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ハリーポッターと死の聖物 (Harry Potter and the Deathly Hallows)

第九章:隠れ場所

 すべてが、ぼやけて、ゆっくりしているようだった。ハリーとハーマイオニーは飛びあがるように立って、杖を出した。多くの人々は、何かおかしなことが、おきたということしか分っていないようで、まだ銀のネコが消えてしまった場所を見つめていた。沈黙が、パトロナスが着地した場所から外側に冷たいさざ波のように広がっていった。それから誰かが叫び声をあげた。

 ハリーとハーマイオニーはパニック状態の群衆の中に突っこんでいった。客たちは、あらゆる方向に駆けだしていき、その多くは、姿くらましをした。『隠れ家』のまわりの防御の魔法が壊されていた。

 「ロン!」ハーマイオニーが叫んだ。「ロン! どこにいるの?」

 二人が、ダンス場を突っきっていくと、マントと覆面の姿が群衆の中にあらわれるのが、ハリーに見えた。それから、ルーピンとトンクスが杖を上げ、いっしょに「プロテゴ!(防御せよ)」と叫ぶのが聞こえた。叫び声が、四方八方にこだましていた、-

 「ロン! ロン!」ハーマイオニーが半分すすり泣きながら呼んだ。彼女とハリーは、おびえた人々に、うちかかられた。ハリーが、離ればなれにならないようにするために、彼女の手をつかんたとき、一筋の光が、頭上をぴゅっと飛んだ。それが、防御の呪文なのか、彼が知らないもっと邪悪なものなのか分らなかった、-

 そのとき、ロンがいた。ロンが、ハーマイオニーの空いた手をつかむと、彼女がその場で回りだすのを、ハリーは感じた。

 その場の光景と物音が消えさり、暗闇が圧迫してきた。時間と空間のあいだに締めつけられ、感じることができるのは、ハーマイオニーの手だけだった。『隠れ家』から遠く離れ、下りてくるデス・イーターから遠く離れ、きっとヴォルデモート自身からも遠く離れて・・・

 「僕たち、どこにいるの?」と、ロンの声がした。

 ハリーは、目を開いた。つかの間、結局、彼らは結婚式の場を離れなかったのかと思った。まだ、人の群れに囲まれているような気がしたからだ。

 「トテナム・コート通り」と、ハーマイオニーが息をきらせながら言った。「歩いて、とにかく歩いて。どっか着がえられる場所を見つけなくちゃ」

 ハリーは、彼女の望みどおりにした。彼らは、暗い大通りを半分歩き、半分走っていった。そこは、深夜、浮かれ騒ぐ人々が群がり、閉じた店が軒を連ね、頭上には星がまたたいていた。二階建てバスが、ゴロゴロ音をたてて走り、彼らが通りすぎると、パブへ行く陽気な人々が、はやしたてるような目つきで見た。ハリーとロンは、まだドレス・ローブを着ていたのだ。

 若い女が、ロンを見て騒々しく笑いころげたとき、「ハーマイオニー、僕たち、何も着がえを持ってないよ」とロンが言った。

 「どうして、僕は、ちゃんと透明マントを持ってこなかったんだろう?」と、ハリーが、内心、自分のばかさ加減に毒づきながら言った。「去年は、ずっと持ち歩いてたのに、ー」

 「大丈夫。私が、マント持ってきたし、着がえも持ってきたから」とハーマイオニーが言った。「自然にふるまうようにだけ、してくれれば、ー、ここでいいわ」

 彼女は、二人を横道に連れこみ、陰になった路地の人目につかないところに連れっていった。

 「君、マントも着がえも持ってきたと言ったけど・・・」とハリーが、ハーマイオニーに向って顔をしかめながら言った。彼女は、ビーズ飾りの小さなバッグしか持っていなかったが、その中をごそごそ探していた。

 「ええ、あったわ」とハーマイオニーが言った。そしてハリーとロンがまったく驚いたことには、その中からジーパンとトレーナーとえび茶の靴下と、最後に銀色の透明マントを引っぱりだした。

 「まったくもう、どうやって、ー?」

 「気づかれない拡張の呪文」とハーマイオニーが言った。「コツがいるけど、私、うまくやったと思うわ。とにかく、ここに必要な物をみんな入れなくちゃならなかったの」彼女は、華奢に見えるバッグを少しふった。すると、積み荷の中で、沢山の重い物体が転がるような音がした。「なんてことなの。あれは本よ」彼女は中をのぞきこみながら言った。「私、本はテーマ別に詰めたんだけど・・・まあ・・・ハリー、透明マントをかぶった方がいいわ。ロン、早く着がえて・・・」

 「いつ、こういうことやったの?」ハリーが聞いた。ロンはローブを脱いでいた。

 「何日もかかって、ぜったい必要なものを荷造りしてるって、『隠れ家』で言ったでしょ。ほら、急いで逃げださなくちゃいけない場合に備えてね。今朝、あなたのリュックを詰めたの、ハリー、あなたが着がえた後で、ここに入れたわ・・・私、いやな予感がして・・・」

 「君ってすごいよ、ほんとに」とロンが、言いながら、丸めたローブを手渡した。

 「ありがとう」とハーマイオニーが、ローブをバッグに詰めこみながら、かろうじてほほえみを浮かべた。「ねえ、ハリー、マントを着て!」

 ハリーは、透明マントを肩の上にはおり、頭の上からひっかぶった。すると姿が見えなくなった。彼は、何がおこったのかやっと正しく認識しはじめたところだった。

 「他の人たち、-、結婚式にいたみんなは、-」

 「今、それを心配することはできないわ」とハーマイオニーがささやいた。「彼らが追っているのは、あなたなの、ハリー。私たちが戻れば、もっとみんなは危険になるのよ」

 「そのとおりだ」とロンが言った。ハリーが言いかえそうとするのが、顔を見なくても分っているようだった。「騎士団の大部分があそこにいた。彼らが、面倒みてくれるよ」

 ハリーはうなずいたが、二人から、ハリーが見えないのを思いだして「うん」と声に出して言った。けれど、ジニーのことを思いだすと、恐怖が、胃の中で胃酸のように、ふつふつとわきあがってきた。

 「さあ、私たち、進みつづけなくちゃいけないわ」とハーマイオニーが言った。

 彼らは横道まで戻り、また大通りに出た。道路の反対側では、男たちのグループが歌いながら歩道をジグザグに進んでいった。

 「単なる好奇心だけど、なんでトテナム・コート通りなの?」ロンがハーマイオニーに尋ねた。

 「ぜんぜん分らない。頭にぽんと浮かんだの。でもマグルの世界の方が安全だと思うわ。私たちが、いると予想されないだろうから」

 「そうだね」とロンが、見まわしながら言った。「でもさ、ちょっと、-、露出しすぎだと思わないか?」

 「他にどこがあるのよ?」とハーマイオニーが尋ねたが、通りの反対側の男たちが、ひゅーっと口笛を吹きながら見つめるので、身をすくめていた。「『漏れ鍋亭』に部屋を予約するわけにはいかないでしょ? それにグリモード街は、もしスネイプがいたら、だめだし・・・私の両親の家へ行ってみようかと思うの。彼らが、様子を見に来る可能性はあるけど・・・ああ、戸閉めになっているといいんだけど!」

 「ねえ、そこのカノジョ?」反対側の歩道の男たちのうちで、いちばん酔っぱらったのが叫んだ。「一杯どう? 赤毛の野郎は、ふってさ、一緒に飲もうよ!」

 ロンが口を開いて、道路の向こう側にどなりかえそうとしたので、「どっかに座りましょう」ハーマイオニーが急いで言った。「ほら、ここがいいわ!」

 そこは、小さくてうらぶれたオールナイトのカフェだった。安物の合成樹脂塗料を塗ったテーブルの上すべてに、うすく油の膜がおおっていた。だが、少なくとも空いていた。ハリーが最初に仕切り席に滑りこみ、ロンがその隣で、ハーマイオニーの反対側に座った。彼女は、入り口に背を向けていたが、それが気にいらないようで、肩ごしにしょっちゅう、ふりかえるので、けいれんの発作をおこしているように見えた。ハリーは、少なくとも歩いていれば、ゴールをめざしているような幻想を抱くことができたので、静止しているのが嫌だった。マントの下で、ポリジュース薬の最後の名残が消えていき、両手が、普段の長さと形に戻るのを感じることができたので、ポケットから眼鏡を引っぱりだして、またかけた。少ししてロンが言った。「ねえ、ここって『漏れ鍋亭』から、そう遠くないよ。あれは、チャリング・クロスだから、-」

 「ロン、だめよ!」とハーマイオニーが、すぐに言った。

 「泊まるんじゃなくて、その後どうなってるか知るためだよ!」

 「どうなってるか分ってるでしょ! ヴォルデモートが、魔法省を乗っとったのよ。他に何を知る必要があるの?」

 「いいよ、いいよ、ちょっと思っただけさ!」

 彼らは、また怒った気分のまま黙りこんだ。ウェイトレスが、ガムを噛みながら足をひきずってやる気なさそうにやってきたので、ハーマイオニーが、カプチーノを二つ注文した。ハリーは姿が見えなかったので、もう一つ注文するのは変だった。無骨な労働者の二人連れが、カフェに入ってきて、隣の仕切り席に窮屈そうにからだを押しこめて座った。ハーマイオニーは、声を落として、ささやき声でしゃべった。

 「私たち、姿くらましをするのにいい静かな場所を見つけて、郊外をめざしましょう。着いてしまえば、騎士団に知らせることができるわ」

 「それじゃ、君、あのパトロナスにしゃべらせるの、できるの?」とロンが尋ねた。

 「練習したから、できると思うわ」とハーマイオニーが言った。

 「うーん、そうして、騎士団のみんなをトラブルに巻きこまなければね。いや、まだ彼らが逮捕されていなければの話だけど。うへーっ、まずっ」とロンが、くすんだ色に泡だったコーヒーを一口飲んで言った。ウェイトレスが聞いていて、ロンを不機嫌そうにちらっと見て、新しく来た客の注文を取りに、足をひきずるように歩いてきた。二人の労働者のうち、金髪で巨大な体格の大柄な方が、彼女を手で追いはらうしぐさをしたのを、たまたまハリーは見た。彼女は、侮辱されたようににらみつけた。

 「じゃ、行こう。この泥水もう飲みたくないよ」とロンが言った。「ハーマイオニー、これ払うマグルの金、持ってるの?」

 「ええ、私、『隠れ家』に行く前に、住宅金融組合の貯金を全部おろしてきたの。小銭はバッグの底だと思うわ」とハーマイオニーが、ため息をつきながら、ビーズのバッグに手をのばした。

 二人の労働者が、まったく同一の動きをしたので、ハリーは無意識に同じ動きをして、三人そろって、杖を引きだした。ロンは、何がおきたか悟るのに数秒遅れたが、ハーマイオニーを横の長いすに押しやり、前方に突っこんだ。デス・イーターたちの呪文の威力で傾いた仕切り壁が粉々になった。そこは、すぐ前までロンの頭があったところだった。そのときハリーが、姿が見えないまま「ストゥーピファイ!(気絶せよ)」と叫んだ。

 大きな金髪のデス・イーターの顔の真正面を、赤い閃光が直撃した。彼は意識を失って横にバタンと倒れた。彼の連れは、誰が呪文を放ったのか分らないまま、ロンめがけて呪文を放った。輝く黒い綱が、杖の先から出てきて、ロンを頭から足の先まで縛りあげた、-、ウェイトレスは叫び声をあげ、出入り口のドアの方に走っていった、-、ロンを縛りあげた、ゆがんだ顔のデス・イーター目がけて、ハリーが、また気絶させる呪文を放った。が、はずれて、窓に当たって、はねかえり、ウェイトレスに当たって、彼女はドアの前にくずれるように倒れた。

 「エクスプルソ!(爆破せよ)」とデス・イーターがどなった。立っていたハリーの前のテーブルが吹きとび、爆破の力でハリーは壁にたたきつけられ、マントが滑りおち、杖が手から離れた。

 「ペトリフィクス・トタルス!(石化せよ)」と見えないところからハーマイオニーがかんだかい声で叫んだ。デス・イーターは像のように前のめりになって、陶器やテーブルやコーヒーカップの残骸の上に、バリバリドサンと音をたてて倒れた。ハーマイオニーが長椅子の下から、はい出して、体中ふるえながら髪から灰皿のガラスのかけらを払いおとした。

 「ディ、-、ディフィンド(切り開け)」彼女は、杖をロンに向けて言ったが、彼のジーンズのひざを切って、大きな切り傷をつくってしまったので、ロンが苦痛のわめき声を上げた。「まあ、ごめんなさい、ロン、私、手がふるえてるのよ! ディフィンド!」

 綱が切れて落ちた。ロンは立ちあがり、感覚を取りもどそうと腕をふった。ハリーが杖を取りあげ、残骸に上った。そこに大きな金髪のデス・イーターが長いすの上に無様に手足をのばしていた。

 「こいつが、誰か分ってもよかったんだ。ダンブルドアが亡くなった晩、あそこにいたんだから」とハリーが言った。それから、足元の黒っぽい髪のデス・イーターの方を向いた。男の目は、ハリー、ロン、ハーマイオニーの間をせわしなく動いていた。

 「そいつはドロホフだ」とロンが言った。「前に見た指名手配のポスターにあった。大きい方は、ソーフィン・ロールだと思う」

 「名前なんてどうでもいいの!」とハーマイオニーが少しヒステリーっぽく言った。「どうやって私たちを見つけたのかしら? 私たち、これからどうする?」

 彼女の動揺ぶりを見て、かえってハリーは頭がさえてきたようだった。

 「ドアに鍵かけて」と彼女に言った。「それからロン、電気消して」

 ハリーは、硬直したドロホフを見おろしながら、すばやく考えた。そのあいだに、鍵がカチリとかかる音が聞え、ロンが火消しライターを使って、カフェを真っ暗闇にした。さっきハーマイオニーをはやし立てた男たちが、別の女の子に向って叫んでいるのが遠くに聞えた。

 「こいつらを、どうする?」ロンが、暗闇の向こうからハリーにささやいた。それから、もっと小さな声でつけ加えた。「殺す? こいつら、僕たちを殺すよ。今、成功しそうだったし」

 ハーマイオニーは身震いして、一歩後ろに下がった。ハリーは首を横にふった。

 「こいつらの記憶を消さなくちゃならないだけだ」とハリーが言った。「その方がいいだろ。そうすれば僕たちの手がかりが、なくなる。もし、こいつらを殺せば、僕たちがここにいたのが丸わかりだ」

 「君がボスだ」とロンが心からほっとしたように言った。「でも、僕たち記憶を消す呪文をかけたことないよ」

 「私もない」とハーマイオニーが言った。「でも理論は分るわ」

 彼女は、気を落ちつかせるように深く息をすった。それから杖をドロホフの額に当てて言った。「オブリビエイト!(忘れろ)」

 たちまちドロホフの目は焦点を失い、ぼんやりした。

 「すばらしい!」とハリーが言いながら、彼女の背中をたたいた。「もう一方のやつとウェイトレスも頼む。ロンと僕は片づけるから」

 「片づける?」とロンが、半ば破壊されたカフェを見まわしながら言った。「どうして?」

 「彼らが目覚めたとき爆破されたようにみえる場所にいたら、何がおきたか怪しむじゃないか?」

 「ああ、そうだね、うん・・・」

 ロンは、しばらくごそごそしてから、やっとポケットから杖を引きだした。

 「どうりで、杖をだせないわけだよ、ハーマイオニー。僕の古い方のジーンズを詰めただろ、きっちきちだよ」

 「あら、ごめんなさい」とハーマイオニーが怒り気味の声で言った。それからウェイトレスを窓から見えないところまで引きずっていきながら、「そんなら、ロンは別の場所に杖をしまえばいいじゃない」と、ぶつぶつつぶやいているのが、ハリーに聞えた。

 カフェが元通りになると、彼らはデス・イーターたちを最初座っていた仕切り席に運んでいき、二人を向かいあわせにして支えあわせた。

 「でも、どうやって私たちを見つけたのかしら?」ハーマイオニーが尋ねて、身動きできない男から、もう一人へと目をやった。「私たちの居場所がどうして分ったのかしら?」

 彼女は、ハリーの方に向きなおった。

 「あなたの、-、あなたの魔法にまだ『跡』が残ってるってことはないわよね、ハリー?」

 「そんなはずはないよ」とロンが言った。「『跡』は十七才になると消える。それが魔法法だ。大人には、跡は、つかない」

 「あなたが知るかぎりではね」とハーマイオニーが言った。「でもしデス・イーターが十七才にも『跡』をつける方法を見つけだしたら?」

 「けど、ハリーは、この二十四時間、デス・イーターの近くには、いなかった。誰にも『跡』をつけなおすことなんてできやしなかったよ」

 ハーマイオニーは返事をしなかった。ハリーは自分が汚染しているような気がした。ほんとうに『跡』がついていて見つけられたのだろうか?

 「もし『跡』が残るなら、僕は魔法が使えないし、僕の近くにいる君たちも魔法を使えば、居場所がばれてしまうから・・・」彼が言いはじめた。

 「私たちは離れてはいけないわ!」とハーマイオニーが断固とした口調で言った。

 「安全な隠れ場所がいる」とロンが言った。「ずうっと考えてみなくちゃ」

 「グリモード街だ」とハリーが言った。

 他の二人は、ぽかんと口を開けた。

 「ばかなこと言わないで、ハリー。あそこはスネイプが入れるのよ!」とハーマイオニーが言いかえそうとしたが、

 「ロンのパパが、あそこにはスネイプよけの呪文がかけてあるって言ってたし、ー、もしそれが効かなくても」とハリーがかまわず言いつづけた。「だから何だっていうのさ?誓って言うけど、僕はスネイプに会えればちょうどいい!」

 「でも、-」

 「ハーマイオニー、他にどこかあるか? あそこが、いちばんマシだよ。スネイプが、あそこで出くわすただ一人のデス・イーターだ。もし、僕に『跡』が残っているとしたら、他にどこへ行こうと、デス・イーターが山のように押しよせてくるんだよ」

 彼女は、できれば他に行きたいという顔つきだったが、反論できなかった。彼女がカフェのドアの鍵を開け、ロンが、火消しライターをカチッと言わせてカフェにまた明かりをつけた。それから、ハリーが三つ数えると、彼らは三人の犠牲者に反対呪文をかけ、ウェイトレスとデス・イーターが眠そうに身動きする前に、ハリー、ロン、ハーマイオニーは、その場で回転して、もう一度、身を押しつける暗闇の中に消えた。

 数秒後、ありがたいことにハリーの肺が広がったので、彼は目を開けた。彼らは、今、見慣れた小さくてみすぼらしい広場の真ん中に立っていた。荒れはてた背の高い家々が四方から彼らを見おろしていた。秘密保持者のダンブルドアに十二番地の存在を聞いていたので、彼らには、その家が見えた。彼らは、跡をつけられたり、見はられたりしていないか、数メートルごとに確かめながら、その家に急いだ。石段を駆けあがり、ハリーが杖で玄関の扉を一度たたいた。金属のカチャカチャいう音と、鎖のガチャンガチャンという一連の音が聞え、扉がギイッときしんで大きく開くと、彼らは、中へ突進した。

 ハリーが扉を閉めると、旧式ながス燈が、ぱっとともり、玄関の廊下に、ちらちらする光を投げかけた。そこはハリーの記憶どおりだった。気味が悪く、クモの巣だらけで、壁のハウスエルフの頭の輪郭が、階段に奇妙な形の影を投げかけていた。長くて黒っぽい色のカーテンが、シリウスの母の肖像画を隠していた。唯一、違っていたのはトロルの足の傘立てで、それはトンクスが、また、けっとばしたかのように、ころがって横になっていた。

 「誰かがここに来たんだわ」ハーマイオニーが、それを指さして、ささやき声で言った。

 「騎士団がここを出るとき、けっとばしたのかもしれないよ」ロンが小声でささやきかえした。

 「で、スネイプよけの呪文はどこにあるんだ?」ハリーが尋ねた。

 「あいつが、あらわれたときだけ働くのかも?」とロンが言ってみた。

 けれど彼らは、家の中のもっと奥に入るのが怖くて、まだ扉近くの玄関マットの上に、固まったままだった。

 「うーん、永久にここにいるわけにもいかないし」とハリーが言って、一歩踏みだした。

 「セブルス・スネイプか?」

 マッドアイ・ムーディの声が、暗闇からささやいたので、三人とも、怖くて飛びのいた。「僕たちはスネイプじゃない!」とハリーが、かすれた声で言った。すると冷たい空気のようなものがヒューッと吹きつけて、舌が丸まり、それ以上、口がきけなくなった。けれど、口の中がどんなか感じる前に、また舌がほどけた。

 他の二人も同じ不愉快な感じを味わったようだった。ロンは吐きそうな音をたてていた。ハーマイオニーは、どもっていた。「それは、き、-、きっと、し、-、舌縛りの呪文、マッドアイがスネイプにかけたのよ!」

 ハリーは恐る恐る、また一歩踏みだした。廊下の突きあたりの陰で、何かがさっと動き、三人が口を開く前に、絨毯から、背が高く、埃の色の、恐ろしい姿が立ちあがった。ハーマイオニーが、悲鳴をあげ、カーテンがさっと開いてブラック夫人も叫び声をあげた。灰色の姿は、どんどん速く彼らの方に滑るようにやってきた。腰まである髪とあごひげを後ろになびかせ、顔は落ちくぼみ、肉はなく、眼窩には目玉がなかった。恐ろしく面変わりしていて、恐ろしいけれども、見慣れたその姿が、衰弱した腕を、ハリーに向けた。

 「違う!」ハリーが叫んで杖を上げたが、呪文のことばは口から出てこなかった

「違う! 僕たちじゃない。僕たちが、あなたを殺したんじゃない、ー」

 「殺し」ということばを聞くと、その姿は爆発し、大きな埃の雲になった。ハリーは、咳きこみ、涙目になりながら見まわした。ハーマイオニーが腕で頭をおおって、扉のそばの床にうずくまっていて、ロンは、頭から足の先まで震えながら、彼女の肩を不器用に軽くたたきながら言っていた。「だ、-、だいじょぶ・・・い、いっちまった・・・」

 埃が、ハリーのまわりに霞のように舞いあがり、青いガスのランプを包んだ。ブラック夫人は叫びつづけていた。

 「穢れた血、汚らわしい、わが父祖の家の、不名誉な汚れ、恥ずべき汚れ、ー」

 「黙れ!」ハリーがどなって、杖を彼女に向けた。ドンという音と、赤い火花が飛びだして、またカーテンがさっと閉じ、彼女を黙らせた。

 「あれ・・・あれは・・・」ハーマイオニーが泣き声で言った。ロンが、彼女が立ちあがるのを助けた。

 「ああ」とハリーが言った。「でも、あれは、ほんとの彼じゃない、そうだろ? スネイプをおどかそうとしただけだよ」

 それは、うまくいっただろうか、とハリーは思った。それとも、スネイプは、あの恐ろしい姿を、本物のダンブルドアを殺したように無造作にぶっ飛ばしただろうか? 神経がまだうずきながら、 ハリーは、廊下をまた二歩、踏みだした。なかば、また新しい恐ろしいものが姿をあらわすのを予想していたが、ネズミが一匹、壁の幅木をかすめるように走っていった他は何も動くものはなかった。

 「これ以上、進む前に、調べた方がいいと思うわ」とハーマイオニーがささやいた。そして杖を上げて言った。「ホメヌン・レベリオ(人よ出でよ)」

 何も起こらなかった。

 「ええと、君、大きなショックを受けたばかりだからね」とロンが優しく言った。「今ので、どうなるはずだったのさ?」

 「私が、思ったとおりになったわ!」とハーマイオニーが、少し機嫌を悪くしたように言った。「今のは、人間の存在があらわれる呪文よ。だから誰も私たちを待っていないってこと!」

 「それと、さっきの埃君をね」とロンが、死体の姿が立ちあがった所の絨毯のシミをちらっと見ながら言った。

 「上に行きましょう」とハーマイオニーが、同じところを怖そうに見ながら言った。そしてギシギシきしむ階段を先に立って上り、二階の客間に着いた。

 ハーマイオニーが、杖を、ふって古いガスのランプに火をつけ、すきま風の入る部屋で少し身震いして、両腕でしっかり身を包みながら、ソファにちょこんと腰掛けた。ロンが、部屋を横ぎって窓のところに行き、重いビロードのカーテンをほんの少し動かした。

 「外には誰も見えないよ」彼が報告した。「で、ハリーにまだ『跡』があると、君が考えるなら、彼らは、ここまでつけてきたはずだ。家の中には、彼らは入れないのは分ってるけど、-、どうした、ハリー?」

 ハリーが苦痛の叫び声をあげた。額の傷跡が、また焼けつくように痛みはじめ、水面に光が輝くように、心の中に何かがきらめいた。彼は、大きな影を見、自分の感情ではない激しい怒りが、電気ショックのように短く凶暴に、体に打ちこまれるのを感じた。

 「何が見えた?」ロンが、ハリーに詰めよって尋ねた。「あいつ、僕んちにいた?」

 「いや、怒りを感じただけ、-、彼はほんとうに怒ってた、-」

 「でも、それが『隠れ家』で、ってこともありうるよ」とロンが大声で言った。「他には? 何か見えないか? あいつ誰かに呪文をかけた?」

 「いや、怒りを感じただけ、-、詳しくは分らない、-」

 ハリーは逆上するほど悩み混乱していた。ハーマイオニーは、怖がっているような声でこう言っただけで助けにはならなかった。「また、傷跡なの? でも、どうなってるの? あのつながりは閉じたと思っていたのに!」

 「閉じてたよ、しばらくのあいだはね」とハリーがつぶやくような声で言った。傷跡が、まだ痛んだので、集中するのがむずかしかった。「僕、-、僕、思うんだけど、彼が自制心を失うたびに、またつながりが開きはじめたらしい。前にもそんなふうだったから、-」

 「でも、それなら、あなた、心閉ざしをしなくちゃだめよ!」とハーマイオニーが、かんだかい声で言った。「ハリー、ダンブルドアは、あなたが、そのつながりを使うのを望まなかったと思うわ。彼は、それを封じこめることを望んだ。だから、あなたに、心閉ざしの術を使わせたかったんでしょ! そうでないと、ヴォルデモートが、あなたの心に、にせの映像を仕組んで見せることができる。覚えているでしょ、-」

 「ああ、どうも。よく覚えているよ」とハリーが歯をくいしばりながら言った。かつてヴォルデモートが、彼らのあいだの、このつながりを使って、彼をワナにおびき寄せ、その結果、シリウスの死を招いたことを、ハーマイオニーに言ってもらう必要はなかった。今、感じて見たことを、二人に言わなければよかったと後悔した。ヴォルデモートの脅威が、増してきて、部屋の窓に押しつけてくるような気がした。傷跡の痛みが、さらに増してきて、ハリーは、こみあげる吐き気をこらえているように、それと戦っていた。

 彼は、ロンとハーマイオニーに背中を向け、壁のブラック家の家系図の古い壁掛けを熱心に見ているふりをした。そのとき、ハーマイオニーが悲鳴をあげた。ハリーが、また杖を出して、ぐるっと向きをかえると、銀のパトロナスが、客間の窓から舞いおりてきて、彼らの前の床に着地するのが見えた。それは、固まってイタチの姿になり、ロンの父親の声でしゃべった。

 「家族は無事、返信するな、われわれは監視されている」

 パトロナスは、溶けて、なくなった。ロンは、泣き声ともうめき声ともつかない声を上げ、ソファにドスンと腰を落とした。ハーマイオニーが寄りそって、彼の腕をつかんだ。

 「みんな無事。みんな無事よ!」彼女がささやいた。ロンは、半分笑いながら彼女を抱きしめた。

 「ハリー」彼は、ハーマイオニーの肩ごしに呼びかけた。「僕、-」

 「何でもないよ」とハリーは言ったが、頭の中の痛みで、吐き気をもよおしていた。「君の家族だもん。君が心配するのは当然だ。僕だって同じ気持ちだよ」彼は、ジニーのことを想った。「ほんとに同じ気持ちだよ」

 傷跡の痛みがピークに達して、『隠れ家』の庭でのように焼けつくようにずきずき痛んだ。ハーマイオニーのことばが、かすかに聞えた。「私、一人でいたくない。今夜、私が持ってきた寝袋で、ここで、いっしょに寝てもいい?」

 ロンが、いいよと言うのが、ハリーに聞えた。これ以上、痛みに耐えられなかった。痛みを我慢せずに、身をまかせなくてはならない。

 「トイレ」ハリーはつぶやくように言って、走りださない程度に、できるだけ速く部屋を出た。

 そして、震える手で、扉をバタンと閉めて、かんぬきをかけるまでをなんとかやってのけ、ずきんずきんと痛む頭を両手でつかんで床に倒れるた。すると、爆発するような激しい苦痛が襲い、自分の感情でない激怒が、自分の魂いっぱいになるのを感じた。それから、暖炉の火だけで照らされた長い部屋が見えた。床の上に大柄な金髪のデス・イーターが、叫びながら身もだえし、その上に、もっとほっそりした姿が立って、杖を突きだしていた。そしてハリーが、高い冷たい無慈悲な声で話した。

 「もっとやるか、ロール。さもなくば、終らせて、おまえをナギニに食わせるか? ヴォルデモート卿は、今回は許す確信は持てないぞ・・・おまえは、わざわざ、俺を呼びつけたあげく、またハリー・ポッターに逃げられたと言うのか? ドラコよ、ロールに、もう一度、われわれの不興の味を思いしらせるのだ・・・やれ、さもなくば、今度はおまえが、俺の怒りを買うことになるぞ!」

 丸太が、火の中に落ちた。炎が燃えあがった。その光に、恐がっている、あごのとがった白い顔が照らされた、-、ハリーは、深い水底から出てきたような気がして、深く息を吸い、目を開いた。

 彼は、黒く冷たい大理石の床に、手足を伸ばして大の字に倒れていた。すぐ鼻先に、大きな風呂桶を支えている銀色のヘビたちの尾の一つがあった。やつれて、恐怖にすくみあがったマルフォイの顔が、目の奥に焼きついていた。ハリーは、今見たもののせいで、それにドラコがヴォルデモートに強いられていることのせいで吐き気をもよおしていた。

 扉を鋭くコツコツとたたく音がして、ハーマイオニーの声が響いたので、ハリーは飛びあがった。

 「ハリー、歯ブラシいる? 持ってきたけど」

 「うん、どうもありがと」彼は言って、できるだけ、ふつうの声を出そうとがんばりながら立ちあがって、彼女を中に入れた。
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