではないと思うのだよ」

 彼らは見つめあった。老人は、まだにっこり笑っていた。

 「死んでいない?」とハリーがくりかえした。

 「死んでいない」とダンブルドアが言った。

 「でも・・・」ハリーは、思わず稲妻形の傷跡の方に手をあげたが、それは、なくなっているようだった。「でも、僕は死んだはずだ、ー、防御しなかったもの! 彼に、僕を殺させようとしたんだ!」

 「それが、」とダンブルドアが言った。「すべてを変えたのだろうと、私は思う」

 幸福感が、ダンブルドアから光のように、火のように放出されているようだった。ハリーは、そんなに完全に、そんなに、はっきりと満足しきっている人を見たことがなかった。

 「説明して」とハリーが言った。

 「だが、君はもう知っている」とダンブルドアが言った。そして親指どうしをくっつけてひねり回していた。

 「僕は、彼に僕を殺させた」とハリーが言った。「でしょう?」

 「そうだ」とダンブルドアがうなずきながら言った。「続けて!」

 「だから、僕の中にあった彼の魂の一部が・・・」

 ダンブルドアは、なおも熱烈にうなずいて、励ますようににっこり笑いながら、ハリーに続けるようにせかした。

 「・・・それが、なくなったの?」

 「ああ、そうだ!」とダンブルドアが言った。「そうだ、彼は、それを破壊した。君の魂は完全で、まったく君自身のものだよ、ハリー」

 「でも、それなら・・・」

 ハリーは、肩ごしにふりかえって、小さくて損なわれた生きものが椅子の下で震えている方を見た。

 「あれは何ですか、先生?」

 「われわれのどちらの助けもおよばぬものだ」とダンブルドアが言った。

 「でも、ヴォルデモートが殺人の呪文を使ったのなら」ハリーが、また言いはじめた。「そして、今度は誰も僕のために死ななかったのなら、ー、僕は、どうやって生きることができるの?」

 「君には分っていると思う」とダンブルドアが言った。「思いかえしてごらん。彼が、無知とどん欲と残忍さの中で、やったことを思いだしてごらん」

 ハリーは考えながら、まわりをずうっと見わたしていった。もし、彼らが座っているのが、ほんとうに宮殿なら、妙な宮殿だった。椅子が少しずつ列に並んでいて、あちこちに手すりがあった。それでもなお、彼とダンブルドアと椅子の下の発育不全の子どもだけが、そこに存在するものだった。そのとき、努力しなくても、答えがたやすく唇にのぼってきた。

 「彼は、僕の血をとった」とハリーが言った。

 「そのとおり!」とダンブルドアが言った。「彼は、君の血をとり、それで肉体を再生したのだ! 君の血が、彼の血管に流れている、ハリー、君たちの両方に、リリーの防御が入った! 彼は、彼が生きているあいだ、君を命につないでいるのだ!」

 「僕は生きている・・・彼が生きているあいだ? でも僕が思ったのは・・・僕が思ったのは、その反対だった! 僕たちの両方が死ななくてはならないと思ったんだよね? それとも、同じことなの?」

 ハリーは、後ろで、苦悶する生きものが、めそめそドンドンとたてる音に気をちらされて、もう一度ふりかえって、それを見た。

 「僕たちが何もできないのは確かなの?」

 「助けるためにできることは何もない」

 「それなら、説明して・・・もっと」とハリーが言った。ダンブルドアは、ほほえんだ。

 「君は七つめのホークラクスだった、ハリー、彼がつくるつもりではなかったホークラクスだ。彼は、自分の魂をたいそう不安定なものに変えたので、君の両親を殺し、子どもを殺そうとするという言語道断な邪悪な行いをしたとき、魂が割れてしまったのだ。しかし、その部屋から逃げだしたものは、彼が思っていたものよりも、もっと小さかった。彼は、自分の体以上のものを、あの部屋に残した。彼は、自分の一部を、犠牲者とねらった君の中に閉じこめてしまった。君は生きのびた。

 「そして、彼の知識は、いたましくも不完全なままだった、ハリー! 自分が価値を見いださなかったものを ヴォルデモートは、わざわざ理解しようとはしなかった。ハウスエルフや子どもの話、愛や忠節や無垢について、ヴォルデモートは何も知らず、理解していなかった。何も。それらすべてが、それ自身をこえる力、どんな魔法も及ばない力を持っていることは、彼がけっしてつかむことができなかった真実だ。

 「彼は、自分を強めると信じて、君の血をとった。彼は、体の中に、君の母上が君のために死んだときに、君にかけた魔法の、ほんのわずかの部分を、取りこんだ。彼の体が、彼女の犠牲を生きさせ、その魔法が生きているあいだは、君も生きるし、ヴォルデモートの自身に対する最後の希望も生きるのだ」

 ダンブルドアは、ハリーにほほえみかけた。ハリーは彼を見つめていた。

 「先生は、それを知っていたの? 知っていたの、ー、ずっと前から?」

 「推測はしていた。だが、私の推測は、いつも当たるのだよ」どダンブルドアがうれしそうに言った。そして、長いあいだと思われる時間、二人はだまって座っていた。一方、彼らの後ろの生きものは、ずっと、めそめそ泣いて震えていた。

 「聞きたいことが、もっとある」とハリーが言った。「もっと。なぜ僕の杖は、彼が借りた杖を破ったの?」

 「それについては、確かなことは言えぬ」

 「それじゃ、推測して」とハリーが言ったので、ダンブルドアが笑った。

 「君が理解しなくてはならないのは、ハリー、君とヴォルデモート卿は、ともに今のところ知られていないし試されてもいない魔法の領域に踏みこんだということだ。だが、これが、そのとき、おこったと、私が考えることだ。だがそれは先例がないことで、いまだかつてどんな杖職人もヴォルデモートにたいし予想も説明もできなかったことだと思う。

 「今では、君に分るように、そのつもりはなかったが、ヴォルデモート卿は、人間の姿を取りもどしたとき、君とのきずなを二倍にした。彼の魂の一部は、いぜんとして君の魂にくっついていたし、自身を強めようと思って、君の母上の犠牲の一部を体内に取りこんだ。もし彼が、その犠牲の精密で恐ろしい力を理解していさえすれば、おそらく彼は君の血にあえて触れようともしなかっただろう・・・だが、そのとき、もし理解できたなら、彼はヴォルデモート卿になったはずはなく、そもそも殺人などおかさなかったにちがいない。

 「この二重のつながりに保証され、これまで歴史上でいっしょになった、どんな二人の魔法使いよりも、確実にしっかりと運命を結びあわされて、ヴォルデモートは、君の杖と同じものからできた芯を持つ杖で、君を襲おうと出発した。そこで、君も知るように、とてもふしぎなことがおきた。君の杖が、彼の杖の双子だと知らなかったヴォルデモート卿が予想もしなかったように、二つの芯が反応した。

 「あの夜、彼は、君よりもっと恐がったのだ、ハリー。君は、死の可能性を受けいれ、よろこんで応じさえした。それは、ヴォルデモート卿が、ぜったいにできなかったことだ。君の勇気が勝ち、君の杖が彼の杖にうち勝った。そして、そうする中で、杖のあいだで何かがおきた。杖のもちぬしの関係を反映する何かがおきた。

 「あの夜、君の杖が、ヴォルデモートの杖の力と性質をいくらか吸収したのだと、私は信じている。それは、いわば、ヴォルデモート自身を少し含んでいる。だから、彼が君を追ってきたとき、君の杖が彼を見わけた。同族であり、致命的な敵である男を見わけ、彼自身の魔法を、彼に向けて逆噴出したのだ。それは、ルシウスの杖が、かつて行ったどれよりも、はるかに強力な魔法だった。君の杖は、君の大きな勇気と、ヴォルデモート自身の致命的な技との力を持っていた。ルシウス・マルフォイの貧弱な棒が立ちむかえるわけがない」

 「でも、もし僕の杖がそんなに強力だったら、いったいなぜハーマイオニーが壊すことができたの?」とハリーが尋ねた。

 「君の杖のおどろくべき効果は、ヴォルデモートに対してのみ向けられるのだ。彼は、魔法のもっとも奥深い法則をたいそう愚かにも、不法にいじった。彼に向けてのみ、君の杖は異常に強力だった。そうでなければ、他の杖と何ら変るところは・・・良い杖だと、私は確信しておるが」ダンブルドアは、やさしく言いおえた。

 ハリーは長いこと考えにふけっていた。それとも、数秒間だったかもしれない。ここでは、時間のようなものを確信するのがとてもむずかしかった。

 「彼は、あなたの杖で僕を殺した」

 「彼は、私の杖で君を殺しそこなった」ダンブルドアが、ハリーのことばを訂正した。「君は死んでいないということに、われわれ二人は同意できると思う、ー、だが、もちろん」彼は、無礼になるのを恐れるかのようにつけ加えた。「君の苦難を軽視するものではない。それは、とても厳しいものだった」

 「さしあたっては、とてもいい気分だけど」とハリーが言いながら、汚れのない、きれいな手を見おろした。「僕たちは、正確にはどこにいるの?」

 「うーむ、私が君に尋ねようと思っていたところだ」とダンブルドアが、あたりを見まわしながら言った。「われわれは、どこにいると思うかね?」

 ダンブルドアが尋ねるまで、ハリーには分らなかった。しかし、今、答える用意ができているのに気がついた。

 「まるで」彼はゆっくりと言った。「キングズ。クロス駅のように見える。もっと清潔で、空っぽで、僕が見るかぎり、列車はいないけど」

 「キングズ。クロス駅!」ダンブルドアは、ひどくおもしろがって笑っていた。「おやまあ、なんと、ほんとうかね?」

 「あのう、先生は、僕たちがどこにいると思うの?」とハリーが、少し守りの姿勢で言った。

 「私には分らないよ。これは、いわば、君が主役なのだから」

 ハリーは、それがどういう意味なのか分らなかった。ダンブルドアには、むかつく。ハリーは彼をにらみつけた。そのとき、彼らが今どこにいるかということよりも、もっともっとさし迫った問題を思いだした。

 「死の聖物」と彼は言って、ダンブルドアの顔から笑みが消えたのを見てよろこんだ。

 「ああ、そうだ」と彼が、少し困っているように言った。

 「それで?」

 ハリーがダンブルドアに会ってからはじめて、老人のようにみえず、はるかに若くみえた。つかの間、悪いことをしてつかまった小さな男の子のようにみえた。

 「私を許してくれるだろうか?」彼は言った。「君を信用しなかったことで、私を許してくれるだろうか? 君に話さなかったことで? ハリー、私は、ただ私が失敗したように君も失敗するのではないかと恐れたのだ。君が、私のあやまちをくりかえすのではないかと恐れたのだ。君が許してくれることを切に願う、ハリー。しばらく前から、君の方が私よりすぐれた人間だということが分ってきたが」

 「何の話をしているの?」とハリーが、ダンブルドアの口調と、その目に突然うかんだ涙とにびっくり仰天して言った。

 「聖物、聖物」とダンブルドアがつぶやいた。「必死に望む人間にとっての夢だ!」

 「でも、それは実在する!」

 「実在するが危険だ。愚かものを誘惑する」とダンブルドアが言った。「私は、そういう愚かものだった。だが、君は知っているのだろう? もはや、君に隠すことは何もない。君は知っている」

 「僕が何を知ってるの?」

 ダンブルドアが、体全体をハリーの方に向けて、顔を見つめた。その鮮やかな青い目に涙が、まだ光っていた。

 「死の支配者、ハリー、死の支配者! 最終的に、私はヴォルデモートより、まさっていたのだろうか?」

 「もちろん、そうです」とハリーが言った。「もちろん、ー、いったいどうしてそんなことを尋ねるの? 先生は、もし避けることができるのなら、ぜったいに人殺しなんてしなかった!」

 「まさにそのとおり」とダンブルドアが言ったが、大丈夫だと安心させてほしい子どものようにみえた。「だが、私もまた死をうち負かす方法を探しもとめていたのだよ、ハリー」

 「彼がやったような方法じゃない」とハリーが言った。ダンブルドアに対し、あれほど怒っていた後で、ここ、高い丸天井の下に座り、自分自身を責めるダンブルドアを弁護しているとは、なんと奇妙なことだろう。「聖物であって、ホークラクスではない」

 「聖物」とダンブルドアがつぶやいた。「であってホークラクスではない。そのとおり」

 少し間があった。彼らの後ろの生きものはめそめそ泣いていたが、ハリーはもうふりかえらなかった。

 「グリンデルワルドも、それを探していたんでしょ?」と尋ねた。

 ダンブルドアはつかの間、目を閉じて、うなずいた。

 「それが、何よりもわれわれ二人を惹きつけたものだった」と彼は静かに言った。「同じ妄想にとりつかれた二人のかしこく傲慢な少年たち。彼がゴドリック盆地に来たがったのは、きっと君も推測しているだろうが、イグノトゥス・ペベレルの墓があるからだった。彼は、三番目の息子が死んだ場所を調べたかったのだ」

 「じゃ、あれはほんとうなの?」とハリーが尋ねた。「あれぜんぶ? ペベレル兄弟が、ー」

 「ー、物語の三人兄弟だったのだ」とダンブルドアがうなずきながら言った。「ああ、そうだ。私はそう思う。さびしい道で、『死』にで出あったのかどうかは・・・私が思うに、もっとありそうなことは、ペベレル兄弟は、ただ才能があり、危険な魔法使いで、そのような力のある物体を創りだすのに成功したのだ。それらが、『死』自身が持つ『聖物』だったという物語は、私には、このような創造にまつわり生みだされた伝説のたぐいではないかと思われる。

 「透明マントは、君が今はもう知っているように、父から息子へ、母から娘へと、時代をこえて受けつがれ、イグノトゥスと同じくゴドリック盆地の村でうまれたイグノトゥスの最後の生存する子孫に伝えられた」

 ダンブルドアは、ハリーにほほえみかけた。

 「僕?」

 「君だ。君のご両親が亡くなった夜、なぜ私が透明マントを所有していたか、君は推測しているだろうと思う。ジェイムズが、それを、ほんの数日前に見せてくれた。それで、彼の学生時代の悪事が、ばれなかった理由の大半の説明がついたよ! 私は、見ているものがほとんど信じられなかった。それを借りて、調べてみたいと頼んだ。私は、聖物をぜんぶ集めるという夢を、ずっと前にあきらめていた。だが、抵抗できなかった。もっとよくよく見たいと思わずにはいられなかった・・・それは、私が見たことがないような透明マントだった。非常に古く、あらゆる点で完璧だ・・・そして君の父上が亡くなった。とうとう私は二つの聖物を手にいれた。私一人のものとして!」

 ダンブルドアの口調は、たえがたいほど厳しいものだった。

 「でも、透明マントは生きのびる役にはたたないと思うけど」ハリーが、すばやく言った。「ヴォルデモートには、僕のママとパパの居場所が分った。透明マントは、呪文を避ける役にはたたなかった」

 「そのとおり」とダンブルドアがため息をついた。「そのとおり」

 ハリーは待った。けれどダンブルドアは口をきかなかった。それでハリーは、話すようにうながした。

 「それじゃ、先生は、透明マントを見るまで、聖物を探すのをあきらめていたの?」

 「ああ、そうだ」とダンブルドアが弱々しく言った。ハリーと目をあわせようと努力しているようにみえた。「君は、何がおこったか知っているだろう。君は知っている。私が自分自身を軽蔑する以上に、君が私を軽蔑することはできないが」

 「でも、僕は先生を軽蔑しないけど、ー」

 「それなら軽蔑すべきだ」とダンブルドアが言った。それから深く息をすった。「君は、私の妹の健康状態がわるかったという秘密を、あのマグルたちが何をしたか、妹がどうなったかを知っているだろう。私の気の毒な父が、報復しようとして、その代償を払い、アズカバンで死んだことを知っているだろう。私の母が、自分の人生をアリアナの世話をすることにささげたのを知っているだろう。

 「私は、それをひどく嫌がっていたのだ、ハリー」

 ダンブルドアは、今ではハリーの頭ごしに遠くの方を見ているようだったが、率直に、冷たく語っていた。

 「私は、才能にめぐまれていた。きわめて優秀だった。そこから逃れたかった。輝きたかった。栄光をもとめていた。

 「誤解しないでほしい」彼は言ったが、苦痛の表情が、その顔にさっとあらわれ、また年老いてみえた。「私は、家族を愛していた。両親を愛していた。弟と妹を愛していた。だが私は、自分本位でわがままだった。ハリー、君はおどろくほど無欲な人間だが、そういう君には想像できないほど、私は、自分本位だった。

 「母が亡くなると、傷ついた妹と強情な弟の面倒をみる責任が、私にのしかかってきたので、私は、怒り恨みながら故郷の村に帰った。捕らわれ、衰弱してしまうと、私は思ったのだ! それから、もちろん、彼がやってきた・・・」

 ダンブルドアは、またハリーの目をまっすぐに見た。

 「グリンデルワルドだ。彼の考えが、どんなに私をとらえ興奮させたか、ハリー、君には想像もつかないだろう。マグルを従属状態においやる。われわれ魔法使いの勝利。グリンデルワルドと私は、革命の輝かしい若きリーダーだ。

 「ああ、少しは良心がとがめた。空しいことばで良心をなだめた。それはすべて、より大きな善のためだ、損害があっても、魔法使いに百倍もの利益となって報いられるとな。私は、心の奥底で、ゲラート・グリンデルワルドが何者であるか、分っていたのだろうか? 分っていたと思う。しかし、私は、目を閉じて気づかないふりをした。もし私たちがたてている計画が達成されれば、私のすべての夢が実現するだろう。

 「そして、われわれの陰謀の核心にあったのが、死の聖物だ! それが、どれほど彼を惹きつけたことか、われわれ二人を惹きつけたことか! うち負かされない杖は、われわれを権力に導く武器だ! 復活の石、ー、私は知らないふりをしたが、彼にとっては、インフェリの軍隊を意味した! 告白すれば、私にとっては、両親の復活と、家の責任すべてを肩からおろせることを意味した。

 「そして透明マント・・・どういうわけか、われわれは、透明マントのことは、それほど話しあわなかったのだよ、ハリー。二人とも、マントがなくてもじゅうぶんに自分の身を隠すことができたからだ。もちろん、マントの真の魔法は、その、もちぬしばかりでなく他の人も同じように隠して守るために使えるということだ。私は、もしマントを見つけたら、アリアナを隠すのに役にたつかもしれないと思った。しかし、マントに対するわれわれの興味は、おもに、それで三つの聖物が完成するというところにあった。というのは伝説では、三つすべてそろえた者が、真に死の支配者になるといわれていて、われわれにとって、それは無敵だということを意味したからだ。

 「無敵な死の支配者、グリンデルワルドとダンブルドア! 狂気と、残忍な夢と、そして私にのこされた、たった二人の家族の世話を放棄した二ヶ月間だった。

 「それから・・・君は、何がおきたか知っているだろう。粗野で文字が書けないが、限りなく賞賛にあたいする私の弟の形をとって、現実が戻ってきた。彼が、私にどなる真実を聞きたくなかった。虚弱で不安定な妹を引きつれて、聖物を探しに出発することはできないということを、聞きたくなかった。

 「言いあらそいは戦いになった。グリンデルワルドが自制心をうしなった。彼の中にひそんでいると、私がつねに感じていたが、気づかないふりをしていたものが、恐ろしい存在となって飛びだした。そしてアリアナは・・・母が、あれほど気をつけて世話をしてきたのに・・・死んで床に横たわっていた」

 ダンブルドアは小さいあえぎ声をあげて、本格的に泣きだした。ハリーは、手をのばして、彼に触れることができたのでうれしかった。そして、彼の腕をしっかりつかんだ。ダンブルドアは、だんだんと落ちついてきた。

 「それで、グリンデルワルドは逃げだした。私以外の誰もが、予想できたことだった。権力をつかむ計画と、マグルを痛めつける陰謀と、死の聖物への夢、すなわち私が、彼を励まし手だすけした夢とを持って、彼は姿を消した。彼は逃げた。一方、私は残って、妹を埋葬し、罪の意識と、おそろしい悲しみという、私の恥ずべき行いの代償を心にかかえて生きるようになった。

 「年月がたった。彼にまつわる噂が聞えてきた。彼が、はかりしれない力を持つ杖を手にいれたというのだ。一方、私は、魔法大臣の職につかないかという申し出を、一度ならず七度も受けていた。とうぜん、私は断った。権力を持つと、自分が信用できなくなるということを学んでいたからだ」

 「でも、先生は、ファッジやスクリンジャーより優れてる、ずっと優れているのに!」とハリーが大声で言った。

 「そうかな?」とダンブルドアが重々しく尋ねた。「それほど確信は持てないのだよ。とても若い頃に、権力が私の弱点であり、私は権力に誘惑されるということを証明済みだからな。奇妙なことだが、ハリー、おそらく権力にもっともふさわしい者は、けっして権力を求めなかった者だ。君のように、リーダーの地位を押しつけられて、リーダーになり、必要にせまられてその地位についてから、それに向いているのに気づいて自分で驚くのだ。

 「私は、ホグワーツにいた方が安全だった。よい教師であったと思うし、ー」

 「先生は最高だった、ー」

 「君はとても優しいな、ハリー。だが、私が、若い魔法使いを指導するのに忙しくしているあいだに、グリンデルワルドは軍隊をつくりあげていた。彼は私を恐れていたそうだ。おそらく、そうだろう、だが、私の方がもっと彼を恐れていた。

 「いや、死を恐れていたのではない」とダンブルドアが、ハリーの、もの問いたげな視線に答えて言った。「彼が、私に対し魔法の力でできることを恐れていたのではない。魔法の力は互角なのが分っていた。おそらく、私の方が、ほんの少し技では勝っていたかと思う。私が恐れたのは、真実があきらかになることだ。あの最後の恐ろしい戦いで、われわれのどちらが実際に、妹を死なせた呪文を放ったのか分らなかった。君は、私をおくびょうだというかもしれない。君がそういうのは正しい。ハリー、私は、何よりも、妹に死をもたらしたのが私だったと知ることを恐れていたのだ。単に私の傲慢さとおろかさからではなく、実際に、私が、彼女の命の火を消した一撃を放ったのではないかと恐れていたのだ。

 「私は、彼がそれを知っていたと思う。私が何を恐れているか知っていたと思う。私は、彼に会うのをぐずぐずと引きのばしていた。だが、とうとう、会うのを拒むのは、あまりに恥ずべきことになってきた。人々が死んでいて、彼を止めることはできないようだった。そこで私は、私にできることをしなくてはならなかった。

 「うーむ、次に、どうなったかは君も知っているだろう。私は決闘に勝った。私は杖を勝ち得た」

 また沈黙のときが流れた。いったいアリアナに死をもたらしたのは誰かを、ダンブルドアが発見したのかどうか、ハリーは尋ねなかった。知りたくもなかったし、ダンブルドアにそれを語ってほしくもなかった。ダンブルドアが『みぞの鏡』を見たときに、何を見たかが、とうとう分った。そして、なぜダンブルドアが、鏡がハリーを惹きつけてやまない気持ちを、あれほど理解してくれたのかが、分った。

 彼らは、長いあいだ黙って座っていた。後ろで生きものがめそめそ泣く声は、もうハリーにとって、ほとんど気にならなくなっていた。

 とうとうハリーが言った。「グリンデルワルドは、ヴォルデモートが杖の後を追うのを止めさせようとした。彼は嘘をついた。ほら、彼は、その杖を持ったことがないふりをした」

 ダンブルドアは、うなずいて、手のひらを見おろした。涙がまだ曲った鼻の上に光っていた。

 「後年、彼は、ヌアメンガルドの独房で、悔恨の情をみせていたそうだ。それがほんとうだと望む。自分がしたことに対し、恐怖と恥の気持ちをいだいたと思いたい。おそらく、そのヴォルデモートに対する嘘は、彼が償いをしたいと思ってしたことだろう・・・ヴォルデモートが聖物を手にいれないために・・・」

 「・・・でなければ、先生のお墓をあばかれないために・・・?」とハリーが思いついて言った。ダンブルドアは、目をかるくたたいて涙をおさえていた。

 また少したってから、ハリーが言った。「先生は、復活の石を使おうとした」

 ダンブルドアは、うなずいた。

 「私が、こんなに長くたってから、あれを見つけたとき、ゴーント一家の見捨てられた家に埋っていたのだが、私が、いちばんほしかった聖物で、ー、ただし若いころは、まったく違った理由でほしかったものだが、ー、私は、正気をうしなってしまったのだよ、ハリー。それが、ホークラクスになっていて、その指輪から、ぜったいに呪いがかかるということを、まったく忘れていた。私は、それを取りあげて、はめた。アリアナと、母と、父とにもうすぐ会える、そうしたら、とてもすまなかったとあやまろうと、一瞬、想像した・・・

 「私は、こんなに愚かものだったのだよ、ハリー。こんなに長い年月がたっても、私は何も学んではいなかった。私は、死の聖物を三つそろえて持つのにふさわしくなかった。それをくりかえし証明してきたのだが、これが最後の証拠だった」

 「なぜ?」とハリーが言った。「自然なことだよ! 先生は、もういちど彼らに会いたかった。それのどこがいけないの?」

 「おそらく、百万人に一人しか聖物をそろえて持つ資格はないのだ、ハリー。私は、三つのうちで、いちばん劣ったもの、いちばん並はずれていないものを持つくらいがふさわしかったのだ。私は、上位の杖を持つのにふさわしかった。それを自慢しなかったし、それで殺すこともしなかった。私は、それを馴らして使うことを許された。なぜなら、自分の利益のためでなく、他人を救うために、それを取ったからだ。

 「だが透明マントを、私は、空しい好奇心から取った。だから、それは、真の持ち主である君のために働いたようには、私のためには働かなかった。復活の石を、君が自己犠牲をするのを助けてもらうために使ったようにではなく、私は、安らかにねむる者たちを引きずりだそうとして使おうとした。君こそ、聖物を所有するのにふさわしい人間だ」

 ダンブルドアは、ハリーの手をかるくたたいた。ハリーは、老人を見あげて、思わず、ほほえんでしまった。もうダンブルドアに対して腹をたてていることなどできなかった。

 「先生は、なぜ、あんなに難しくしたの?」

 ダンブルドアのほほえみがゆらいだ。

 「残念ながら、私は、グレインジャー嬢が、君の気持ちをおさえてくれるのを当てにしていたのだよ、ハリー。君の熱しやすい頭が、君の善良な心を支配してしまわないかと恐れたのだ。もし、この誘惑的な品物についての事実を、直接あかしてしまったら、君は、私がしたように、あやまったときに、あやまった理由で聖物を探しもとめにいくのではないかと恐れたのだ。もし、君が、それに手をのばすなら、安全に所有してもらいたかった。君が、死の真の支配者だ。なぜなら、真の支配者は、死から逃げだすことを、もとめないからだ。彼は、死ななくてはならないことを受けいれ、生者の世界には、死ぬよりも、はるかにもっと悪いことがあるのを理解している」

 「で、ヴォルデモートは、聖物のことをぜんぜん知らなかったの?」

 「そうだと思う。なぜなら、彼が、ホークラクスに変えたとき、復活の石が何か分らなかったからだ。だが、たとえ彼が、それについて知っていたとしても、ハリー、最初の品物、すなわち杖以外には興味をもたなかったのではないかと思う。透明マントは必要ないと思っただろう。それに、石についていえば、彼が、死者から誰を呼びもどしたいと思ったことだろうか? 彼は死者を恐れていた。愛したことがないからだ」

 「でも、先生は、彼が杖の後を追いかけると予想したの?」

 「リトル・ハングルトン村の墓地で、君の杖がヴォルデモートの杖をうち負かして以来、彼は、きっと、そうするだろうと思っていた。最初、彼は、君が、より勝る技で彼を負かしたのではないかと恐れた。しかし、彼は、オリバンダーを誘拐して、双子の芯の存在を発見した。彼は、それですべて説明がつくと考えた。だが、借りものの杖は、君の杖に対し、同じようにうまくいかなかった! そこで、ヴォルデモートは、君の杖を、それほど強くするとは、君に、どんな資質があるのだろうか、また彼が持っていない、どんな才能を、君が持っているのだろうかと自問するかわりに、とうぜんのことながら、どんな杖もうち負かすといわれる他の杖を探しに出発したのだ。彼にとって、上位の杖にたいする執着は、君に対する執着と同じくらい強いものとなった。 上位の杖が、最後の弱さをとりのぞき、ほんとうに無敵にすると、彼は信じたのだ。かわいそうなセブルス・・・」

 「もし、先生が、ご自分の死の計画をスネイプにさせるつもりだったのなら、上位の杖を、最後はスネイプに持たせようとしたの?」

 「そうしたかったことは認める」とダンブルドアが言った。「だが、私が思ったようにはいかなかった、そうだろう?」

 「そう」とハリーが言った。「それは、あんまりうまくいかなかった」

 彼らの後ろの生きものが、ぐいっと動いて、うめいた。ハリーとダンブルドアは、これまでにないほど長いあいだ、話すことなく座っていた。その長い時間に、次におこるだろうと予想されることが、少しずつ、静かに降ってくる雪のように、ハリーに理解されてきた。

 「僕は戻らなくちゃいけないんだね?」

 「それは、君次第だ」

 「選べるの?」

 「ああ、そうだよ」ダンブルドアが、彼にほほえみかけた。「われわれは、キングズ・クロス駅にいると、君は言っただろう? もし、戻らないことに決めたなら、君は・・・いわば・・・列車に乗ることができる」

 「で、どこに行くの?」

 「ずっと」とダンブルドアが簡潔に言った。

 また沈黙。

 「ヴォルデモートが、上位の杖をとった。

 「そうだ。ヴォルデモートが上位の杖を持っている」

 「それでも、先生は、僕にもどってほしい?」

 「私が思うに」とダンブルドアが言った。「もし戻ることを選べば、彼が永久に滅びる可能性がある。必ずそうなるとは言えない。だが、私には分るのは、ハリー、ここへ戻ることが、君にとっては彼ほど恐ろしくはないということだ」

 ハリーは、また、遠くの椅子の下の陰で、皮がむかれたようにみえるものが、震えて息をつまらせているのを、ちらっと見た。

 「死者に、あわれみをかけるでない、ハリー。生者をあわれむのだ。そして何よりも、愛なしに生きるものをあわれむのだ。君が戻ることで、損なわれる魂が減り、引きさかれる家族が減るのを確実にするかもしれない。もし、それが、君にとって価値ある目標だと思えるなら、ひとまず別れよう」

 ハリーは、うなずいて、ため息をついた。この場所を去ることは、森の中へ歩いていったときほど辛くはないだろうが、ここは、あたたかく明るく平和だった。それに、苦痛と恐れと、もっと多くの喪失のなかに戻っていこうとしているのが分っていた。彼は立ちあがった。ダンブルドアも立ちあがった。彼らは、長いあいだ、たがいの顔をじっと見つめた。

 「最後に、一つ教えて」とハリーが言った。「これは現実? それとも、僕の頭の中でおこったこと?」

 ダンブルドアは、彼に、にっこりと笑いかけた。また、もやが下りてきて、その姿が見えなくなっても、その声は大きく強くハリーの耳に聞えた。

 「もちろん、これは、君の頭の中でおこっているのだよ、ハリー。だが、いったいぜんたい、だからといって、現実でないという意味にはならないだろう?」
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