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山の辺の道:その2

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奈良県の近鉄桜井駅から「山の辺の道(やまのべのみち)」を少し歩いた。

磯城瑞籬宮跡(しきみずがきのみやあと)は、第十代の崇神天皇(すじんてんのう)の住居跡と伝えられていて、三輪山を背後にした高台にあり、かつては、北は「山の辺の道」から奈良と京に、南は紀伊に、東は伊勢に、西は大和川の水運で難波に通じる交通の要所だったそうだ。

「大神神社(おおみわじんじゃ)」は、日本最古の神社の一つで、三輪山を御神体とし、酒造りの神でもあるそうだ。

「久延彦神社(くえびこじんじゃ)」は、大神神社の末社で、大和三山が見渡せる。大和三山とは、かの有名な天香具山(あめのかぐやま)、畝傍山(うねびやま)、耳成山(みみなしやま)だが、高さとしては、いずれも200メートル以下の「山」と言うより小高い丘である。けれど平地にすっくと目立っている姿は「山」というのにふさわしい貫禄があった。

JR三輪駅から「万葉まほろば線」で奈良市へ行った。
興福寺の国宝、北円堂では運慶作の無著・世親像などが公開中だった。深遠な表情や衣のひだの表現が素晴らしく木造とは思えない。四天王像は、しぐさも表情も表現力たっぷりだが、それに加え踏みつけられた邪鬼も憎めなくて忘れられない。

南円堂の脇の橘の実が色づいていて、今日一番の見ものだった。

伊勢神宮

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三重県伊勢市に行った。
今年は、神宮の式年遷宮(しきねんせんぐう)の年なので、白木の鳥居が建てられ、外宮(げくう)、内宮(ないくう)共に、古びた宮の隣に真新しい白木の宮が建てられていた。神宮の長い歴史の中では束の間と思われる20年に一度、新しい木材で建て替えられてきたとはすごいものだ。

外宮、外宮別宮(げくうべつみや)の月夜見宮(つきよみのみや)、内宮、内宮別宮(ないくうべつみや)の月読宮(つきよみのみや)と倭姫宮(やまとひめのみや)に行った。

おかげ横丁で、本店の赤福、松阪牛串焼き、伊勢うどん、みたらしを食べて、伊賀組紐を買った。

晴明神社

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10世紀、平安時代の陰陽師として名高い安倍晴明(あべのせいめい)を祭った晴明神社。近年の晴明人気にあやかり新しく社が出来たが、安倍晴明に関わりがあるとは知らない昔からずっと地名は「清明山」だった。

淡路島

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淡路島の名物は玉葱と牛肉と魚。というわけで、牛丼と生シラス
丼を食べた。伊弉諾(いざなぎ)神宮には、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が子どもの立場で祭られていて珍しかった。海がきれいだった。

南阿蘇と熊本の旅

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熊本県の南阿蘇は外輪山の内側にある。
まずは南阿蘇鉄道に乗った。
白川水源では清水がこんこんと湧き出ていた。
月廻(つきまわり)温泉の露天風呂に桜の花びらが舞いおちてきた。目の前に、阿蘇五岳の一つ根子岳(ねこだけ)が見えた。
南阿蘇鉄道の「南阿蘇水の生まれる里 白水高原」は日本一長い駅名だそうだ。
立野(たての)でJRに乗り継いで熊本へ。
熊本市のホテルの部屋からライトアップされた熊本城が見えた。

翌日は、「SL人吉(ひとよし)」号に乗った。ボーッと汽笛を鳴らし蒸気を吐きながら球磨川(くまがわ)に沿ってガタンゴトンと走っていく。車窓の風景に煙と煤のにおいがかかる。南下して人吉に着くと、SLは転車台でぐるりと反対向きになった。

三日目は、くま川鉄道に乗った。「くま1号」「くま2号」が連結されて二両編成になっていた。
人吉に戻り、九州横断特急で熊本へ。最後に市電で熊本城へ行った。

どこも緑が濃く、ツツジが大きくて、満開近い花が赤、ピンク、白と色鮮やかだった。「いきなりだんご」と、だご汁と高菜飯と、からしレンコンと熊本ラーメンと、春雨の太平燕(たいぴーえん)を食べた。

やまのべのみち

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奈良市から桜井市に至る古代の道「山辺(やまのべ)の道」の途中を歩いた。なだらかな山並みを背景に、田畑の間をあぜ道が通り家々が散らばるのどかな景色が見渡せる。梅の花もかなり開いていた。
あちこちに古墳があるのが、さすが古代の都、奈良盆地だ。

天理市の石上(いそのかみ)神社は、紀元前の創建ともいわれ、古事記に登場する歴史ある神社。神の鶏といわれる鶏たちが、丸々と肥りつやつやの羽で元気良く鳴いていた。

お水取り

奈良市東大寺二月堂の「お水取り」の「お松明(たいまつ)」を見に行った。

これは、2月中旬から3月中旬の一ヶ月間にわたって行われる修二会(しゅにえ)の一部で、春を告げる行事として知られている。何と8世紀から1200年以上、一度も途切れず続いているそうだ。

大松明の炎が命あるもののように舞い、夜空に大量の火の粉が撒き散らされ、きらきらと地上に降ってきた。

炎をあげる青竹の大松明を木造の回廊で振り回すのは、厳しい修行の一環で、元々は神聖な宗教行事だが、宗教心の薄れた現代では、その幻想的な眺めをカメラが追い、終わると拍手が起きていた。

淡路島

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兵庫県淡路島の灘黒岩(なだ・くろいわ)水仙郷に行った。水仙が青い空と海に面した斜面に群生していて香りも良かった。
「夢舞台」の植物園には様々な種類の蘭が展示されていた。野生の水仙と人工的な蘭との対比が面白かった。
ついでにホテルの椅子も花で、春には一足早い花の旅だった。

厳冬の奈良

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若草山の山焼きを見に行った。山焼きの前には、奈良公園あたりでは歩いている鹿が、なんと山裾を走っていた。
山裾の野上神社で行われた山焼きの神事では、春日大社の祝詞(のりと)の後、東大寺、興福寺その他の読経があった。両方あるのが日本らしいと思った。
山を焼くのは、奈良県の消防関係者が総出で行っていた。火の威力、神々しさと恐ろしさを同時に感じさせられた。

翌日は、奈良市街の北の京都府にある岩泉寺(がんせんじ)と浄瑠璃寺(じょうるりでら)に行った。池が凍りついていた。付近には石仏がたくさんあった。二日とも晴れてはいたが、身の引き締まる寒さだった。

奈良県北部の旅

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奈良県北部の信貴山(しぎさん)は、巨大な張り子の虎と、絵巻で有名なお寺。電車とケーブルカーとバスとを乗り継いで「行った」というより「登った」といった方が相応しく、着いてからも石段ばかりだった。

翌日は、奈良市街地からバスで一時間程の柳生(やぎゅう)の里に行った。徳川家康に仕えた剣術家、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)らの出身地。
天立石(あまのたていし)神社は、天岩戸(あまのいわと)の破片が飛んできたとかいう巨石を祭ってあった。
奈良市内なのに、緑の山に囲まれ、車もめったに通らないので夏のセミと秋の虫の音が水のせせらぎに混じって聞こえ、モミジの枝が色づき始めていた。