Dunharrow(焦茶の馬鍬)

ローハンの人々の山の避難所、Dunharrwは「The Lord of the Rings」執筆の途中で、Tolkienの心の中で、何度かそのイメージが変わった。最初、彼は、くねって登る山道で行き着く高原の草原を思い描いた。その周囲には自然の岩が円形球技場の観覧席のようにせり上がり、その向こうの石の壁には洞穴が幾つかあった。彼は、1944年の終わりまでに第五巻第三章の最初の原稿の中で、二度その下絵を描いた。後に、この絵に見られるように、そこに至る道の両側に道を守る巨大な石の柱を描き加えた。やがて、洞穴はやめ、避難所を高地すなわちフィリエンフェルドだけにした。しかし並んだ石は残り、最終的には「死者の道」に至る道を際立たせている。

☆dunは焦げ茶色。harrowは馬鍬(まぐわ)つまり土を掻きならす農具。

☆フィリエンフェルド、ファンゴルンなどフィは森に関係する。

==

Stanburg or Steinborg(Minas Tirith)(《石の都》ミナス・ティリス)

15.jpg

Tolkienは、1944年11月に次のような描写の後に初めてミナス・ティリスの下絵を描いた。「『巨大な』『一つ目巨人Cyclosのように巨大な』同心円をなす幾重もの壁。実際それは小山ほどの大きさの要塞であり街である。七重の壁の7-6-5-4-3-2-1の門を通ってから『白の塔』に着く。」ここにのせた絵は、都の精密な描写として描き始められたが、Tolkienは、石造りの壁や建物をグレーで塗り始めたところで止めてしまった。おそらく頭の中でイメージした絵が変わったからであろう。出版された「The Lord of the Rings」第五巻第一章にあるミンドルイン山の「突き出した膝」の上に作られているミナス・ティリスは、この絵にはまだあらわれていない。手書きの題名は、古英語と古ノルウェー語で「石の都」を意味することばと、それをもう一度エルフのtengwar文字で書いたものである。

☆Minas Anor(太陽の塔)が Minas Tirith - the Tower of Guard(守護の塔)と名前を変えられた。


*