まえがき

J.R.R.Tolkienは、「The Lord of the Rings」を1937年12月16日から19日の間に書き始めた。「The Hobbit」が、その三ヶ月前に発売されるやいなや大成功を収めたので、Tolkienの出版社George Allen & Unwinが(彼の意向に反して)続編を書くようにと強く勧めたのだ。彼は、ホビットについての話をそれ以上何も思いつくことができなかった。1937年10月15日の手紙で、Stanley Unwinに対し以下のように述べている。「バギンズ氏はトック家とバギンズ家の両方の性格を完全に発揮し尽くしたように思われます・・・しかし 『The Hobbit』が人気があり、もっと要望があるならば、この素材と同じようなスタイルで同じような読者にふさわしいテーマのアイディアを考え出すように努めましょう。おそらく実際のホビットたちも出てくるものを。」

Unwinが、引き続き「The Silmarillion」を出版する熱意がないことが分かったので、Tolkienは、後にこう書き送った。「『The Hobbit』の続編もしくは後を引き継ぐ話が求められているのが明白であるのは承知しています。しかし、入念に首尾一貫して作り上げられた神話(と二つの言語)の構築物で頭がいっぱいで、心は『The Silmarils』に奪われていると申し上げる時、同情して下さることを確信しています。そこで、何が起こるかは神のみぞ知るです。」三日後、彼は、Allen & Unwin社のC.A.Furthに書き送った。「私はホビットについての新しい物語の第一章を書き上げました。『待ちに待ったパーティー』です。」

「The Lord of the Rings」の執筆の歴史は、Christopher Tolkienにより「History of Middle-earth(ミドルアースの歴史)」シリーズ四巻「The Return of the Shadow(影の復活)」「The Treason of Isengard(アイセンガードの反逆)」「The War of the Ring(指輪戦争)」「Sauron Defeated(サウロンの敗北)」の中で詳細に語られている。この歴史の簡潔な要約が、Douglas A.Andersonの助力を得た Wayne G.Hammondによる「J.R.R.Tolkien: A Descriptive Bibliography(記述的な参考文献)」の中にある。しかしながら、ここでは、オックスフォードでの仕事、第二次世界、病気、誤った思いつきによる回り道、他の著作のための中断により、執筆がしばしば遅れたとだけ言えば十分であろう。Tolkienがこの作品を完成させたのは、1949年になってからのことだった。

Tolkienが改訂版の序文で語っているように、「The Lord of the Rings」は「語りながら成長し」ついには単なるホビットのもう一つの物語ではなく、彼の心の中、より壮大な神話の一部になった。「The Lord of the Rings」は「The Silmarillion」の「続き、かつ完了形」であり、二つの著作は「関連、もしくは接続させて」出版されるべきだと、彼は感じるようになった。しかし、Allen & Unwin社にも、また1949-52年に関わったCollins社にも、作者が望むように両方を出版する経済的余裕がなかった。著作は、膨大な量であり、製作費は上がり続けていたからだ。しかし、とうとう父の会社を継いだRayner Unwinが、Tolkien自身がUnwinへの手紙で「(完璧ではないが)大作」と呼んだ作品を絶賛し、その後、Allen & Unwin社が「The Lord of the Rings」を三部作で出版することになった。

出版に至る長く困難な過程を経て「The Fellowship of the Ring」が、1954年7月29日に、続いて「The Two Towers」が11月11日に、最後に「The Return of the King」が1955年10月20日に出版された。満足のいく結末のため、Tolkienが作品に不可欠だと考えた追補編を付けるのに約一年を要したのだった。


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