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「ごんぎつね」 新美南吉


 こないだ本屋で、すっごい久しぶりに、ある本を読みました(立ち読みかい!)。その名も新美南吉作「ごんぎつね」。家にもあったんですが、どっかいっちゃってて…。小学校で国語の教科書に載ってて、授業でやって以来でした。私は大体「文部省推薦」とかいう話(しかも暗いの)はあんまり好きじゃないんで、それまでは、「あー、あの暗い話ね」くらいしか認識してませんでした。ところがどっこい、今回まじめに読んだら「ええ話やないの・・・」と、思わず涙。今考えると、本屋で絵本片手に涙している高校生っていうのはなかなか不気味なんですけど、その時はそんなこと考える余裕もなく、逃げるように立ち去りました。まあ、私が元来涙もろい人間だっていうこともありますが(「A.I」観に行ったときなんかボロ泣きして、一緒に言った友達に「うるさい」って言われました)やっぱりいいものはいいってことですかね。
 えー、あらすじ。皆さんもう知ってるでしょう?ってか絵本ってあらすじで出来てるようなもんだから、私のつたない文章力じゃあ書きようがないのよねー。ってなわけでパス。詠みたい人はお近くの図書館か本屋へどうぞ。絶対あります。で、感想。あのね、私、一番初めに読んだときからずっと気になってたんですけど、兵十の母親は本当にうなぎが食べたいと思って死んだんでしょうか。この話の意義をなくす様な的外れな疑問で悪いんですけど、これが正直な感想でした。だって事実は、兵十が魚(うなぎ含む)を獲っていて、ごんがそれを盗んで、それから十日ほど経って、兵十の母親が亡くなったってそれだけのことなんですよ?それからのことは、ごんが勝手に推測したことなのに、それで償いに栗や松茸を持って行って、勘違いされて殺されて、これでもし推測が間違ってたら、ごんが余りにも可哀想じゃないですか。まあ推測が間違ってなくても、この話の後、兵十が罪の意識にさいなまれて生きていくことを考えるとどうにも苦しくなってきます。ああ悲しい話だ・・・。
 でね、ダメだと思うのはね、やっぱり教科書に載せるってこと。普通、話(小説)っていうのは、「起」「承」と読んでいく内に感情移入していって、気持ちが盛り上がったところで「転」に出会ってびっくり。「結」で涙か安堵か分かんないけど、あー、終わったーって気持ちになるものなんですよ。それが、教科書に載ってる話って、何時間にも分けて授業でやるでしょ?そりゃあ感動も何もあったもんじゃありませんよ。はじめから読んでいって、やっと登場人物とか状況とかが分かってきたなってとこではい授業終了。次の授業で、忘れてた話を思い起こして、ああそうだったそうだった、でどうなったのってとこで続きはまた来週。おいおい。週末越しても、前回の感情移入の段階まで持ってける子ってなかなかいないと思いますよ。持ってける子っていうのはその話がよっぽど気に入ってる子で、気に入ってるんだったらさっさと自分で読んでるでしょうからね。別に感動させるための授業じゃないのかもしれませんが、じゃあこんな感動的な文章、教科書に載せるなよってことで。それで「ごんぎつね」を嫌いになった人(私)がいるんだよ?ああもったいない。
 今回は、「今の日本の学校教育を斬る!」風でしたがいかがでしたでしょう(笑)。この意見が文部科学省まで通って、「ごんぎつね」が教科書から外されたらびっくりです(いや、あり得ないから)。それでは皆様、御機嫌よう。
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